107話 シャチ

 部屋の隅で、デイーは観葉植物の陰に隠れるようにして本を読んでいた。


 ボスのシャチと腹心たちは、部屋の中央で雑談している。

 彼らの言葉はデイーには理解出来ない。

 多分キエスタ東部か南部の言葉だと思うが、もしかすると少数民族独自の言葉かもしれなかった。


 画家のアトリエにいる以外は、デイーは彼らと同じ部屋で過ごす。

 ホテルのワンフロア全部の部屋は、広すぎてデイーには居心地悪い。

 8人はゆうに腰かけられるふかふかのソファーも、毛足の長い絨毯も、馬鹿でかい画面のテレビも、明らかに高そうな調度品も、壁にかけられた大きな天使を描いた絵画も。

 なんだか自分はこの場に場違いな気がして、気がつくといつもデイーは無意識に部屋の隅に行ってしまう。


 彼らは自分を部屋の置物のように思っているのではないかとデイーは感じていた。

 ルームサービスの食事をとってはくれるが、それだけだ。

 まあ自分もそういう扱いをしてくれた方が楽なので、デイーは気にせず読書に没頭することができた。



 ……買った本が、まさか官能系恋愛小説だとは思わなかった。


 実は今ので読むのは三回目だ。

 よくある道ならぬ恋を扱った話だけれど。

 キエスタではこの内容は発禁本である。


 ……もちろん、本の中のヒロインに例の彼女の姿を重ねてしまうのは仕方ない。


 真剣に文字を目で追っていたデイーは、近くに男が立つのに気がつかなかった。


 早く夜にならねえかな。

 ベッドの中で読みた……。


 いきなり本を目の前から取り上げられ、デイーは声をあげそうになった。


「……何を真剣に読んでいるのかと思ったら……」


 本の内容にせせら笑って、自分を見下ろすのはボスだった。


「まあ、グレートルイス語を読めるようになったキエスタ人の男が最初に読むといったらこれだろうな」


 本を返すシャチからデイーは顔を赤らめて受け取る。


 くそ、よりにもよってこのページ……。


 タイミングの悪さにデイーは心の中で舌打ちする。


 穴があったら入りたい。

 デイーはうつむいた。


 シャチは仲間の男たちに告げてデイーをからかう訳でもなく、面白そうに彼を見つめた。


「……デイー」


 シャチが言った。

 デイーは彼を見上げる。


 想像していたより、悪貨王シャチははるかに紳士的だった。

 今だにサングラスをとった彼の顔を見たことはないが、洗練された彼の物腰、落ち着いた話し方を見ると、品のあるビジネスマンに見えなくもない。


「お前、今回の仕事を終えたらどうするつもりだ」


 シャチの言葉にデイーは答えに詰まった。


「……まだ、考えてません」


 もとの職場のレストランに戻るのは無理だろうし、また新しく職を探すしかない。


「……俺たちの家族(ファミリー)に入ればどうだ」


 デイーは目を見張った。


「今の家族(ファミリー)には、お前みたいに虫も殺さない顔をしてて、しかも頭のいい奴ってのがいなくてな。……これからはお前みたいなのが使い途があると思う」


 デイーは彼の言葉を信じられないという面持ちで聞いた。


「まあ、分からないけどな。今回、お前の相手がお前を離さないかもしれないし。そうなれば、お前の一人勝ちだな。この国で遊んで暮らせる。……そこまで持っていけりゃ、お前もたいしたもんだが」


 シャチは微笑むとデイーの肩に手を置いた。


「まあ、そのときまで考えといてくれ」


 そう言って再び背を向けて仲間のもとに戻る彼を、デイーは茫然と見送った。

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