第77話 朝

 彼が目覚めると、胸に抱いていたはずの彼女はいなかった。

 後ろを振り返るが、やっぱりいない。


 カーテンから差し込む光を見るに、明け方か。


 目を細めて確認すると、彼はベッド上に起き上がった。

 昨夜の情事の疲労感が、身を包む。


 泣き声の彼女に乞われるまま、彼女の相手をした。

 彼女が泣き声で呼ぶ名前は自分の名前ではなかったので、違和感をおぼえながら抱いた。

 終わった感想は、不完全燃焼だ。



「……やっぱり、部屋のランクによって全然違うなあ」


 ぶつぶつ言う声が聞こえ、前のドアを開けて入ってきたのはシャワーを浴びてきたと思われる彼女だった。


「あ、起こしましたか。ごめんね。おはよう」


 昨夜の名残などみじんも感じさせず、彼女はさわやかに笑っていった。

髪は濡れていたが、もう彼女は上にシャツを羽織っている。


「先にシャワー浴びさせてもらいました。オレの部屋と全然違うから、戸惑ったわ。コーヒー、飲む?」


 シャツから出ている両脚はすらりと長く美しく、首元からのぞく肌は真っ白で、彼は昨夜の情景を思い出す。

 彼女は、グラスから水を飲むと、彼と自分の為にインスタントコーヒーを用意し始めた。


「ごめんね。オレの身体のこと、言ってなかったから騙したようで気が咎めるわ。でも、おにーさん、そんなに驚かなかったね」


 彼女は、はきはきとした口調で言う。

 昨夜の彼女とは別人のようだ。


 コーヒーカップを持ち、彼女はベッドに近づいて彼に渡した。


「はい」


 彼が受け取ると、彼の横のベッド端に彼女は座った。


「おにーさん、ありがとね」


 なにかが吹っ切れたようなすがすがしい笑みを彼女は浮かべて、彼を見た。


「モヤモヤが晴れて、スッキリしたわ。うん。やっぱり、おっさんじゃ力不足だっただけ、ってことだったんだな。……年齢と相性ってのもあるだろうけどねえ。うん、まあ、年齢だな」


 彼女はうなずきながらそういうと、自己完結してコーヒーをすする。


 コーヒーを飲む彼女の横顔も、髪も、カップを持つ手も、のびやかな姿態も。


 信じられないほど、美しかった。


 昨夜の彼女が何度も呼んだ名前の男に、彼は少々嫉妬する。


 彼女に見入っていた彼は、彼女がさっさとコーヒーを飲み終わったのに気づく。


「じゃあ、オレ、部屋に戻って寝るわ」


 言って、彼女はベッドのサイドテーブルにカップを置いた。


「実はオレ、かなり疲れてんだよ。今日は、もう泥のように寝ないと体もたな……」


 立ち上がろうとした彼女を、彼は引き寄せる。

 そのまま、自分の下に組み敷いた。


「あー……悪い悪い。オレ、今までゼルダ語で話してたね。わかんなかったよな」


 気づいたように彼女が、自分を見上げてグレートルイス語で話す。


「ゼルダ語は、分かる」


 彼は、彼女を見下ろしてゼルダ語で答えた。


 手首を押さえつけられた彼女の目が、丸く見開かれる。

 真っ黒で、あどけなくて、まるで少女のようだ。


「ほんと? ……おにーさん、ゼルダ語達者だね」


 彼女の、鎖骨の窪みを見つめながら彼は言う。


「今から……君を買いたいのだが」


 途端に、顔中を笑顔にして彼女は笑った。


「なに、もう一回? おにーさん、恋人がどうとかいう話は? やっぱ、男は口だけだなー」


「無理かな」


 言った彼に、彼女はいたずらっぽく微笑んで彼を見上げた。


「……いいよ。じゃあ今からは、おにいさんの名前を呼ぼう。名前は?」


 そう言って彼女が、彼から解かれた手をのばし、彼の頬を包む。


「ジャックだ」


 彼は答えると、彼女の鎖骨の窪みに口づけた。










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