ヴィンセント エバンズ

 隣のミスカ州に近い東オルガン市外れに位置するレナ川沿い。

 ここは、浮浪者、ホームレス、商売女たちの溜まり場となっていた。

 ミスカ州よりかはいくぶん優しい警察の対応に、昼間はミスカ州で夜は東オルガンで過ごす生活を繰り返している者も多い。


 過去の王族や貴族が住むグレートルイスの東オルガン地方。

 聞こえはいいが、きらびやかなのは市内中心だけで郊外にまでいくとボロが少々目立つ。


 ミスカ州と東オルガン間を流れるレナ川。朝日がその水面に光をきらきらと反射させている。

 その橋の下で居住する者たちの顔ぶれを確認し、時には彼らに話しかけながら、東オルガン8分署に勤めるエバンズ巡査は自身の手帳にメモをしていた。

 ペンを握る指先が冷たい。

 めっきり朝晩冷え込むようになり、胸から息が白く吐き出される。


「よお、おはようさん。巡査。昨日は冷えたよねえ」


 垢と汚れで真っ黒な顔の中に、にか、と白い歯が浮かぶ。

 年は50後半、ここでの一番の古株であるウォルフガングが、濃紺の制服を着たエバンズを見て近づいてきた。

 穴だらけの女性用のセーターを着て、作業用ズボンも片方は膝から先がなく、寒さよけに女性用のストッキングを何枚も重ねばきしているのが見える。靴は左右違う靴で、両方とも穴があき、つま先が見えていた。


「キャラメル、またくれる?」


 エバンズはポケットから、紙に包まれたキャラメルを取り出すと彼にわたした。

 とろけそうな笑顔でウォルフガングは包み紙をあけると、中の丸みを帯びたハート形のキャラメルを口に含んだ。


「これこれ。ガキのころとおんなじ味だ。うまいなあ」

「あんまり食べると、歯が溶けますよ。歯医者に行けないのに」


 にんまりと、満足げな表情でウォルフガングはエバンズを見返した。


「とうに、歯は半分もねえよ、巡査。それでもやめられねえ。ヤクと同じだ」


 ウォルフガングは更に近づいてエバンズの隣に立った。


「それはそうと巡査に話があるって、ヒトがいるんだよ。いいかい。……おーい、熊(ベアー)さん!」


 ウォルフガングが川岸のドラム缶を囲んで暖を取ってる集団に声をかけて手を振った。

 その中のひときわ大きい姿の男がこっちに気付いて向かってくる。


「新入りのヒトだよ。でかいけど、物腰やわらかいヒトでね。……なんでもできるんだよ。文明人だったんだろうね。みんなからひっぱりだこさ。おーい、熊(ベアー)さん、このヒト。このヒトが巡査」


 近づいてきた男の姿を見て、エバンズはなるほど、と思った。


 でかい。

 190近くは背丈があるだろう。

 そして、顔中を覆う髭、同じく伸び放題の茶色の髪。

 寒さを防ぐために、何枚ものシャツを重ねて着ているらしい。

 実際の体型よりもっさりして見えるんだろうな。


 熊(ベアー)か。

 エバンズはまぶしそうに彼を見上げた。

 生憎、自分の身長は170しかない。


「こんにちは」


 彼、熊(ベアー)はエバンズを見下ろして髭の奥から声を出した。

 心地よく、優しい声音だった。自分を見る彼の優しい鳶色の瞳を確認して、エバンズはこの男の性質を理解した。


「じゃあね」


 ウォルフガングはエバンズの肩をたたくと、ドラム缶の方へと立ち去った。


「こんにちは。初めまして。熊(ベアー)さん」


 エバンズはにこりと微笑むと、メモをめくった。


「早速ですが、あなたのお名前を教えてほしい。できれば、年齢も。……まさか、熊(ベアー)が本名ではないでしょう?」


 頷いた目の前の大男は、ある名前を口にした。

 メモしようとした手を思わず止めて、エバンズは本当に? と彼を見上げ笑った。


「驚いた。エバンズさん。あなたと私は同性同名ですね。私の名も、ヴィンセント=エバンズです。よろしく」


 もう一人のエバンズも驚いたように目を丸くし、髭の向こうで微笑んだようだった。


「年は、25ですね。お若いんだ。私とそう変わらない。……私の方が、一つ上ですよ」


 ヴィンセント=エバンズ、25歳、身長190近く、髭男、愛称は熊(ベアー)。

 さらさらとメモし終えたエバンズは、手帳を胸ポケットにしまい彼を再度見上げた。


「お待たせしました。……それで、お話とは?」


 急に、優しかった彼の目が幾分の鋭さを帯びた。


「あなたのお話は他の方からうかがっておりました。あなたなら……巡査なら……すでに気づいていらっしゃるかもしれない」


 真剣なまなざしで熊(ベアー)は告げた。


「この付近の女性たちが失踪している件について」


 エバンズの手から、ペンがぽろりと落ちた。

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