別人

「おい」


 シフトが終わり、スタッフ用のロッカールームに行こうとしていたキースは呼び止められた男の声に振り返った。

 見ると、家族(ファミリー)の一員であるキエスタ人の男が、キースを見て立っていた。


「なんですか」


「ついてこい」


 男は一言そういうと、きびすをかえして歩き出した。

 キースは男の後をついて行く。

 地下にあるスタッフルームの前を通りすぎ、シーツを集める収納庫へと男は歩いて行った。


「今朝、国境を越えた。ついさっき、トラックの荷台にのせて連れてきた」


 男が収納庫のドアの前で立ち止まり、キースに向かって言うと顎で収納庫を指し示した。

 キースは目を見開くと、次の瞬間勢いよく収納庫のドアを開けた。


「ナシェ!」


 部屋の中央に立っていた少年は、驚いて身じろぎした。

 白い貫頭衣、紺のターバンを巻いた彼は、こわごわとキースの顔を見上げた。


「……ちがう」


 少年の顔を確認したキースは失望を隠せずにつぶやくと、男に向き直った。


「違います。彼じゃない」


 ち、と男は舌打ちして、キースと少年を交互に見やった。


「……南部にそんなガキが何人いると思う。米の中から一粒の粟をとりだすようなもんだ。……お前が言った条件はそろってる。年のころは8歳。異国の血が混じった、グレートルイス語を話すガキだ」


 男は背を向けながら、言い捨てた。


「二度目はない。あきらめるんだな……こいつはお前が責任を持ってなんとかしろ」


 去っていく男の背から、キースは収納庫の中に視線を戻した。

 シーツの山に囲まれた少年は怯えたように、キースを見つめていた。


「……君の名前は?」


 キースはできるだけ優しい声のグレートルイス語で、彼に話しかけた。


「……ナジェール」


 少年は答え、不安そうに続けた。


「僕を……あそこへ戻すの?」


 キースは首を横に振りながら、部屋へと入った。

 少年の前で膝をつき、彼と目を合わせる。

 彼の頬は垢や土で汚れ、身体からはすえた臭いがした。

 ナシェと同じような明るめの緑が混じった茶色の瞳をしていた。

 顔立ちは生粋のキエスタ人のそれではなく、異国の民族の要素が入っている混血児だ。


「ナジェール……君と会えて、うれしい」


 キースは微笑んで、彼の顔を見つめた。


「君の、家族は」


「……撃たれた。父さんはグレートルイスから来た学校の先生だったんだ。母さんは西部の人だったけど、父さんと同じテス教に改宗したから、裏切り者って言われて撃たれた」


 淡々と答えるナジェールにキースは息をのむ。


「……住んでいたところは、分かる?」


「西部の南端の村。プーライ、ていう村」


「そうか」


 キースは、ナジェールに手を差し出した。


「私の名は、ヴィンセント。よろしく、ナジェール」


 おずおずと、ナジェールはキースの手を握った。


「君と同じ、テス教だ」


 ナジェールの目が見開いて、キースの手を握る手に力がこもった。


「ほんと?」


 キースは頷く。


「今は、こんな恰好してるけど……ついこの間までは、修道士だったんだ」


「修道士さま!」


 ナジェールは叫んで、床に膝をつくと手を合わせて顔を伏せた。


「ごめんなさい。……今まで、お祈りが一切できなかったんだ。お父さんやお母さんのために一度も祈らなかった。許してください」


 泣き声で訴える彼の肩に、キースは手を置いた。


「君のせいじゃない、ナジェール」


 泣きじゃくる彼のターバンを外し、キースは彼の頭を撫でた。

 彼の髪は、柔らかで癖のない黒髪をしていた。シラミが這っているのが見えた。


「大丈夫だ。……私といっしょに、ご両親のために祈ろう」


 うなずきながらむせび泣くナジェールの背中を、キースはやさしくさすり続けた。――







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る