失踪者

 ――ヴィンセント=エバンズはよくいえば慎重、悪く言えば小心者、という男だった。


 生まれも育ちもこの地、東オルガン。

 血筋は貴族ではない。

 数百年前、王族、貴族がこの地に追いやられた際に、ともに主人にくっついてきた執事の家系だ。

 上二人が姉の三人兄弟の末っ子として生まれ、平凡な生活を送り、警察学校を卒業し、特別なことが起こるわけではなくいままで人生を送ってきた。

 性格は真面目、神経質。小さいころから緊張すると、どもる癖がまだ抜けない。

 彼のデスクの上はいつもきれいに整頓され、小物を置く位置は決まっており、帰る前にはその位置をいつも修正してから帰る。

 強迫症ではないかと、同僚から揶揄されていることにエバンズは気が付いていなかった。


 テス教徒のようだと言われがちだが、代々メイヤ教徒である。

 東オルガンでは、テス教徒はごく少数だ。

 それは、過去にテス教徒と王族の間に起こった歴史に理由がある。


 王族はメイヤ教とテス教が分離した時から、テス教徒を迫害した。

 テス教の清貧、博愛の精神がわずらわしかったのもあるし、反対に商人たちと婚姻を繰り返して強大な力を得、様々な芸術家を輩出するメイヤ教を擁護したのもある。

 何回か起きた革命、その指揮を執ったものがすべてテス教徒だったこと(そうなるのは仕方ない社会状況だったのであるが)も大いに関係がある。

 ゆえに、もと王族、貴族が住むこの東オルガンは圧倒的にメイヤ教徒の割合が高い。


 エバンズは担当である東オルガン外れのこの地区を任された時から、ここに住んでいるものたちについて、一人残らずメモしてきた。


 名前、年齢、特徴。

 市民権を持たない、家も持たないかれらであるが、この地に住んでいるのなら彼らを把握し、彼らの身の安全に気を使うのが自分の仕事だと考えたからだ。


 今までの前任者はお前のような事なぞしなかった、と先輩に笑われたこともあったが、エバンズは続けた。

 元来メモ魔で、それら作業が苦痛ではなかったのも影響する。

 時折、顔なじみになった者と立ち話するのもそれなりに楽しかった。


 しかしここ数か月、女性(売春婦)たちの姿が消えるのが目立った。


 気になって年かさの同僚に相談してみたものの、彼女たちはたまに河岸を代えるから、という答えが即座に帰ってきた。

 その答えに一時は安心したエバンズだったが、すぐに不安になった。

 姿を消す女性たちの数は日を追うごとに増えていったからだ。


 何か事件に巻き込まれているのでは。

 不吉な予感が消えなかった。

 上司に報告もしてみた。

 取るに足らない扱いをされた。


 失踪届を出すような家族もいない彼女たちだ。

 姿を消しても誰も心配したり、不思議に思ったりする者なぞいない。

 そう、自分以外には。――


「あなたも、女性たちが姿を消すことを不審に思っていらっしゃるのですか?」


 エバンズは思わず大きい声で聞き返した。

 近くにいたホームレスの一人がびっくりしたように振り返り、ベアーはエバンズに歩くよう促した。


「……昨日から、エルザという女性が帰ってきません。ご存じでしょう? 胸もとにバラの刺青がある、赤毛の少女です。東海岸訛りのある」


 エバンズは頷きながら歩き始めた。

 肌が荒れてはいたが、くりっとした目が可愛い少女だった。少女、そう、年は22だとうそぶいていたが、まだ17、8だったのではないかと思っている。


「彼女は若くても人一倍、用心深い女性でした。サラという女性とペアを組んでいました。お互いに、相手が朝までに帰らない場合は警察に訴えるようにという約束をしていました。一昨日の夜から、サラはエルザの姿を見ていません。昨日、サラは警察に訴えたのです。しかし、本気で取り合ってくれなかったと、憤慨しながら彼女は帰ってきて」


 ベアーは立ち止まった。


「あなたなら、話を聞いていただけるのではないかと」


 その時、盛大に彼から腹の音が鳴った。

 ベアーの目が恥じるようにまばたきをした。

 髭に覆われていなかったなら、彼の頬が赤らむのを見ることができたかもしれない。


「……朝食はまだなのですが?」


 エバンズの問いにベアーは頷いた。


「私もまだなのです。良かったらご一緒にどうですか?」

「いえ、そんな……お仕事中に」

「今日は非番なのです。……実は」


 ベアーの視線に、今度はエバンズが恥じらう素振りを見せた。

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