153話目 檻
――ナジェールは、夜中よく叫び声を上げて泣いた。
その度にキースは、彼の寝室に行ってなだめていたようだったが、今では彼と共に寝ていた。
ナジェールは、キースが家にいるあいだは彼の後をついて回り、離れようとしないらしい。
キースが帰ってくると、犬のように飛んで迎え、それから就寝まで片時も離れず彼のそばにいるそうだ。
キースもそんなナジェールを受け入れ、彼の甘えに応じていた。
毎晩、寝る前に自分の膝にナジェールを座らせて本を読むキースに、ターニャはあきれて、あいつは修道士じゃなくて保父さんかい、とシアンに言った。
そうだね、あいつの天職はあれだと思うよ、とシアンは笑って答えた。――
――多分キースは、外務局に入らなければ、教師やファザーの道を選んでいたとシアンは思う。
ナジェールと接するキースは、シアンの知らないヴィンセントという人物を思い起こさせた。
ナジェールが現れてからのキースの姿に、本来の彼は実はこの姿なのではないかとシアンは感じるようになった。
自分が知らなかった彼の一面に、シアンは一抹の寂しさを覚えた。
自分が近くにいない間、ケダン教会で過ごした彼がいくらか変わってしまったのは仕方がないと思うが、シアンは少し悲しかった。――
今回自分に許されたグレートルイスへの滞在期間は、一ヶ月間だった。
帰国まであと一週間に迫ったシアンは、キースが変わったように自分も変わったのを感じていた。
シャチに抱かれる度、彼の行為の端々で、彼が自分を愛し始めていることを感じとった。
所有物になる、ということを自分は理解していなかった。自由を奪われて息詰まることばかりを想像していたシアンだったが、誰かのものになるということは、実はとても安心できて心地良いものだとシアンは知った。
彼の有無をいわさない圧力の中で、このままずっと身を浸しておきたいと願っている自分がいた。
とろ火のような彼の愛し方は、今までシアンには経験がなく、非常に良かった。
……オレって束縛されんの嫌いだと思ってたけど、実はこういう方が向いてんのかもな。
シアンは、隣で横たわっているシャチの口から煙草をとり、自分のくわえていた煙草と交換した。
ゼルダ産煙草の煙を吸ったシャチが眉をひそめる。
「なんて味だ」
ふふ、とシアンは笑って、再びお互いの煙草を交換し、傷跡が無数に残る彼の胸に顎をのせた。
「女も娯楽もない国だよ。これくらい、パンチがないと」
シャチが手を伸ばし、自分の髪をすくように撫でた。
自分を見下ろす彼の垂れた緑の目は甘く、触れられた耳の手の感触にシアンは胸が微かに震えた。
「……あいつをどうしたい」
耳をやさしく揉みながらシャチが聞いた。
「なあに。……キースのこと?」
シャチの褐色の胸に頬を押しあて、シアンは彼を見上げる。
「どうって……オレが言うことじゃないし。あいつがしたいようにするしかないじゃん」
キースの今の状況は、彼の持っている能力に対して割に合わないと思うのは確かだが。
「……そうか」
シャチはつぶやくと、煙草をふかした。
彼の胸肌の温かさにシアンはしばらく浸っていたが、気付いたように顔を上げた。
「ねえ」
シアンはシャチの瞳を覗きこんだ。
「あいつ……デイーだけど」
「デイー? あいつがどうした」
シャチがわずかに眉をあげた。
「……うん。あいつ、苦労してんだよな。家族に金送って。弟、学校にやって。……自分も行きたいだろうにさ」
シャチはシアンの言葉に軽く笑った。
「……俺も奴ぐらいのころ、この国に来た時、学校に入る気だった」
シアンは言葉を飲み込み、シャチの言葉を聞く。
「信じられるか? 俺のガキの頃の夢は教師になることだった。……それがこのザマだ。どこで間違えたんだろうな」
遠い目でシャチは告げると自嘲するように、く、と笑った。
「……ボス。あいつ、学校に行かせてやってよ」
間を置いて、シアンは言った。
「デイー。あいつ、頭いいよ。ボスと同じくらい」
「……あいつが頭良いのは知ってる。俺よりな」
「あなたと同じくらい、すごく黒くも白くにもなれる奴だ。……賭けてみたら?失った夢を再現できるかもしれないぜ」
シャチは煙を吐いた。
「……他人が、だろ」
「見てるだけでもいいじゃん。いいんじゃない?一生に一度くらい慈善活動したって……ねえ、ボス」
上目遣いで、シアンはシャチを見て微笑んだ。
「本名、なんていうの?」
数秒のち、彼が答えた名前は意外すぎるほどの名前で、シアンは目を見開いたあと、思わず声を出して笑った。
「……かわいい」
シャチの胸に、シアンは頬をすり寄せる。シャチが自分の頭に手を置いた。
「二人の時は、その名前で呼んでいい?」
承諾した彼に、シアンは身体を揺らしてくすくすと笑った。
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