第53話 手術

診察室の前で自分より背が高いキャンデロロにソビヤンコが伸びあがるようにして、しわがれ声で言い放った。


「お前が昨晩遅くまで彼を引っ張りすぎたせいじゃないのか」

「おう。そうかもしれねえが」


キャンデロロは答えて心配そうに診察室のドアを見た。



ソビヤンコがヴィンセントが倒れたといって、老体で走りながらキャンデロロたちがいる畑に来たのはついさっきだ。

作業していたパウルとキャンデロロが、厨房で倒れていたヴィンセントを自分たちの両肩につかまらせ、診察室のカールのもとまで運んだ。


彼は意識はあったが、体中に力が入らないようだった。



「持病でもあったのではないだろうね」


不安げにソビヤンコがもらす。


「最近、彼は体の調子が思わしくないようでした」


隣に立っていたパウルが言った。


「手がしびれると……。物を取り落したりしていました」

「バッキャーロ、なんでそれを早く言わねえ!」


キャンデロロが怒鳴る。


「申し訳ありません」

「……まさか……。不治の病……」


そばで聞いていたドミニクがつぶやき、負の妄想に突入しようとした。


ああ、とキャンデロロがすごみをきかせて彼をにらみ、パウルとソビヤンコが同様の目つきで彼を非難する。


「申し訳ありません」


あわててドミニクは頭を伏せる。


その時、診察室のドアが開いた。

カールがドアノブを持ったまま皆の顔を見て告げた。


「今から彼を手術する。院長にそう伝えてください」


そしてドアを閉めようとした。


「お、おい、カール!」


キャンデロロが閉まろうとするドアをあわててつかまえ、とどめる。


「あいつは助かるんだろうな!」


カールは濁っていない方の目でぎろりとキャンデロロを見た。


「どの口が言ってるんだね」

「お、おう」


そういえばこいつは軍医だった、とキャンデロロは思い出す。


「彼は助かる。……とりあえず今回は」


そう言い捨てて、カールはドアを閉めた。



**********



局所の痛みを感じるようになってきた。


低い天井を見上げていたヴィンセントは、こらえるように息を吐いた。


「痛み止めが足りない。いつ、他の患者で必要になるかわからない。できるだけ我慢してほしい」


隣で器具を片付けていたカールがこっちを見ることなく言った。


「はい。もちろんです。……ありがとうございます」


ヴィンセントは力なく答える。


「なぜ、薬をあと2か月飲まなかった」


カールはそのままの姿勢でヴィンセントに問う。


「医者から半年は飲めといわれてたのではなかったのか。それは自己判断かね」

「……」


答えないヴィンセントに、いらだった声でカールは続ける。


「医者の忠告を無視する患者ほど腹が立つものはない」


カールはガチャ、と器具を乱暴に置くと、ヴィンセントに向きなおった。


「いいかね、今したのは対症療法だ。成虫を身体から取り除きはしたが、幼体はまだ君の身体の中を巡っている。いずれ、同様の症状が出てくるだろう。幼体をたたく薬を飲まない限り根治はない」

「……切除してくださっても、かまいません」


ヴィンセントの言葉にカールは目を見開いた。


「バカかね、君は。何を言っているのか分ってるのか。切除したあとの後遺症を考えてみろ。筋力、体力低下はバカならないぞ。一生ホルモン剤を飲み続ける気か」


その時ドアがノックされ、ファンデイム院長とキャンデロロ副院長が部屋に入ってきた。


「院長」


カールが間を空けずファンデイム院長に報告した。


「ヴィンセントは寄生虫に感染しています。この国では治療薬が手に入らない。即刻、本国に帰すべきです」

「それは……」


ファンデイム院長は言葉につまると、ヴィンセントを見た。

聞いていたキャンデロロが口を挟む。


「いや、奴はここから出さねえ」


カールは彼を見て眉をあげ苦笑いした。


「何を言ってる。本国で治療したら、また戻ってくればいいだろう」

「奴は出さねえ。ここでてめえが何とかしろ、やぶ医者が」

「だから薬を飲むしか根治法はないと言っとるだろうが!」


カールが声を荒げた。

キャンデロロは黙り込む。

ファンデイム院長、ヴィンセントは無言のままだ。


カールはこの場の奇妙な空気を感じ、目の前の三人をひとつしか見えない目で、ゆっくりと順に見渡した。


「……なんだ。君たちが知っていて、私だけ知らないことでもあるのかね」


「……彼は、ここに身を隠すために来たのです。カール」


ファンデイム院長がため息をついて白状した。


「ヴィンセントは犯罪の証人です。犯罪者から身を守るために、ここに」


キャンデロロがおどろいたようにファンデイム院長を見た。


「このことを知っているのは私と、彼をここに連れてきたドミニクとパウルだけでした。他の者には告げず、修道士見習いとしてここに置くようにしたのは私の判断です」

「申し訳ありません。無理を言って頼み込んだのは私です」


横になっているヴィンセントが告げた。


「そうですか」


カールはうなずき、ベッド上のヴィンセントを見た。


「成程。どおりで、このまま修道士になるにはもったいない若者だと思いました。……わかりました。教会本部へ嘆願書を書きます。薬を送ってくれるようにと。時間はかかるかもしれないが」


カールは言ってから、ファンデイム院長の顔を睥睨する。


「ファンデイム院長。今後金輪際、私に内緒にするようなことはしないでもらいたい」


その低い声には怒りが込められていた。


「もう、若者を見殺しにするのはたくさんだ」


強い口調で吐き出すと、カールは院長とキャンデロロの間をすり抜け、乱暴に音をたてて部屋を出ていった。


「申し訳ありません。治ったものだと勘違いしておりました」


しばらくしてベッド上のヴィンセントがつぶやいた。


「バッキャロー、ヴィンセント。ひやひやさせやがる」


キャンデロロがベッドに近づいた。


「飯食うか。持ってこさせてやる。なかなかうまかったぜ。今日の煮込み」


ヴィンセントを見下ろし、キャンデロロは彼の様子を見て小さく笑った。


「あー、想像するだけで、いてえわ。頑張れよ、ヴィンセント。カールの野郎は、傷の治りが遅くなるからって、なかなか薬を出さねえ」

「はい」


ヴィンセントは頷き答える。


「心配すんな。てめえは、ここを動かねえ」


いつになくやさしい声でキャンデロロが言った。


コンコン。

控えめにドアをノックする音がした。


「おう」


キャンデロロが答えるとゆっくりとドアが開き、そろり、とナシェの顔がのぞいた。


「おう、ナシェ。こっち来てやれ」


キャンデロロの言葉に、ナシェがするりと部屋に入る。

そのあとから、盆にのった食事を持ったパウルが続いた。


「大丈夫?先生」

「大丈夫ですか」


二人はヴィンセントに声をかけ、こっちに歩いてくる。


蒼白ぎみの顔で、かすかに笑みをつくるヴィンセントのもとに、ナシェはベッド横で床に膝を立てて座った。


「痛みがひでえだろうからな。ナシェ、励ましてやれや」


傍らのキャンデロロが言った。


「学校はしばらく休みます。すみません」


ヴィンセントが謝る。


「早く元気になってください」


ナシェは言い、ヴィンセントの手を取った。

ゆるく縮れた前髪の奥の、緑と茶色の瞳でヴィンセントを心配そうにのぞきこむ。


なにを、言ったらいいだろう。


ナシェは考える。


治ったらお菓子をあげる、とか言っても先生が喜ぶわけないし。


ものすごく気弱に見えるヴィンセントに、ナシェは何とかして励ましてあげたいと思った。

そのとき頭に浮かんだ案に、ナシェは目を輝かせた。

我ながらいいことを思い付いた。


「先生。先生が、痛いの我慢して良くなったら……僕が、先生をいいところに連れて行ってあげます」

「いい所?」


ヴィンセントが不思議そうに尋ねる。


「はい。先生が見たこともないもの。もっと元気になるよ。……約束します」

「ああ、あれか。そりゃあいい。一度見てくるといい」


キャンデロロがわかったように言った。


「そうですね。ここに来たからには、あそこはぜひ行かないと」


ファンデイム院長が頷いて微笑む。


「パウル、あなたが運転してあげなさい」


まあそうなるだろうと予感していたパウルは、ファンデイム院長の言葉に小さく頷いた。


「約束です。楽しみにしていて。だから痛いのは我慢してください」


小さいナシェの手が冷えたヴィンセントの手を包み込む。

あたたかさが体の奥まで染みわたるようだった。

見下ろす皆の目がやさしく、ヴィンセントは自分が小さい子供に戻ったような気がした。


「はい。楽しみにしています」


ナシェの手を握り返し、ヴィンセントはそう小さく答えて微笑んだ。














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