ブラック

 美術館を出た後、レンはウーとタクシーに乗りフェルナンドに持っているマンションのうちのひとつに向かった。ウーの滞在しているホテルに送ることなく、自分のマンションに連れてきたのは初めてだ。

 勝利を確信しながらレンはウーとエレベーターに乗り、最上階の部屋に案内した。

 リビングからはフェルナンドの夜景が一望できる。レンの一番気に入っている部屋だった。


「リビングでTVでも観てて」


 ドアを開けてウーに一番奥の部屋を指さし、レンはキッチンへと向かう。

 冷蔵庫を開けると、ジンジャーエールとビールしかなかった。シャンパンはこの間、切らしたか。

 迷った挙句、ウーも自分もジンジャーエールにすることにした。ウーはあまりアルコールを好まないようだし、せっかくの夜だから今日は飲まずにいこう。感覚を鋭敏なままにしておきたいし。

 グラスにジンジャーエールを注ぎ、そのまま両手にもって運ぶ。

 リビングからは男の野太い声が聞こえている。

 ドラマでも観てるのかな、とリビングに入ったレンは驚きのあまり、グラスを落としそうになるのをすんででこらえた。


「叔父さん!!」


 リビングのコの字形ソファーの中心にどっかりと座っていたのは四時間前に別れたレンの叔父、ブラックだった。


「やっぱり、ここだと思ってた。当たったな」


 レンに視線を向けてそう応えるブラックの前にウーが硬直して立ちつくしていた。


「どうしたんです! なんで勝手に入ってるんですか!」

「ゼルダから新しい情報が入った。お前が……その彼女も知りたいだろうから、わざわざ話しに来てやったんだ」


 ブラックは手をさしだして、レンの持っているグラスを寄越せ、と示す。

 レンはしぶしぶブラックにグラスのひとつを渡して残りのひとつをテーブルに置くと、ウーの様子をうかがった。

 ウーの顔色はなぜか悪く、表情を強張らせていた。


「獄中のベッドの中から死亡したK=トニオ氏の直筆の告白書が見つかった。フォークナー告別式爆破は彼の部下の手によるものだそうだ。今から調査に入るそうだが……とりあえず、お前の友人と彼女の元恋人は無実だととらえていいんじゃないか」

「キースが」


 よかった、とレンは思わずため息をもらした。やっぱりそうだったか。あいつがそんなことするはずないと思っていた。

 それがわかった今、気になるのは彼の行方だけだ。


 ウーがふらりとテーブルに手をつき、身体をよりかからせた。


「大丈夫?」


 あわてて支えようとしたレンに


「レン……お願い、外に出たい。……帰るわ」


 ウーは小声で告げると、そのままレンをふりはらってリビングの外へと駆け出した。


「待って!……送るよ!」


 追いかけて声をかけた時にはもう、ウーはドアを開けて外に出て行った。ーー


 ……くそ親父。


 今夜のチャンスをふいにした叔父をレンは恨めしげに振り返る。

 ブラックは美味しそうにジンジャーエールを一口飲んでいた。


「灰皿は」


 更にはポケットから煙草を取り出し、レンに催促する。


「ありません、そんなの。僕は半年前に止めたんです」


 不機嫌に冷たく言い返すとブラックは取り出した一本の煙草を再び箱に戻し入れ、ポケットにしまう。


「そうか。たいしたもんだな、お前」

「……勝手に僕のマンションに入らないでくださいよ。いくら叔父さんでも」


 レンは苛立ちを隠せず乱暴にブラックと対角上のソファーに座った。


「……彼女に何を言ったんですか」

「さっきお前に言ったのと同じことだが」

「それ以外に」

「……話題作りのためにお前とつきあっているなら、いい加減手をひけ、と。お前と楽しむつもりなら短期間にした方がいいとアドバイスしてやった……愛する甥に対しての老婆心ゆえの一言だ」


 余計な事を。

 レンはブラックをにらみつける。


「言っておくが、彼女は俺を見た瞬間に顔色を変えた。やましいことがあるという証拠だろう。あの女は今はキルケゴールの女だ。あいつの女には手を出すなと前に言っただろうが」

「……」


 いつもこれだ。

 キルケゴール、キルケゴール。


「……いい加減、教えてくれてもいいんじゃないですか?」


 むっつりとレンは目の前の椅子に座るブラックを見据えた。


「何をだ」


 問い返すブラックに抑えきれない腹ただしさのまま、レンは声を荒げて続ける。


「叔父さんが黄色いキツネにそこまでこだわる理由を。一体、何があったんです? ゼルダに留学時代、彼にいじめられたんですか? ライバルとして張り合ったとか?」


 ブラックは動揺したように黙り込んだ。しかしにらみつけたまま珍しく食い下がるレンにようやく口を開いた。


「……彼女を奴は寝取った」

「え?」

「クラリスだ。カレッジで彼女と俺は交際していたんだ。それを、キルケゴールが寝取った」


 ……女かよ。

 レンはあきれて胸中でため息をついた。

 クラリス。

 その名は知っている。

 ゼルダの歓楽街(パラダイス)、伝説の華。

 時のグレートルイス大統領の相手もしたという大物だ。キースの筆おろしの相手でもある。

 唯一のキースの相手に興味を持って、クラリスの若いときの写真を手に入れて拝見したことがあるが、たしかに稀に見る鋭さを感じさせる美女だった。

 レンはシアンの方がどう見ても可愛いし、彼女の方がクラリスよりも上だと思った。

 まあ時代の好みというか流行りがあるし、叔父が若いときにはああいう上から目線の美女がもてはやされていたのかもしれない。


「それは……ご愁傷さまです」

「彼女が歓楽街(パラダイス)入りする際まで、俺は彼女に手を出さないと決めていたんだ。それを……」


 いや、先にやったもの勝ちだよな。

 レンは冷静に叔父を評価する。

 ぐずぐずと清らかな交際を続けていた叔父に愛想をつかして、クラリスがキルケゴールの方に流れていったという方が正しいのだろう。


 レンはため息をついて微笑した。

 まったく、叔父は。


「昔から叔父さんは要領が悪いというか、間が悪かったんですね」


 レンの父である兄からも、恋人であったレンの母親を寝取られている。それで、自分ができた。


「俺はテス教徒だ。フットワークのかるいメイヤ教徒とは違う」


 仏頂面でブラックは告げた。


「はいはい」


 レンは頷きながらも言葉を追加した。


「でも、彼女と交際は続けますんで。叔父さんになんと言われようとも」

「……今回は本気なのか?お前」

「珍しく本気です」


 レンはいたずらっぽく瞳をキラキラさせて答えた。

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