第71話 仮病

 話は少し前に戻る。


 ウーのいる、ホテルの一室でシアンはため息をついてソファーに座った。

 ついで、となりのドレッサーの前に座って鏡を見続けているウーに声をかける。


「いいドレスだね、ウー」


 彼女は、紫と灰色、そしてワインレッドが混じったような微妙な色合いの光沢あるドレスを着ていた。

 ストレートに戻した彼女の髪色によく似あい、シンプルなデザインは彼女の美しさをさらに際立たせる。


「こっちにきて、女っぷりが増したね。やっぱり、西オルガンは違うなあ」


 シアンは言いながら煙草を取り出してくわえようとし、一瞬考えた後、煙草を箱に戻す。


 鏡越しにシアンを見ていたウーは、彼を振り返った。


「シアン、どうかしたの。なんか、変」


「……わかるか。わかるよなあ」


 シアンは、苦笑して伸びをしながらソファーの背もたれにもたれかかった。


「あのね、オレも緊張してるわけですよ」


 片手でこぶしをつくって、自らの額に置き、シアンは高い天井を見つめる。


「……ふってわいたチャンス、逃すわけにはいかないからね」


 この国から出るという、昔からの夢。

 それの足掛かりとなるかもしれない。


「正念場だよな、気合入れないとね」


 と、言って、ウーに目を戻す。


「あれ、メイクしないの?」


「シアンもしてない」


 そう答えるウーは、素顔のままで十分美しかったが、粉くらいははたいてアイラインぐらいは引いた方が、もっと良くなるのに、とシアンは思う。


「ぶー、今日はオレもしてるしてる。すっぴんかと間違うくらいに密かにだけど。やっぱ、それがオレのウリだと思うからさ。ほかの盛り盛りのおねーさんたちに、差をつけるためにはね」


 言うシアンの服装は、いつもどおりのタキシードだ。

 キルケゴールなどは、せっかく君のドレス姿を見れるのかと期待してたのに、と落胆していたが、シアンもウーもこの服装が一番シアンの魅力をひきたたせることは分っていた。


「……おなか、いたい」


 ウーが、出し抜けに腹に手を当てて言った。


「うん、トイレ行ってきなよ」


 冗談ぽく返すシアンだったが、変わらないウーの様子に眉をひそめた。


「大丈夫?」


「大丈夫じゃない」


 顔をうつむきかげんにして、眉根を寄せてウーは答える。


「昨日、買い食いしたドーナツが当たったのかも。変な味したから」


「変な味したら、吐き出さなきゃダメだって」


 シアンは言って、後ろの部屋の隅に立つ男に声をかける。


「おにーさん。おなか、痛いって。薬かなんか、ない?」


「熱も、あるかも」


 ウーが、唐突にまた言った。


「熱?」


 シアンはウーをふりかえって、大きめの声を出す。


 後ろにいた男が、すぐ戻ってきて体温計を渡した。

 ウーが測り終って彼に渡すと、彼は確認した後、体温計を振りながら言った。


「微熱ですね。食中毒では、多少上がりますが」


「あちゃー、ウー、どうするよ」


 シアンの言葉に、ウーは首を振った。


「行かない。ここで、寝てる」


 そういって、そのままベッドに近づき倒れこむ。

 その時、


「準備は、できたかね」


 髪を整え終わったキルケゴールが、いそいそと部屋に入ってきて声をかけた。


「おっさん。ウーが体調不良です。食中毒だって」


 シアンが、あきれた表情でキルケゴールを見た。


「ドーナツ、買い食いしたんだって」


「本当かね?」


 真っ青な目を丸くして、キルケゴールは驚く。


「無理に連れて行くのは、どうかなあ。……トイレ、頻繁に出入りするのか、もしくは最悪げろったらどうするよ」


「それは、避けたいね」


 神妙に、キルケゴールは頷いた。

 ベッドにうつ伏せにねころんだまま、顔を上げようとしないウーをキルケゴールは見下ろしていたが、背後に立つ男を振り返って言った。


「ウーは、置いて行く。彼女の、世話を頼む」


「わかりました」


 パーティー会場に赴く予定だったため、今日はスーツをしっかりと着こなした色つき眼鏡の男は、頷いてそう答えた。


「おにーさんも、損な役回りだね。せっかく、外務局に入ったのにこんな仕事じゃあな。異動とか、ないの?」


「この国に居るのが、私の仕事です」


 シアンの言葉に、男は姿勢を正したまま、短く答えた。


「じゃあ、行こうか。私の宝石」


 キルケゴールが笑ってシアンに腕を出した。


「はいはい」


 シアンは、キルケゴールの腕に自分の腕を絡ませると、ベッド上のウーを振り返った。


「じゃあね、ウー。大人しくしてんだよ」


「……」


 ウーは答えない。


 部屋を出た時、シアンはキルケゴールに言った。


「ばればれですね。まあ、子供みたいで可愛いんじゃないですか」


「せっかくのウーをお披露目する機会を失って、残念だが。まあいい。この先、いくらでもチャンスはあるからね」


 キルケゴールは、傍らのシアンを見下ろして微笑んで言った。


「話題をさらうのは、二人もいらない。そうじゃないかね?」


「……」


 ばれてら。

 シアンは、そっと舌を出した。


 ウーが腹痛を言いだしたとき、チャンスだと思った。


 彼女が現れれば、彼女が会場の視線を一番に集めることには違いない。

 自分は、ウーにはかなわない。

 それが、わかっていたから。


 おっさんには、見透かされてんな。


 キルケゴールの脇腹を軽くつねると、シアンは背伸びして彼の頬に口づけた。




















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