第54話 猫
ケダン教会への帰り道、車の中で後部座席のナシェとアキドはもたれあって寝ていた。
気持ちよさそうな二人の寝息が聞こえる。
「あなたも疲れたのではないですか」
運転しているパウルが隣のヴィンセントに言った。
かなり傾斜のある場所を繰り返し上り下りした。
病み上がりの彼にはこたえただろう。
「寝てくださっても構いませんが」
「いえ、大丈夫です。……まだ感動がさめきらないので眠れそうにありません」
ヴィンセントは前を見たまま答える。
たしかに目の輝きは衰えていない。
ちらり、とヴィンセントを一瞥して、パウルが言った。
「さきほどの神話の続きになりますが、SKY WORLD に関してです」
「はい」
ヴィンセントが興味をもってパウルの顔を見た。
「キエスタの神々は大地や海を支配していましたが、空だけは彼らの領土ではありませんでした。彼らは天空には敬意をもって、手を出さなかったといいます。しかしラミレス神が連れ帰ったネーデ神が、空が欲しいと駄々をこねました。神々の非難の嵐の中、ラミレス神が根負けし、彼女のために妥協策として造ったのがSKY WORLDとされています。だから『捕まえた空』とキエスタではそう呼びます」
「……パウル様の話を聞くうちに、なんだか、かなりわがままな女性像に使徒アネッテが変わってきたのですが」
ヴィンセントが神妙な顔で述べた。
「はい。キエスタ神話では、女神ネーデは美しく、優しく、気まぐれで、わがままで、時に残酷でもあります。愛と豊穣の女神でもありますが、夜は快楽の神に姿を変えます。その時は彼女は猫の姿をとります」
「猫」
ヴィンセントはつぶやく。
「猫はネーデ神の化身とされ、キエスタ西部は猫の楽園です。猫たちが店先のものをとってもみんな知らんぷりです。猫に手を出すことはできないので、西部は猫たちのやりたい放題の世界です。猫は神の化身ですから、離れたキエスタ東部でも犬は食べますが、猫は食べません」
ヴィンセントはうなずいた。
「使徒アネッテは存在を否定されたのですから、残っているわずかな文献上では彼女がどういう人柄であったのかをうかがい知ることはできません。分っているのは、非常に美しくて賢い女性だった、ということだけです。悲劇の女性としての印象が強いアネッテですが、キエスタ神話では享楽的な女性の姿をしています。案外、実際のアネッテもそうだったのではないですか」
パウルは続けた。
「だから、なお一層、彼女は可愛かったのではないですか」
「……」
見つめてくるヴィンセントの視線にパウルは耐えきれず声を出した。
「なんですか」
「いいえ」
答えて、ヴィンセントは前に向きなおる。
数秒のち、二人は同時に軽く笑った。
「今、新聞の彼女を思い浮かべたのではないですか」
「あなたもでしょう」
言ってパウルは今日の午後、彼が告白するのを聞いたときにも、彼女の姿を思い浮かべたことを思い出す。
まさか。
浮かんだ考えを打ち消して、パウルはハンドルを握りなおした。
教会まではあと一時間はかかる。
「教会に帰ったら即刻、あなたが泣いたことをドミニク様に報告します」
「やめてください」
苦い顔でヴィンセントが答えた。
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