パスケース
翌日、午前十一時前、キースはカードで指定されたホテルの部屋前まで来た。
昨晩、娼婦のサラにまとわりついたヨークと取っ組み合ったせいで、背中と腕の妙な部分が筋肉痛をおこしていた。
不快な痛みをわずらわしく思いながら、キースは部屋の呼び鈴を押す。
数秒後、ドアが内側に開いた。
出迎えた男はスーツを着た色つき眼鏡をかけた男だった。
彼は軽く会釈し、キースを中へと入れた。
外務局員だと思うが、キースは彼を見たことはなかった。
「しばらくだった」
部屋の奥から声がかかる。
足元から続く淡いベージュの絨毯のその先には、ベッドと小さなテーブルのシングルの部屋。
その中で肘あて付きの椅子に座ってこちらを見ているのは、懐かしい制服を着たかつての自分の上官だった。
「……お久しぶりです閣下」
キースは部屋の奥へと歩きすすみ、彼の前で一礼した。
「……君はどんなスタイルもそれなりになるな。なかなか、ワイルドなんじゃないかね、今回は」
黄色い髪に覚めるような青い瞳。
キルケゴールは組んだ脚の上に両手を組んだ格好で、目前の髭に覆われたキースの顔を面白そうに見上げた。
「まさか、東オルガンにいるとはな。思ってもみなかった。てっきり、国境沿いに居るものかと」
キルケゴールは変わっていなかった。
記憶のままの彼のふてぶてしさと人をのむオーラに、キースは一瞬過去の自分が蘇るのを感じた。
「……元気そうだな。君が無事で良かった。とりあえず、そういわせてもらおう。君は面白く思わないかもしれないが……なにせ、私は」
キルケゴールは胸ポケットから、煙草を取り出した。
「君を二度、見捨てた」
「……」
煙草を一本口にくわえると、キルケゴールは火を点ける。
「シアン君は一生、私を許さないらしい。二度と私の相手はしないと。グレートルイスに発つ前夜、私にそう言った。……まいったね、大打撃だ」
吐き出した煙の漂う向こうでキルケゴールが軽く笑った。
「……君は非常に恵まれた男だな。シアン君のおかげで君はまだこの世に生きている。君以外の修道士は皆、死んだ。今は、なんだ。シアン君の保護のもと、シャチの配下になったのかね」
「……それ以外の方法を探しております」
キースは答える。
キルケゴールが鼻で笑った。
「そうか。なら今、決めるといい。君に選ばせてやる。……我が国の特例措置に準ずるか、もしくはそれ以外だ。君が故国に尽くす気なら、我々も君を援助しよう」
その言葉にキースは軽く目を見張った。
「だが、それ以外の道を選んだ場合……我々が君を不快に思ったその時は、容赦なく君を消す」
煙草を吸いながらキルケゴールは事務的に告げた。
キルケゴールの視線を受け、しばらくキースは黙って立ち尽くしていた。
「……私は一度、死んだ身です」
部屋の床を見つめてキースはそうつぶやいた。
「ゼルダ人としてもう死にたくはありません」
「……そうか、残念だな」
キルケゴールは立ち上がって、背を向けて窓辺に立った。
「君を優秀な男だと思っていたんだ。だから、あの時に君を殺さなかった」
「……あなたという人間を考えていました」
キースは曇り空がのぞく窓の風景と合わさった男の後ろ姿を見つめる。
「ゼルダを出て、キエスタにいる間ずっと。あなたを知れば知るほど分からなくなりました。特に、彼女に対する執着心は理解できなかった。考えて考えて……それだけはただ単に人間的な欲求のせいかもしれないと。最近ではそう思うようになりました」
「ほう」
「……あなたは、孫が欲しかっただけではないかと」
笑ってキルケゴールが振り向いた。
「確かにな。それは相手がお前では叶わない。ゼルダ人ではな。……君はあの時の私の言葉に相当傷ついたようだな」
「……」
「ふってわいた娘だが、出来てみるとかわいいもんだ。子が欲しいとは昔は思いもしなかった私だが、人並みには肉親への情というものが備わっていたようでね。……君は、私の愛するものをいつもいとも簡単に奪っていくな」
「……」
「輪廻論か。私のレプリカであるヨハネが君のレプリカであるラリーに愛する者を奪われたことは、コピーになっても変わらないな。……君がしゃくでならなかったよ。クラリスも……、シアンも、ウーも。みんな、君が奪っていく」
キルケゴールが小さく声を上げて笑った。
「……では。私に選択の機会を与えてくださったこと感謝いたします」
キースはゼルダ式の美しい礼をキルケゴールに行った。
「キース」
立ち去ろうとするキースの後姿にキルケゴールは声をかけた。
「爆破事故後、君の部屋に監査がはいったが。……その時、君の制服の内ポケットから写真が出てきたな」
キースが立ち止った。
「随分と古い写真だったが。職場にあのような写真を持ってくる君の神経の図太さに驚いた。まあ、ばれなきゃいいだろうが。ゼルダならまだしも他の国ならありえないぞ、キース。どれだけ大事な宝物だったかしれないがな」
キースは振り返らない。キルケゴールはじらすように間を空けて続ける。
「まさかとは思うが。あの写真を手に入れた、いや、見たときから……君はずっと、ウーを好きだったんじゃないかね」
向こうをむいたままのキースの耳が赤く染まっていくのを、キルケゴールはほくそ笑みながら眺める。
「写真の中の彼女を見て、すでにウーに恋していたのではないかね。……だとしたら、あきれるほど君はロマンチストだな」
キースが振り返った。
その顔はかつてないくらい真っ赤だ。
キルケゴールは満足した。
キースを補佐官に就任させた時から、常に乱れることのない彼のこのような顔を、一度見てみたかった。
「失礼いたします、閣下」
消え入りそうな声でつぶやくと、色付き眼鏡の男が開けたドアからキースは部屋を出て行った。
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