第76話 宴のあと
ホテルのバーで、シアンは何杯目かのブランデーを口に含んだ。
もう日付をまわった店内には、シアンの他には二人の男性客しかいない。
彼らは窓際のソファーに座り、カウンターで飲んでいるのはシアンだけだった。
今日は、疲れた。
はあ、と軽くため息をつく。
パーティーでの緊張感と興奮がまだおさまりきらない。
疲労のあまり、寝られそうにない。
今夜は飲むだけ飲んで明日一日中部屋で寝ていよう、とシアンは決めてバーテンダーに追加を頼む。
やるだけ、やったと思う。
アルケミストの紹介で、カチューシャ市国のメンバーに自分を印象づけたし、キルケゴールの紹介でグレートルイスの政治家、作家、大富豪、野球選手、映画監督にも挨拶した。
キッサン家の次女ウェンズデイからは冷たくあしらわれたが、長女のリラにはなぜか好感をもたれ、子犬のようになつかれた。
カチューシャ市国のうちの一人、中年のデザイナーは自分に興味を持ち、いつか自分をイメージした服をつくりたい、そして自分にモデルをしてほしいのだが、と言ってくれた。
それが、リップサービスかどうか真偽は不明だが、彼の自分を見る視線は粘着質だったので、まあそれだけでも大成功ではないだろうか。
人事を尽くして天命を待つ、て、やつだな。
ぐだ、とシアンはカウンタ―上に上半身をあずけた。
キルケゴールは、今夜からヴィクトリアのところにいる。
『パーティーで今回は彼女の相手役を務めなかったからね。怒って、これ以上君に何するかわからないし。本土へ帰るまでは、ずっと彼女のそばにいることにしよう』
そう言って、彼はいそいそとパーティー会場からヴィクトリアのいるホテルへと直行した。
彼女、――ヴィッキーが精神的に病んでいるという話を聞くと、あわれみを覚えそうになる。
でも、キルケゴールのおっさんの相手を務めるんじゃあな。
それぐらいの覚悟がないと。
耐えられなければ、別れればいいのだ。
彼女なら、十分美しいし、もっと若い男も捕まるだろうに。
……それができないほど、キルケゴールに溺れているのか。
せっかくの美女がもったいねーなー、と、シアンは目の前の水滴がつくグラスを指でなぞった。
ワインをかけられただけで済んで、よかったのだろう。
彼女の、他の愛人たちにした仕打ちの話には、青ざめるような話もいくつかあった。
まあ、『ヴィッキーの新たなライバルへワインぶっかけ事件』は、マスコミが飛びつくだろうし、いい宣伝にもなる。
オレにとっては、ラッキーなことだったな。
……先程まで、グレートルイスのレン・ベーカーといっしょに飲んでいた。
彼が自分から聞きだしたいのは、アルケミストの絵のモデルを共に務めた、ウーのことだった。
ウーが妊娠したという話を彼は信じており、彼女の出産後は、よければ彼女の力になりたいのだが、と自分に話した。
よっぽど、このホテルの部屋に彼女がいるということを話してやろうかと思ったが、キルケゴールが面白く思わないだろうし、それにそうしたって、彼女のグレートルイスへの帰国は早まりはしない。
レンにばれたからって、キルケゴールはなんらかの圧力をかけてウーの帰国を阻むに決まってる。
それに。
いま、ウーなんかに会わせたら、彼女は彼に組み伏せられるに決まってる。
なんか若干、ウーは今ヤケになってるみたいだし。
キースの代わりを彼に求めるかもしれない。
遊び慣れたレンは、傷心のウーをたやすく手に入れるだろう。
遠い未来には、そうなったらいいとは思う。
でも、キースがいなくなって数か月なのに、そうなるとなあ。
レンとウーの二人の関係を想像して、なんか面白くねえ、とシアンはいらだつ。
だってよ、キースがもし、帰ってきたら。
……いや、もし、とかはありえないだろ。
シアンは舌打ちする。
キースは、必ず帰ってくる。
シアンは、追加のブランデーを口に流し込んだ。
惜しいこと、したかな。
シアンはぼんやりと考える。
レン=ベーカーは、グレートルイスの華麗なる一族、ベーカー家の一員だ。
その中でも、副大統領の秘書を務める申し分のない男。
彼と関係を持てば、夢にスムーズに近づく手段となったかもしれない。
レンが自分とウーの話をしながら、自分との関係を期待してることを感じ取った。
彼はシアンの好みとは違うが、容姿は恵まれてるし、洗練されており、くるくる変わる笑顔もかわいい。
この国で今タブーとされているキースの話題をさらりと避けてうまく話したのも、さすがだな、と感心したし、楽しくて気配りのいい彼に好意を持った。
でも。
彼、キースと仲良かったからな。
自分は、レンと関係をもったってどうってこたない。
でもキースは、自分と関係を持ったレンと、その以前と同じようには付き合えないだろう。
分かる。想像がつく。
――もし、キースが帰ってきたら。
……だから、もし、じゃねえって。
いらだって、シアンは少し音を立ててグラスをカウンターに置いた。
レンの希望に気付かないふりをして、長丁場だった彼を店から送り出したシアンは、どっと疲労感を覚えた。
勘弁。今日は、本当に参った。
何回目かのため息をついて、シアンは窓の方を見た。
窓近くにいた二人の客の一人が、席を立って帰っていくところだった。
残りの一人に目をやったシアンは、彼を見つめた後、目を少し見張った。
彼は、夜なのにサングラスをしていた。
サングラスから出ている顔の部分は、整った形状をしている。
年齢は、40に入ったぐらいだろうか。
彼はスーツを着崩して着ており、シアンと同じくブランデーを飲んで、窓の外の夜景を見ていた。
「……おにーさん」
カウンターから立ち上がったシアンは、グラスを持ったまま、彼に近づく。
彼がこっちを見た。
彼の胸に、旅行者の印であるピンがついていた。
グレートルイス人を示すピンであることがわかる。
ゼルダ入りする際、旅行者は自分がどの国の出身であるか示すピンの着用が義務づけられている。
「おにーさん、グレートルイス人か」
ゼルダ語で話しかけてしまい、彼は、YES、とゼルダ語でシアンに答えた。
今回のパーティーを報道するため、グレートルイスから来た記者かなにかだろうか。
「……おにーさん、誰かに似てるっていわれたことはない?」
彼の前の席の背もたれに肘をついて、シアンは彼を見てグレートルイス語で言った。
「さあ、似てる俳優はいないと思うが」
深みのある声で、彼は答える。
「そうか。なんとなく、オレの知り合いに似てるわ」
シアンは彼を観察しながら言った。
「じゃあね、お邪魔してごめん」
シアンは、背もたれから体を離すと、もとのカウンターに戻ろうと歩き出した。
四、五歩歩いて、シアンは立ち止まった。
……やべ、一気に酔いがまわってきたのかも。
再び、男のもとへと帰る。
シアンは男の前の席に先程と同様、肘をついて男を覗き込んだ。
「ねえ……。オレと、寝ない?」
男は少々驚いたように、身じろぎした。
「……君みたいな女性を相手にできるほど、持ち合わせはないのだが」
彼の言葉に、シアンは小さく笑った。
「営業じゃないよ。オレの、ただ単に希望」
男は、シアンを見返していたが、しばらくして口を開いた。
「すまないが」
「……指輪してない。フリーじゃないの?」
なんか、オレ、必死だな、とシアンはぼんやりと思う。
「……恋人がいる。今は一緒にいないが、迎えに行くと約束した」
小説の中に出てくるようなセリフ吐く人、ホントにいるんだな。
と、シアンは笑いそうになった。
男が席を立ち上がった。
立ち去ろうとする彼に、シアンは思わず声が出る。
「ねえ、ホントにオレと寝ない?」
その声は、今にも泣きそうな声で、シアンは自分の声にびっくりした。
「お願いだから」
信じられない疲労感と、頭をかけめぐったアドレナリンの余波と、飲み過ぎたブランデーのせいだと思った。
彼が、戻ってきて自分の傍らに立つ気配がした。
うつむいていたシアンの頬を、彼の手が触れて上を向けさせる。
彼の手は、少し硬くて、ひんやりとしていた。
「本当に、持ち合わせがないのだが」
目に涙のにじんだシアンを見下ろして、彼は言った。
「だから、要らないって言ってんだろ」
シアンは、たまらず男に抱きついた。
シャツの上から彼の体温を感じた。
頭が、高熱のときのようにぼんやりとしている。
このまま、はやく部屋に行きたいと思った。
男からためらいがちな腕が自分の背中にまわされたとき、シアンは男を見上げた。
「……マナー違反だけど、あんたのこと、違う名前で呼んでもいい?」
男はおどろいたようにシアンを見下ろした。 が、数秒後、かすかに頷いた。
「ありがと。やさしいね」
シアンは、男の首に抱きついた。
彼の頬に、自分の頬をすり寄せる。
体温をもっと感じたいと思った。
――ふと、彼の肩越しの出口に目をやったシアンは、見覚えのある男が立ってこっちを見ているのに気付いた。
あ、ウーの部屋のおにーさん。
彼の仕事はウーの世話だけだと思っていたが、自分の行動監視も彼の仕事のうちだったのだろうか。
おっさんには、黙ってて。
男の首の後ろで絡ませた手のひとさし指を立てて、シアンは自分の顔の口もとに近づけた。
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