第8話

「あら、おかえりなさい」


 部屋へ入ると女がいた。扉を開けたままの姿勢で俺の動きが止まる。

 女は座り込み、作業机へと頬杖をついているようだが、こちらに背を向けているため表情は見えない。ただ、その背中にかかる長い白髪から、誰だかは一目でわかった。


「なんでお前がいる」

「とりあえず中に入ったら? 君の部屋でしょう」


 頬杖をついたまま横目にこちらを見てきた女は、どこか以前と雰囲気が違って見えた。というか口調まで違った。


「一応、エルフランにも把握されてないはずなんだがな」

 俺は言いながら中へ入り、コートをかけると床へ座り込んだ。


「どちら様ですか」

 続いて入ってきたルーが入口で歩を止め、訊いてくる。


「我らが雇い主、管理局のシェリー・ワッソン局長だ」

「ああ、あなたが」

 ルーは半目で見つつ、俺の隣へと座り込む。


「どうも。ルーちゃん、でしたよね」

 女がやっとこちらを向いて笑顔を見せる。


「はぁ、まぁそうですね。でも、ちゃん付けはやめてもらえません?」

 我が弟子は警戒を怠らない。


 いきなり我らの安息の地に土足で踏み込んで来た相手だ。

 警戒する気持ちもわかるが、そこまで露骨に敵意を向けられても話しが進めにくい。


「ルー、ちょっと三人分屋台で食いもんでも買ってこい」

「えー」


「えーじゃない。もうこうなったら外には出にくいし、仕方ないだろう」

「それは良いんですが、私が居ない間に話は進めないでくださいね」


「お前が戻るまで黙って待ってろっていうのか?」

「です。私も命がかかってますので。それに師匠、全部話してくれるって言いましたよね。どうせ話すなら、ちょっとの間待って、まとめて話を聞いた方が効率的でしょう」


「あー、わかったよ。とにかく急いで行って来い」

 ルーは頷くと手を差し出して来た。


「お金、ください。私持ってるの配給票だけですよ。依頼主にカビパンなんて食べさせるんですか?」


「わかったよ、ほれ」

 ルーは財布を受け取ると部屋から出て行った。

 しかし、話を進めずにどうこの女と過ごせというのか。


「随分慕われているね、君」

「その割には噛みついてくるけどな。っていうかあんた、雰囲気違うな」


「こちらが素です。あそこだとどうしても、ね。レートルも居ることだし」

「っていうか、あんたどうやってここまで?」


「ルーちゃんのつけているのと同じ奴を私も持っているってこと。ちなみに居場所は発信機で確認していたので、ここはすぐにわかりました」


「なるほどな。で、わざわざ来てなんの用だ」

「こらこら、さっきルーちゃんに釘を刺されたばかりでしょう。また喧嘩になるよ?」


「まったく、悪趣味な依頼主だ」

「通信が繋がったまま喧嘩したのはそっちでしょうに」


「まだ慣れてないんだよ」

「慣れるまでああいうのを聞かせてくれるの?」


「お断りだ」

「それは残念。あ、そうだ。せっかくだし貧困街の事、色々教えてもらおうかな」


「貧困街のこと?」

「そう。あなたたちのこと。なんでもいいから現地の声を聞きたいの」


「俺が知ってるのは俺の周囲だけだし、俺はマシな部類になるからな。あまり貧困街の一般とは言えない。それでも良いなら構わんが」


「じゃ、君の事で。薬じゃなく君の口から教えてもらおう」


「薬の話は以後しないでくれ……。そうだな。物心ついた頃には、便利屋シェットの元に居た。まだ名前もなく、番号で呼ばれていて、朝から晩まで訓練だったな。他の子と競争する形になってて、一番になると食卓に並ぶ虫が一匹増えるんで、皆本気だった。三ヶ月毎に一人ずつ、成績が悪い奴が切られていって、最後に残った俺だけが名前を貰ったんだ」


「シオン。良い名前だと思うけど」

「古代語で犬って意味だよ」


「犬は最良の相棒っていうけどね。その辺の知識があるところを見ると、元はタウンの人だったのかな、その人」

「さぁな。確かにこっちに犬はあまり居ないな。まぁ居たら食用にされそうだ」


「犬は割と貴重品なのに」

「関係ないさ。食いつなげなきゃ死ぬって時に、貴重品だとか汚いだとか、そんなこと言ってられないだろ」


「それもそうなのかな。私、飢えってわからないから」

「タウン暮らしは言う事が違うな。で、そういうあんたはどういう生活だったんだ」


「私?」

「そうだよ。髪が白くなるくらいなんだから、単純にお嬢様って言われるようなぬるいもんじゃなかったんだろう?」


「私が覚えている最初の事、は。育ての親であるおじい様のことかな。その頃にはもう、今と同じように髪も真っ白だったけど、よく言われたの。君は言われたことしかできない、機械のような子だって。おじい様、私を抱きしめてよく泣いていた。その時はなんで泣いているのかすら、私には理解できなかったけれど」


「そのおじい様ってのは、今も?」

「いいえ、とっくの昔に。ただ偉い人だったから、色々と私に残してくれて」


「もしかして、貧困街にある責任ってのは、そのおじい様が関係してるのか?」

「んー、違うような違わないような」


 女が眉根を寄せ、目をつむって唸りだした。丁度そのタイミングで扉が開かれる。


「只今戻りました!」

「随分早いな。ちゃんと尾行はまいたんだろうな?」


「やだな当然じゃないですか。外装装置の力を使いましたけどね」

「どうりで早いはずだが、起動するところは見られてないよな」


「くどいですよ師匠。そんなことよりさっさと本題に移りましょう」

「お前が待たせておいてそれかよ」


 ルーは食べ物の入った紙袋を真ん中へと置くと、またもや俺の隣へと腰かけてきた。


「なんで隣に来る。狭いからもうちょいそっちに行けよ」

「やだな師匠。机に出来そうな台はこれしかないんですから、しょうがないじゃないですか」


 ルーはそう言いつつ、もう一つの机になりそうな台である金庫を引きずってきた。


「では私もそっちに行こうかな」

「シェリーさんは広い作業台があるじゃないですか」


「そうなると背中を向けることになって話しにくいでしょう。大事な話ですので、流石にそれでは困ります」


「むぅ」

「おいおい。こんな狭い金庫の上に三人分なんて広げようがないぞ」

「ですよね師匠」


「だからルー、お前が外れろ」

「あんまりです師匠」


「大丈夫だ俺も外れる。依頼主に机、俺らは手持ちか床。妥当な判断だろう」

「うぅ仕方がないですね」


「なんか、家主にまでさせると、すごく私が悪者みたいなんだけど」

「どうでも良いから、さっさと食って話を進めよう」


 俺は紙袋をあけ、中身をとりだした。

 それぞれ包装紙にくるまれていたが、パンに虫のフライを挟んだものと、いくつかのキノコを使った惣菜がパックとなっている。


 割と奮発したようだ。

 しかし、ここ数日で一気に食費に使い過ぎだろう。あの椅子も含めて。


「これが、貧困街の食事。このフライは何の身なの?」

「どっかの虫です。当たりは芋虫。外れは甲虫関係です」


「な、なるほど」

「これは贅沢な部類だよ。一般的な連中はたまの贅沢でこういうものを食べるくらいだな。俺らはある程度命をはってる分こういうのも口に出来るが」


 俺は言いつつ齧りついた。

 柔らかなパン生地のあとに、さっくりと揚がった衣が割れる。中からとろりとした濃厚な身が広がった。当たりのようだ。


「で、シェリーさんは何の用があってここに?」

「とりあえず、ミゼットさんでしたっけ。相談もなしに勝手に協力関係を作るのは如何なものかと」


「聞いてたのかよ」

「街の外へと二人が出た時点で焦りましたよ」

「信頼されてませんね師匠」


「まぁ事前に言ってなかったのは悪かったが、それにしたって直接出向かなくても。これに通信機能がついてることだし、危険を冒してまでこっちに来ることはなかっただろう」


「それが、困ったことになりまして」

「というと?」


「強硬派に私が何かしようとしている、と疑われていまして。通信は傍受される可能性が出てきました」

「どういうことだ」


「私をどうしても失脚させたい人物が嗅ぎまわっている状況です。具体的に言うと、君が誘拐したヒーフ君の父親が、どうにか失点を埋めようと派手に動いています。私としては、エルフランが息子を押さえた分、動きが鈍ると思っていたのですが」


「エルフラン相手に強く出れなくなった分、矛先が武力行使反対派のあんたに向いたと」

「そうなります」


「師匠、この人何気にヒーフ君をだしに使ってるあたり怖いんですけど」

「使えるものは何でも使うのがこの女の本性だぞルー」


「……人聞きの悪い事を。今回は、その。切羽詰まっているので仕方なく、ですよ」

「仕方なく、九才の子供を地獄へと突き落とす女性でした」


「もういいです。確かに、その通りですから。そんなわけで、これからは通信を使って私から二人に連絡を入れることはできなくなりました。そちらからの通信も、私が受信しなければよほどの事がない限り大丈夫だとは思いますが、一応用心してください」


「それは、困ったな。ルートの確認と会談の護衛ではこの機能をフルに使いたかったんだが」


「会談当日は、あらかじめ符丁を決めておいて、長い時間通信しなければ、拾われたとしても特定されないと思います。ルート確認の時は近くにタウンの兵は居ないと思いますし、疑われているのは私なので、タウン側へ通信を飛ばさない限り大丈夫かと」


「なら問題ないな。で、聞いてたなら話は早い。あの夜盗団にも例の集音機をつけて、あっちの声だけこっちに聞こえるようにしたい。いくつかグループ分けして目の代わりにする。見た目は貧困街の一般人だから、エルフランとしてもそこまで警戒はしないだろう。小声で情報と場所を寄越させて、俺がこの脚を使って始末して回る。いくらこのゴーグルが高性能でも、二人じゃ限界があるんでな。送受信出来るならそっちの方がいいが、このゴーグルはもう無理だろう?」


「そうですね。集音機だけなら何とか。あとは少しいじれば、簡単な信号のやり取りくらいできるようになります。ボタンを押している間だけ相手のが光る、とか」


「なるほど、それは使えるな。光り過ぎると目立つから、振動するとかには出来ないか?」

「できますね。少々バッテリーを食いますが、まぁ会談時間を考えれば大丈夫でしょう」


「じゃぁそれを五組ほど、会談前日までに頼む」


「わかりました。それで、二つ目のルートは前にも話した通り、明日動きがあります。残る三つ目のルートはその翌々日の二十一日に動きます。現場の下見とかはしなくて大丈夫ですか?」


「前に仕事をしたルートだから問題ない。荷物が来る前にもチェックするしな」


「なるほど。それともうひとつ。残念ながらエルフランの思惑が判明する前に集音機のバッテリーが切れました。このカードが手に入らなかったのは結構大きい。良ければ君と意見を交わしながら情報の整理を行いたいのですが」


「それは構わない。俺としても相手の思惑は、目星だけでもつけておきたいからな。だがその前に」

「その前に?」


「タウン上層部の狙いは、ずばり貧困街の地下だろ?」

「……まぁ、隠しておく話でもないですね」


「図星か。おかしな話だとは思ってたんだ。いくら強硬派と言えど、あまりに強引過ぎるからな。大方、元から貧困街の地下を狙っていて、今回の騒動を理由付けに乗り込んで、そのまま発掘作業をしようという魂胆なんだろう?」


「そんなところです」

「で、危険な発掘作業は現地の者を、人間とは思わずに使う。あんたが恐れてるのはそれだろ?」


「私としては、それで済めば良い方、ですね。前の時は、周辺住民はそのまま生産プラントの肥料にされましたから」


 一瞬、言葉に詰まった。

 それは女の台詞のせい、というより。それを語る女の目が暗く沈んでいたからだ。


 何処か諦めたような、諦観の漂う、絶望を見て来たかのような目だった。

 やれやれ、そう深刻そうな顔されても困る。


「ま、確認は取れた」

「はい?」


「なんだその呆けた顔は。タウンの狙いを確認しただけだろ。やることは変わらん。むしろそういう部分はとっとと話せ。そういうのが想定外に繋がるんだよ」


「そう、ですね。では予定通り、情報の整理を始めますか。あ、ルーちゃんも宜しくお願いします。人数は多い方が違った視点が得られると思いますので」


「あのー、ちゃん付けはやめて欲しいんですけど」

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