中幕 東オルガン〜キース〜
コティ
「キース様!」
東オルガン市内の繁華街を歩いていたキースは前方からの声に胸が飛び上がった。
声の先に初老のスーツを着た男がこちらを見つめていた。
「コティ」
驚きのあまりキースは声がかすれた。
なぜここに、君が。
「良かった。よもや、お会いできるとは」
コティは嬉しそうに目を細めこちらに歩いてきた。
「なぜ」
「シアン様にお願いいたしました。あなた様とどうしてもお会いしたく」
一年ぶりに再会した自分の運転手だった彼はそう答えて微笑んだ。
あいつ。
どこまで顔が広くて、いったいどこまでの人間とつながってるんだ。
それより一言ぐらいコティが来るなら来ると前もって連絡を寄越せ。心臓がもたない。
心の中でシアンに毒づきながら、キースは周囲を気にする。
「お髭を生やされたのですな」
コティは伸び放題のひげだらけのキースの顔をしげしげと眺め、ついで視線を下ろしキースのひどすぎる浮浪者然とした服装に驚いて目を見開いた。
「これはまた。ひどい。……姿勢と歩き方であなた様だとはすぐわかりましたが」
「どこかに入ろう、コティ」
キースは周囲を気にしながら、近くのカフェへとコティを促した。
オープンカフェの席に、よく知った男女二人の姿を見つけてキースは立ち止まった。
私服姿のエバンズ巡査と、見違えるような質のいい服を着た娼婦のサラが立ち話をしていた。
「この店はやめよう」
そのカフェの斜向かいのカフェに入った二人は、一番奥の席に座った。
「キース様。お変わりになられて」
三つ揃えのスーツを着たコティは、頭の上に乗っていた山高帽をとった。
「そうかな。幾分、やせた。……君の方は変わらないな、コティ」
窮屈げな三つ揃えのスーツに身を包んだコティは相変わらず神経質そうな固い男で、キースは微笑んだ。
彼が運転する車内での彼との会話を思い出し、懐かしく思う。
「おやつれになられましたな。ご苦労をされたのでしょうが」
コティがゼルダ産煙草の箱を取り出して机の上に置き、キースの方へと滑らせた。
「ああ。……煙草は止めたんだけどな」
爆破事件後にゼルダからキエスタ入りした際、無性に吸いたいと思ったことをはるか過去のように感じた。
あれから修道院の生活に慣れることに必死で、喫煙の誘惑はあっさりと断ち切れた。
当然だがなんて清らかな生活をしていたのかと思う。
キースは一本取り口に含んだ。
コティが手を伸ばしライターで火を点けた。
「ありがとう」
吸ったとたん、キースは激しく咳き込んだ。
涙目で手に持った煙草を見つめる。
「まいったな、こんなの吸ってたのか」
「お会いできて良かった。ルーイ様も心配しておられました」
コティが前に身を乗り出して声を潜めた。
「あなた様があんなことをするわけはないと。私も、ルーイ様も信じておりました」
「私のことはキースでいい。コティ。もう、私は以前の私ではないのだから」
「いえ。キース様はキース様ですから」
コティはぶれずに言い切る。
キースは苦笑した。
「……ルーイの無事を聞いて、本当に良かった。……ルーイは私のことをうらんではいなかったか」
ルーイとは密林で別れたのが最後だ。
本当にあれからどれぐらいのことが起こったのだろう。変わったのだろう。
何年も前のような気がするが二年も経ってはいないのか。
「いいえ。そんなことは。ルーイ様は誰よりもキース様の身を案じておられました」
彼を自分は密林で見捨てたのだが。
澄んだ瞳のまだ学生くさかった童顔の彼を思い出し、キースは再び罪悪感がこみ上げてきた。
「……私の処置をどうするか、国はあぐねているのか」
「特例措置をとってもいいでしょうけども……キース様は顔が目立ちすぎます」
「そうかな。いままで、気付かれなかった」
たいした変装もしていないのに。
キエスタの修道院にいる間に、ヴィンセントという役にハマってしまったのかもしれない。
今では昔の自分に違和感を覚える。
「パイプカットは半年前にしたんだ。……このまま、見過ごしてくれないかな」
冗談交じりでキースはつぶやく。
「キルケゴール様が今後は台頭するのではないかと。サマリール氏は、体調をくずされて」
自分がいない間に祖国ゼルダはなんと変わったのか。
キースはため息をついた。
「トニオ氏は本当に自殺だったのか」
「私にはわかりません。……おそらく、謀られたのでしょう」
誰かの手によって。それは自分たちが一番知る人物かもしれない。
「この先、国はあなたのもとへだれかを寄越すでしょうが。あなた様にとって幸福な選択であることを祈ります」
「ありがとう」
カフェの店員がコーヒーを運んできた。
店員はキースの前にコーヒー、コティの前に三段に積んだホットケーキとカフェオレを置いた。
「美味しそうですね」
「君は甘いものが好きだったんだな」
顔を嬉しそうにほころばせるコティにキースもつられて笑みをこぼした。
コティとは付き合いはあったが、ともに食事をするのはこれが初めてだった。
それからは他愛のない会話を交わした。
他の運転手たち、共通の知る外務局局員の近況。
生クリームとイチゴののったホットケーキをぺろりと平らげた初老の男は、満足げにナプキンで口を拭ってから一息ついた。
「それでは、これで失礼いたします。キース様」
「案内でもしてやれたらいいが、そういうわけにもいかなくて。すまない」
「いえいえ。ガイドブックは持っておりますから。これから、王族の墓へと観光にいくつもりです」
コティは鞄から観光用のガイドブックを出して見せた。
「僭越ながら」
その後には封筒を出して机の上に置く。
「キース様の少し足しになればと」
「よしてくれ」
戻そうとしたキースの手をコティは押しとどめる。
「貯めるだけの生活を繰り返してきた私です。使い道なんて他にはない。キース様に使っていただきたい」
勤続二十年の運転手。
真面目に職務に打ち込んできた男の言葉にキースは言葉をのんだ。
「なに、結構あるのです。あの国じゃ使い道がない。今回東オルガンでは、これまでの人生の中で初めてけた外れに金を使ってやろうと思っております」
コティは微笑んだ。
「……すまない。ありがとう」
キースは小さくつぶやき、封筒を自分の机の前に置いた。
「キース様、最後にあなたに会えてよかった。……初めて国外旅行にも来ることができて良かったと思っております」
コティは告げると立ち上がり、山高帽を頭の上にのせた。
「それでは」
「俺も、君に会えてよかったコティ」
立ち上がったキースにコティはゼルダ式の固い一礼をした。
それから回れ右をしてカフェの出口へと去っていく。
周囲のグレートルイス人とは違う異様な彼の姿勢の良さに、キースは苦笑した。
キャンデロロやシャチが言っていた意味が分かる。
確かにゼルダ人は姿勢が良すぎる。
自分では気づかないんだがな、とキースは思いながら先ほどのコティの言葉を思い返していた。
最後、と彼はいった。
ゼルダ人の平均寿命は六十歳で、コティは現在五十をこえたところだが、もう体に変化があらわれているのかもしれない。
我が祖国の国民は変化が始まったと思ったら、急速に体の機能が衰える。
自分も最後にコティに会うことができて良かったと思った。
彼のいたテーブルに一枚のメモが置いてあるのにキースは気付いた。
名刺ほどのカードの裏にはなにか文字が書かれている。
11/10 AM11:00 №602
明日の日付だった。
カードの裏をめくると、東オルガンのホテルのカードだった。
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