肥前の熊に薩摩の狐

宮内露風

第1話 球磨川の戦い

(一)

 朝靄の中、流れる水が冷たい。旧暦3月で桜も散ったというのに。薄暗い墨絵の世界を、10艘ほどの小船が対岸を目指して静かに進んでいた。1艘の上には、それぞれ甲冑に身を包んだ5,6名の武者がひしめき合っており、皆窮屈そうに太刀のみを抱えて座り込んでいる。甲冑の重みで船は沈むか沈まないかぎりぎりの浮力を保って進んでおり、さざ波でも転覆しそうなほどだ。ふぃに、付近を飛んでいた水鳥が「ギィ」と鳴いた。それだけで船は揺らぎ、乗っている武者ばらが色めきたった。

 「静かにせんか!」先頭の小船の上に仁王立ちになっている大男が、小さいが迫力のある声で叱責した。途端に船の揺れが収まる。大男は揺れていた船をギロリと一瞥すると、対岸へと目を凝らした。突堤の上は、静かで人っ子一人見当たらない。奇襲のための渡河は何とか成功しそうだが、上陸してから敵陣へと忍ぶのも一苦労である。しかし、生来自信家である六尺あまりの大男は、何の不安も抱いていなかった。14歳で初陣を飾って以来、挙げた首級は百を軽く超える。無数の生傷跡はその勲章である。ぎょろりとした丸い大きい目玉に獅子鼻は、見ようによっては愛嬌があるように見える。への字に結んだ口、角ばった顎は意志の強さを思い起こさせる。近隣には剛力無双で知られる、この男の名は川上忠堅、大隅守護島津義弘の家老である川上忠智の嫡子であり、いずれも強者と言われる、川上三兄弟の長男にして、兄弟最強の男である。


 対岸の敵は龍造寺軍2万である。大将は当主隆信の弟長信で、北肥後の地侍が中心となった編成で、八代に陣を構えている。島津軍は1万8千で、ほぼ同数の兵力、島津四兄弟ほか伊集院忠棟、新納忠元、山田有信など主だった将が殆ど参加し、日奈久に布陣している。

 肥後の支配を進めるべく、南肥後に進出した島津家は仇敵相良義陽を降し、人吉、水俣、佐敷など南肥後の大半を領土に加え、更に八代へと侵攻しようとしていた。

 一方龍造寺家は、肥前の支配を確実にするや、九州探題大友家の衰退もあって、筑前、筑後、肥後へと、一気に侵攻を開始した。それは、永年の同盟者である蒲池家当主鎮漣を騙し討ちし、逆らう地侍は皆殺しにするなど、手段を選ばぬ凄まじいもので、周辺の勢力を、ある者は畏怖させ、ある者は反発させた。その凄まじい侵攻の結果、龍造寺軍の兵力は、今や8万に及ぶほどになっていた。


 龍造寺の侵攻の凄まじさは、島津の肥後計略へも影響を与えた。

 龍造寺隆信が、肥後諸大名を傘下に収める前に、南肥後の支配を確実にし、出来るだけ北へと勢力を伸ばさねばならない。

 そういった当主義久の気持ちが、島津家ほぼ全兵力を動員しての肥後大侵攻となったのだ。

 八代古麓城を狙った島津軍の動きに対し、龍造寺隆信の動きは素早かった。柳川城に配置した末弟、龍造寺長信を大将とした筑後軍8千を八代に急行させ、その軍は、南肥後の隘路に難渋する島津軍より先に、古麓城に到達した。その頃には、龍造寺軍は、肥後の兵を吸収し2万になっていた。


 兵力が膨れ上がったのは、龍造寺家の勢いもあるが、長信の内外への人望も大きい。長信は冷酷非道な兄と違い、温厚篤実な性格で、龍造寺家にとって、優秀な内政家兼外交官であり、戦の面では兄の影に隠れているものの手堅い戦いぶりで、決して凡将ではない。

 それは、八代についてからの、長信の戦いぶりが証明している。まず、球磨川対岸の漁師の所有するもの含め全ての船を撤収させ、更に全ての橋を落とした。これによって、島津軍は直ちに大河を渡る手段を失った。その上で、球磨川の中之島である麦島に砦を築き、1千の兵を常駐させた。

 現段階で1万8千もの島津軍が、急流大河である球磨川を渡ろうとする場合、麦島を経由するのが、最も効率的で現実的な方法であるからだった。中州にある麦島は、かろうじて対岸から筏橋を渡すことが可能な距離にある。


 島津軍の当面の作戦は、この麦島砦を攻略することに尽きる。周辺の日奈久や佐敷から船を回し、筏を組んで何とかこの砦を攻略しようとしたが、砦を守る龍造寺家の老将鹿江兼明は、陸からの弓矢攻撃や、筏めがけて油玉を放り火矢を放つなどして、水際で島津軍を撃退し続け戦線は膠着した。


 策を練る首脳陣に、精鋭ばかりの百名での砦への朝駆けを懇願したのが、若き猛将として家中に名高い忠堅だった。

 麦島砦は、急作りであるばかりでなく、間断なく攻め寄せる島津軍に対応するため、未だ単に平地に柵を構えた程度のものに止まり、空堀すら無いものだった。

 奇襲が成功し、半刻でも龍造寺軍を混乱せしめれば、少なくとも三千の島津軍が麦島へ渡河でき、中州の支配権を確保できる。麦島から八代へ流れる球磨川支流前川は、本流とは比べ物にならぬくらい穏やかであり、中州さえ確保できれば、例え敵方2万が総力を持って妨害しても、筏橋と揚陸船の連携によって、対岸に上陸し野戦に持ち込むことは容易との分析は、島津軍のみならず、龍造寺軍も行っていた。


 ところで、そのような重要拠点であるものの、敵は夜襲などに備えているようには見えなかった。その理由は球磨川の地勢がゆえと推察された。

 急流に加え、岩礁が多く、深浅が複雑で、慣れている漁師でも座礁しやすいため、夜は決して漁をしない。このような状況で、船によって夜襲することは自殺行為である。水練の達人でも、甲冑刀槍を携えて渡河することは不可能に近く。夜襲は無いとの観測は合理的だった。

 

 忠堅は数度の物見によって、龍造寺軍に夜襲への備えが無いことを確認し、球磨川に詳しい漁師の案内を強引に得て、経験則上、最も夜襲の成功確率が高いとされる早朝の奇襲を提案したのだった。10艘の小船に、各部隊から選ばれた精鋭の若武者たちが、少しでも装備を軽くするため太刀のみを帯びて乗り込んだ。軍を率いる忠堅は、年は若いが何度も奇襲を成功させた経験を持つ。何度も失敗している麦島攻めだが、この男ならもしやと思い、大将義久も奇襲を許可した。


(二)

 船が、葦に覆われた岸辺に向かう。砦のあたりは、遠目にチラチラとかがり火は見えるものの、ひそとして動きが無い。もうしばらくで岸に着く。はやる気持ちを抑えながら、忠堅が太刀をぎゅっと握り締めた途端、

ぐわーん 

 と、辺りに割れんばかりの銅鑼の音が鳴り響いた。

 葦の間から、細く両端の反り返った、見たことの無い不思議な形の小船が滑り出た。竜船という明国の速舟だが、忠堅は知る由も無い。全部で30艘ほどだろうか。蟻が巣から湧き出るように、葦の間から次々に姿を現した。

 前後に漕ぎ手がおり、それぞれ3~4人の弓を携えた武者が、急流の揺れにうまくバランスを保ちながら立っている舟が、一斉に篝火を点すと、3艘づつ列を成して、6間ほどの距離に、立ち塞がるように舟腹をこちらへ向け停止した。わが軍へ、弓の集中攻撃を狙っているのは明らかだった。定石どおりなら、こちらも弓で応戦したいところだが、奇襲の人員を出来るだけ多くするため、太刀以外の武器は備えていない。

「ちっ。」

 忠堅は一つ舌打ちすると、手で全舟に嚆矢の陣形をとるよう合図した。


 多勢に無勢、武装的にも不利、こんな鈍重な舟で、踵を返して逃げれば、弓の雨の中全滅を免れぬ。盾さえ備えぬなか、全速力で弓の攻撃をかいくぐり、接近戦に持ち込むしか勝機は無い。


 突撃の気配を見て、竜船上の鹿江兼明は溜息をついた。

「猪武者め。命を粗末にすっばいな。」

老将ならではの感慨だったのかもしれない。

ただ、歴戦の強者の判断は早く、的確だった。

 「先頭の船、舳先で指揮する、あそこん大男を狙え!」


 突撃しようとする敵の頭を叩く、まず指揮官を潰す。戦術の常道である。

竜船上の武者達は、一斉に矢を放った。矢は放物線を描いて収束していく。

全ての矢尻の目標は、先頭の船に仁王立ちする忠堅、激流の船上から放たれたにも関わらず、全ての矢が正確に向かう。何という手練の射手達か。


 向かってくる矢の群れに思わず怯む武者ばらに、忠堅は叫んだ。

「手を止むんな!漕げ漕げ!」

そう言いながら立ち上がって、短槍を胸の辺りに水平に構え、目の前でぐるぐると回した。まるで風車のように。

 ばらばらと弾かれる矢の群れ。後ろで歓声が上がる。忠堅は槍を回しながら、丸い目をむき、高笑いすると敵に向かって叫んだ。

 「見ぃ!肥前のへろへろ弓など当たっもんか。」

後ろの武者ばらも、応と歓声を上げ、舟の速度はますます速くなる。


 鹿江兼明も、不敵な笑顔で返した。手ごたえのある相手との戦いは、戦場における数少ない楽しみのひとつである。

 「面白し!よき相手じゃ、名も知らん強者よ。」

そういうと、両手を交互にさっさっと動かす。

 竜舟は左右に別れ、輪を作り、漕ぎ寄せる島津軍の舟を包囲にかかった。

 島津軍の舟が進めば、同じ速度で輪も動く。単に円を作っているのでなく、左右から回り込む部隊は、円を描く動きを止めないまま、交差しながら舟を動かしている。しかも射手は、身じろぎもせずに立ったままで、島津軍に向けて弓を絞っている。ここが激流の中と言うことを考えると、かなり高度な操船技術だ。


 額に脂汗が浮かぶ。歯が折れんかのように、ギリギリ歯噛みしながら、忠堅は散開の合図を出した。

 先手先手を取られた戦いはまずいが、今はこれしか手段が無い。個々人の武力を頼るのみだ。

 「別々の舟を狙って突っ込め!ここが命ん賭けどきぞ。必死ぃなっち、舟を漕げ!!」そういうと、自分の舟には、正面の鹿江の舟を目指すよう指示する。島津軍の各舟は散開し、全速力で輪の外側へ向かって向かった。


 「山猿め、こちらの手の内じゃ。」

 鹿江は、懐から軍配をだして合図を送る。あっという間に、一つの大きな輪が十に分散した。龍造寺の各竜舟は三艘づつ一組となって、島津軍の各舟を取り囲んで回り始めた。


 鹿江は空に向かって軍配を突き上げ、しわがれた大声で「射!」と言いながら勢いよく振り下ろした。無数の弓が、小円の中心へ放たれ、島津の精兵たちは、矢に貫かれ、ばたばたと倒れ球磨川へ落ちていった。


(三)

 気がつけば、早朝の静寂の中、矢を防ぎ切った忠堅一人が、漕ぎ手を失った船の上に、短槍を持ったままあ仁王立ちしている。龍舟はゆっくりと、忠堅への包囲の幅を縮めながら、十の輪をひとつに戻し始めた。


 鹿江は、手練れが案外若年であったことに少々驚きの表情を見せ、同時にこのまま殺してしまうのが惜しくなった。弓武者どもの狙いはつけさせたまま、忠堅の周囲を旋回する船の上から呼びかけた。「強き若者よ。十分な戦いぶりじゃ。わが主龍造寺隆信様は、お主の様な強き武者を求めてござる。悪きようにせぬ故、おとなしく降伏せよ。」


 忠堅はうつむいて少し考えている様子にも見える。その肩が小刻みに震えている。おもむろに顔を上げた忠堅は、天を向いて高らかに嗤い始めた。

隆信じゃと。

禿上がった赤ら顔が浮かんだ。湧き上がる怒りに、どうかなりそうだった。


 万事窮すとみて諦めたか?それとも気でもふれたか。指揮官として、このような大失敗をした以上、生きて味方の陣へ帰っても、厳しい処分は免れまい。合理的に考えれば、投降が最良の手段とも思える。

但し肥前の士道には悖るが。わしなら、

そう考えた鹿江の口の端に笑みが浮かぶ。投降などするはずが無い。自分がせぬことを求めるとは、わしも老いたか。


 若武者は、獣のように咆哮した。

「こん川上忠堅も、なめられたもんじゃ。」

ぎりぎりと歯を食いしばると、槍を振りかぶり、膝を思い切り屈め、鹿江の船に向かい跳躍した。思わぬ反撃に慌てて矢が放たれる。輪が乱れ、鹿江の船は輪の外へ後退する。数本の矢が胸や背を貫くが、忠堅はものともせず、滑空を続ける。あと少し、かろうじて鹿江の船は、忠堅の到達から逃れた。


 「しやっ。」悔しそうな叫びを残し、振りかぶった槍を、鹿江めがけて投げつけると、忠堅は球磨川の急流に沈んでいった。槍は鹿江の頬を掠め、ぶんと唸りを残して葦林へ消えた。忠堅の消えた当たりをめがけ、数本の矢が射こまれる。

 「やめぃ!矢を無駄にすな。」周囲に鹿江の怒声が響く。「矢は当たった。そうでなくとん、鎧を着たままこん激流じゃ。十中八九生きてはおらんぞ。」



(四)

 息が苦しい。こんなことなら、きちんと水練するんじゃった。消えかかる意識の中、忠堅は何とか重い甲冑を脱ぎ捨てようとしたが、濡れた紐の結び目は、きつく締まって解けない。川上忠堅こいまでか。情けんなか。残された力で、せめて舌を噛み切ろうとしたとき、水底から迫る影に気付いた。人間離れした速さで、激流を清流の如くスイスイと泳ぐその生物には四肢がある。


 人か?近づいてくるその目は、紅い光を放っているように見えた。尻尾のようなものも確認できる。「河童(がらっぱ)か。」薄れゆく意識の中、忠堅は不思議な安らぎに満たされていった。

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