第87話 カフェ

 ホテル前のカフェのテラス席で、ウーはソーダ水を飲んでいた。


 だんだん強くなってきた日差しに、ウーはつばひろの帽子を被り、サングラスをしている。

 ウーは、グラスからでてるストローを口に含む。


 皆がよく飲むコーヒーは、苦くて嫌いだ。

 なぜみんなあれを飲むのか分からない。

 こっちのソーダ水の方がはるかに美味しいのに。


 口の中を快く刺激する泡の感触に、ウーは口元をゆるませる。


 隣りの席に座っている家族連れの女の子が、ウーと同じようにソーダ水を飲み、ウーの顔を見て微笑んだ。

 ウーも微笑み返し、彼女の頭上をふわふわと揺れている丸い風船を見ながら考える。


 ……彼、リックは驚くだろうか。

 ホテル前を通り過ぎる彼に声をかけたら。


 今まで部屋にこもってばかりだった。

 彼は飽きてきたのだろうと思う。

 それはそうだ。

 自分だって閉じ込められるのは嫌だ。


 今日は彼と、街に出よう。


 川沿いの道を彼とジェラートを食べながら歩こう。

 ボートにも乗りたい。

 他の皆がしてるように。


 ウーは傾きかけた太陽をサングラス越しに見た。

 もう三時を過ぎた。

 頬に当たる風が冷たくなってくるのを感じる。

 リックは、もしかして今日はもう来ないのだろうか。


 後ろを振り返り、ウーはホテル前から街へと続く通りを見やる。

 人の流れの中に彼の姿はなかった。


「……ウー」


 前から聞こえた声にウーは向き直った。


「シアン」


 ウーの前にいつの間にかシアンが立っていて見下ろしていた。


 彼は明日本土へと戻る。

 この一週間あまり、彼は西オルガンの街を心ゆくまで堪能した。

 そして数々の土産を持って歓楽街(パラダイス)の仲間たちの元へ帰る。


「金髪のおにいさんなら、来ないよ」


 ためらいがちにシアンは言った。


「リック?」


 ウーの言葉にシアンは頷く。


「彼、事故で死んだよ」


 シアンは言った。


「さっき、ニュースで見て、ジミーに調べてもらった。やっぱり彼だって。今日の昼前に、車同士の衝突で。即死だったって」


 ウーはシアンを見つめた。


「今日の朝、彼と居たわ」


「うん。……その後すぐだろうね」


 シアンは続ける。


「ウー。彼に、なにか言った?」


 ウーは目を見張った。

 大きい灰色の瞳を見開いたまま、瞬きすることなく彼女は身体をこわばらせた。


「……この国から、出たいと言ったわ」


「そうか。……じゃあ、たぶん彼はそのせいで死んだんだ」


 シアンは抑揚のない声で言った。

 うつむいたウーの前の席に座る。


「あのね、ウー。少しくらいは、待てない? ……十月十日過ぎれば、嫌でもグレートルイスから打診がくる。この国に本来、ウーは居てはいけないんだから。向こうも黙ってないよ」


 シアンの口調に怒気が混じる。


「……腹ただしくて、やり切れなくて、苦しいのは、自分だけだと思ってる? ……言っとくけど、オレの方があんたよりあいつとの付き合いが長いんだぜ」


 シアンはテーブル上に置く手を強く握りしめた。


「このままで、終わってたまるかよ。……必ず、あいつを見つけ出してやる。ウー、あんたもこの国から必ず出す」


 隣りの席で漂っていた風船がふいに少女の手を離れた。

 風船は頼りなげに風にあおられながら頭上の空へと高くのぼっていった。







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