西オルガンにて

 カチューシャ市国ホテル人質事件から半月後。


 相変わらずキエスタ南部と西部は交戦を続け、膠着状態だった。

 南部から逃げ出した一般の南部民たちは、慈善団体のテント村に住んだ。

 南部独立戦線から離脱する兵士や逃亡してきた少年兵もその中には含まれた。

 特に誘拐され、兵士として育てられてきた子供たちの心の傷は深く、精神的なケアが求められた。

 ゼルダ、グレートルイスでは難民たちへの援助金を出した。――


 *****


 その日の夜、本国セパから西オルガンに赴いたキルケゴールは護衛の男と共に空港を出た。

 夜の暗がりの中、止まっていたタクシーの運転手の姿にキルケゴールは驚いた。


「驚いた。君か、コティ」

「キルケゴール様。よろしいですか」


 運転席に座るのはつい最近、退職した本国の運転手のコティだったからだ。


「西オルガン市民権に当選したと聞いていたが。こちらでもこの仕事を続けるつもりなのかね?」


 うなずいたキルケゴールにコティは車を発車させた。


「私にできるのはこの仕事しかないとつくづくと感じましたので」


 以前とは違う制服だが着慣れた様子のコティにキルケゴールは目を細めた。


「こちらはどうかね。楽しんでいるかね?」

「女性客を乗せる回数の多さに最初は柄にもなく緊張しました。なにせ、ここに来る女性は美女ばかりですので」


 コティは返しハンドルを切る。


「物価は本国より高いですし。どうでしょう。もっと若ければ純粋に西オルガンを楽しめたかもしれませんが」

「それは言ってはならない言葉だろう、コティ。君のような幸運に憧れている者が本国に何人いると思っている」

「確かに。申し訳ありません」


 コティが運転する車は滑るような乗り心地で、キルケゴールを西オルガンのホテルへと運んだ。


「いつもお泊りになられているホテルでよろしいでしょうか?」

「ああ。さすがによく、知ってるね。今日は突然、ヴィクトリアに呼び出されてね」

「こんな時間にですか」

「まあいつものことだよ。最近、彼女の機嫌が良くなかったからちょうど良かったかな」


 キルケゴールはため息をつく。


「カチューシャ市国で最後に彼女と過ごして以来、ずっと連絡がなくてね。良かった」


 ホテル前に着き、車を下りようとした彼はコティをもう一度見やった。


「……君とは。戦後からの長い付き合いだったな」

「はい。およそ20年間、務めさせていただきました」

「君の運転がいかに上手かったか最近感じている。いつぞやは、コーヒーをこぼしたことで君に八つ当たりしてすまなかった」

「いえ。私も新任のころでしたので」

「……君にまた会えて嬉しいよ」


 そう言ってキルケゴールは車を降り、ホテル内へと入って行った。



 *****




 護衛の男とドア前で別れ、ヴィクトリアの部屋に入ったキルケゴールだったが、部屋の中にいた人物に立ち止って驚いた。


「これは。……どういうサプライズかな、ヴィクトリア」

「カチューシャ市国の続きよ。キル」


 答えたソファーに座る妖艶なヴィクトリアの隣には、二人の男が立っていた。

 二人とも長身で兄弟のように似た姿をしていた。

 一人は190近い身長で、黒髪に眼鏡をかけていた。

 もう一人は片方の男より年かさで背は少し低く、茶色の髪にこげ茶色の瞳をした男だった。

 最初の一人はゼルダの二百年前のかの英雄、ラリーの|複製(コピー)。もう一人はそのラリー自身の血をひいた男である。


 スーツを着た二人の男に挟まれたヴィクトリアは相変わらず薔薇が匂い立つような色香をはなっていたが、その目には狂人のような危うさがあった。

 彼女はたびたび精神を病み、混乱した。

 また再発したのか、とキルケゴールは唇を噛んだ。

 兄のヘアトンを喪う前は、彼女は快活な美少女だったと聞く。彼女のためにキルケゴールは何度も精神科医を探し出しては交代させた。


 彼女の兄、グレートルイスの王族へアトン=フォン=ターナーは二〇年前、亡命先ゼルダのセパで死亡した。自らの立身のため、オルガン密約でゼルダと密約を交わし、グレートルイス大統領暗殺を果たした容疑者とされた彼は拳銃で頭を打ち、自らの命を絶った。

 彼の死後、キルケゴールが東オルガンで初めて会ったヘアトンの妹、ヴィクトリアはあまりにも傷つき弱々しく、美しかった。

 彼女を愛して、彼女の傷を癒そうと努めてきたキルケゴールだったが、いまだにその行為は報われていない。

 キルケゴールは奇妙な眼光を放つ|琥珀色の瞳(ウルフズ・アイ)の彼女から、二人の男に目を向けた。



「私の部下だった男と。……そして伝説の諜報員か。近くでまみえることができるとはね。ありがたい。驚いたよ」

「初めまして。と言った方がいいんでしょうかね。あなたのことを私は長年ずっと追ってきましたが」


 ジャックはにこりともせずにどこか疲れたような声で返した。

 キルケゴールはジャックからキースに目を移す。

 自分の下にいたときよりも痩せた彼だが、その整った容貌はおとろえてはいなかった。


「今度は彼女についたのか。君もいろいろと節操ないね」

「彼は、私とシャチとの仲立ちに奔走してくれたのよ。誤解を解くためにね。とても大切な私の友人」


 キースを揶揄するようなキルケゴールの言葉にヴィクトリアが言葉を挟んだ。


「もう一人の彼はキエスタの客人。彼の方から来てくれたわ。あなたも知ってのとおり、キエスタ南部をパートナーにしていたのはシャチのグループだけじゃないから。あたしの家族(ファミリー)にも牽制しにきてくれたみたい」


 ラグジュアリーなブロンズ色のドレスを着たヴィクトリアは、ふふ、と自分を挟む二人の男を交互に見上げた。


「笑っちゃった。二人とも、兄弟みたいにそっくりなんだもの。……それに、とても魅力的だわ」

「彼らと寝たのかね?」

「まさか」


 ヴィクトリアが笑みを消し、キルケゴールをにらみつけた。

 ジャックが口を開いた。


「私が彼女にあなたと会いたいと頼んだ。あなたに忠告したくて。もうお気づきかもしれないが。あなたの身に危険がせまっている」

「ジャックは私に何も教えてくれないの。知ってるくせに。でもそうね。あなたの口から聞かなくちゃ。そう思って彼らと来たの。……この間のブラック氏の話の続きよ。二十年前、あなたは死んだ彼らと何をしたの? そのときに私の兄が死んだのよ」


 ヴィクトリアが立ち上がり、傍らのキースに近づいた。

 愛おしむようにキースの肩から胸に手を滑らせたヴィクトリアは突如、キースを背後から抱き寄せ、もう片方の手でナイフの刃をキースの首に押し当てた。


「教えて、キル」


 キルケゴールは軽く息を吐いた。


「たった今、キースを大切な友人だと言ったばかりじゃないか」

「ええそう。でも彼のことをあなたが特別大事に可愛がっていることを私は以前から知っている。本当はウー嬢がよかったけど、彼女はこの前少し姿を消して戻ってきてから全く隙がなくて」


 キルケゴールは最近消えたウーが戻ってきてから、ウーの護衛を増やしていた。

 キルケゴールはヴィクトリアからキースに視線を移す。


「君はバカかね」

「申し訳ありません。しかし、私も閣下から真実を聞きたくて」


 そう答えるキースの様子には恐怖はまったく見られず、キルケゴールはあきれてため息をついた。


「ヴィクトリア。……君と君の兄さんであるヘアトンの尊い関係は知っているけれども。彼はもう亡くなったんだ」

「ええ。国を裏切った愚かな者、としてね。兄は断じてそんな人じゃなかった。兄の汚名をそそぎたいと私は今までずっと思っていたわ。私が死ぬ前にね。だから真実を知りたいのよ……答えて、キル」


 部屋のドアベルが鳴った。


 ルームサービスです、との言葉にヴィクトリアがナイフを下した。


「……随分と遅かったわね。シャンパンとフルーツよ。さっき頼んだの。いいわ、入れて」


 糸が切れたかのような展開に三人の男たちは互いの顔を見合わせた後、ジャックが動いた。

 ドアの前に立ち、ジャックが内側にドアを開くとシャンパンとフルーツの乗ったワゴンを押しながらホテルマンの小男が入ってきた。

 彼はジャックにワゴンを勢いよくぶつけて押しのけた。

 ジャックはふいをくらって体勢を崩した。

 小男は胸元から拳銃を出した。

 視線の先にはキルケゴールをとらえている。

 だがその次の瞬間に、彼は絶命した。

 消音銃で後ろから胸を撃たれた彼は、キルケゴールに銃弾を浴びせることなくこと切れた。

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