第14話 武士(さむらい)という生き物

(一)

 家久の陣には次々に戦勝報告がもたらされ、敵将の首が届けられた。

陣の一番奥に家久が座り、隣に嫡子豊久、その隣に軍監鎌田政近が座り、報告に目を通したり、しきりに軍功帳に書き入れたりしている。

 家久達の前には、共に得意気な伊集院忠棟、川上忠智が座っている。そのすぐ後ろに新納忠元、山田有信ら諸将が居並ぶ。

 一番手柄は、本来龍造寺隆信を討ち取った川上忠堅であろうが、忠堅は傷の治療を理由として、本陣にまだ姿を現していない。ただ忠堅には、場定めを破った軍規違反があり、手柄が大分割り引かれるだろうと予想された。それでも川上勢は忠兄が鍋島直茂の実弟を討ち取る功績もあり、最後の包囲殲滅でも活躍している。全体として一番手柄候補は間違いない。

 一番手柄の次の有力候補は、伊集院勢だろう。四天王百武堅兼を討ち取り、白虎抜刀隊を壊滅させただけでなく。戦車隊が通り抜けた後、先方衆を相手に踏ん張り、ついに隆信本隊と合流させなかった。

 隆信が死んで、撤退した先方衆の武将は討ち漏らしたものの、功績に傷をつけるものではない。

 同じく四天王成松信勝を討ち取った新納勢は、伊集院勢との相対比較の結果、二番か三番手柄に留まる。忠元は息子の仇が討てて本望そうだったが。

 弓の攻撃で朱雀長弓隊を壊滅寸前に追い込んだ山田勢も、伊集院勢の功績には及ばない。日頃人前では見せない忠棟の、にかにかと機嫌のいい原因が、ここにあった。

 一大将に過ぎない家久には、戦の論功の決定権はない。当主義久への報告権限と義務があるだけだ。ただ、報告には、家久が大将として各武将の働きの評価を付さねばならず、公平に評価しなければ、後日の紛争の種となった。論考評価が謀反にまで発展するのは珍しいことではない。

  一所懸命の言葉が示す通り、武士はやはり功績を目指す生き物であるらしい。功績を上げるため必死で戦う。戦勝の際の評価は、武士にとって戦同様に大事なものであった。家久としては、自然慎重にならざるを得ないが、こういった気遣いと無縁で生きているこの男にとっては頭の痛い問題だった。


(二)

 光あるところには影がある。

 華々しい手柄を上げる者がいる一方で、陰に回り戦を支える者たちがいる。

 水軍を率いる梅北国兼の活躍や、押川強兵衛、山蜘蛛たちの働きは表立って取り上げられることはない。しかし、この者たちの働きがなければ、戦の勝利はない。

 ただ、戦国時代の評価制度は相変わらず大将首中心である。島津家もこの古い体質から抜けきっていない。よって、どれほど活躍しても、大将首を上げなければ、功績評価はほとんどされない。織田信長の優れた点のひとつは、この古めかしい評価制度を見直し、桶狭間において、義元の首を取った毛利新介らではなく、諜報方を担った梁田政綱を最も評価したように、戦全体への功績を量った点にある。

 いつの時代も、世の中はこういった影の活躍で支えられているといっても過言ではないだろう。歴史の闇に葬り去られた者たち、その存在は無意味ではない。

 武田信玄や上杉謙信、信長、家康、秀吉、伊達政宗、真田幸村、才能あふれるキラキラした存在たちだが、この者たちのみで時代は作られない。いろんな人間が、いろんな生き方をして時代を作っていくのだ。

 影で生き、現代の視線で見れば正当な評価を受けていない者が不満ばかりだったわけではないだろう。人間の価値観は様々だからだ。忠賢は、ただ強き相手と戦うために。老忍山蜘蛛は、主人の夢を達成させるために。押川強兵衛は、忠実に主人の命を果たすためだけに。歳久や国兼らは、[戦のない世の中を作る]という己の理想達成に向けて。


(三)

 戦である以上、勝者がいれば敗者が必ず存在する。これも人生と同じ、ただ戦の敗者には悲惨な運命が待っている。命を失うこともしばしば、そこまで行かずとも領地を失うこともある。

 領土が削られ失われることは、生活基盤を縮小し失うこと。領主ばかりでなく、家臣の問題でもある。会社の清算や倒産のようなものである。戦に負けた側は、人員構成などを見直し、俸禄の再配分を行い、場合によっては家臣を解雇し、お家の再生を図っていかねばならない。龍造寺家には、今後、この大変な作業が待っている。


 隆信の死を知った浜手勢である二人の息子、江上種家、後藤家信は、当主である兄政家の指示も仰がず勝手に撤退した。

 古麓城の叔父長信も同様である。政家に聞かず、勝手に兵をまとめ、柳川へと引き上げた。身内は、そうであるからこそ、あざといばかりで実行力に乏しい政家の本質を知っていたからだ。故に、家督を譲られてからも、龍造寺家の実質的当主は隆信であり続けた。その隆信が死んだ以上、体制を刷新しなければ、島津の圧迫がなくとも、龍造寺家は滅びの道を行くしかない。


 当主政家は、この現状をどう思っていたか、腹を立て、勝手な行動をした者たちを処罰粛清するなら、まだましである。小狡いだけのこの男は、おろおろとするばかりで、いつまでも事態の収拾に動かなかった。撤退の判断もいつまでもしない。かといって、島津相手に、龍造寺勢鍋島勢からなる一万の兵で、報復戦を仕掛ける気もない。

「殿、ここは水之江城へ、ひとまず撤退を。」

 従兄の鍋島直茂が言うまで、完全に思考停止し、本陣をうろうろ歩き回るだけだった。

 本陣から鍋島陣中へ戻る際、鍋島軍の与力を解任されないので、成り行き上ついてきた昌直に、直茂は意味ありげに言った。

「昌直、伯父上からいろいろ言われているとは思うが、今後とも鍋島家のために力を貸してくれ。」

 ははと畏まってから、おやと昌直は直茂の言葉を反芻した。


 鍋島家のために、龍造寺家ではなく。

 伯父上からいろいろ言われているとは、どういう意味や。

 このお人は、

 わてが亡くなった隆信様から指示されたことを、どこまで知っているのや。


 背中越しに、油断のならない直茂の顔を浮かべて、べったりと冷汗が流れた。

 背中から、その感情は読み取れない。

 いずれにせよ、昌直は、自分自身の今後の身の振り方を考えねばならない。

 龍造寺家がどうなるにせよ、この家に留まる以上、取りあえず直茂に付くのが一番安全に思えた。


 しかし、この負けや。

 昌直は思った。

 これほど見事にやられたのは、はじめてや。

戦車隊単独で動くことはならんと、あれだけ言うたのに。

四天王が次々に死んで、混乱されたんか。

殿、なんで焦らはったんか。

四天王がおらんでも、じっくり構えれば、負けるはずは無かったに。

これも、敵の策ちゅうことかいな。

 島津歳久、思った以上の知恵者と言うことか。


 歩き出して、ふと考えた。

 わての相手すべきは、歳久やったんやろか。

 もしかして、わては、対局している相手を間違えていたんと違うか。


 一瞬悩んだが、思い直した。

 考えても仕方ない。負けは負け。

 次の一手や。それが大事。

「殿、待っておくんなはれ!」

 昌直は杖をつきながら、前を行く直茂を追いかけた。


 沖田畷の戦後、龍造寺家の威信は地に落ちた。肥前肥後筑後の国衆は次々と離反し、戦線を維持できない政家は島津家に降伏した。

 直茂はじわじわと龍造寺本家への支配を強め、江戸時代になると、ついに鍋島家は、龍造寺本家にとって代わる存在になる。

 軍師木下昌直の名は、沖田畷の戦い以降は、史書に登場しなくなる。木下昌直が鍋島直茂の下、どのような役回りを演じたにせよ、鍋島家にあっては、表舞台に出ることなく一生を終えたのは確かである。


(四)

 川上忠堅は、畷の中ほどに座り、ぼーつと沼を見つめていた。兵によって敵も味方も、亡骸は片づけられ埋葬された。残された兵器などもである。沼の中に、何事もなかったかのように小蟹や泥鰌などが遊ぶ。沖田畷あたりは、まるで大戦があったとは思えぬほどの静寂に包まれていた。


 後ろを、何人か兵が通り過ぎてゆく。皆、戦の緊張から解き放たれ、女の話や、家族の話、いろいろ与太話をしながら楽しそうにしている。


 今頃は、本陣で首実検が行われている筈、論功を決める重要な行事だが、忠堅には全く興味が無い。戦後のひとときの徒然を、何も考えずに過ごす。ある意味、忠堅の楽しみの一つと言ってもよい時間を、自分なりに楽しんでいた。


 また一人の兵が過ぎた。恰好からして赤星勢か。随分大きな男だ。小さめの甲冑を窮屈そうに着ている。

 たったひとり、元は旗らしい真っ白な布で包んだ丸いものを、大事そうに運んでいる。


 大将首だな。


 直感で分かった。落ち武者でも狩ったか、本陣に届け、論功に預かろうというのだろう。ご苦労なことだ。

 また、徒然を楽しもうとした忠堅だが、少し引っかかりがあった。


あん男、どっかで見たような気がすつ。


しかし、疲労からか、頭がぼうとして、思い出すことができなかった。

そのときは、それが大切なこととは思えなかった。


まぁ、よかろう。そのうち思い出すじゃろう。

忠堅は再び沼を見つめだした。


(五)

 信常は一世一代の大芝居をするに当たって、必死に、元来素朴で不器用な自分に、考えた科白を、歩きながら何度もぶつぶつと言い聞かせていた。


 赤星家臣小島次郎兵衛、

 龍造寺四天王にして隆信の一子、円城寺信胤を討ち取り申した。

 信胤がそっ首を、大将島津家久様にご覧じいただくため、参上つかまつり候。


 畷の入り口に、たまたま赤星勢の遺体が横たわっており、持ち物に剣術の印可状があったことから知れた名だ。小島の甲冑は、巨大な信常には小さかったが、いくらでも言い訳はできる。当時は先祖伝来の甲冑が主流で、誂えたものを着れるのはほんの一握りだったからだ。

 甲冑の件はともかくとして、本陣に赤星統家がいた場合は、誤魔化せぬであろう。どこまで気づかれずに、敵大将島津家久に近づけるかが、勝負の分かれ目だった。

 命など、とうに捨てている。

 せめて一太刀でも浴びせ、あわよくば家久を討ち取る。その後は……。


 信常は少し笑った。白い包みをぎゅっと握る。

 その後などない。おのが役目を果たせば、隆信と信胤が待つあの世とやらに行くだけだ。

 こうして、刺客の役割をするとは、意気地がなかったかっての自分には、考えられなかったことだ。

 図体ばかりで、弱かった自分が、信胤を守るため必死に修業した。

 堅兼や信勝ほどの技を持たず、機転も効く方ではない。

 あるのは頑丈な体と人並み外れた体躯からくる怪力、

 引き立ててくれた隆信への盲目的な忠誠心。

 命じられれば、どんな非道も喜んでやった。

 弱点であった気持ちの弱さは、信胤との出会いによって吹き飛ばされた。

 そして、不器用な自分に、玄武長槍隊は似合っていた。

 敵の反撃をものともせず、一心に前へ前へ。

 進むだけで、頼もしい三人の仲間が勝利へと導いてくれた。


 島津本陣が目前に迫った。溜まったつばを、ごくりと飲み込む。 

必ずやる。やり遂げて見せる。


 今も三人が、どこかで見守っていてくれる気がした。


 有馬晴信は、浮かぬ顔をして、弟の有馬波多親と共に島津本陣へ向かっていた。

元々密かに島津を裏切っていた以上、今回の再びの裏切りの功は、無いも同じだった。軍功報告の場に行かぬわけにはいかぬが、家久の腹積もりによっては、密かな裏切りを明かされ、その場で処刑されかねない。そこまで行かずとも、所領没収削減、軽くても裏切りを論われ、晒し者として恥をかかされる恐れもあった。

 本陣が目の前に迫ったとき、見覚えのある巨大な背中が、島津本陣に入っていくのに気づいた。くぃと弟の袖を引く。

 「あれを見よ。」「!」波多親は腰を抜かさんばかりに驚いた。

 「兄上、あれは紛れもなく、龍造寺四天王のひとり、江里口信常ではござらんか。その信常が、赤星勢の鎧を着て、島津本陣に何をしに行くのでござろう。」

 「わからんか。」

 わからんではない。しかし、それは大胆に過ぎる。ましてや、命を捨てるなど。波多親には、信常の行動が理解できなかった。


閑話休題

 戦国時代は、忠孝という儒学的な思想はまだ浸透しておらず、鎌倉時代以来の武士の思想、一所懸命という言葉に表れるように、俸禄への報恩という考え方が常識的だった。これは現代の契約という考えに、少しだけ似ているかもしれない。評価された分、貰った分だけ一生懸命やる。ただし命がけで、ここが違うかも知れない。

 「武士は己を知る者のために死す。」という言葉が物語るようにである。島左近が石田三成のために命を張ったのは儒教的な忠ではなく、伝統的なこの武士の思想によったものだ。三成は、左近を家臣に迎えるにあたって、自分の俸禄の半分を渡すという破格の条件を示した。破格の評価という恩に、自分の命をもって応えたのである。

 この考えは忠ほどウェットで滅私奉公的なものでなく、非常にドライで個人主義的なものだ。評価されなければ主を変えたり、裏切るのは当然のこと。武士の忠誠は評価が続く限り、評価してくれる主人が生きている限りのものだ。主人が死んだ以上、忠誠を果たす義理も消滅するのである。

 親子兄弟なら復讐する場合もあろうが、単なる君臣関係で、主人の復讐をするなど考えにくいこと、非常に変わったことだった。


 「我が家にも運が向いてきたぞ。」

 興奮して言う晴信に、波多親は、意味が分からず物問いたげな顔をしている。

「急げ、森岳城へ走り鉄砲隊十人ばかり連れてくるのじゃ。」

「兄上、信常めが島津家久殿を害そうとしておるなら、今すぐにでも、本陣に報せたほうがようござらぬか。」

 晴信は愚直な弟に、ため息をつかんばかりにして、

「そんなことをしても、我らの得は僅かに過ぎぬ。いいか、これは我ら有馬家が、功を稼ぐ千載一隅の機会じゃ。龍造寺四天王の江里口信常の首を上げる。これは龍造寺隆信の首に次ぐ手柄ぞ。」

「信常は、たった一人ですぞ。わが鉄砲隊が駆けつける前に、討ち取られるのではござらんか。」

「お主も、かっての味方として、あやつの尋常ならぬ強さを知っておろう。家久殿に近づければ、敵多しといえど、中々、討ち取られるものではない。」

「わが鉄砲隊が来る前に、その強き信常に、家久殿が逆に討ち取られてしまっては、我らも困りごとになるのではござらんか。」

 晴信は少し考え、弟に顔を近づけ声を潜めて言った。

「島津の当主は義久様じゃ。家久殿は一大将にすぎん。島津家は何も変わらぬよ。それにな、……今後のことを考えるとな、その方がいろいろと都合がいい。」


 島津家久、有馬家のためには、取りあえずの味方とは言え、あのような得体の知れぬ男は、さっさと死んでくれたほうが良い。


(六)

  敵は戦勝で気が緩んでいるのか、厳重であるべき本陣の入口は、あっさりと通れた。居並ぶ島津家の諸将が見える。有馬晴信、赤星統家など、直接に知っている顔は無い。少しほっとした。

 中央に首台が置かれている。首が並べられ、下に懐紙を破って作った名札が添えられている。龍造寺隆信、成松信勝、百武堅兼、山本重信、………感情が爆発しては困る。出来るだけ見ないようにした。

 中央にいるのが島津家久か。六尺を超えるだろう立派な体躯を、窮屈そうに床几に埋めるようにして、戦勝の場と言うのに、つまらなそうな顔で座っている。

 何度も暗唱した口上を述べる。

 わしは、赤星統家の家臣、小島次郎兵衛。

 何等不審がられてはいないようじゃ。

 まずはよし。


 「円城寺信胤の首とやらをこれへ。」軍監鎌田政近が言う。

しかし、島津家としては、ここで困った問題に気が付いた。

首実検とは、上げられた首が間違いなく本人であるか検証する場だが、居並ぶ諸将誰も、円城寺信胤の素顔を知らないのである。

 「赤星殿か有馬殿なら知っているのではないか。」

 龍造寺に臣従していた晴信か統家なら、知っているに違いない。晴信はおっつけ着くらしい、統家は傷の治療のため遅れていると連絡があった。二人を待つことにして、取りあえず首を拝もうということになった。

 「円城寺信胤は、病気で二目と見られぬ面相とも聞いたが。」

 訳知り顔に伊集院忠棟が言う。諸将は少し嫌な顔をした。

 「包みを開けよ。」

政近が促し、信常は丁寧に包みをほどいた。晴信や統家が来る。正体が露見するのは時間の問題だ。急がねばならなかった。


「これは………。」

 つまらなそうにしていた家久が、思わず目を見張った。

包みから見事な黒髪が零れた。白い肌、美しい顔立ち、閉じられた大きな瞳、小ぶりなつんと高い鼻、紅でも引いたような赤い唇。


「女人ではないのか。」

 どこからともなく呟きが聞こえる。

「そういえば。」

 山田有信が言った。

「円城寺信胤は、実は龍造寺隆信の娘であるとの噂を、聞いたことがあり申す。」


「もそっと近う。こちらへ。」

 魅入られたように家久が言う。信常ははやる心を抑えつつ、首を抱えたまま、いざり寄った。前までくると、うやうやしく、愛しき人の首を、家久に掲げる。

家久は両手で、そっと首を持ち上げると、食い入るように見つめている。

 諸将も首に集中している。今だ!絶好の好機。


 そのとき陣幕が開き、赤星統家が、傷む足を引きずりながら入ってきた。

嬉しそうに言う。

「我が郎党が四天王の首を挙げたと聞き、取るものも取りあえず参上いたしました。」

 そして家臣小島次郎兵衛の姿を探し、陣幕の中を見渡した統家は、とんでもない発見をした。

「なぜ、なぜお主がここに!」腰を抜かすと、傷の痛みをも構わず、大声で叫びたてる。

 諸将が、どうしたのじゃと色めき立つ中、統家は再び叫んだ。

「そこな武者は、我が家臣小島次郎兵衛にあらず。龍造寺四天王が一人、江里口信常めにござる!」


 同じころ、沼を見つめていた忠賢は、重要なことを思い出し、飛び上がって本陣へと走った。

 しまった、あの大男、どこかで見たことがあると思った。

 江里口信常、なぜ忘れていたか。間に合ってくれ。


(七)

 腰に差した信胤の遺刀で、抜き打ちざまに斬った。

家久は飛びずさったが、信常の刀は、その腿を深く切り裂いた。血を流しながら、ごろごろと地面を転がっていく家久に、二の太刀を狙って飛び掛かろうとする。

「ぬぉー。」

 信常の腰へ、横から豊久が飛びついた。勢い余って陣幕を突き破り、両者は外へ転げ出た。

「離せ!若者。命を粗末にするな。」

 すくっと立ち上がりながら、組み付いたままの豊久に向かって、信常が怒鳴る。

「わしは総大将家久の子豊久じゃ。この手を放してなるか!」

豊久は怒鳴り返した。家久の息子か。信常は意外そうな顔をしたが、愉快そうに、にこと微笑むと、上から豊久を殴りつけた。

 岩が落ちてきたような衝撃に、思わず豊久の手が緩んだ。膝をがくりとつくと、衝撃で立ち上がれない。

 豊久を振りほどいて、陣幕の中へ戻ろうとするところを、横から川上忠兄が、その大刀で、袈裟懸けに切りつける。刀は信常の肩に食い込んだが、分厚い筋肉に阻まれた。

 抜けぬ。渾身の力で引き抜こうとする忠兄に、信常の蹴りが襲い、軽く一間は飛ばされた。

 信常は、何事もなかったかのように、忠兄の刀を肩から引き抜き、折れ曲がったそれをぽいと捨てた。ぴゅっと鮮血が噴き出る。それも面倒なように、陣幕へずんずん入っていく。

 次に、陣幕から飛び出してきたのは、槍を構えた新納忠元である。裂ぱくの気合とともに、信常を突きにかかる。信常は刀で受け流していたが、忠元の豪槍の前に、細身の信胤の刀がぽっきりと折れた。おうという気合とともに忠元が突き込んだ槍は、信常の腹に突き立った。忠元は、そのままぐいぐいと槍を腹へと抉り入れる。

 信常は、無言で忠元の槍をむんずと握ると、渾身の力で引っ張った。

槍を急に引かれた忠元は、前へつんのめった。その顔を、信常が拳で思いっきり殴りつける。

 剛力による殴打に、さしもの忠元も、槍を放して転がった。信常は、溢れ出る鮮血とともに、ぐいと腹から引き抜いた豪槍を手に、再び陣幕に入っていった。陣幕の中で待ち受けていた、家久近習の日向衆数名と斬り合いになる。


「何という化け物だ。」

いち早く陣幕の外に避難していた伊集院忠棟が呟いた。その後ろに、いつの間にか腕利きの家臣、長迫蔵人ら数名が控えている。

「良いか、四天王二つ目の首は、何としてもこの伊集院勢が上げるのだ。いけ!」

長迫らは解き放たれた猟犬のように、槍を手に陣幕へ駆け出してゆく。

ほぼ同時に、川田義朗に命じられた、川田勢指折りの勇志数名も陣幕へと走る。

祝勝の場は一転、凶暴な獣に対する、命がけの狩場となったようだった。


(八)

 忠元の豪槍が、ごっとうなりを発して、信常によって振られる度、島津家の勇者たちが弾け飛ばされていく。

「どこじゃ、家久!卑怯者め!」

もはや、陣幕の中に家久はいなかった。

群がる武者たちを、文字通り弾き飛ばしながら陣幕から外へ。

遠くに鎌田政近、山田有信に肩を抱かれ避難する家久が見えた。

 突然、信常の前に、一人の大柄な武者が、今様の金色の大鯰の兜をかぶって現れた。

「我こそはー、伊集院家にその名も高きぃー、長迫蔵人じゃー、四天王江里口信常、ここで会ったが百年目!お覚悟、お覚悟ー。」

 歌舞伎よろしく大見栄を切り、甲高い声で吠えたくると、槍を手に突っ込んできた。

 

強いが、まだまだ粗いな。信勝に比べると、天と地の差じゃ。


長迫の槍を、ひょいと受け流すと、その顔面を豪槍で強かに殴りつける。長迫はクルクル回って白目をむいた。信常は、次々に襲い来る伊集院勢、川田勢を、軽くあしらいながら前へ進む。


 有馬鉄砲隊十名は、そのころやっと本陣付近へ到着した。しかし、群がる川田勢、伊集院勢が邪魔になり、信常に狙いを定めきれない。

 「何をやっとる!手柄が目の前におるのに!」

 晴信は激怒するが、味方を撃っては大事になる。

 兵たちが、皆おろおろしていたところ、


 「おい(俺)に、貸っしゃい。」

 ひとりの若者が、有馬勢の種子島一丁を無理やりひったくった。

 「何者じゃ!」色めき立つ有馬勢。


「味方じゃ、味方、決まっとろうが。」 

そう言うと、当の若者は、どこ吹く風で信常へ、じっくり狙いを定めた。


ずだーん。


迷いなく放った弾は、信常のこめかみを掠った。

「あちゃー、こい(これ)では、あ奴には、まだまだ及ばんて。」

頭をぼりぼり掻いている。


「無礼な、何者じゃ!名を名乗れ!」

晴信の怒りの問いに、若者は面倒臭そうに答えた。

「源藤、柏木源籐、川上忠智が家臣。」


 柏木源籐の放った弾は、信常を掠めたに留まった。

 しかし、その衝撃は信常にほんの一瞬眩暈を起こさせた。

 その隙を逃さず、伊集院勢、川田勢の槍が襲う。


 どしゅ、どしゅ

 巨人江里口信常の腹に突き立った数十本の槍、

口の端からつうーと血が流れる。

さすがの信常も堪えられず、仰向けにどうと倒れる。

そこへ、群がって槍を突き刺す敵兵たち。

信常の手は虚しく宙を掴んだ。家久のいる方を。


 うぉおおおおおおおおおおおおおおお。


 家久の姿を確認し、渾身の力で跳ね起きた信常に、振り落とされた兵たちは慌てて槍を構える。

 信常は、歩き出そうとして、今度は静かに前のめりに倒れ、そのまま二度と起きてこなかった。


「遅かったか。」

 駆けつけた忠賢は、その亡骸を呆然と見つめた。

 不思議と、無念さは感じられない。

 その顔には、やり切った満足感が漂っていた。


 忠賢は、信常の死にざまに、我知らず呟いていた。

「武士の終わりとは、こうありたいものじゃ。」


(九)

 伊集院忠棟と川田義朗が激しく言い争っている。どちらの槍が信常に止めを刺したか。双方とも軍功がかかっており全く引く気はない。


 「どういたしましょうか。」

困り果てた鎌田政近が聞いてきた。

家久は全く興味がない。

「納得ゆくまで話をさせよ。」とだけ答えた。


傍らで、山田有信と新納忠元が、信常の亡骸に手を合わせている。


「敵ながら天晴れ。命を懸けて主君の仇を討とうとするとは。」

「ぜひ、子や兄弟がおれば我が家の家臣としたい。」

島津軍の方々で、信常の最後への称賛の声も上がっているようだ。


家久はびっこを引きながら小さく呟いた。

「まったく、武士(さむらい)って奴は。」

なんて因果な生き物だ。そう思わざるを得ない。

歩き出そうとして、ふと思いつき、政近に命じた。


「あの首な。」

「はっ、江里口信常の首にござるか。」

政近は、一体何を言うのかと不審げだ。

家久は頷き、少し照れたような顔をしていった。


「きやつが持ってきた円城寺信胤とやらの首と、並べて置け。

 ……隣にな、………隣に。」







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