遊園地

 メリーゴーランドに乗り終えたウーが、とびっきりの笑顔で外で待っていたレンのもとへ戻ってきた。

 頬は上気し、目は子供のようにキラキラとさせている。

 乱れた髪を手で撫でておさえながら、ウーはレンが手渡すジェラートを受け取った。


「すっごく、面白かった。レンも乗ればよかったのに」


 いや、君を見てる方がいいから、とレンは答えた。

 生憎、自分は酔いやすい。

 女性の前で醜態をさらすのは避けたい。プライマリースクール時代に初デートで犯した失敗は繰り返すまい。


 口に含んだバニラ味に、ウーが微笑んでレンを見上げた。レンも微笑み返す。


 彼女は、こういうところから始めるべきだったのだ。

 初歩の初歩。

 プライマリースクールの子供たちが、最初にやるデート内容。


 遊園地に連れてきて、良かったと思った。映画や、ショッピング、レストランでの食事より、彼女はここの方が喜んでくれそうだ。事実、こんなに生き生きとした彼女の表情は初めて見た。


「レン。次はあれに乗りたい」


 口にジェラートを含みながら、ウーがその方向を指さした。

 赤く塗られた、小さい二人乗りの観覧車。

 頷くとウーは走り出しそうな勢いで、観覧車へと向かった。


「ゼルダで遊びに出かけたところは本当になかったの?」

「シアンたちが……、一度オビ川でスケートに連れて行ってくれた。あれは、楽しかったわ」

「この国にも、リンク場はあるよ。次は、そこに行こうか」


 一瞬、間が空いた。


「うん。ありがとう」


 先程の笑みと同じ笑みで、ウーは返す。


「グレートルイスは、ゼルダより楽しいところがいっぱいあるわね」


 並んでいた二人は係員に促されて、下りてきた観覧車の席に隣り合わせで座った。


「この国の子供たちは幸せだと思う。毎日、わくわくするようなことがいっぱいだもの」


 ウーは周囲の子供たちに目を配りながら、腰の前の安全バーを握りしめる。

 観覧車に乗っているのは小さい子供と親のペアばっかりだ。


「高いところは怖くないの、ウー」

「平気。もっと高いところに住んでたわ。レンは?」

「苦手かも。でもまだこれくらいの高さは大丈夫かな」


 嘘だ。とりあえず、下は見ないようにしよう。

 レンはウーの横顔だけを見ていようと決めて彼女を見つめる。

 席が上昇し始めた。

 やや冷たい秋風にウーの褐色の髪があおられた。

 わくわく、といった感じでウーが足の下を見つめる。

 かわいい。他の観覧車に親と乗っているプライマリースクール以下の女の子みたいだ。

 彼女をもっと喜ばせたいとレンは思った。


「君が好きなものを知りたいな。何が好き?」

「ジェラート。オムレツ。カスタードクリーム。ソーダ―水。ピロシキ……」

「食べ物以外では?」


 レンは苦笑する。小さな女の子の回答だ。


「……きれいな服。靴。きれいな絵の本。いい匂いのするもの」


 下を目を輝かせて見下ろしながら、ウーは答えた。

 脚をぶらぶらさせている。


「お風呂も好き。何時間でも入ってたいわ」


 お風呂。


「花を浮かべたり、泡立てたお風呂に入ったことある?」


 そのレンの言葉に思った以上にウーが反応して、レンの顔を見た。


「ないわ。そんなお風呂があるの?」


 口もとがバニラだらけだ。

 ついてるよ、と指し示したレンにウーは最後の一口をコーンごと口に放り込むと飲みこんで、ぺろり、と口周りをなめた。

 おお、とレンは心の中で歓声をあげた。

 美女のぺろり、はなかなか迫力がある。あまり色気はなかったけど。


「よく、そんな感じで僕は入るけど」


 なんとはなしにレンは言ってみた。

 ウーは目を輝かせる。


「素敵ね。あなたの家のお風呂に入ってみたいわ」


 ……すぐに言葉が返せなかった。

 レンは期待を込めて言葉を追加してみる。


「……あー、僕も一緒に入っていい?」

「なんで」


 あまりにも自然な疑問形。


 そうだよな。まだ、だめか。

 あちゃー、と、レンは心の中で苦笑いした。


「あ! レン、後ろ」


 ウーがレンの背後を指した。

 レンが振り返ると、ちょうど雲の切れ間から夕陽が赤と黄金の混じった光をこちらに差し込むところだった。

 雄大な景色にレンは目を細める。

 そういや、ここ最近ゆっくり夕陽を見ることなんてなかったな。

 二人が座っている席は観覧車の頂上にまで近づいており、夕陽の下の風景が視界の端に入ったレンは身震いがしてあわててウーに視線を戻した。


「すごい。きれい。夕陽はどこから見ても同じね」


 赤く染まるウーの顔を、レンは見つめる。

 世界で最も美しい顔かもしれない。


 レンは微笑んで彼女の頬に手をやった。

 夕陽に視線を置いたままの彼女の唇にそっと、レンは顔を近づけて唇を押し当てた。


 ……バニラの甘い匂いしかしない。


 おかしくて顔を離したレンは、ウーが目を見開いて自分を凝視しているのに驚いた。


「……なに、したの」

「え?」


 凍りついたように自分を見つめているウーにレンはたじろいで、思わず彼女の頬から手を離す。


「今、すっごく胸がどきどきしたわ」



 ……彼女はこういうこともおそらく、初めてで。



「キスしたことないの?」

「あるわよ。ゼルダではお礼を言うときはいつもそうするわ。キースと何回もした。でも、どきどきなんてしない」

「……」


 ふつふつと何とも言えない感情がレンの胸にわきあがってきた。

 メインディッシュはキースにとられたが、そこにいたるまでのプロセスに関しては彼女は前人未踏なのだ。

 つまり……そういう意味では、自分が最初の男ということになる。

 何も知らない女の子。

 教えるのは、この、自分。

 レンの口もとが思わずにやけそうになった。


 普通の男女の間柄で進む段階を知らずにすっとばされてしまった、不幸な美女。

 今更取り返せるとはいえないかもしれないけど、彼女が当然手に入れるはずだった権利を味あわせる手助けはできるかもしれない。

 いや、むしろこれは自分の得意分野だろうし、使命ではないだろうか。

 自分はどちらかというとそこにいたるまでのプロセスの方が好きだ。それに自分ほど、今まで培った経験を生かし、彼女に最高のものを与えることができる男なんてそうはいないだろう。


「目を閉じて」


 レンはウーの両耳をふさぐようにして手で覆った。

 大人しく、ウーは目をつぶった。

 顔を近づけて口づける。上唇と下唇交互に強弱をつけてついばむように吸う。

 いつの間にか、一周して下にまで来ていたらしい。ウーの背中越しに係員が見えた。

 左手の人差し指だけで上を指し、もう一周、と彼に目と共に合図すると係員は苦笑して頷いた。

 再び席は上昇する。


 数秒後、顔を離すと、ウーがびっくりした表情で目を開いていた。


「すっごく、気持ちいいわ」


 この上なくレンは満足した。

 じゃあもっとがんばっちゃうか、と心の中で冗談交じりにつぶやいてレンはウーに唇をぶつける。


 左手をウーの耳から肩へ、腕へと滑らせ、鉄棒をつかんだままのウーの右手の上に置いた。

 力の抜けたウーの右の手のひらを上に向けさせ、握りしめる。

 突然、ウーが顔を離した。


「舌をいれるの?」


 レンはあっけにとられる。


「したことないの?」


 頷くウーに、キース、あいつなにやってんだ、とレンは心底あきれた。


 これだから、ゼルダ人は。子供の恋愛ごっこかよ。あいつ一応、歓楽街(パラダイス)で指南受けたんじゃないのか。

 あのラマーンもしてはいなかったのか。そういえば、キエスタ人のいくつかの民族は相手を舐める行為を呪いの行為としていると聞いたことがあるな。それか。


 こちらをとまどうように見つめるウーの表情にレンは思案した。

 なら、まだこれはちょっと後日にまわした方がいいかもしれない。

 レンは先程の軽いキスを再開した。


 彼女がこのキスだけじゃ満足できなくなるときまで待つのもまた一興かも。

 そのときが来るのを想像して、レンの心は浮き立った。


 席が下降し、二周目をまわりきったところでレンは先に降り、ウーの手を引いた。

 ウーは若干ぼんやりした様子でそろそろとレンの手につかまり席から降り立った。

 そのウーの様子にもレンは非常に満足した。


「あー、レン……。私」


 ゆっくりとレンに手をひかれて歩いていたウーが声を出す。


「これから、あなたの家に行くの?」


 レンは立ち止った。


「……ううん。今日は、これでお別れ」


 微笑んでレンは少しかがんでウーの額にキスした。

 ウーが少し残念そうな表情をしたのを嬉しく思う。


 彼女は。

 今まで付き合った女性のだれよりも、時間をかけたいと思う。

 彼女とともに彼女とそうなる時間を、他のなによりも大切に大事にしたいと思う。


「送るよ。行こうか」


 握りしめた手の中のウーの手がほんのわずかに力を込めてレンの手を握り返した。



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