109話 幻滅

 アトリエの部屋の前で、アルケミスト、彼女、そして見知らぬ男が立って話していた。


 デイーが部屋に入ってきたのに、三人はこっちを見る。


 真っ先にデイーが確認した彼女は、男性が着るようなスーツを着ていた。

 驚いたが男装でもやっぱり彼女はかわいい。

 新鮮だった。

 かえって細い肩や首すじが際立ち、色気を感じた。


 こんな格好もするんだ。

 やっぱりモデルかな。

 今まで知らなかった彼女を知ることができて、デイーは嬉しく思う。


「……ほ、これは」


 デイーを見た見知らぬ男性が声を上げた。


 デイーが目を向けた男は、年の頃は四十位の同じくスーツを着た小太りの男性だった。

 髪はウェーブがかかり、肩まで長さがあった。

 今までデイーが見たことのないタイプの男だった。


「素晴らしい。彼は、あなたのモデルの一人ですか」


 男は傍のアルケミストに聞いた。

 アルケミストは頷き、顧客から依頼を受けたモデルです、と答えた。


 男はデイーの身体の細部を確認するように見ながら、近づいてきた。


「……体格も申し分ない。キエスタ民族には背丈と骨格双方のバランスがなかなか我々の希望に沿わないことが多いですが、彼は完璧に近い」


 言って彼はデイーの肩や腕に触れ始める。

 なんだ。この人。

 アルケミストの画家仲間か?


「君、名前は?」


 熱っぽい目で、彼はデイーを見上げて聞いた。


「デイーです。……始めまして」


 デイーは、先の一ヶ月間培ったグレートルイス語の発音と品の良い笑顔を彼に披露した。


 彼が息をのんだのが分かった。


「デイー君。……私はジョヴァンニだ。よろしく。……もう、君はどこかと契約してるかね?」


 ジョヴァンニはデイーに握手を求めてきた。

 その視線が先程から急に粘度を帯びたのをデイーは奇妙に思いながら彼の手を取る。


「……いいえ。 残念ながら」


 モデル事務所かなんかの話だろうな、とデイーは推測して答える。


「それは。私にはラッキーだ。」


 ジョヴァンニは名刺を出した。


「……褐色の肌のモデルは少ない。君は貴重だ。特に、王侯語(キングス)を話せるなんて。……今度、私の元へきなさい。力になろう」


 デザイナーか。

 なるほど、それっぽい。

 デイーは笑顔を彼に向けた。


「ありがとうございます。お褒め頂いて、光栄です。ジョヴァンニさん」


 彼はデイーの顔をはりつくように見上げると、デイーの胸に手を置いた。


「……素晴らしい」


 言って、デイーの胸板の厚さを確かめるように手のひらを滑らせる。


 ……少々、デイーはびっくりした。


「……彼の絵もシアンと同じように裸体画なのですか」


 手を離して、ジョヴァンニはアルケミストを振り返って聞く。


「ええ」

「それは是非拝見したい。できれば他の絵も。ここは宝の発掘場所ですな。二人以外にも、宝石が見つかりそうだ」


 アルケミストは彼女と視線を交わした後、どうぞ、とジョヴァンニをアトリエへ招いた。


「今日は開始を十五分ずらす。いいかね」


 アルケミストがデイーに声をかけるのにデイーは頷いた。

 二人がアトリエに消えて行くのをデイーは見送りながら、先程のジョヴァンニの言葉を思い出す。


 さっき……シアン、て言った?

 それが彼女の名前か。


 残った彼女に目を移すと、彼女が自分を見つめていたのでデイーは胸が飛び上がった。


「デイー君、だっけ」


 彼女は胸の前で腕を組みながらデイーににこやかに声をかけた。

 あわててデイーは頷く。


「ちょっとこっちに来て」


 顎でアトリエの隣の部屋をさし、彼女が言った。


 なんだろう。

 どきどきしながら、デイーはドアの前に立つ彼女の前を通り部屋に入る。


 やった。

 十五分ある。

 彼女と話すチャンスだ。


 幸運に胸がはちきれそうになりながら、デイーが振り返ると、彼女が後ろ手でドアを閉めるところだった。


「……おいてめえ、ヒトの獲物に愛想振るとかどういう了見だ、こら」


 え。


 デイーは耳を疑う。


 ……今、目の前には彼女しかいないはずなのだが。

 今聞こえたのは空耳だったのだろうか。


「……この国に来たからには、もうパトロンがいるんだろうがよ。見境なく尻尾振るなってんだよ」


 デイーは目を見開いた。

 間違いなくその言葉を吐いているのは、目の前の彼女だった。

 あまりの衝撃にデイーは驚愕する。


 口わりー女。


 信じられないという面持ちでデイーは彼女を見つめた。


 初めて会った時の天使のような姿、白いワンピースの可憐過ぎる姿、昨晩のベッドの中のとんでもなく可愛い姿……いや、最後のは自分の妄想だが……とにかく、過去の彼女の姿からは想像もつかなかった彼女の本性に、デイーは裏切られたような感じを覚える。


 茫然と立ち尽くして反応のないデイーの様子に、シアンは眉をひそめて彼に近づいた。


「おい、聞いてんのかよ、タコ」


 そう言ってデイーの頭をはたく。


 デイーは我に返った。


 ……キエスタは男尊女卑だ。

 デイーの故郷は他のキエスタの地域に比べると程度はだいぶ低いが、それでも基本はそうである。


 加えて母は男尊女卑最たる南部出身だった。


 自分は、母からも姉からも。

 こんなことされたことない。


「……ってーな! 何しやがる、このアマ……!」


 気が付くと目の前の彼女に掴みかかっていた。


「おー、聞こえてたんだな。耳が聞こえねーのかと思ったぜ」


 シアンは自分の胸元を締めつけるデイーを見上げて言った。


「やっと本性を現しやがったか。取って付けたような、王侯語(キングス)話しやがって。鼻につくんだよ」

「何を……」


 言いかけたデイーの額に、シアンの頭突きがまともに入る。

 思わず手を離したデイーは額を押さえた。


 振動でグラグラする頭で、状況を理解する。

 この女、俺に頭突きしやがった。

 怒りがふつふつと沸き起こる。

 ……許さねえ、この女。


「てめえ! ふざけんな! 女のくせに!」


 再び掴みかかったデイーに、シアンは小馬鹿にしたような目で言った。


「出たな、キエスタ思想。悪いけど、オレは女じゃない」


 え。


 デイーは思わずシアンの服を掴む手を緩めた。

 まさか、こいつは……。


「男でもないぜ。……両方だ」


 デイーの表情に答えるようにシアンが言った。

 デイーはぽかんとシアンを見下ろした。


「……病気?」


 瞬間、また目の前のシアンに頭をはたかれる。


「違うっつーに! ったく、てめーらは二言目には病気だな。どれだけ、視野が狭いんだよ」

「いってーな! 人の頭を何度もはたくなっつーんだよ!」


 デイーが声を大きくして言った途端、ドアがノックされる音がした。


「シアン? 大丈夫かね、どうした」


 アルケミストの声だ。


「……大丈夫だ、アル、何でもない。戻って」


 シアンはドアの方に向かって声を投げると、乱れた着衣を直しながらデイーに向き直った。


「とりあえず、話はてめえが終わってからだ。外で待ってる。……逃げんなよ」


 そう告げてデイーを睨みつける彼女の顔は、相変わらず美しい女性のままだった。

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