第70話 終戦・返還記念パーティー

 西オルガンと東オルガンとの国境近くに、湖がある。

 そのほとりに、パーティ―会場となる迎賓館があった。


 入り口からは赤い絨毯がのび、車から出てくるパーティー出席者はその上を通る。

 絨毯の両端にはロープが引かれ、その周りをカメラマンたちがひしめきあっていた。


「キッサン家の令嬢たちが来たぜ」


 最前列を陣取ったカメラマンが、後ろに言い放った。


 リックは、身体を割りいれるようにして周囲の男たちより前に進む。

 カメラマンたちの頭と頭の間から、黒い車のドアが開くのが見えた。


 一人の男性が出て、次にその手をとるようにして中から現れたのは、次女のウェンズデイの方だった。

 ハニーブロンドを渦を巻いて盛り上げ、ライラック色のドレスを着ている。

 ふんだんにダイヤが使われたイヤリングとネックレスは、億単位だと思われた。

 つり上がり気味の青眼、ほどよく日に焼けた肌、体のラインはため息が出るほどだ。

 グレートルイスでは、彼女の次々の男性遍歴がゴシップのネタの定番だ。


 続いて現れたのは姉のリラだった。


「彼女、痩せたんじゃないか?」


 というささやきが、カメラマンたちの間を走り抜ける。


 たしかに痩せた。

 といっても、まだ大台だと思うが。

 たとえるなら、今まさに割れそうなほどふくらんだ風船から、その3秒ほど前に時間が戻った感じだ。

 彼女はストロベリーブロンドの髪を編み込んで結い上げ、あざやかなエメラルドグリーンのドレスを着ていた。

 リックは、彼女を見るといつも丸々とした子犬を思い出す。

 そういう存在としてみれば、なかなか彼女はかわいらしいとリックは思う。


 世界有数の財閥、キッサン家の彼女たちをエスコートしているのは、眼鏡をかけた短髪の男だった。


 ベーカー家のレン秘書官だ。


 グレートルイスの華麗なる一族、ベーカー家。

 彼らは、メイヤ教の支持する使徒の子孫である。

 目の前の彼の正式名は、レン=メイヤ=ベーカー。

 メイヤ教のミドルネームを持つ。


 彼はリックと似たような齢の三十路寸前だ。


 ベーカー家の先祖たちが、代々美しい伴侶を娶ることに困らなかったため、彼自身の容姿は人並み以上だった。

 加えて、彼には少年のような独特の愛嬌があった。

 くるくると表情の変わる彼に、好感を持たないものはまずいないだろうと思われる。

 以前、外交官だった彼は現在は叔父であるブラック副大統領の秘書をしている。

 黒髪は、少し遊びの混じった感じに立ててセットされ、淡いピンク地のシャツや、ポケットからのぞくハンカチや時計、靴がいちいちハイセンスなのは、彼が育ったのが外見に金を使うことを妥協しないうらやましい環境だったからだ。


 今、彼はキッサン家の令嬢を両手に抱き、リックたちカメラマンにおどけたような笑みを向けてくれた。

 常にサービス精神のいい彼だと思う。


 次に止まった車からは、定番の彼女が乗っている。

 ヴィクトリア嬢だ。

 先に出てくるのは、キルケゴール氏かと思いきや、西オルガン市長だった。

 皆に、どよめきが起こる。

 彼じゃない。じゃあ、彼と来るのは誰なんだ?

 皆の好奇の注目を浴び、屈辱感を必死にこらえるような笑みを浮かべてヴィクトリア=フォン=ターナーは、西オルガン市長に手を取られて車からおりた。

 燃えるような橙色の赤毛は、ゆたかに波うって顔周りを包んでから背中に流れ、夜空を思わせる暗いシルバーブルーの生地のドレスはマーメイド型だ。

 意外に、今回は大人しいなあと思ったリックは、通り過ぎる彼女の側面を見てにやけた。

 身体の両脇の下からウエストにかけてスリットが入っており、横から見れば彼女の胸の膨らみが丸見えである。

 シャッター音が激しく続いた。


 彼女の後は、ゼルダの俳優、グレートルイスの俳優が続き、そしてキエスタの議長オネーギンが登場した。


 白い円筒形の帽子、白い貫頭衣の上に丹念に刺繍を施した布をかけたキエスタ西部の服装をした彼は、報道陣に向かって穏やかな人好きのする笑みを浮かべた。

 秀でた額、高くて丸い鼻に眼鏡をかけた彼は、まるで大学の教授のようである。

 彼は、軍人ぞろいの歴代議長の中でも珍しく文人出身だった。


 キエスタで一番のオデッサ大学を首席で卒業後、先先代と先代議長の補佐役を務めた彼は、そのまま今の地位についた。

 極めて平和主義の彼が議長になってから、初めてこのパーティーにキエスタの要人が出席するようになった。

 それ以前の議長時代には、あり得なかったことである。


 先代時に凍結した国交を回復させたのが彼だ。


 このことは、彼の国の南部の民からは猛烈に批判を受けた。

 国土を荒らした国に、媚びを売るなんて。


 今回も一週間前、例年同様に南部では小規模の暴動が起こった。


 オネーギンの腹心である若者ドーニスの姿は見られない。

 ドーニスは常にオネーギンと行動を共にし、ゼルダで行われる会議などにも参加するが、この終戦記念パーティーだけはいつも欠席する。

 ドーニスが、南部の特に勇猛な一族出身であることもひとつの理由だろう。


 いつも影のように隣りにいるドーニスが不在のオネーギンは、なにか欠けているようなちぐはぐな印象をうけた。


 彼の次に止まった車に、皆の目が集中する。


 ドアが開いて出て来たのは、待ちかねた彼だった。

 派手に黄色に染めた髪、グレーのタキシード。

 ゼルダ外務局長官、キルケゴールである。


 先日、肩に受けた傷は癒え、以前のように回復した。

 口髭の下の唇を横に引っ張り、笑みを浮かべたまま、彼は後ろを向いて、次にドアから降りる人物に手を差し出した。


 見えたのは黒い生地のタキシードだった。

 男性か、とその場の全員がしらけた。


 が、次の瞬間現れた姿に、皆は目を奪われる

 。


 タキシードに包まれた、すらりと均整のとれた身体の白くて細い首の上の顔は、目を見張るような美しい顔立ちの女性だった。


 彼女は、黒い艶のある短髪を後ろに撫でつけていた。

 形の良い頭部から続く、広めの額。細い首の上の美しい顎の線。

 むき出しにされた顔の個々の部位は、位置、大きさ共にバランスが完璧だった。


 真っ黒な瞳の目は大きく、濡れたように光って、子鹿を思わせた。

 黒髪に映える肌は、北の国特有の白さだ。

 少し微笑んだ表情の彼女は、大人の色香がただよい、男装とあわさって妖艶な感じを受ける。


 キルケゴールの手を取って、車から降りたった彼女に隣のキルケゴールが、耳元でささやいた。


 途端に彼女が、顔中を崩して笑った。


 自然な表情は彼女をみるみるうちに幼く、あどけなくした。

 光輝くように零れる笑みは、愛らしく、快活な思春期前の少女を思い起こさせる。


 色香立ち起こる美女から、純粋な少女に一気に変わった。


 彼女の笑顔につられて、リックも軽く息を吐いて笑った。


「は、……すごいかわいーな、あの子」


 シャッターを切る。

 周りのカメラマンも、我先にシャッターを切った。


 万人を惹きつける、見ているこっちの心が晴れ渡るような笑顔だ。


 あの美しさの中から、ふいにあんなあどけない笑みをみせられては、誰もが彼女の虜になる。


 歓楽街(パラダイス)出身なんて疑いたくなるような清純な笑顔だ。


「あんな子、歓楽街(パラダイス)にいるもんなんだな」


 リックは、思わずつぶやいた。


 今までリックは、まあ、偏見でそこには近づいたこともなかった。


 今度、本土に帰ったら一度行ってみてもいいかな、と考える。


 キルケゴールと彼女の二人が会場に入って行った後は、カチューシャ市国のセレブたちが現れた。

 その中には最近、かの国に移住を果たした初のゼルダ人、画家のアルケミストの姿もあった。


 リックはシャッターを切る。


 そのあとは、グレートルイスのセレブたち、本土ゼルダの要人、西オルガンの実力者…と続き、報道関係者たちはひとり、またひとりと数が減っていく。


 パーティーが既に始まり、まばらに人が立つ会場の入口で、もう出席者は来ないからとロープを片付け始めたスタッフを見て、リックはカメラを持ち立ち尽くしたまま、つぶやいた。


「……あれ? 彼女、来ないんだけど」

















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