109話 昼食

 靴音を響かせながら階段をおりて行ったデイーは、一番下の階下で自分を見上げている人物を見下ろした。

 こちらをにらみあげているその顔立ちは夢のような美しさだった。


 しかしもう、彼女ではなく。

 彼にしか見えない。


 デイーも負けじと彼をにらみ返す。


「……来たな」


 自分のもとへ降り立った彼に、シアンは顎で外を示した。


「来いよ。外で話そうぜ」


 ******



「だから、大人の事情ってのを理解してくれりゃいいんだよ。お前まだ若いから分からなかったと思うけど」


 シアンは言うと、大皿に乗ったピザを取り上げてかぶりついた。


「お互い、シマってのがあるだろ。お前はマダム専門だろうし、俺はオジサマ仕様だ。そこらへんをきっちり線引きしてくれりゃあ、オレはもう何も言わねえよ。……あ、おねーさん、水お代わりお願い」


 すぐ隣を通ったウェイトレスにシアンは告げる。


「この国は違うねえ。氷水、タダで飲み放題だ。おしぼりも出てくるしよ。他の国も見習うべきだよなあ」


 シアンは感慨深げにグラスを持ち上げて言うと、次のピザに手を伸ばした。


 よく食うなあ。


 シアンの食欲にデイーはあきれて、彼を見つめた。

 こんなに細いのにどこに入るんだろう。


 ピザを支える指は長く細く、ピザを飲み込む首も白く細く、鎖骨はくっきりと美しい。

 思わず見とれていた自分に気付いて、デイーはかぶりをふった。

 あぶねえ、野郎に見とれてたぜ。


 アルケミストのアパートメントを出てから、シアンの言われるまま飲食店に入った。


 自分の前には、キエスタ風カレーが置かれている。

 デイーは冷めないうちにとスプーンでひとさじすくって口に入れた。


 ……辛さが全然足りない。


 味気ない表情をしていた自分に気付いたのか


「なに? 辛さ足りねえ? ……タバスコかける?」


 シアンがタバスコを手渡した。

 デイーは受け取って、ぶっかける。


「お前西部出身だろ。西部って、料理辛いんだっけ」

「いや」


 デイーは答えてシアンにタバスコを返した。


「お袋が南部出身だから。辛い料理が多かった」

「南部と西部の混血か。いいとこ取りだね、お前。ご両親に感謝しないとな」


 シアンはデイーの顔をのぞきこむように見て微笑んだ。


 自分の胸がかすかにきゅう、と鳴くのをデイーは感じて唇をかんだ。

 仕方ないけど悔しい。

 さっき砕け散った恋心を返してほしい。


 店員がグラスに注いだ水でピザを流し込むと、シアンはおしぼりで手を拭きながらため息をついた。


「あー、やっと落ち着いた。オレ今朝、寝過ごして朝飯食いっぱぐれてさ。……だからイライラしてお前に噛みついたんだと思うわ。悪かったね。ここはオレ払うから」

「いや……」


 デイーはさっぱりとしたシアンの態度に言葉を濁す。

 シアンが柔らかく微笑んでデイーに手を差し出した。


「オレは、シアン=メイ。ゼルダ人だ。絵のモデルで特別に出国が許された。年は、24」


 デイーは差し出された手をとった。

 柔らかな感触にときめいた胸に、くそ、と内心で舌打ちする。


「オレは、イサクの息子、デイー。西北部出身。もうすぐ18になる」


 デイーは答えながら、もしこいつが本当に女だったら、と想像した。

 ……嬉しすぎて、まともに息も出来てないかも。


「……ゼルダ人て、男しかいないと思ってた」

「95%はな」


 シアンは答えて残りのピザに手を伸ばす。


「5%はオレみたいな感じ。……お前、オレに惚れてたろ」


 さらりと言われた言葉に、デイーは口の動きを止めて目を見開いた。

 シアンを見ると、にっこりと自分の方を見つめている。

 ……本当に、何でこんなに可愛いのに女じゃないんだろう。

 デイーはうつむいた。


「オレもお前のこと可愛いと思ってたよ。あ、おねーさん、ジェラート食後に二つ追加お願い」


 シアンは通り過ぎる店員に声をかけて、続ける。


「ジョヴァンニさんは、ど真ん中ストライクはお前みたいなタイプなんだわ。たまたまお前が現れたからオレが霞んじまったのはまあしょうがねえなあ。諦めるよ」

「お前はモデル希望?」


 ジョヴァンニがデザイナーだったことを思い出し、デイーは聞く。


「いや、そういう訳でもないけど。とりあえず、この国にいられるんなら何だってするつもりだからよ。誰かオレのことを気に入ってくれりゃあな」


 シアンは煙草を胸ポケットから出した。


「吸う?」


 首を横にふるデイーにシアンは頷く。


「正解。そのまま、一生吸わないでいた方がいいよ」


 言って、煙草をくわえた。


「デイーは? 絵のモデルでここに来ただけ?」

「いや……」


 なんと答えればいいのか。

 自分は重要取引先への手土産です、とか。


「まあお互いここまできたんだ」


 言いよどむデイーに、シアンは明るく言った。


「この国に出来るだけ永く留まれるよう、お互い頑張ろうぜ」


 ゼルダという国は閉鎖的だし、どんな所かは想像もつかないが、そんなに住みにくい国なのだろうか。

 キエスタに比べると豊かなのは確実だと思うが。


「……オレ、寒いのイヤだから」


 デイーの表情をみてシアンが笑って言った。


 さっきから自分の考えてることが彼に筒抜けだ。

 余程、シアンが他人の心を読むのに長けているのか、それとも自分が感情を顔に出し過ぎなのか。

 両方だろうな、とデイーはカレーを食べ続ける。


「そういや、お前、今日これからヒマ?」


 シアンが聞いた。


「良かったら、前夜祭見に行かねえ? オレ、この国にまともな知り合いっていったらアルだけだし。同類の友人になれそうなの、今んとこお前ぐらいだな」


 笑顔で話しかけるシアンに、デイーは昨夜の夢を思い出しながら複雑な気持ちで頷いた。

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