108話 期待

 デイーがいつものようにバスに乗ると、窓から見える街の風景は様変わりしていた。

 歩道に面した店舗は全部、エメラルドグリーンに金の聖杯の国旗を掲げていた。

 集合住宅のベランダにも、国旗をぶら下げているところが多い。

 おかげで街全体がエメラルドグリーン一色だ。


 今日から三日間、カチューシャ市国の大祭が行われる。

 カチューシャ教の始祖ドロリスの誕生した日を間にはさんで行われるこの三日間の国事には、国外にいるカチューシャ教徒も出席するため、カチューシャ市国内にいる人の数は倍に膨れあがる。

 ホテルはどこも満室。

 当然宿が足りず、カチューシャ市国の国民は、この期間自宅の空き部屋を国外の教徒に提供する。


 今日の前夜祭には、市の礼拝堂から供物の菓子等を教徒あるなしに関係なく投げる行事をはじめ、山車を使ったパレードが市内を歩き回ったり、ビールやワインを教徒同士がかけあったりと様々なイベントがある。


 街中がうきうきとした空気に包まれているのを感じ、デイーの心も浮き立った。


 今日こそは彼女に話しかけよう。

 デイーは決心する。


 そして、今日の予定を彼女に聞いてみる。


 それでもって、もし……。

 もしもの話だ。


 まあ、当然彼女なら他の誰かとの予定が入ってるに決まってるけれども。

 もし……万一の場合、フリーなら、今日の前夜祭に誘ってみる。


 なにか、今日はいけそうな気がする。


 昨夜ベッドで本を読みながら寝てしまったせいかもしれないが、夢に彼女が出てきた。

 彼女に話しかけて前夜祭に誘ったら、成功した。

 その後の夢は自分の歯止めのない妄想の限りの展開が繰り広げられたが、とりあえず、夢で一度練習をしたのも同然だ。

 だから、今日はうまくいくと思う。


 自分に言い聞かせて、デイーはバスの窓から空を見上げた。

 高い青く晴れた空は、幸先の良さを感じる。


 バスを降り、車道を渡り、花屋の店員に挨拶し、カフェで注文する。

 道行く人々を観察しながら、サンドイッチを頬張りコーヒーを飲む。


 ボスに、前夜祭に行ってもいいかと一応了解を得てきた。

 ボスは軽く笑って迷子になるなよ、と答えてくれた。

 聞いていた部下の一人が、知らないおじさんに着いて行くなよ、悪いことされても知らねーぞ、と言い、他の男たちが笑った。

 自分が逃げ出すことは絶対ないと確信しているのだとデイーは思った。

 それはそうだ。

 そこまで恐れ知らずなことを出来るはずがない。

 加えて、彼らとかなりの日数をともに過ごしたのにも関わらず、相変わらず彼らからは自分は温室育ちのヒヨッ子だと思われてることを知った。


 コーヒーを飲み終えたデイーは、立ち上がってアトリエへ歩き出した。

 アパートメントの入り口に入り、奇妙な壁づたいに階段を上りながらもう一度自分を勇気づける。

 部屋の前に立ち、一呼吸置いてから勢いよくドアを開けた。


 そのとき、目前にいた彼女とアルケミスト、そして見知らぬ一人の男の姿にデイーは息を止めた。

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