第86話 不運
「俺のいる場所、すぐ分かったんですね」
言いながらリックは助手席に乗り込み、ドアを閉めた。
運転席のコーンウェルは、それには答えずに車を発進させた。
「いい車ですね。さすが」
内装の美しさにリックは思わず褒める。
上質の革張り、磨かれた木。
「……私はね、五年前までグレートルイスで弁護士業をしていた」
ふいにコーンウェルが口を開いた。
リックは頷く。それは調べ済みだ。
「マフィアの顧問だった。知ってるかね、シャチのグループだ」
またリックは頷く。
今、世界で最も恐れられている犯罪組織だ。
「法曹界で私は鼻つまみものだった。それはしょうがない。自分で選択した結果だ。だが、いい加減嫌気がさして五年前引退した。この地で転職した」
コーンウェルは前を見たまま続ける。
「そして、この地で彼女と出会った。女神のような美しい女性だと思った。……彼女と籍を入れ、子供も生まれた。……私の天使のようなリッキー。……賢くて悪戯坊主だ。でも泣き虫なんだ。……五十数年生きてきて、最後にこんな幸せが手に入るとは思わなかった。まさかこの私にだ。彼女と息子と過ごした時間は、まるで夢のようだった」
信号でコーンウェルは止まった。
「血が繋がっていなくても、リッキーは私の息子だ」
リックは黙り込む。
信号が青になり、コーンウェルは再び車を走らせる。
「君にリッキーの人生をうばう資格があるのか。あの国で生まれて、リッキーは幸せに暮らしているんだ。君はこの国で暮らすことの悲しさをわかりすぎるほどわかってるだろう。彼から今までの生活を奪い取るつもりかね」
……俺も、あの時逃れたいと思いましたよ。
リックは心の中でつぶやく。
不条理すぎて、腹が立って、泣けてきて、頭がおかしくなりそうだった。
だけど誰も助けてはくれなかった。
「ネガをどこにやったんだね」
コーンウェルがリックを見て言った。
リックは目を見開く。
ネガを持ち去ったのは彼ではないのか。
「どうせ、決定的な証拠はないんだろう。君みたいな人間は腐るほど見てきた。一度で終わるはずはない。私のリッキーを死ぬまで食い物にする気だ」
コーンウェルは前に目をやった。
「私は先が長くない。末期だ。あと、半年ももたないだろうと医者に言われた」
リックは後悔した。
しまった。
彼という人間を見誤った。
こんなに愛情深い父親だとは思わなかった。
「君と私がいなくなれば、リッキーを脅かすものはなくなる」
コーンウェルはアクセルを踏み込んだ。
車が急発進する。
彼が眼鏡の奥の瞳孔の開いた瞳でこっちを見た。
「私のかわいいリッキーの人生を奪わせはしない」
彼の後ろの窓から、黒い乗用車が猛スピードで突っ込んでくるのが見えた。
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