美術館
ゼルダの前トップ、K=トニオ氏が獄中で死亡した。死因は自殺とされている。
グレートルイスにいる彼の隠し子とその美しい母親の姿が、以前彼らの存在が分かったときと同じように連日TVに映し出された。
隠し子である息子の法律上の父であった元弁護士(すでに事故死)フレデリック=コーンウェル氏が犯していた犯罪(西オルガンでの人身売買)についてはいまだ事の真相は判明しておらず、マスコミでもその話題は下火傾向だったその時にである。
実の父親であるK=トニオ氏が亡くなり、再び一気にグレートルイスは以前の話題を盛り上がらせた。
西オルガンでの人身売買は、ゼルダの犯罪組織とグレートルイスの犯罪組織が合同でかかわっていたことを西オルガン市警が発表した。ゼルダのグループについてはどのグループかめどがついているが、グレートルイスのグループについては不明だという。
世間では売春宿をしていたフレデリック=コーンウェル元弁護士が、以前グレートルイス南部の犯罪組織シャチグループの顧問をしていた経歴があるため、シャチのグループが関与しているのではないかと思われていた。
K=トニオ氏の死に至っては、不審な点が多く暗殺ではないかというのがレンの見解だった。
どうやら清廉潔白さがウリだったトニオ氏は一皮むけばいろいろとドロドロしたものがあふれてきそうだった。
おそらく、K=トニオ氏はゼルダの犯罪組織と関係を持っていたのではないか。
彼に真相を語られては困る元仲間が口封じに消したのだろう、というのがレンの叔父ブラックの考えだった。
『もしくは、キツネがやったかのどっちかだ』
部屋の椅子に座って語るブラックの言葉を生返事で聞きながら、秘書室でレンは仕事を猛スピードで片付けた。
ゼルダのトニオ氏死亡後、レンは超多忙だった。
週末には実家のあるフェルナンドで映画祭が行われるのにだ。
主催はベイカー家一族であるからレンも毎年出席する。
その下準備に存分に時間をかけるのを楽しみにしていたのに。
北の国ゼルダで起こった出来事は迷惑きわまりない。せめて映画祭が終わってからにしてほしかった。
今回、レンはウーと映画祭に出席するつもりだった。
世界一の美女をエスコートして会場の注目を一身に集める自分の姿を脳裏で何回もシミュレーションした。
自分のタキシードももちろんだが、ウーのドレスには最上級に手をかけるつもりだった。
それを。
レンは心の中で舌打ちした。
自分がドレスを選びたかったのだが結局、人に頼むことになってしまったのが口惜しい。
まあプロのスタイリストに頼んだのだから間違いはないだろうが。
自分とウーの意見を交換させたうえで、ゆっくりと満足のいくドレスを選びたかったのに。
ウーはセンスがいい。
そして、その感性はかなり自分と似通ったものであるとレンは感じていた。
ウーの身に着けるものはどれをとってもレンの満足のいくものであったし、レンの身に着けるものもウーにとっては心地よく感じるらしく、ウーはよくレンのスタイルを褒めてくれた。
そういう感性の一致をお互いに確かめあいたかったのだ。
だがそれは仕方ない。
レンは部屋の時計をちらりと見た。
午後六時。
目の前に座るブラックは語り続けている。
レンは勢いよく、席を立った。
「叔父さん、じゃあ、僕帰りますので」
コート掛けからコートを取ると、レンはなにか言おうとして口を開けたブラックの言葉を埋めるつもりで口早に言った。
「これからフェルナンドに飛びますから。映画祭が終わってから、仕事はいつもの倍しますんで。叔父さんの話にも存分に付き合いますんで。今夜はこれで勘弁してください」
叔父の返事を待たず、レンはすぐさまドアを開け部屋から飛び出た。
*****
そして一刻後、自家用機で首都キッドからフェルナンドに飛んだレンは、念願のウーと夜の美術館にいた。
二日に一度、レンはキッドからフェルナンドに通いでウーに会いに来ていた。
割と身体はキツイが、美女と関係を深めるのにそんなことはどうでもいい。
月曜日、水曜日、金曜日の彼女とはしばらく関係を絶つことにした。
ウーは知れば知るほど純粋な女性で、レンは少ない時間でもいいからウーと会いたくてたまらなかった。
密林の少数民族出身ということもあり、自分との価値観の違いに戸惑うことが多々あったが、それ以上に彼女の無垢な感性に惹かれた。
彼女は本当に何も知らない少女同然で、新しいことに出会うと興味を示し、いきいきと目を輝かせた。
映画、競馬、野球観戦。
グレートルイスの地方料理や、キエスタの料理、民族衣装、エスニック雑貨等々の店。
思いつく限りのところにウーを連れて行くと、期待以上の反応で喜んでくれるウーにレンは満足した。
彼女は、いつも新鮮だった。
これが自分が今まで付き合ってきた女性とは違う点だ。
ウーも自分に会うことを楽しみにしている、とレンは確信するようになった。
一度、どうしても仕事が終わらずデートのキャンセルの連絡を入れた時、ウーの声が沈んでいたのをレンは聞き逃さなかった。
そして当初に比べ、並んで歩いているときの自分との距離が確かに縮まっているのにも気付いていた。
そっけない態度だったウーは、今では期待の目を向けて自分の話す言葉を聞いてくれている。
そろそろいいかとも思う。
予定では映画祭の夜を目標にして今までのプロセスを調節してきたが、臨機応変に多少前倒しでそうなってもそれはそれで構わないだろう。
今日のデートプランでは、割とそういう期待が見込めると思った。
夜の美術館。
普通なら閉館時間にあたるこの時に、貸切で開放させたのはベイカー家である自分の特権だ。
フェルナンドの芸術に関する施設はすべて、メイヤ教のミドルネームを持つ我がベイカー家の一存でどうとでもなる。
ちなみに夜の美術館コースでベッドまで持ち込めた勝率は今までで90パーセントだった。
レンは、ウーを芸術家肌だと思う。
彼女は感覚を中心にして物事をとらえているふしがある。
自分にとって心地良いものであるか、否か。
それは物であれ、人であれ、同じだ。
ウーにとっていかに心地い良い存在でいられるかどうか。それが勝敗を分ける。
二人で黙って館内を一回りした後、中央広間の展示室ソファーに二人は座った。
ベイカー家の名を懸けて、展示されている美術品の数々を薀蓄を垂れながらウーに紹介しても良かったが、彼女は静かにただ作品を観るのを好むというのがレンには分かっていた。
だから、後でウーが知りたいと思う作品についてだけ話そうと思った。
「いままでで、どの作品が好き?」
隣に座るウーにレンは微笑んで聞いた。
今夜のウーはオフタートルのざっくりした白のニットワンピースとブーツ姿で、可愛かった。
鎖骨あたりからのぞく滑らかな肌に、早く触れたいと思う。
「あの絵と。この、像」
壁にかけられている絵のひと群れの中の一点と、真ん前に位置する広間中央の男女の像をウーが指さし、レンはまた感性が自分と一致したことに満足した。
「僕のお気に入りの二点だ、同じだね。作者はそれぞれ違うけど、彼らには共通点がある」
レンはソファーから立ち上がって前の像の横に立ち、ウーに向きなおった。
「どちらも1200年前、同じ時代を生きた芸術家だ。この像の作者のテドーと、あの絵を描いたポールは真の芸術家と呼ばれてるんだ。なぜなら、彼らはテス教徒だったから」
「……テス教徒だから?」
「そう。この時代にもてはやされたのはメイヤ教の使徒たちが擁護した芸術家たち。今でも残っているのはそういう芸術家たちがほとんどなんだ。その中でもテス教徒の彼ら二人の作品が後世にまで傑作として残っているのは、真に優れていたからにちがいない」
レンは言って、次にはウーが指した絵のそばへと歩いて行った。
指した女性の裸体画のすぐ隣にある貴婦人の肖像画の横に立って、ウーに再び向き直る。
「彼らの唯一のパトロンが、テス夫人。未亡人だ。彼女は若くして夫を亡くし、爵位を譲り受けた」
黒髪を結い上げ、窮屈そうなドレスに身を包んだ彼女は、勝気な黒い瞳でこちらを見据えていた。
「テス教の語源となったテス夫人だ。……彼女はメイヤ派と分裂したギール派三人を死ぬまで支援した。ギール派への王家の迫害が一番ひどかった時代に、勇気のある女性だったと思うよ。テス教徒からは聖母扱いされている。彼女がいなきゃ、この国はメイヤ教しか残らなかっただろうから。そして」
レンは横に移動した。
「この隣は、同じくポールが描いたテス夫人の実の弟、マティス=ブラック」
テスと同じく黒髪、黒目の口ひげを生やした軍人がこちらにいかめしく目を向けていた。
「現在のブラック副大統領のご先祖様だ。僕の叔父のご先祖だね。僕は、叔父と似ていると言われるけど……どう? 僕にも似てる?」
絵のマティスと同じようなポーズをとったレンに思わずウーは笑い、首を振った。
「そうだよね、彼の方がイケてる。……彼の代まではブラック家は軍人の家系だったんだ。マティスは教師になりたかったそうだけど、それは叶わずで軍人になった。マティスはどうやら難読症だったみたいで、それで教師を断念したかもしれない。でも、勉強好きで生涯、本を手離さなかったというよ。戦場にまで持って行ったって。彼の子供が彼の夢を引き継ぎ、彼の子供からブラック家は教職者の家になったんだ。彼は非常にギールを尊敬していて、彼も姉と同様にギール派を支持した」
レンは歩いて、離れたところにある他の絵画とは一回り大きい肖像画の前に立った。
「そして、これが、メイヤ=キャラバン。僕の母方のご先祖様だ。さっきのテスがテス教徒の聖母なら、こっちはメイヤ教徒の大いなる父、メイヤ教語源のメイヤ」
角ばった四角い顔の豪奢な衣装を身に着けた男が、こちらを冷たく見つめていた。
「彼はトーラの弟子を辞めて、商人のキャラバン家に婿養子に入ったんだ。キャラバン、て、あのブランドのキャラバンだよ。この時代からあったんだからびっくりするね。ちなみに僕のベーカー家はもとはキャラバンの分家なんだ。……メイヤは、キャラバン家に入る際にトーラの弟子から名を外してくれるように懇願した。それを残念に思った残りの使徒たちがメイヤの名前をメイヤ教の語源にしたといわれてる。かなりメイヤは、やり手だったみたいだね。香水産業はじめ、さまざまな事業に手を出してさらにキャラバン家を大きくした。彼の口添えで、残りのトーラの弟子たちもその後次々と商人の家の婿養子におさまったんだ。それで、ますますメイヤ派は栄えて、王家の覚えも良かった。彼らは、芸術家を擁護して中世の華やかな文化を大盛させた。反対にギール派は小さくなっていったんだけど」
レンはまた先程のウーが指した絵のもとへと戻り、その横でにっこりとウーに微笑みかけた。
「メイヤの子孫である僕だけど、僕もこの芸術品の中ではテス教徒だったポールとテドーの作品が一番好きだね。特に、この女性」
濡れた大地の色をした官能的な肌、たわわに実る果実を思わせる乳房の豊潤な裸体女性の立ち姿がそこには描かれていた。
「キエスタ人の女性みたいだけど、とんでもない美女だ。瞳が緑色なんて珍しかったと思うよ。この女性と、君の前にある像の女性。実はこの二人は同一人物であるだろうと言われているんだ。僕も間違いなくそうだと思う。残念ながら彼女の詳細は不明で、美術界では有名な謎のひとつとされている。そして、隣の男性だけど。彼がギールだといわれてるんだ」
ウーの方に歩きながらレンは説明する。
「ギールは美貌の身体をたびたびモデルとして提供していたみたいだね。それが、トーラとその弟子たちの貴重な収入源だったらしいんだ。メイヤ派とギール派に分かれた際、ギールを失ったメイヤを始めとした弟子たちは困窮したらしいよ。それで、メイヤがキャラバンに婿養子に入ったんじゃないか、ていわれてる」
台の上に立つ、テドー作の二人の男女が抱き合う像を見上げながらレンは続けた。
「そうそう、それから。……画家のポールと彫刻家のテドーは恋人同士だった」
「……? どっちが女で、どっちが男だったの?」
ウーの質問にレンは笑った。
「どっちも男性だよ。……この時代じゃ、多分珍しかったんじゃないかな」
ああ、とウーは合点がいったように頷いてソファーから立つとレンの方へと歩いてきた。
「わたしの生まれた部族や、ゼルダのような国だからそういうことが起こるのかと思っていたけど。そうでもないのね。……昔から、自然なことだったのね」
ウーの言葉に、レンは好感を持った。
彼女はなんでも素直に受け入れ、閉めだそうとはしない。とても柔軟でまっさらな女性だと思う。
「あの絵とこの像の謎の女性が君は気に入ったの?」
隣に立ったウーに一歩近づき、レンはウーと共に台の上の美女を見上げた。
「……ええ、とても美しい身体のひとだもの。……それに、うらやましくて」
ウーが羨望の眼差しで女性像を見つめてため息をついた。
「こんな身体になりたくてたまらなかったの……医者に頼んだけど無理だと言われたわ。……もう少しでも早く、部族を出ていたら、あたしはこんな身体になれたのかもしれない。自分が情けなくてたまらないの」
ウーの言葉に、レンは仰天した。
まさか、ウーほどの美女がコンプレックスを持っていようなどとは思ってもみなかった。
「……自分の身体が嫌なの?」
「もちろんよ。恥ずかしいわ。情けなくて。……母はもっと豊かで美しい体をしているのよ。あたしの倍ほども。それなのに……どうしてあたしはこんな身体なのかしら」
少しうつむき加減で言うウーに、レンはなにがコンプレックスになるかなんて個人次第なんだな、と思った。
それでも。
そんなに、ウーは自分で言うほど貧相なわけでもない。
ウーには失礼だが、初対面は鶏ガラのような印象を受けたものの、妊娠の経験を経た今では彼女のサイズは平均値だと思う。
サイズよりもバランス重視のレンには、ウーは黄金バランスの身体の持ち主に見える。
脚の長さ、肩幅から首の長さにいたるまで、滅多にない代物だと思う。
「……君がもしこの像の彼女のような身体になったら」
レンは素直に思ったことを告げた。
「今の君よりも、僕は美しく感じないかも。なんていうか、君は今のままで完璧で。そのままで十分だと思う」
ウーがびっくりしたようにレンの顔を見た。
「本当?」
「他の奴はなんていうか知らないけど。でも僕は。……今の君が一番最高に美しいと思うし、今の君が大好きだし」
そう言ったレンを見上げたウーの顔が、奇妙に歪んだ。
泣くのをこらえているような感じにもみえた。
一度ウーはうつむいた後、次にはぶつかるようにしてレンの左腕をとり、身体を押し付けてきた。
「……ありがとう」
顔を上げることなく、ウーはレンの腕にしがみついたまま小さくつぶやく。
レンは微笑み、しばらく男女の像を見上げてウーとその場で佇んでいた。
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