第2話 肥前深江城の戦い

(一) 

この季節でも南国の日中は、じりじりする太陽が肌を突き刺す。不快感で目を開けると、日輪の眩しさに眼球までやられそうになった。


 「気が付いたか。」

 野太いが優しい声だ。忠堅は、声の主にすぐ気づいた。声の主と自分の関係を考えると、直ちに跳ね起き礼を尽くさねばならない。しかし、申し訳なさと恥ずかしさ、悔しさなど様々な感情が入交り、忠堅は動くことができずにいた。


 「どこか痛むか?傷ん治療はおおむねさせたところじゃが。」

 おやめくだされと思った。罵倒された方が、どれだけ気が楽か。敗戦し、部下を死なせた将に、そのことも触れず、これ以上優しくされると、情けなさで死にたくなる。声の主のこういった、さりげない思いやりが、主従の枠を超えて、侍たちの心を魅きつけ、この人のためなら、喜んで死のうという気持ちにさせるのだ。


 島津義弘、鬼島津と敵に恐れられる猛将は、思いやりのある優しい仁者の一面を持っている。この一面もまた、彼の率いる軍を強からしめる一因である。その強さと優しさゆえ、義弘は島津家中、特に若侍(にせ)たちに絶大な人気がある。それは、どこか宗教じみていて、義弘のためなら喜んで死ぬという侍は、千や二千ではきかないかもしれない。


 目を閉じたまま気配で探る。どうやらここは義弘の陣中、天幕の中のようだ。外を、あわただしく過ぎる人馬の音が絶えない。


突然、けたたましい馬蹄の轟があたりに響き渡り、陣の外で途絶えた。代わりに、がちゃがちゃと、激しく甲冑のこすれあう音が近づいてきた。その音は、目を閉じている忠堅の前で止まった。と、突然巨体が引き起こされ、地面に叩き付けられた。

 「起きよ!川上家の恥さらしが!情けんなか!」


 聞き覚えのある声に、慌てて飛び起き平伏する。目の前に、小柄な初老の武士が立っている。顔は熟した柿のように赤らみ、全身が小刻みに震え、明らかに激怒した様子だ。


 義弘が仲裁に入った。「忠智、そげん怒るな。勝敗は時の運じゃ。」

 島津本家の家臣でありながら、義弘の付家老を務める川上忠智は、目を閉じ溜息をつきながら、大きく頭を振った。

「殿のお言葉でも、こいばっかいは許せもはん。負けただけではなく、未来ある若衆(にせ)どん(共)を何人死なせたとか。一度ならず二度までも。おい(俺)は親んし(衆)に何て詫びればよかとか!」


 そして大きい目をぎょろりと開き、我が子を睨み付けて静かに言い放った。

「忠堅よ、腹を切れ。」


平伏していた忠堅は、顔をあげ父を見据えると、大きく頷き、正座し狩衣を脱ぎすて、腰のあたりを探った。

刀が無い。辺りをきょろきょろと見回す。


 義弘と忠智、義弘の小姓が一人、近習の侍が二人、それと

 異様な風体の男が一人、

 百姓の野良着のように、薄汚れてぼろぼろの上着を着流して、

 袴もはかず、これまた薄汚れた褌を、さらして胡坐をかいている。

 髪はぼさぼさ、

 何十日身体を洗っていないのだろう、

 全身から、体臭というより異臭を放っている。

 中肉中背だが、鋼の様な筋肉をしているのがわかる。

 顎はしゃくれ、鼻は団子、目は細く、開けているのか瞑っているのか解らぬほど。 何より、臭気以上に全身から異様な気を放っている。

 殺気とも少し違う。不快で不安で、その存在を目の前から消し去りたい衝動、

 

 忠堅は切腹しようとしていたのも忘れ、思わず身構えた。

 相手も反応して、弾かれたように立ち上がる。


 「こら!やめんか。」

 義弘が二人を一喝し、二人とも対峙をやめ、義弘へ向かって平伏した。

「忠堅、こん男はお前の命の恩人じゃっど。」


 最初何のことだか分からなかったが、その男の顔を眺めるうち、はっと思い至った。

 「あん、がらっぱ!(河童)」

 忠堅の叫び声に、男はいぶかしげな顔をしている。

 義弘は思わず苦笑しながら言った。

 「河童ではなか。こん男は押川強兵衛、島津家屈指の武芸の達人じゃ。

 特に水練では並ぶものはなかろう。」


 聞いたことのある名だった。良い意味でも悪い意味でも。

 良い噂としては、刀槍弓鉄砲全てが一流の腕前で、足は馬より早く、一日で百里を走破するという。力は牛より強く、素手で大木を引っこ抜くという。動きは猿より敏捷で、猿並みの跳躍力を持ち、木々の間をするすると移動するという。目は鷹並で、二十間先の節穴に矢を当てたことがあるという。


 押川家は、代々島津本家に仕えている家だが、何を務めているか明らかでない。家来もおらず、家族も持たず、戦場でも見かけた者はいない。そもそも、その名は知っていても、その姿を知る者は少ない。いったい何者なのか。上意討ちなど家中の暗殺をもっぱらにしているのではないかというのが、この男に関する悪い噂であった。


 忠堅も家中一の剛の者と言われる身、押川強兵衛の名に興味を持ち、一度見てみたいと思ってきた。その男が、いま目の前にいる。しかし何とも、強者というより獰猛な獣といった風情だ。その獣が、かしこまるでもなく畏れる風もなく義弘の陣にいる風景は、珍妙ですらあった。


 「こら忠堅、礼を言わぬか。」忠智が、いつまでも平伏を続ける息子に言った。

忠堅は、平伏したまま少し頭を上げ、そのまま強兵衛の方を向いて、ぺこりと一礼した。虫が好かぬ。その感情は、お互いさまかもしれない。


 その様子を見て、義弘は弾けるように笑った。「いつまっでん(いつまでも)。‥‥、子供の様じゃの。」


 「殿、甘やかしちもろうては困ぃもす。」

忠智は、少し迷惑そうに言った。そして、思い出したかのように言う。

「とにかく、二度の敗戦、部隊全滅の責めは逃れんど。わい(お前)も、川上家の男なら、立派に腹を切れ。」


 「待たんか。」

 義弘は静かだがきっぱりと言った。

「今回は、わが主義久様、ご指示による出陣じゃ。わしが見るところ、相手に船戦の備えがあるとは、気づかなんだことが今回の敗戦の原因。船戦の備えなしに、送り出した者の責任じゃ。そうすると、義久様とわしに責任があることになる。」


 「いや、こいは。覚悟ん他でござった。(考えが足りないことでございました。)ご容赦くだされ。」

 忠智は少し慌てた風で言った。


「しかし、船の備えを見て、引き返す途もあったはず、無謀な突撃で、部隊を全滅させたのは倅めでござる。」


 「その場におらんと、分からんこともあろう。相手の船は、早舟であったと強兵衛から聞いておる。

 しからば、引き返しても追いつかれ、結果は同じじゃったろう。ならば、死中に活を求める策しかないとの判断、お主はどう思う。」


義弘の言葉に忠智はつまった。

更に義弘は続けた。

「伊東の三千の大軍を、二百で相手にした木崎原しかり、我らは、そういった戦を繰り返してきたじゃなかか。のぉ忠智。」


 ここまで言われては何も言い返せない。忠智は鉾を収めるしかなかった。

しかし、父親の言葉は、忠堅の胸に深く刺さっていた。

 二度目、同じ相手にまた負けた。それは彼にとって、許しがたい事実、いっそ死を賜った方がましだった。


(二)

 昨年(1583年)秋のことだ。忠堅は主君義久から招集を受けた。

肥前への出陣だという。

 肥前島原にある日野江城主有馬晴信は、龍造寺隆信に臣従していたが、近年非道な振る舞いが目立つ隆信に嫌気がさし、密かに島津家に接近を図った。

 有馬家の家老である安富純泰は、主君のこの行動に不安を覚え、隆信に報告すると共に有馬氏との決別を宣言し、手勢五百名と共に居城である深江城に立て籠もっている。


 ただでさえ、家老の裏切りは許しがたいこと、その上、深江城は日野江城の目と鼻の先にあり、ここを龍造寺軍が押さえると、自家の防御の点で困ったことになる。

しかし、深江城の防備は堅く、もともと独立勢力であった安富勢の士気は高い。しかも、肥前の豪族は、殆ど龍造寺家に臣従しており、有馬軍単独で攻めれば、龍造寺方の国衆から袋叩き似合う恐れがあった。そこで晴信は、島津家に援軍を乞うた。


 晴信の要請を受けて、義久としては有馬氏に援軍を送り、有馬氏の臣従を確実なものとし、島原を肥前進出の足掛かりとすると共に、対龍造寺の橋頭保とする方針を固めた。


 援軍は、家老比志島国貞を大将とする二千名、島津軍のおおよそ十分の一を占める人数は、義久の決意の表れである。

 構成は、比志島軍が五百、副将である樺山善久の三百、同じく副将で比志島一族の川田義朗の三百、島津支族北郷忠虎の二百、薩摩国衆である吉利忠澄の二百、宮原景晴、市来家親、平田宗張、新納忠元の嫡子忠尭がそれぞれ百、これに加えて忠堅率いる川上軍百である。


 肥前は龍造寺の本拠地であり、今回の出兵に対し、隆信が黙っているはずはない。困難な戦であることは明白。この軍容に家中で疑問の声もあった。

 今までの習いであれば、島津義弘か歳久のいずれか、そうでなくとも、例えば新納忠元や山田有信など、軍功高き名将が大将とされるはず。

 比志島国貞は有力国人で、義久の信任も厚いが、武勇に優れるわけではなく、さしたる武功も上げてはいない。

 さらに副将に関しても、とりわけ優れた武将が配置されているわけではない。

 実は、この軍容には、様々な政治的理由が絡んでいた。


 第一に、鎌倉期からの島津家の目標であった薩摩・大隅・日向の三州統一を成し遂げた島津義久が、次の目標として九州統一を選択したのは、戦国大名として当然のことであった。そして、家中に様々な意見があるのは、島津家に限ったことではない。

 日新斎忠良からわずか三代で父祖以来の悲願を成し遂げた島津義久は、急激な膨張に伴って、旧来の家臣の功績、領地ばかりでなく、発言力の急激な増大に苦慮していた。

 代々家老を務めた伊集院氏がいい例である。現当主伊集院忠棟は、歴代当主の功績もあって今や大隅鹿屋を中心とした五万石を領し、動員兵力は二千弱と単独で島津軍全体の一割を占める。畢竟伊集院一族の発言力は増し、今や忠棟の承諾なしには方針を決められないと言っても過言ではない。

 そして、このような例は、程度の差こそあれ忠棟ばかりではない。義久としては、政治的観点から、自分にのみ従う忠義者を引き上げる必要性に駆られており、比志島国貞は、まさにそのような人材の一人だった。


 第二に、目的の達成による変更、領土家臣団の拡大が、仲の良い一枚岩の四兄弟に与えた影響があげられる。

 集団の常として、構成員が多くなれば小集団、即ち派閥が生まれやすくなる。

その法則は、例えば先進的と言われた織田家においてすら、清須会議で明確になった柴田派、羽柴派が存在したごとく、戦国武士団においても同様であった。

 派閥の長となるべき者の性格、性向が異なれば、その傾向はより明確になる。

 島津家においては、棟梁義久が革新的な重商主義者であり、軍事より政治的傾向が強かったのに対し、二歳年下の次男義弘は保守的な重農主義者で、軍神と言われる軍事の中心であった。

 性格的にも、冷徹な合理主義者の義久に対し、篤実で思いやりのある義弘と、真逆と言ってよかった。兄弟仲に変化はなかったものの、二人の性情性向に惹かれ、家臣団は緩やかに取り巻きを形成して行き、先主貴久の死亡による分割相続で、義久が薩摩守護、義弘が同格の大隅守護とされたのも手伝って、今や義久派、義弘派、無派閥の3つに事実上分かれていた。

 義久派は鎌田政近や比志島国貞など、義弘派は川上忠智や肝付兼演など、どちらにも属さない無派閥は歳久、家久らの残りの兄弟や、島津一門衆、その他重臣である新納忠元、山田有信、伊集院忠棟などが挙げられる。


 派閥が出来れば、派閥の長の思惑と無関係に権力争いが生じる。その権力争いは、対内的のみならず対外的にも影響する。その一例が、今回の軍容である。

 軍功を得やすい大将副将は義久派が占め、無派閥の新納勢や義弘派の川上勢は一部将の位置、比志島の手下の地位におかれている。

 義久としては、新納忠元、川上忠智の気持にも配慮して、当人ではなく息子を招集したが、忠元、忠智とも内心では忸怩たる思いがあった。

 忠智など、息子の前で思わず「大将じゃと。あん比志島が!」と吐き捨ててしまったくらいである。


 第三に、義久が龍造寺隆信を侮っていたことが挙げられよう。

 島津軍は六年前の日向耳川の戦いで、九州探題大友家の五万の大軍に、半分以下の一万五千で大勝し、日の出の勢いであった。

 大友家の衰退に伴い力をつけた龍造寺軍三万と島津軍一万五千が、肥後合志村で菊池川をはさんで、最初に対峙したのは三年前、この時は筑前大名秋月家の仲裁で和睦したものの、その戦いにおける小競り合いで島津軍は「龍造寺は大友より弱し」との印象を持ってしまった。

 

(三)

 比志島ら島津軍は肥後の陸路を、相良領人吉経由で佐敷に出て、佐敷から島津家水軍奉行梅北国兼が手配した船で、密かに島原へ渡り、日野江城で有馬晴信と対面した。

 有馬晴信は、小柄で気品のある顔立ちをした人物で、島津軍が思ったより少数なのに落胆した様子を少し見せたが、南蛮渡来の羅紗に金糸を織り込んだ陣羽織を着て、胸には切支丹らしく十字の首飾りを付け島津諸将と対面した。


「さっそく、軍議がしたい。」

 ぐずぐずしていると、龍造寺軍がどんな動きをするかわからぬ。比志島の申し出は至極当然であった。他家からの不躾な申し出を、鷹揚に受ける晴信の態度を見て、忠堅は外見とは異なり油断ができない男だと感じた。


 敵は取りあえず安富勢五百、我が方は島津軍二千に加え、有馬軍五千の総勢七千だが、北方十里(行軍一日の距離)の諫早には、龍造寺家臣である諫早家崇率いる千の軍勢がおり、更に四十里(行軍四日の距離)向こうには二万の龍造寺軍が控えている。

 即ち、敵の増援が来る前、遅くとも三日のうちに落とさねばならないという時間の限られた戦いである。

 そればかりでなく、五百に過ぎぬ安富軍はなかなか強く、小高い丘の上に立つ山城、肥前深江城の守りは予想外に堅いらしかった。五千の兵があるのに、有馬軍単独で攻められないことこそが良い証拠である。


 島津軍の中で、忠堅と忠尭は深刻な状況に溜息を抑えていたが、肝心の大将比志島は、気色ばんで今すぐ陣ぶれを発しそうな勢いだ。

 「なぁーに、薩摩の精兵二千がおれば、深江城など一日で落として見せもす。有馬様は島津軍のゆっさ(戦)を、ゆっくぃと見物してくぃやんせ。」

 強がっているのでなく、比志島は無邪気にそう信じている風であった。


 忠堅は、思わずこの大将大丈夫かと考えた。経験の少ない将の慢心は危険である。部隊を全滅させかねない。この男、功を焦っているのではないか。

 思えば鹿児島を発するとき、島津軍の軍師格である歳久が、異例の細かい注意を、しつこく大将比志島に言い聞かせていた。

 島津の軍法は、細かいことは現場の指揮官に任せ、てげてげ(適当)に大筋だけ決めるのが常道だったのにである。

 歳久は繰り返し、諫早氏など島原近郊の龍造寺軍が出てきた場合、戦っては良いが必ず逐一報告することと、龍造寺本軍が来襲した場合、たとえ少数であっても戦わず退却するように言い聞かせた。比志島はその時は黙って頷いていたが、承服しているとは思えなかった。


 忠堅の懸念は当たっていた。大将の経験が無い比志島国貞は、今回の戦を深刻なものでなく、五百の小勢相手の、単なる比志島一族に与えられた飛躍の機会としか捉えていなかった。

 龍造寺が出てくる前に片が付くだろうと高をくくっていたし、出てきても手柄の機会が増えるくらいにしか感じていなかった。


 市来を領する比志島一族は、近郊伊集院の国衆である伊集院氏が重用され、見る見る大きくなっていくのを歯噛みする思いでながめてきた。

 比志島氏、川田氏などの比志島一族は、国貞が家老職になったこときっかけとして勢力増大を狙っていた。

 義久から与えられた千載一遇の機会が、今回の深江攻めである。張り切らぬわけがなかった。


(四)

 翌日早朝、陣割が発表された。

 丘の北西大手門を攻めるのは、比志島、川田、吉利の計千名、

 丘の南方搦手を担当するのは、樺山、北郷、宮原、市来、平田の八百。

 新納軍と川上軍二百は、城の北方の街道沿いで有馬軍五千と共に控えを務め、龍造寺軍の来襲に備える。

 

 明らかに政治的意図に基づく陣割だった。

 一緒に従軍している弟たち、忠兄と久智は

 「こいじゃ、戦を黙って見ているだけじゃろ。」と大声を上げて悔しがったが、一番悔しがりそうな忠堅は、今回不思議と大人しい。

 ぷぃと馬を駆り陣を出た。

 「兄さ、軍規違反じゃ。」忠兄の叫びを背中に、後は任せたといわんばかりに片手を上げ、新納軍の陣へ向かう。


 兵一人一人が、ゆったりとだが、緊張を解かず控えている。陣のしんとした静寂に、かえってこの軍の強さが伝わってくる。

 親指武蔵、島津家の家臣で名のある者は?との問いに、必ず最初に名が挙がることからつけられたあだ名。その新納忠元が鍛えた軍の強さは本物だ。

 今年三十になる嫡子忠尭も、親の名に恥じぬ名将として家中に聞こえた強者だ。 幼馴染である忠堅は、小さい頃から年上の忠尭を兄と慕う一方で、会えば小柄で生真面目な忠尭をからかうという悪癖があった。


 忠堅が訪れたとき、陣幕の中で忠尭は、配下数人に何事か小声で指示をしていた。指示を受けた者たちは、忠堅に一礼すると、慌ただしくどこかへ走り去った。


 「物見な?」

 忠堅の不躾な問いに、忠尭は黙って頷いた。

この男は、もの静かというより、無口で殆ど言葉を発しない。

親である忠元に対してもそうで、

「少しは話せ。愛想ぐらいせぇ。領民が怖がる。」といつも注意されるほどだ。

控えを命じられたことを、何とも思っていないだけでなく、控えにできることを精一杯やろうとするのは、生来の生真面目さと忠元の教えによるものだ。


「龍造寺軍が来っとしても、早くて明後日じゃろ。」

 忠堅の見解は常識的なもので、別に油断しているわけではなかったが、忠尭は黙って頭を振った。

 戦場では何が起こるか分からない。常に油断なく気を配る。これも常識だが、生真面目さに息が詰まる思いがする。

 忠堅は、こういう忠尭をからかわずにはいられない。

「兄さ、おい(俺)と物見にでっが(行こう)。」笑いながら言う。


 忠尭はぶんぶんと頭を振った。将が陣を離れるのは軍規違反である。ましてや、戦が始まろうとしているときに。

 無口な忠尭が、幼馴染に顔を真っ赤にして説教をしようとしたとき、勇壮な法螺貝の音が辺りに響き渡り、ときの声が上がる。


 「始まったな。」

 忠堅はわくわくした子供の様に陣幕を走り出た。

 その背中を忠尭は溜息で見送った。


(五)

 忠堅は馬で深江城近くの山の中腹へ登った。

 ここからなら、深江城が一望できる。本来なら、城攻めの本陣はこのあたりに置くべきだろう。しかし、比志島は本陣を大手門近くの深江河畔に置いた。戦全体に興味が無く、自軍の戦功のみ考えているからではないか。そんな疑問すら沸いてくる配置であった。


 戦は、大手門側も搦手側も島津軍の苦戦であった。大手門の前には、浅い川だが深江川が攻め寄せる島津軍の足を止め、深江川を渡っても、空堀が障害となる。空堀を超えても、鉄版を張った城門と、武者返しの備わった高い城壁が待つ。

 障害に足の止まった島津軍を、本丸と出丸からの矢の雨が襲い、先鋒吉利の兵はバタバタと倒れた。搦手も大手門同様な造りで、二重三重の障害物と二の丸と出丸からの矢の挟撃に、北郷や宮原の兵は門前にすらたどり着けない状況にあった。


 このまま攻め続けても死体の山を築くだけだ。忠堅は急いで山を下ると、比志島の本陣へと向かった。

 本陣では比志島国貞が、副将川田義朗と地図を前に腕組みしていた。

 二人とも、入ってきた忠堅を見て眉をひそめる。

 「川上どん、何ごっな?持ち場を離れてまで。」

 

 忠堅は息を整えると一気にまくしたてた。

「このままでは、いたづらに兵を損なうばかり、一度攻めを止め有馬様も含めて、きちんと策を練るべきでござる。」


 比志島は鼻先でふふんと笑い、

「川上忠堅ともあろう者が、怖気づいたが。」と言った。

「良いか、火の出るような我が軍の攻めに敵は疲れてきておる。もう少しじゃ。もう少しで、大手も搦手も開く。そうすれば、こんな小城落ちたも同様じゃ。」


忠堅は怒りを抑えながら、すうーと息を吸い込むと、出来るだけ言葉を選びながら述べた。

「さきほど、拙者が山から物見しましたところ、大手も搦手も内部に二つ目の門が備わり、そこに至る道は狭く、仮に大手搦手の二つの門を攻めとっても、本丸二の丸と二つの出丸からの良い標的となりに行くようなものでござる。

どうか、兵を引き作戦のご再考を。」


比志島は怒りを隠さず

「わしは主君義久様から全権を委ねられた大将である。持ち場を離れ、これ以上口を出すなら、川上家の嫡子といえど軍規に照らして処断すっぞ。」

忠堅を睨み怒鳴りつけた。


かっと熱いものがこみ上げてきた。 

兵がばたばた死んでいるのを確認もせず何を言うかと思った。

 もう我慢ならん、

思わず立ち上がった忠堅を後ろから羽交い絞めにする者がいる。

「兄さ。」振り返ると、新納忠尭が必死の面持ちで組み付いていた。

無言で首をぶんぶんと振る。

忠堅の力が抜け、二人は無言で一礼すると本陣を出た。


その日の戦は、島津軍の大敗、先鋒の吉利、北郷、宮原は兵の半数を失った。


 夜になって、本陣で軍議が行われた。

 軍議の冒頭、比志島は全軍に活を入れると称して、先鋒を務めた吉利らに対し、気合が足りない。相手に気迫が届いていないなどと罵倒した。

 気合で戦が勝てるなら、何の苦労もないではないかと忠堅は思った。無能の将程、精神論を言い立てるものだ。その気迫で、明日は比志島勢が先鋒を務めればよいのにとも思った。

 しかし、比志島は、吉利らに汚名返上の機会を与えると言い立て、吉利らも半ば比志島への意地もあって奮い立った。


 そのとき、のっそりと手が上がった。新納忠尭である。

 いっそ、その気迫で夜襲をかけないかという。

 まず、夜は敵の主戦力である弓の命中率が落ちる。

 更に敵は今日一日の攻防で疲れ切り、気力体力集中力ともに落ちているだろう。 わが方は幸い、有馬軍はじめ先鋒以外の戦力は保持されている。

 夜襲において決着がつく見込みは大きいとの提案だった。


 さすがの提案と思われたが、比志島はこの提案を一蹴した。

 ここは敵地、我らには未知の危険が大きく、周囲が見えぬ夜はさらにそれが増大するという。

「いや、敵の疲労が激しい今が潮時、ぐずぐずしては龍造寺が来てしまいもす。殿、今じゃっど。」

末座にいた、比志島家臣らしい大男が言った。

「控えよ!大蔵。貴様ごときが、ものを言える場所ではなかぞ!」

国貞が怒鳴りつけた。

「まったく、多少の武勲があり、義弘様のお気に入りであることを鼻にかけおって。下がれ!不快じゃ。」

大男、中馬大蔵は、一礼して下がった。


 国貞の説明、一理はあるが、新納の提案によって勝って、自分の手柄が減るのが嫌なだけだろうと忠堅は思った。

 それにて軍議は解散となったが、翌朝各陣に忠尭から急報がもたらされた。


 龍造寺軍来る。


(六)

 「間違いないんか。」早朝の軍議で誰もが疑っていた。

 「旗印は抱き杏葉、隆信の本軍に間違いござらん。」

 北方五里に迫っていると言う。


 「諫早氏が龍造寺の旗印を使っているのではなかか。」

 副将川田の問いを、有馬晴信が即座に否定した。

 「隆信は誇り高き龍造寺の紋を、他家に使わせたりはせぬ。」


「兵力は?」

 物見の報告によると三千弱であるらしい。

「思ったより、小勢じゃな。一族の誰かで隆信自身ではないのでは?」

 しかし、軍勢の中心に馬印が見えるという。


 晴信が議論に決着をつけた。

 「その様子、何よりこの速さ。隆信本隊に間違いござらん。

 おそらく四天王に隆信親衛隊を加えた二千五百から二千八百。

 厄介な敵でござる。」


 からからと豪傑ぶって比志島が笑う。

「これは大手柄の好機到来じゃ。

 野戦にこそ、我ら島津軍は本領を発揮できるというもの。

 ましてや、わし自身、龍造寺軍とは三年前に菊池川沿いの戦いでまみえ、十分に その実力を知っておる。

 確かに肥前兵は勇猛じゃが、錬度において我が島津兵の敵ではないわ。」


 「龍造寺軍は三年前とは違う軍ですぞ。」

 晴信が反論した。京都から流れてきた軍学者木下昌直を軍師に迎え、龍造寺軍は一変したという。

 一言でいうと「洗練」、無駄のない合理的な戦いをする軍に変貌した。


 水上戦では明国の竜船を導入した。

 陸上戦闘では、従来小隊単位で編成されている槍弓騎馬を大胆に編成し直した。 当初全軍で兵種ごとの小隊を作ろうとしたが、将の力量による運用が難しく、導入には至らなかった。

 唯一、四天王のみが新しい編成に順応し、

成松信勝率いる青龍騎馬隊、

百武堅兼率いる白虎抜刀隊、

円城寺信胤率いる朱雀長弓隊、

江里口信常率いる玄武長槍隊から成る四聖獣隊として各戦場で猛威を振るった。

各隊の戦術も、軍学者として全国を見聞した昌直が、他家の戦術を取り入れ改良したものである。

 例えば長槍隊は織田家の、騎馬隊は武田家、長弓隊は毛利、抜刀隊は柳生の戦術を参考とし、更に洗練させた。


 「三年で龍造寺が変わったなら、我ら島津もそれ以上に変わっておぃもす。心配ご無用。」

 比志島はにべもない。

「龍造寺が来っまで時間が無か。新たな陣割を決めもそ。」


これには忠堅も黙ってはいられなかった。

「薩摩を出るとき、歳久様から、龍造寺本隊が出てきたら戦わぬように言われたではございもはんか。」


比志島はとぼけて、「そうであったかの。」と応じた。


「何を言われる。みんな聞いておりもうそう。」

と諸将を見渡したが、忠尭が頷いた以外は皆押し黙っている。


 「わしは憶えておらぬがの。仮にそうじゃとしても、主君義久様の命ではあるまい。公子(きんご)様んご忠告ご注進ということであろう。」


 確かに義久は命じてはいないが、公子歳久は島津の軍師である。無視できる発言ではなかろう。

 反論しようとする忠堅を比志島の言葉が遮った。

「臆したか。川上忠堅ともあろうものが。」


 戦国を生きる武士にとって最大の嘲りの言葉である。こう言われてしまった以上、戦場で見返す他手段は無い。忠堅は黙らざるを得なかった。


 対龍造寺野戦の陣割が決まった。

深江城北方三里の街道沿いの開けた畑地に、鶴翼の陣を展開する。

中央先鋒には吉利、北郷、宮原の各勢、

その後方に比志島、川田の一族、

右備えは有馬軍、左備えは市来、平田、樺山勢で、

新納と川上勢は深江城の押さえとして陣から離れたところに配置された。

 比志島の意図は明らかで、武勇に優れた新納と川上に手柄を立てさせない配置であった。

 しかも、押さえの役割を果たすなら布陣する位置は随意という。

 そんな陣割は聞いたこともなかった。

 「勝手にせえてか。」忠堅はあきれた。


(七)

 「兄さ、陣を敷くのに、うってつけの場所がある。」

忠堅は忠尭を誘って、城攻めの際に物見した山の中腹に陣を張った。

ここなら城の動きも、味方の戦況も十分把握できる。


 陣を張り終えたくらいに、味方の陣の方で動きがあった。

予想よりずっと早く、龍造寺軍が到来したのだ。


 閑話休題

 諸説あるが、戦国当時の野戦の一般的な手順を説明すると、

 まずお互いに陣を敷き相手の出方をうかがう。

 奇策などが無い場合は、まず遠弓の応酬となり、

 その隙をついて、槍隊が進軍する。

 次に槍隊同志の戦いとなるが、槍は突き刺さず殴り合う道具とするのが一般的である。

 騎馬隊は奇襲や陽動に使われるが、

 欧州や中国と異なり、騎馬ごと突撃するのでなく、

兵員輸送の道具といったところで、目的地に着けば降りて戦うのが一般的である。

抜刀戦術は、本陣の守りや奇襲などに使われ、一般的には隊として編成されない。


 島津軍の戦術も有馬軍の戦術も、基本的なところは説明した範囲を出ない。

 しかし、来襲した龍造寺軍は違った。

 まず街道を疾駆してきた、藍色の甲冑で統一された青龍騎馬隊五百が、単独で中軍先鋒へ突っ込んできた。

 これは奇襲の一種で、桶狭間で織田軍がとったといわれるのと、基本は同じ戦術である。

 ただ、まず馬が違った。見たこともない大きな馬。明との交易で得た軍馬で、日本の馬より二回りも大きく、長い脚により速度も二倍近くありそうだ。

 遠弓の到達点より前に移動しているので、島津・有馬連合軍の矢が当たらない。何より大陸を軍用として生きてきた血筋、和馬よりも長い距離を走ることができ勇敢である。

通常、馬が怖がるので、騎馬の突撃には槍の牽制が有効なはずだが、青龍騎馬隊の馬は槍を恐れず突っ込んでくる。

 しかも、西洋の騎馬隊よろしく馬に鎖帷子を被せてあるので、簡単には槍が刺さらない。

 突撃の勢いも手伝って、連合軍の中軍先鋒部隊は、騎馬によって木の葉のようにはね散らかされた。


 「左翼と右翼で、押し包め。」

 比志島は必死に合図を送るが、騎馬の勢いは止められず、うまく包囲することができない。

 騎馬隊の先頭で、目にもとまらぬ速さで馬上槍を振るい、次々に敵を倒す細身長身の武者がいる。兜には竜の前立てをつけた整った細面に、気障に鼻下にだけ薄くひげを整えたこの武者が、青龍騎馬隊隊長、龍造寺四天王の一人成松信勝である。


 騎馬隊による混乱から、諸将が何とか軍を立て直しかけたとき、戦場の北方に忽然と緋一色の部隊が現れた。

 こちらに向かって、横一列に開き、長弓を引き絞っているが、常識的にとても届く距離ではない。

 弓の平均射程は四町だが、一番近い部隊でも六町(648m)程度離れているからだ。

 鳳の兜を被り面頬を着けた一際小柄な武将が、天に向かって上げた手を振り下ろして合図をした。中空に放たれた矢が、島津・有馬連合軍に降り注ぐ。

 恐ろしい強弓、これが音に聞こえた朱雀長弓隊、小柄な武将は四天王円城寺信胤である。


 降り注ぐ矢に大混乱となった連合軍に、騎馬の後を追うように走りこんできた白一色の部隊が突撃を開始した。

 兵は皆兜は付けず、鉢まきと胴をつけただけの軽装で、大刀一本を振り回して突撃していく。

 常に三人一組となり、一人づつ確実に敵を打ち取っていく。

 先頭に立つ武将のみが、単独で次々と敵を切り殺していく。

 くせのある長髪を振り乱し、顔中にひげを蓄え、獅子のような野性味あふれる姿。

 武芸百人に値す。

 龍造寺隆信が舌を巻いた強者、白虎抜刀隊を率いる百武堅兼である。


 最後に現れた黒一色の部隊は、雲つくような大男に率いられていた。

 長ら顔に筋骨隆々とした体躯、恐らく最後に残った四天王江里口信常であろうが、玄武長槍隊は静かに、敵と一定の距離で隊伍を整え動かない。


 しばらくして、その背後から、馬印が出現し、天幕を張ってゆるゆると陣を構築しだした。

 余裕であろうか、まるで花見にでも来たような風情である。

 その余裕は当然かもしれぬ。

 四天王三隊千五百の短時間の攻撃によって、七千の連合軍はずたずたに引き裂かれていたからだ。


 大将比志島国貞は、その状況を正確に理解していない。いやむしろ、理解したくないと言った方が正しい。

 彼にとって、唯一幸運だったのは、青龍騎馬隊を包囲しようと右翼と左翼を中央に引き寄せたことで、有馬軍と樺山勢などが、ほぼ全滅してしまった中央先鋒に代わって、中央を務める結果となり、陣形は鶴翼から縦深陣に変化して、偶々中央が厚くなり、中央後備の比志島軍、川田軍の被害は殆どないことだった。

 その幸運に気付いているのかいないのか、彼はじりじり後退する本陣の中で、先程から中空を見据えたまま「きばれ、粘れ、あと少しじゃ。」と繰り返すばかりであった。


 ただ有馬軍と樺山勢等の善戦もあって、連合軍はなかなか崩れない。

 龍造寺本陣はじりじりしたのか、四天王各隊に伝令を走らせ、玄武長槍隊が敵中央を目指して進撃を開始した。

 横に二十名ずつ並んだ重装兵は、お互いを鉄鎖で繋いで、通常の三間よりずっと長い槍を、一糸乱れず、一斉に突き引きしながら進んでいく。

通った後は刈り取られた田のような有り様で、連合軍の死体が散乱している。


 横で弟久智が呟く。

「これは兵などじゃなか。まるで…。」

言葉は続かない。機械のようとでも言いたかったのか。


 四天王の軍は、連合軍を押しまくり、山の上から見ると戦線が伸び切っているのが見て取れた。


 「兄上、一刻も早く援軍を出さんと。山を降りっど。」

 横で見ていた忠兄がせかし出し、久智もじりじりしているようだった。

 じっと何事か考えていた様子の忠堅は、ふぃに忠尭の陣へと走り出した。

 陣につくと、忠尭は出撃体制を整え終わったところだった。


 「兄さ。」

 叫ぶ忠堅に、忠尭は無言で頷き、軍配を手に取った。その手を忠堅が押さえる。


「待ちや、援軍に下っても戦況は変わらん。我らも全滅すっか、あんわからずやに退却の進言すっかどっちかじゃ。」

 ならどうする?まさかこのまま逃げるんか。

忠尭は、そう言わんばかりの顔で、忠堅を振り返った。


 「あるんじゃ、一発で戦況をひっくり返す秘策が。」

 自信ありげな忠堅に、寡黙な忠尭は思わず声を上げた。

「いい加減なことを言うな。どんな手があるんじゃ。」


 忠堅は、黙って大きな目で忠尭をじっと見つめると、にこりと笑って片目をつぶった。

 「おいどん(俺達)で、龍造寺に釣り野伏りをしかける。」


(八)

 野戦の本陣の場所の常道は以前述べた通り、

 理由は別だが比志島と同様に、龍造寺の本陣も常識外の場所に置かれている。

 本拠水之江へと続く肥前街道を右手にした平地、後ろを林、左手を丘陵に囲まれた位置。この場合、敵は前方のみとは言え油断といえば油断であった。


 本営の陣幕の中で、身の丈七尺を超え、でっぷりと太ったまるで力士の様な巨人が床几に腰かけている。

 秋だというに上半身裸で、禿上がった頭や、全身から止めどなく噴き出す汗を小姓に拭わせている。

 隣に座るのは初老の小男で、顔中の細かい傷跡は歴戦を物語るものか。筆を右手に杖を左手に、布陣図と思しき紙を広げ、しきりに何事か書き込んでいる。


 「我が軍は、なかなかいい感じに仕上がってきたではないか。」

 巨人が初老の男に話しかける。


 「まだまだ、あの毛利と渡り合うには、今少し各隊の連携を深める必要がありますのや。それに。」

 巨人を見上げて言う。

 「この陣立ての弱点である本隊の錬度がまだまだでおま。」


 言うまでもなく、巨人は肥前太守龍造寺隆信、

 初老の男はその軍師木下昌直である。

 この恐るべき軍において、昌直の唯一の懸念は精鋭と喧伝しているこの本隊である。

 構成は素質ある若者から成る親衛隊二百と工兵三百であり、

工兵をこれほど従軍さすのは、最先端を行く織田家に倣ったものである。

 親衛隊の潜在力はあるのだが、若者たちには経験が足りない。

 経験を積ませようと従軍させても、四天王の軍が強すぎてほぼ実戦経験を積まぬまま今日に到ってしまった。

 何とかせねば、これが現在の昌直の一番の悩みである。


 「それにしても。」

 隆信が言う。

 「我が四天王相手に、敵もよくやっておるではないか。」


 開戦から四半刻が経とうとしているが、押しまくっている四天王は今だ敵を崩すに至っていない。

 有馬勢はここで敗れれば後が無いので必死であるし、小勢で無名の将が率いるとは言え、島津兵はやはり強いということだろう。


「山本重信に率いさせて本隊を加えまひょか。」

 山本重信は親衛隊長、四天王に次ぐ歴戦の勇士で、若者たちの教育係でもある。この際、若者たちに経験を積ませるか。この昌直の提案を隆信は却下した。

「今日は四天王だけでやらせてみぃ。」

 それは龍造寺軍最強をうたわれ乍ら、目前の敵を圧倒しきれない四天王への、隆信のいらつきであったかもしれない。


 その頃、川上軍と新納軍は、山伝いに移動し、龍造寺本陣の左手丘陵地帯まで忍んできていた。

 新納軍はそのままひっそりと山を下り、本陣背後の林に潜んで合図を待つ。

 川上軍は忠堅、忠兄、久智率いる三隊に分かれた。


 釣り野伏りとは、島津家伝統の戦法、伏兵戦術の一種であり、誘い出した敵を伏兵で奇襲するのであるが、島津独特の様々なバリエーションがある。

 そのひとつは、包囲戦術の併用、奇襲は敵を浮足立させるものだが、これに包囲が加わると効果は倍増する。

 また包囲に奇襲を加えることで、寡勢でも包囲戦術の効果を上げることが可能となる。

 伏兵戦術には事前の細かい打ち合わせが不可欠だが、釣り野伏りは、戦況を見て事後的に行うことも可能である。

 もちろん、これを行うためには、正確な戦況判断と熟練した技術が必要だが、島津家有数の軍である川上軍と新納軍は、十分にその技術を備えていた。


 戦端は、山上からの久智隊の遠矢で開かれた。

 弓の名手である久智が率いる二十名の放つ矢は、本陣周りで警護する親衛隊の武者を次々と射抜き、非戦闘員である工兵のみならず、経験の浅い若武者たちを激しく混乱させた。

 上を下への大騒ぎとなった本陣に、後ろの林から新納軍百名、更に左手から崖を駆け下りて忠堅、忠兄率いる川上軍八十名が突入する。


 「本陣を守れ、島津を近づけるな。」

 山本重信が、槍を振るいながら叫ぶ。

 さすがにその声に、数人の若武者たちが槍を持って本陣の周りに集まり出した。


そのとき、本陣の中から突然、ぐぁーんと銅鑼による大音量がし、周囲に響き渡った。

銅鑼による合図は木下昌直によるものだが、その音は戦況全体に大きな変化をもたらした。


 本陣への奇襲は成功した。

 工兵三百はほぼ逃げ散り、親衛隊の半数は討ち取られたが、山本重信率いる百名は、本陣周りを固め、なお頑強に抵抗している。

「もうじき四天王の軍が引き返してくる。それまでの辛抱ぞ。」

 重信は血まみれの槍を振り回しながら、声の限りに叫び続けている。

 その重信の前に、大刀を手にした忠兄が現れた。

 忠兄も、勿論川上三兄弟の名に恥じぬ強者である。

 特に刀を使った戦いでは、兄忠堅も一歩及ばない達人である。

 重信も油断なく槍を構え、お互いにじりじり回り込みながら、両者はばちばちと睨み合った。

 重信から目を離さぬまま、忠兄が叫ぶ。

 「兄者、今ぞ。」


 忠堅は暴風のように、周囲の武者を槍で跳ね飛ばし、陣幕の中へ躍り込んだ。

「痴れもんが、控えおろう。」

 木下昌直が隆信との間に立ち塞がる。

 隆信は未だ半裸、床几に腰かけたまま、太刀を抜いた小姓に守られている。

 川上忠堅を目にして、興味を惹かれた様子でニヤと笑って語り掛けた。

 「何者ぞ。名を名乗れ。」


 「島津家臣、川上忠堅。」

 槍を隆信に向けたままで叫んだ。


  隆信は、槍を手にのっそりと立ち上がった。

 果たして、これは人か。

 忠堅も長身だが、二回り以上大きい。

 肥前の熊とは、獰猛な戦いぶりばかりでなく、その巨大な体躯からも言うのか。


「丁度退屈しておったところじゃ。相手してやろう。」

 そう言うと、小さく見える槍を片手で持ち忠堅に向ける。


「殿!」

 木下昌直の悲鳴に似た叱責の声も聞こえぬ風情で、ずいと二人の小姓をかき分け忠堅の前に立った。

 それにしてもでかい。古寺の山門の仁王並みだ。

 それに、この圧力。知らずと脂汗がしみだしてくる。


「来んのか。ならばこちらから行くぞ。」

 身構えたまま動けぬ忠堅に、興を殺がれたように溜息をつくと、隆信は片手で槍をぶんと振った。

 弾かれた球のように、忠堅の身体が陣幕を突き破って外に出る。

 

「忠堅!」

 忠尭の声が聞こえたかどうか。衝撃で、全身の骨がばらばらになったかのように痛み、息ができない。

 頭もぐぁんぐぁんとし、目の焦点が定まらない。転げまわって漸く息ができるようになった忠堅の前に、のっそりと陣幕から出た隆信が立っている。

 「島津の将よ。もう終わりか。」

ぎりぎりと唇から血が出るほど歯噛みして、忠堅は立ち上がって言った。

 「聞こえなんだか。わしん名は、川上忠堅じゃ!」


 その頃、本陣危うしの銅鑼の音を聞いた四天王は、各々何とか前線から戻ろうとしていたが、銅鑼の意味は分からぬものの、必死に戦う連合軍を引き離せず苦慮していた。

 と突然、島津本陣から法螺貝の音が響き渡り、島津勢がじりじりと引き始めた。 押しまくられていた比志島は、本陣の中で状況も確認せぬまま銅鑼の音を龍造寺側の新手投入と判断したのだ。

 同盟軍の退却によって、有馬軍も退却を始めた。


 この敵の判断によって、四天王の軍は一気に踵を返し、本陣へと向かった。


 隆信と忠堅の戦いは熾烈を極めた。

 隆信の槍は技なく力任せだが、その力が半端ない。

 まともに受けては立っていることすら困難なほどだ。

 ぶんと振られる槍をぎりぎりでかわし、裂帛の気合で自らの槍を突き出す。

 それを隆信は野生の動きでかわす。短時間で、お互い肩で息をするくらいの集中した攻防が続いた。


 忠尭が叫ぶ。

 「味方が引き出した。四天王が戻ってくっぞ。」

 忠堅も百も承知だが、前の敵から目を離せない。

 この敵さえ倒せば、おいどん(俺達)の勝利なのだ。

「忠堅!」

 忠尭の声が大きく鋭くなる。兄さ、分かっておいどん、ここは引くわけにはいかん。

 突然、後ろからごっと旋風のようなものが吹き付け、

 背中にどんと何かが当たってきた。

 思わず後ろを振り返ると、忠尭が背中合わせに立っている。

 その前に、騎馬武者が見える。

 もう着いたのか。なんという速さ。

 背中に濡れたものが滴る。よく知った感触、鉄のような臭い。

 忠尭が力なく膝をつく。


 「兄さ!」

 忠堅の背に伸ばされた成松信勝の槍に、立ち塞がり刺し貫かれたのは

 新納忠尭だった。満身の力で槍を握りしめ、信勝が引き抜こうとするを

 防いでいる。


 「兄さ!」

 呆けたように繰り返す忠堅に、振り絞るように「引け!」と叫ぶ。


 そこに敵の馬を奪った忠兄、久智の兄弟が駆け付けた。

 呆然と立ち尽くす兄を無理やり馬に乗せる。

 もう一度「兄さ。」と叫ぶ忠堅に、

 忠尭は、もう叫ぶ力もないのか手でいけと合図を送る。

 もがいて降りようとする兄を押さえつけ乍ら、忠兄、久智の兄弟は

 猛然と馬を駆った。

 剣豪忠兄は馬上で刀を振るい敵を切り倒し、弓の名手久智は馬上から敵を射倒しながら戦場を離脱した。

 川上勢も戦いながら後に続く。

 主が残された新納勢は、

 いけと手を振る忠尭の気持を受け、一部を殿に残し離脱した。

 見届けた忠尭はにこりと笑うと槍を握りしめたまま動かなくなった。

 殿の新納勢は、最後の一人まで死力を尽くして戦い散った。


 四天王が隆信の周りに集結した。

 「殿、大丈夫でござるか。」

 筆頭の江里口信常が尋ねる。

 隆信はにやりと笑った。

 「最近、身体がなまっておったからの。いい暇つぶしになったわ。」 

 「敵にも弓の名手がいたようじゃ。」

 賢兼の問いかけに、信胤は無言で頷いた。

 「刀もじゃ。」信勝の言いように、賢兼は首を竦めてみせた。

 

 木下昌直が平伏して詫びた。

 「あそこで奇襲されるとは、油断でござりました。」


 「良い、島津の底力を見たわ。それにしても。」

 隆信は遠い目をした。

 「面白き男じゃった。」


 肥前深江城の戦いは、対龍造寺戦において島津軍の初の敗北、

 それも大敗に終わった。

 疾走する馬の背で、忠堅は龍造寺隆信へのたぎる思いを噛み締めた。


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