深夜、水を飲みにダイニングにおりてきたキースは、コップに水を入れるとダイニングテーブルに座った。

 首から肩にかけて感じていたなんとも言えない重さは相変わらずで、そのためか今度は首の前側まで張ってきて、やや息苦しさを覚える。

 自分で揉んだり、首を曲げ伸ばししたりしてみたが不快感は変わらず、キースはため息をついた。


「まだ起きてたんだ」


 背後から声がかけられ、キースは振り向いた。

 シャワーを浴びて出てきたターニャが、濡れた髪をタオルで拭きながらこっちにくるところだった。

 彼女は、太ももまで丈がくる大きめのシャツを一枚羽織ってるだけだった。

 ターニャは、キースの前を通り過ぎ、冷蔵庫からジュースを出すとグラスに注ぐ。

 目の前のシャツが沿う彼女の身体の線と、肩にかかる濡れた髪に、キースは一昨日の彼女を思い出す。

 ジュースを冷蔵庫にしまい、ターニャは髪を後ろでまとめた。彼女の豊かな胸に、キースは思わず目を細める。

 グラスを手に持ち、ターニャは冷蔵庫に背をもたれさせ、キースを見た。


「……ボスに言ってた、ナシェって子だけど……まさか、パウルの子かい?」


「いいえ」


 キースは首を振った。


「パウルより年上のキリという少年の子です。彼も、ゼルダ人の血を引く戦争の落とし子でした」


「キリ。覚えてる。……可愛い子だった。よちよち歩いて、みんなに愛想振りまいてた。……あたしのパウルもこんな可愛い子になるのかと思った」


 ターニャは、グラスから一口ジュースを飲んだ。


「……ボスは、あたしのこと全て知ってる。あたしの孫かもしれないって、言ってみるよ。情に訴えてもボスが動いてくれるかどうかはわかんないけど。……あたしは、家族(ファミリー)に入ったわけじゃない。親や兄弟を捨てる契約を交わした訳じゃないからね。ボスに頼みごとなんかするの初めてだから、もしかしたら聞いてくれるかもしれない」


「……ありがとうございます」


 キースは、目を見張って礼を言った。


「キリの子なら、あたしのパウルの子と同じようなもんだろ」


 若干、照れたようにターニャは答えると、グラスの中のジュースを一気に飲み干した。

 キースは微笑みながら、首の前側に手をやって軽く揉んだ。


「どうした。凝ってんのかい」


 ターニャが気付いて、キースに聞く。


「はい。どうも、張っているようで。重苦しくて」


 答えながら、キースは首を左右に曲げ伸ばしした。


「……」


 その様子を見ていたターニャは、キースに近づいた。グラスをテーブルに置き、キースの横にしゃがみこんだ。


「……ズボン、下ろして」


 言うより先にターニャはキースのズボンに手をかけ、引きずり下ろした。

 あせってうろたえるキースを尻目に、ターニャはシャツのポケットから出した鍼をそのまま勢いよくキースの太ももの外側に突き刺した。

 ……ターニャがズボンを脱がせたこと、鍼を刺したことよりも、何より刺された部分に全く痛みを感じなかったことにキースは驚いた。

 ターニャがキースに刺している鍼を上下に小刻みに動かした。


「何か感じる?」


 重いような、痺れるような、今まで味わったことのない不思議な感覚を鍼が刺入している部分に感じ、キースは頷いた。


「首を上下に動かしてみて」


 ターニャの言葉に、キースは言われたとおり首を動かした。

 途端に霧が晴れていくように、たちまち首の前側の張りがとれ、不快感が払拭されていくのをキースは感じる。

 軽く、呼吸しやすくなった爽快感に、キースは目を見開いて鍼を抜いて立ち上がったターニャを見上げた。


「どうして……」


「気が滞ってたからね。流れを良くした」


 ターニャは鍼を自らの髪に刺した。


「あたしの母は、こういう治療を生業としていてね。だから、あたしも覚えた。……ボスが、あたしを部屋に呼ぶのは、こういうわけ」


 ターニャは、まだズボンが下ろされたままのキースを見下ろすと眉を上げ口笛を吹いた。


「まあ、たまにはあっちの相手もするよ」


 赤くなって、あわててキースは自らのズボンを上げた。

 ……思わず勘違いをしてしまったのは恥ずかしいが、それはしょうがないだろう。


 ターニャは腕を組んでキースを見下ろし、微笑んだ。


「……少し前に、ミナが予言したんだ。……ここに、ラミレスとネーデが現れるってね」


 ターニャは、鼻で微かに笑った。


「……あんたが、ラミレス?」


 キースは、何も言わず軽くターニャをにらみ上げた。


 ……半年以上、修道院に居たゼルダ人の自分を分かった上で誘ったのはそっちなのだが、と心の中で彼女に抗議する。


 キースから歩き去ろうとするターニャに、キースは声をかけた。


「……君も彼も、東部出身か」


『緑の目を持つ人々』と呼ばれる少数民族がキエスタ東部に存在する。キエスタ人の多くの民が黒や茶色の目をもつ中で、彼らは異質であり、他の民族とあまり関わりを持とうとしないとキースは聞いていた。


 ターニャは、立ち止まり振り向いた。

 にやり、と彼女は口元を上げた。


「……ボスの大好物は、豚の生き血だよ」


 ターニャは背を向けて、伸びをしながら階段に向かった。


「危ないからやめろって言ってんだけどね。……あたしが思うに、ボスの目が痛いのは、あれは身体の中に寄生虫(ムシ)飼ってるせいだね」


 あ。

 階段を上るターニャが言った寄生虫という言葉に、キースは忘れていた自分の身体の現状を思い出した。

 その時、一気に首の後ろと肩に感じていた重さや不快感が消えた。

 驚いて、キースは首の後ろに手を触れる。

 嘘のように、肩は軽くなっていた。

 やっと思いあたって、キースは後ろをゆっくりと振り向いた。


「……ありがとうございます」


 宙に向かって、そう語りかける。

 キャンデロロとパウルの二人が微笑みを浮かべてこっちを見ているのを想像する。

 ……バッキャロー、と頭の中で声がしたように思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る