第57話 戦争の落とし子
院長室内で、机を間にして二人の男は向かい合って座っていた。
卓上の蝋燭が二人の横顔に影を作る。
黙って一方の話を聞いていた男が、やっと口を開いた。
「では、ナシェがあなたに自分から北の国の言葉を教えて欲しいと言ったのは間違いないのですね」
「はい」
ファンデイムの言葉にヴィンセントは答えた。
「特に問題があるだろうとは感じませんでした。むしろナシェの将来の道が開ける可能性を感じました。ゼルダ語を扱えるキエスタ人は希少です」
ファンデイムは頷きヴィンセントの顔を眼鏡の奥から見つめた。
「何故、パウルがあのようにあなたに怒りを向けたのか。その理由をお話しします。薄々、気付いておられるかもしれないが」
ファンデイムは眼鏡を外し卓上に置いた。
「パウルが戦争の落とし子だということは、もう御存知だろうと思います。ナシェの父親も、そうです。二人は、グレートルイスに行くことなくここに残った。それは、私たち修道士が彼らの存在を国に報告しなかったからです」
ファンデイムは深く息を吐いた。
「彼らの父親は、ゼルダ兵だからです」
その時のヴィンセントの表情は、その事実に驚いたようにも、以前から知っていたようにもとれた。
「先の戦争では、グレートルイス軍と違い、規律厳しく統制の取れたゼルダ軍に、婦女暴行等の犯罪は皆無だったとされています。……そんなことは、無かった。あのとき、この教会に助けを求めた女性たちが、言っていました。『怖いのは、北の国の方の兵隊さん』だと。彼らにさらわれた女性は、二度と戻ってこなかったからです……あの国の厳罰を怖れた彼らが、徹底的に証拠隠滅を図ったからに他ありません。……ナシェの父親とパウルの母親たちは、まだ幼い少女でした。幼さのあまり、妊娠の可能性はないと踏んだのか、もしくはあまりに幼いゆえに憐憫の情がわいたのか。彼女たちは、運良く生還したうちの二人でした。だが、彼女たちは、妊娠していた」
ファンデイムは遠い目で語り続ける。
「キリ……ナシェの父親の名前です。キリの母親は開戦してすぐ、パウルの母親は戦後にここに来ました。堕胎できないほどに、子供は成長していました。キリの母親などは、本当に幼かった。相手の兵のことを聞いても要領を得なかった。ただ、紫の目の兵隊だったと繰り返すだけで。ですが、紫の瞳の人種なんて北の地にしか存在しません。……彼女は出産時に死亡しました。幼過ぎたのです。パウルの母親は彼を産むと、ここを去りました」
ファンデイムはヴィンセントの目を見た。
「キリや、パウルのような子の話は、戦後一切出てこなかった。我々は、彼らも証拠隠滅されるのではないかと怖れたのです。あの国の不自由さも知っている。ならば、ここで彼らを育てた方が良いのではないかと考えたのです」
ファンデイムは視線を外し下を見た。
「ですが、それは間違いだったかもしれない。悲劇が再び襲うとは思いませんでした。成長したキリが村の少女と恋をした。彼女は、彼の子を宿しました。しかし、彼女は先から決められていた許嫁がいました。相手は違う一族の者でした。隣村の一族です。彼等の刑は厳しい。裏切った彼女、その相手のキリも死をもって償わなければならなかった。もし、彼らを逃がしたり匿おうとすれば、我われも村人も同罪です。……私は、キリの命を奪いました。キリに生きたまま、刑を受けさせるのが偲びなかったからです。彼らの刑は、男には皮剥ぎです。到底、私には耐えられなかった。……カールには辛いことをさせました。彼に、キリを安楽死させるように頼んだのは私です。その時まで、彼やキャンデロロにはキリとパウルがゼルダの血を引くことを黙っていました。カールは激怒しました。前もって防ぐ手立てがあっただろうと。数年後、カールはパウルに避妊手術を施しました。いずれ、ナシェにも行うでしょう。……今から思うと、隣村の民は非常に寛大でした。死体のキリを渡したときも、母親の刑を産んだ子供が乳が離れるまで延期してくれたことも。この国としてはありがたいと思うべきなのでしょう。ナシェの母親の家族はこの村を追放されました。そして、ナシェの両親の存在は消されました。私たちも村人も、彼らをなかったこととして上手くいっているのです。しかし、ナシェにはそれが辛かったようですね。自分の生まれた理由を消されたのですから。ナシェは、あなたに懐いています。記憶すらないのに、あなたがキリと似ていることを感じているのかもしれません。ゼルダ語を学ぶことによって、自分を探りたかったのかもしれません」
ファンデイムはそう言って目を閉じ、しばらくしてからため息を軽くついて目を開いた。
「パウルが怒りを持ったのは、こういう訳です。北の国は、彼にとって憎んでも憎みきれない国なのです。ご理解ください」
ヴィンセントは頷いた。
「しかし、ナシェがゼルダ語を学ぶか学ばないかは、パウルが口を出すことではない。ナシェの将来に有効ならば、私もお願いしたいと思います」
ファンデイムはヴィンセントが初めてこの部屋に入った時のように、彼を見つめた。
「あなたが、この国に留まるならば」
ヴィンセントは彼を強く見返して答えた。
「はい。私は、ここに残ります」
「……良かった」
ファンデイムは彼に向かって手を差し伸べた。
ヴィンセントはその手をとり握りしめた。
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