ダイナー

 スクランブルエッグとソーセージ、コーンブレッドが二人分用意されたテーブルを挟んで、エバンズとベアーは向かい合って座っていた。


「まず、食べましょう」


 エバンズが促し、そそくさと祈りを済ませてフォークを早速ソーセージの背に突き刺した。口に運ぼうとしてエバンズはその手を止め、あんぐりと口を開けたまま、前に座る男を見た。

 ベアーはテーブルに肘をつき、組み合わせた両手を額につけ、まだ祈りの言葉を述べている最中だった。

 音を立てないようにソーセージが刺さったままのフォークをゆっくりと皿の上に置き、エバンズも両手を組んで祈りの姿勢をとった。

 最後の手振りをベアーと同時に行い、エバンズはやっとソーセージにありついた。


「あなたはテス教徒ですか」

「はい」


 ソーセージを一口大にナイフとフォークで切りながら、ベアーが答える。


 久しぶりに正式なお祈りを見た。

 テス教徒と違い、メイヤ教徒は食前の祈りをかなり簡素化している。


「折角の休日に申し訳ありません」

「いえいえ」


 エバンズは、首を横に振りながらミルクで口の中のものを流し込んだ。


「紛らわしいのは私です。休日だというのに制服を着ているなんておかしいでしょう? 実は私、私服を買うのが苦手でして。センスゼロ、といいますか。私服の自信がないので、外出するときには制服をよく着るのです」

「分かります」


 ベアーが頷いた。


「私にも身に覚えが。制服は楽ですから」

「本当に?」


 エバンズは目を見張った。自分のような男が他にもいるとは。

 いや、それより、目の前の彼は以前、制服を着るような職業についていたのだろうか。


「あの、つかぬことをお伺いしますが、ベアーさんは以前はなにを……」

「投資に大失敗しました。生涯かけても払えるとは思えず、逃げてきたのです」


 ベアーは優雅にフォークに刺した一口大のソーセージを口に運んだ。


 いいお家のお坊ちゃんだったのだろうか。

 彼の姿勢の良さと、テーブルマナーの美しさに、エバンズは思わず背筋が伸びた。

 文化人だと彼のことをそう言ったウォルフガングの言葉を思い出した。以前の彼は、もしかしたら自分など及びもつかないようなエリートだったかもしれない。


「美味しいですね」


 ソーセージを味わい、飲み込んだベアーがため息をついた。

 騒がしいダイナー。

 店内にいる客は、独身の中年男性が大部分を占める。ウエイトレスが忙しくその間を行き来していた。


「あたたかい食事は心が満たされます」


 まるで高級ディナーを食べているかのような雰囲気でベアーはナイフとフォークを動かす。


「これからの季節は大変でしょう。時折、ボランティアで婦人グループが炊き出しをされていますが」

「ありがたいです」

「お話は、食事が完全に済んでからでもよろしいですか。私は二つのことを同時にするというのがどうも苦手でして」

「もちろんです。私もです。口にものが入ったまま話すのはマナー違反ですし」


 彼と自分は気が合いそうだな、とエバンズは思った。

 エバンズもそれなりに厳格な両親に育てられた。

 祖先が執事だったからだろうか。食事時のマナーは貴族並みに躾けられたと思う。

 最近はそれもおざなりになってきているが。

 目の前の彼は、自分と同じくらいもしくはそれ以上に品のいい家庭で育ったのだろう。

 髭に覆われた顔は、ものすごく端正かもしれない。そう思わせるオーラが彼にはあった。

 気の毒に。

 エバンズはベアーの現在の境遇に同情した。

 一度の失敗で人生がおじゃんだ。


 それにしても、彼は臭わないな。

 ベアーを観察しながらエバンズは思う。

 たいがい、あの界隈に住む彼らは強烈な臭いを放つが、彼はまったく臭わない。

 たまたま体を洗ってから間があいてないのだろうか。

 多少臭うなら、店内には入らずテイクアウトで車内で食べるつもりだったが、彼にその心配はないので店内に入った。

 着ている服も古びてはいるが、汚れてはいない。


 二人は言葉を発することなく黙々と食事に集中した。


 *****


「一年前からですか。彼女たちが姿を消すことに気付いたのです」


 エバンズは二つのコーヒーカップの間に、自分の手帳を広げた。


「最初はひと月に二人ぐらいでした。先輩に話すと、彼女たちは時折……仕事場を変えるというし、そうなのかと思っていました。それが、姿を消す間隔が徐々に短くなって……一週間に一人ぐらいに。今では、月に五人は姿を消します」

「上司の方はなんと」

「たまたま移動した女性が増えただけだと。隣のミスカ州にいけばすぐ見つかるだろうと笑われました。……私もそう思って、休日にミスカ州に足を運んでみたのですが、彼女たちの一人にも再会できず……探し方が悪いだけかもしれませんが。なんというか、彼女たちが出没する場所に出向くのは勇気がいるので」

「わかります」

「消えた彼女たちについて共通点をあげてみるといずれも、20代以下の若い女性です。年齢を詐称しているのかもしれませんが、それでも30を少し超えたぐらいでおさまるかと。それから彼女たちは、ほかの女性たちと比べて……多少……」

「魅力的?」


 ベアーの言葉にエバンズはそうです、と頷く。

 女性差別の発言はできるだけしたくないが仕方ない。

 実は、エルザしかりサラしかり、平均より上のルックスの女性たちをメモする際にエバンズは☆のマークをつけていた。手帳を覗き込んでいるベアーにそれを指摘されないかと、エバンズはヒヤヒヤした。


「赤で丸く囲まれた女性が、消えた女性ですね」


 エバンズがページをめくる。


「何らかの事件に巻き込まれているのではないかと。ただの思いすごしならいいのですが、もし、彼女たちが本当にそうなら……」


 エバンズは言葉を濁した。


「西オルガンでの事件はまだ記憶に新しいと思います。あのような……」

「西オルガン市警が摘発した人身売買ですね」

「グレートルイス人の彼女たちは拉致されて、あの国に連れて行かれたようです。一日五人も客をとらされていたとか。キエスタ人女性の場合はその倍だったと」

「入国ルートはまだ不明だと言われていますね」

「東オルガンを通った確率は高いのではないでしょうか。森林を越えていくルートも考えられないわけではありませんが。あの事件は世間ではマフィアのシャチが関与しているのではないかと言われてはいますが……」

「……なんですか?」

「私はそうは思いません。別のグループではないかと」


 エバンズはコーヒーカップを手に取り一口、口に含んだ。


「シャチが台頭してくる以前に、いくつかのファミリーが存在していたのです。そのうち南部のほとんどはシャチに吸収されました。その時に、彼らはお互いに協定を結んだと聞いております。シマ、というんでしょうか。お互いのシマには手を出さない、北部にはシャチは手は出さないと」


 カップをテーブルに置き、エバンズは手を組み合わせる。


「麻薬課の捜査官でもない、この私がいうのもどうかと思いますが。シャチはキエスタ人です。彼は、グレートルイス人よりも規律や契約には厳しい。昔ながらのマフィアのドンといいますか。私はそんな印象があります。西オルガンでの事件は、別のファミリーによるものだと思っています」

「北部のファミリーですか」

「二つあります。一つは北部の先住民グループ。もう一つは」


 エバンズは首を振った。


「不明です。彼らの正体は分からない。シャチと同様に戦後新しく生まれたグループです」


 エバンズの話を聞きながらもページをめくっていたベアーが、こちらを見た。


「消えた女性たちの共通点がもう一つ見つかったかもしれません。……彼女たちはテス教徒かもしれない」

「テス教徒? なぜ、そのような」

「エバンズさんのメモを見ると、薔薇の刺青をしている女性が多い。薔薇はテス教徒にとってある女性の象徴でもあります」

「……あー、アネッテ?」

「はい」


 ベアーは手帳をエバンズに返した。


「以前、男性で薔薇の刺青をしている方から聞いたことがあります。テス教徒の娼婦は、薔薇の刺青をすることが多いと。アネッテは聖なる娼婦とされて、娼婦たちの守護天使とされていますから」

「それは気づきませんでした」


 確かに、姿を消した七割の女性に薔薇の刺青のメモがあった。


「エバンズさんはアネッテについてお詳しいのですか」

「経典から消された女性でしょう。メイヤ教徒ですので、それくらいしか存じませんでした。ハイスクールまでは。……ハイスクール時代に、一度調べたことがありまして」


 ベアーの問いかける目に、エバンズはやや目をふせた。


「ハイスクール時代に好きだった彼女が敬虔なテス教徒でして。……まあ、若いときに興味を持つ理由なんて、たいがいそんなものです」

「わかります」

「一度、テス教徒に改宗しようかと真剣に思ったこともありますが。彼女とは卒業と同時に終わりましたんで、メイヤ教徒のままです。たまに、同僚にギール派とからかわれることもありますが」

「たしかに。エバンズさんはそんな印象をうけます」


 ベアーが微笑みながら言ったその言葉に、エバンズはおもはゆく感じた。

 まるで、幼いころ司祭に褒めてもらったときのような感覚だった。


「エルザの件は、私から訴えます。動いてくれるかどうかは分かりませんが。万一の場合も考えて明日、身元不明の遺体や、病院に運ばれた患者も調べます。……付近の女性にも注意するよう呼びかけましょう。夜間、あの付近のパトロール回数も増やします。それから、サラにもう一度話を聞いてみたいと思います」

「サラの昼間の居場所は知っています。……案内しましょうか?」


 あまりにもさらりと告げたベアーに、エバンズは少々、驚いた。

 彼は新入りなのではなかったのか。


 それとも、サラとすでにそういう関係なのか。

  ああ、だから、僕に声をかけたのか。

 少し落胆した心持ちで、エバンズは頷き、席を立った。




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