第5話
気がつくと、光の中に居た。
あまりの白さに目がダメにでもなったのか、視界がぼやけ、全ての輪郭が合わない。
おぼろげに、何とか状況を把握しようと目を細める。
頭が痛い。鐘でも鳴らされたかのように、揺れる。
呼吸困難、脈拍がはやい。一旦身体を落ちつけなければ。
深呼吸、一つ、二つ、三つ。
息を限界まで吐き出し、再び深く吸い込む。
途端、強い吐き気が沸き起こったが、腹に力を入れて押さえ込む。
「目が覚めたみたいね」
声が聞こえた。多分目の前だ。意識を集中。
「凄く辛そうだけど、大丈夫?」
輪郭が見える。目の前に机、その先に人影。
どうやら俺は、どこか部屋の中にいるらしい。
「ここは、何処だ?」
「管理局の一室です」
目の前の人物が答えた。
軽く周囲を見回す。おぼろげだが、部屋には机が一つしかないようだ。
「殺風景な部屋だな」
「尋問室だし、余計なものはないの」
「尋問室?」
「そう、あなたを尋問するところ。で、私が尋問官」
そこまで言われて意識がはっきりした。
俺は確か下水道でへまをした。という事は今、俺は捕まっている真っ最中ということで、要するに目の前の奴は敵だ。そう認識した途端、視界もはっきりしてきた。
視線を走らせ、状況を確認。
俺は椅子に座らされており、手、足、胴がベルトで固定されているのが見て取れた。
そして室内は床も壁も天井すら白い。机も白。窓はなかったが、天井の照明がランプとは比べ物にならないくらい明るく、全てを白く染めているかのようだった。
おまけに目の前の女も白い。白を基調としたスーツのような格好に、陶器のような白い肌。そして極めつけは髪の色だ。
背中あたりまで伸びたその髪は、部屋に負けないくらい真っ白だった。
貧困街に色の白い人間は少ない。居ても屋敷の娼婦くらいだろう。俺は珍しいのもあって、ついまじまじと女を見つめてしまっていた。
俺の活動地域では皆少なからず日に焼けているし、さらに言えばここまで細いシルエットですらない。こんな、蹴ったら折れそうな身体、はじめて見た。
とは言え、いつまでも見ている場合じゃなかった。状況は最悪。とりあえず、どうにかこの女から情報を得なければならない。
「そんなに睨まないで欲しいんだけど」
「それは無理だな。あんたは敵だ」
「出来れば、あなたには協力して欲しい」
女は悪びれずに言う。こんな拘束しておいて、協力して欲しいも何もないだろうに。
「言っておくが依頼主の話なら無駄だぞ。俺は、俺の理念によって、情報は絶対に漏らさない。例えどんな目に合おうとだ」
女を更に力を込めて睨みつける。
これだけは曲げられない、俺のポリシーだ。この仕事に対する矜持といってもいい。
「そう」
女は肩を竦め、ひとつ咳払いをした。
「何でも屋シオン、あなたに仕事の依頼があります」
「仕事?」
「そうです。あなたの信条は中立、でしたよね。ならば仕事としてなら、私の話も聞いてくれるのでしょう?」
「どういうつもりだ」
「どういうつもりも何もありません。仕事の話です」
目の前の女をじっくりと見やる。表情からは何も読めない。ただ真っ直ぐこちらを見つめてきている。さて、どうしたものか。
ルーが成功していれば、もう前回の仕事は終了したということになる。
その場合、既に俺の身はフリーであり、どのような立場の人間からでも仕事を受けることに問題はない。まぁ、普通に依頼されていたら、という話ではあるが。
自分の現状を見やる。どう見ても、状況は普通じゃない。
正直、身柄は拘束されているし、俺は相手からすれば市民を誘拐した実行犯である。
そこにすら触れずに仕事の話に移るあたり、警戒して良いはずだ。
「俺の行為はどう処理される?」
「仕事を引き受けて頂ければ不問とします」
「随分気前がいいな」
「それだけ重要な案件だとお考え下さい」
「それは、話を聞いてから断っても良いのかな」
「構いません。では改めまして私の名前はシェリー。管理局副局長のシェリー・ワッソンです」
「シオンだ。とりあえずこの拘束具は外してもらいたいんだが」
「仕事を受けて頂けるなら、ですね」
「やれやれ、やっぱりタウンってのは貧困街の人間を人として見てないのかね」
「それは、大きな誤解だと私は考えます。私たちは、私たちの街を、より良くしたいと思っているだけです。このカインスタンの街が崩壊分裂してから、既に八十年。そろそろ関係の改善がしたいのです」
「私たちの街、ね。俺はとっくの昔にタウンと俺らの街は、別の国になったと思ってるけどな」
「いいえ、違います。あなたたちがどう思おうとも、私たちはこのカインスタンの大きな生産力によって支えられている、一種の民族と言えるでしょう」
「笑わせるなよ。あんたら、かびの生えたパンとか、石みたいに硬いパンを食ったことあんのか? 濁った水を飲んだこともないんじゃないのか? 生憎とこっちではそれが主食でね」
「それは些細な問題です。どんな格差こそあれ、私たちとあなたたちは同種です」
「……些細な問題って言ったな。てめぇみたいなのが居るから、溝は埋まらねぇんじゃねぇのか?」
「そうかもしれません。ですが、エルフランは止めなければならない」
「まさか、それが仕事内容か?」
「止めろ、とまでは言いませんが、その手伝いをお願いしたいのです」
ごとり、と机の上に何かが置かれた。
見ると、女が見覚えのあるリボルバーを机に置いたところだった。
「これが何か知っていますね?」
「当たり前だろ。俺のパーカッションリボルバーだ」
「そうです。前から火薬、弾丸を押し込み、後ろ側に雷管をセットする事でようやく撃つ事が出来る。更には弾倉上部、つまりシリンダの上にフレームがないため、強力な実包すら撃つ事ができない。正直、自動拳銃を使う私たちから見れば、酷く原始的な武器です」
「悪かったな原始人で」
「いえ、そういう意味では。シオンさんは、この武器が何処から来ているか、知っていますか?」
「まぁ、あんたらが武器をくれるわけがないからな。エルフランが押さえる北東のルートだろ」
「そうですね。エルフランが居る南東側の大部分に、これらが浸透しています。それが大きな問題なんです」
「そりゃそうだろうな。あんたらからしたら、俺らが武器を持って良い気はしないだろうさ」
「そういうレベルの問題ではありません。あなたなら考えればわかると思います」
「はぁ」
「多少の武器が私たちから流れる程度なら、問題ないんです。それが自動式だろうと、パーカッション方式だろうと。問題は、これが意図的に制限された武装ということです」
「意図的って、誰のだよ」
「簡単でしょう。北東の取引相手です」
「……なるほど、言いたい事がわかってきた」
「それは良かった。詳しく説明しますね」
女は初めて笑顔を見せた。まるで子供が良い解答が出来た時に褒めるみたいな笑顔だった。
俺はガキ扱いかよ。
「カインスタンは隣国、北東のヴァルツハイトから“弱点から攻める”を今まさに実行されている最中なんです」
「貧困街は弱点かよ」
「その言い方だと語弊がありますね。相手からすれば何だって良いんです。どうせ正面から戦う気なんですから。ですから、貧困街が武力的に劣っているだとか、そういう問題でなく、相手国で仲違いを発展させることで、疲弊させたいんです。のちのち決戦となった時のために」
「なるほど。相手国に武器を売っても良い事は普通ないが、それが制限武装、敵にしても何ら戦力にならないパーカッションなら問題ないわけか。ついでに対価も得られるし」
「そうなります。そしてそれは、私たちからすれば結構厄介な話になります。エルフランの方々が大量の武装をしてこちらを攻めて来た場合、我々もそれが例えパーカッション方式で、戦えば圧倒出来る相手だとしても、市民を守るため撃たざるを得ません。そして一度口火を切ってしまえば、私たちの溝は、本当の意味で修復不可能なものへとなってしまうでしょう」
「その先に待ってるのは、更なる戦火か」
「それも、私たちの援護なしに、孤立した貧困街自体が防御層として使い捨てられるでしょうね。少なくとも、上層部はそう考えているようです」
女の目に嘘偽りは感じられない。
というか、話が一気に大きくなり過ぎだ。少し頭を落ちつける必要があった。手が汗ばんでいるのがわかる。
理屈は通っているが、もっと情報が欲しい。この女が言っている事が本当なのかどうか。
正直、判断のしようがない。エルフランの連中だって馬鹿じゃないんだし、何の手も打っていないと言う事もあるまい。
現段階で言えるのは、もしそうなった場合、俺たちが住む貧困街、ひいてはそこでの生活なんて、呆気なく潰されてしまうだろうということだけだ。
「……あんたがさっき、些細な問題だって言った理由はわかった」
「気分を害させたのなら謝ります」
「ああ、気分は最低最悪だ。正直、なんで俺のような一介の何でも屋にそんな話をしているのか、理解不能だな」
「上層部は本気で、貧困街の事を良いクッション程度にしか考えていない人が多いのです。一応、世論への姿勢もあって、多数派は未だに貧困街を同胞として扱ってはいますが。エルフランがもし暴動を起こせば、このバランスはすぐにも崩れ去るでしょう。そんなわけで、人選をしている余裕があまりない、というのもそうですが、あなたなら問題ないと私が判断しました」
「……正直、俺は事が大き過ぎていまいちピンと来ない。エルフランの連中だって馬鹿じゃないんだ。何の対策もせずに動いているとも思えない」
「それは、私の方からでは調べる事ができない要素ですね。そのあたりも含めて、あなたに動いて貰いたいのです」
「言っておくが、俺はエルフランに所属しているわけじゃない。文字通り何でも屋だからな。あんたが期待してるほどの情報を得られるかは怪しいところだぞ」
「何でも屋、に出来る範囲で構いません。あなたの力量で集められる範囲で良いのです」
「言ってくれるな。具体的に何をしろと?」
「今あなたが言った、エルフラン自体がどう対処するつもりなのか調べてもらうこと。次に、北東の武器密輸ルートの割り出し。あとは武器庫の爆破」
「爆破だぁ?」
「そうです。武器がなければ蜂起も起こらない。単純な理由ですね。そしてルートを封じる事が出来れば、新しい武器の流入も防ぐ事ができる」
「無茶を言ってくれるな」
「あまり猶予がないのです。一部の議員は、徹底的な殲滅をする事で、近隣諸国に対して武力の誇示を行えば良いとまで言い始めています」
「……あんたらは、派閥で言うとどのくらいの規模になる?」
「本気で止めようとしている者はかなり少数派ですね」
「もし、俺らが失敗したらどうなる」
「街に攻め入られる前に大規模な軍事行動で殲滅する事になります。エルフランの本拠地ごと」
「冗談じゃないな。今貧困街を支えているのは良くも悪くもエルフランだ。別に好きってわけじゃないが、あいつらが管理しているからこそ、最低限の生活が成り立っているんだぞ」
「だから、早急に対処しなければならないのです。正直、あなたが捕獲されたのは天の救いだとさえ思いましたよ。どうしようもない流れを、どうにかできるかもしれない唯一の希望だと」
「買いかぶり過ぎだな」
「そうでしょうか。貧困街に精通し、腕もあり、それでいて仕事としてなら依頼主の所属は問わないという姿勢。まさにこのためだと私は思いましたけどね」
女がさみしそうに笑った。
「すみません、熱くなり過ぎましたね。飲み物をとってきましょう」
「……なんであんたはそこまでするんだ?」
立ち上がった女に声をかけた。
彼女は首を傾げ、黙ったままこちらを見る。
「貧困街の何を知ってるわけでもないあんたが、なんでそこまで熱が入ってるんだ? 正直、あんたの事を知らない俺からすると不思議でならない」
「……そうですね。簡単に言えば、責任があるんです」
どういう事だ、と訊く前に、女は部屋を出て行った。
次に部屋に入ってきたのは、先ほどの女ではなく、神経質そうな男だった。
男は十代後半。俺と同い歳くらいだろうか。眉を剃っていて、金髪をオールバックにしている奴だった。そいつは入ってくるなり、こちらを睨みつけながら近寄って来る。
「レートル・フェルミン、局長の助手を務めている者だ。お前がシオンとかいう犯罪者か?」
「そうなるな。犯罪者になるかどうかは、そちらの局長さん次第って感じだが」
「例え仕事を受けたとしても、お前のような奴の罪は一生消えないとだけは覚えておけ、いいな」
やけに好戦的な奴だ。身を乗り出してまで熱弁している。
正直対処に困った。睨み返して迫力とはどう作るのかを教えても良かったが、こいつの真意がよくわからん。
「で、何が言いたい?」
「私が言いたいのは、調子に乗るなよ便利屋風情が、ということだ。今回お前に目がかけられたのは、ただ単にタイミングが良かっただけだ。そして仕事を受けたからには、きりきり働け」
「まだ受けるとは言ってないんだがな」
「受けなければ一生牢屋暮らしだぞ。まぁ私はそれでも良いがな」
男はふん、と鼻を鳴らしてこちらを見下ろす。座る気はないらしい。
「あら、来ていたのレートル」
見ると、トレイを手に先ほどの女が戻って来ていた。トレイの上にはカップが二つ、湯気をたてている。
「はい局長。不肖ながら、私めにも手伝える事がないかと」
直立不動。女の声に一瞬で反応したレートルとかいう奴は、主人に向かってピシッとした姿勢で受け答えしていた。
「大丈夫よ。彼、わりと良い人だから」
「「は?」」
この声は、俺とレートルのものが重なった。何を言っているんだこの女。
目覚めてからのやり取りを回想してみるが、果たして何処をどう取れば、そんな結論に至るのか、ちょっとした謎だった。
レートルも同じ事を思ったらしい。固まっていたものの、すぐに女へと食ってかかった。
「どういうことですかそれは。まさか、こんな犯罪者が良い人なわけないじゃないですか。お気を確かに局長!」
「彼は私たちと根本的な価値観がズレてるから、仕事ならやるっていう基準がちょっとだけ、私たちよりも広いだけよ」
「何を馬鹿な。たった九歳の子供を誘拐し、あまつさえ武器を振りまわして巡回ボットをいくつも破壊した、悪魔のような男ですよ」
「それは確かにいけない事ね。法的にも逸脱している。だから、彼は今そこに拘束されているんだもの。でも、彼の価値観から言えば、誘拐される子供は自衛能力の問題であって、それは防げないのが悪いという結論になるの。それが良いか悪いかではなくて、彼の環境ではそれが当たり前だった。それはそれ、これはこれだから、もちろん罰は受けてもらいます。でも、必要でなければ彼は自らそういう行為をしようとはしない」
「何故断定できるんですか局長」
「本当だな。なんであんたにそんな事がわかる」
この女、実は貧困街の実情を知っているのか?
確かに、俺からすれば、身を守れないのは自衛能力の問題だ。そこを自分で解決しなければ結局生きていけない世界だし、捕まってもたいていは労働力として働かされるだけで、食事という対価を得る事ができる。まぁ中にはそのまま殺される事もあるが、それは運の問題。
それに、このタウンでは自衛能力を親の財力が引き受けるし、子供がそれを身につけなくて済む分のメリットあるのだから、そうそう価値観がズレているとは思わない。
住んでいる奴らの多くが自覚してないのは問題だと思うが。
「それは……」
ここに来て女がはじめて言い淀む。
その目は彷徨ったと思ったら、こちらへと向けられた。
「とても言いにくいのですが、その」
「局長?」
レートルも困惑した様子で女を見ていた。
「こほん。実は、彼には自白剤を使って、一通りの問診を終えたあとだったりします」
「きょ、局長。そんな事までしたんですか」
何故かレートルとやらが呆れたように言った。
「おい、なんなんだその、じはくざいって奴は?」
俺だけ事態についていけていないようだ。
すると、レートルは何故かにやけ顔でこちらへと振り向いてきた。何だか知らないが、凄い余裕たっぷりだった。
「ふん、無知なお前に教えてやろう。自白剤というのは、使われた者の意識が白濁し、なんでも素直に答えてしまうようになる薬の事だ」
「は?」
「つまり、お前は既に。今回の依頼主から始まり、幼い頃の体験だとか、考え方、自分の周囲の人間関係などなど。これまでに得た全てを、洗い浚い喋ってしまった後だと言う事だ!」
レートルが得意気に言い放った。ポーズつきだ。
ちょっとまて。そんなものが、あり得るのか。
俺の頭がぐるぐると回る。
信念も人間性も、自我やら何やら、全てを台無しにしてしまう。
そんな薬ひとつで、これまで積み上げて来たもの全てを突破して、そんな事が成されてしまっていいのか。あり得ない、と思いつつも、頭の隅には、タウンなら何があってもおかしくないという思考がちらついていた。俺はまたも吐き気を覚える。
そう言えば目覚めてすぐも調子が悪かった。あれは薬の効果だったのかもしれない。
「……悪魔みたいな薬だな」
どうにかそれだけを絞り出す。
一、二、三、息を整えてから女を見やる。
「可愛い顔して、やる事がえげつねぇなあんた」
今度は本気の軽蔑を込めて女を睨んだ。手前に居たレートルが息を飲んだのがわかる。
だが女は動じなかった。それどころか、軽く笑みを返される。
「可愛い顔かどうかはともかく。あなたの価値観に従って言えば、必要だと思ったからしたまでです。ですがご安心ください。人間性を踏みにじるほどの全てを語ってもらったわけではありません。あくまで、私があなたに協力を仰ぐかどうかを決める判断のため、必要と思った部分を聞きだしたまでです」
「それをそのまま信じろってのも、無理があるな」
「別に信じてもらわなくても構いません。あなたにしているのは仕事の話です。仕事、ならばあなたはやる事をやるだけなのでしょう?」
「断ったら、情報を吐くだけ吐いたうえに、このまま牢獄行きか」
「結果だけ見るとそうなりますね。それに、今更何を言ったところで、あなたが語った事が戻るわけではないのですから、気にしても仕方がないでしょう」
睨みつける俺に、笑いかける女。
部屋の中を沈黙が満たす。レートルは間に挟まれ、身動きひとつしない。
先に根をあげたのは俺の方だった。
「はぁ、あんた面白い奴だな」
俺は少し、この女を認めることにした。
やられた事は、正直はらわたが煮えくりかえるほどだったが、確かに今更何を騒いだ所で結果は覆せない。ならば、そんな事にこだわり続けるのは俺らしくないだろう。俺らしく、仕事の話をする事にしよう。
切り替えが大事なのだ。終わった事に引き摺られては何も得られないのだから。
「伊達に局長はやっていませんので、このくらいはお手の物ですね」
「やれやれ。大見得切っておいて、既に依頼主の事は話し済みだったとは、滑稽な話だ」
「その点についてはすみません。正直、なんて返せば良いか困りましたねあれは」
女は澄まし顔で椅子へと座った。
トレイをこちらに回し、何かに気付いたようだ。
「困りました。このままでは飲めませんね。レートル、ストローを取って来てくれる?」
「はっ……。わ、わかりました」
その一声で正気に戻ったのか、レートルは走って部屋から出て行った。
「ストローってのは?」
「ああ、まぁ何というか。その状態でも飲み物が飲めるようにする道具、かな」
「それは普通に拘束を外してくれれば済む話じゃないのか」
「まだあなたから仕事を受けるとは聞いてないのだけれど?」
「はぁ、わかったよ。どちらにせよ、俺に決定権はないみたいだしな」
「いいえ。あなたにきちんと決めてもらいます。シオン、あなたはそうしなければ仕事を受けたとは言わないでしょう」
「まったく、窮屈な女だな。もうちょい詰めを甘くしてもいいんじゃないか?」
「仕事じゃなければそうします。あなたと一緒でね」
「あーもう、降参だ。いいだろう。だがもう一度しっかり確認させてくれ。仕事の中身の事だ」
「仕事は四つ。まずエルフラン自体がどう対処するつもりなのかを調べてもらいます。これは北東の取引相手と、どういう協定を結び、その狙いを察知しているのかどうか。またそちらの動きにはどう対応するつもりなのか、これらを含みます」
「エルフランの思惑を聞きだし、お互いの解決どころを探すということか?」
「簡単に言うとそうなりますね。彼らも自分たちが利用されているというのはわかっていると思うので、どう考えて動いているのかを知る必要があります」
「そこは話し合いの場でも作った方がいいのか?」
「その点についてはのちほど説明します」
「わかった。次は?」
「北東からの武器密輸ルート割り出しを行ってください。いくつかの情報は掴んでいますが、その確認行為です。もし我々の入手した情報が間違っていた場合、本当のルートを掴んでもらいます」
「それは骨が折れそうだ。こちらの行動に、そちらからの支援は期待していいのか?」
「一部装備をお貸ししましょう。その代わり、それらには発信機をつけさせていただきます」
「発信機?」
「ええ。離れていても居場所がわかるようになるものですね。奪われては困るものですので」
「持ち逃げされても、か」
「その点は信用していますよ、シオンさん」
またも女はにっこりと笑った。俺はこの笑顔が苦手になりそうだ。
「三つめに武器庫の爆破をお願いします。ルートの確定と繋がりますが、何処に運ばれて、どう保管されているのか。最悪それらを全て使用不可能にしなければなりませんから」
「それも装備の支援がもらえるのか?」
「ええ。爆薬はこちらで用意します。黒色火薬とは比べ物にならないものをご用意しますので、取り扱いには気を付けてください」
「装備の説明は?」
「もちろん、あとで実物を前に行います。で、ここが肝心なところなのですが。今から十日後、我々はエルフランのリーダーと会談を行います」
「それは、もう話がついているのか?」
「ええ。そういう話があっても、お互いが水面下で工作中、というのが現状ですね」
「なんか嫌な渦だな。その最中で動かなきゃいけないわけか」
「そこでの話し合いがうまく行くならば、爆破は必要ありません。まぁ、仕掛けては貰いますけど」
「爆弾仕掛けて話し合いかよ」
「それはお互い様。そんなわけで、会談までに相手の思惑をある程度知らねばなりません。カードの切りようがないですからね」
「最後の仕事は、まさかその会談に出ろ、とか言わないよな」
「言いませんよ。私たちの繋がりが知られると、色々と動きにくいでしょう」
「それはそうだが、ならどうしてそこが俺の仕事にとって肝心なところになる」
「もちろん、会談がただの話し合いになるわけはありません。エルフランの思惑がどうであれ、我々が爆弾を仕掛けるのと同様に、向こうからも動きがあるでしょう。となると、もちろん三つの仕事をそれまでの間に済ませて貰うというのももちろんですが」
「護衛しろとでもいうのか?」
「直接ではなく、露払いですね。それが最後の仕事です」
「暗躍して動く敵の動向を、更に暗躍して防げと?」
「そうです」
「無茶を言うな。一人で巨大組織に立ち向かえってか」
「変わらず、装備の支援を行います」
「装備の質どうこうじゃなく、手が足りないだろ」
「そうでしょうか。音を出さず数百m先を狙撃し、数十mの高低差を瞬時に移動し、遠目からでは視認すらできないとしたら、どうでしょう」
「なんだその、夢みたいな話は」
「その夢みたいな話が可能なのです」
「……本気かよ」
「あなたも、地下水路でのボットを見たでしょう。それらはあれの技術の延長にあります」
「待てよ。それが、もし本当だとしてだ。それなら俺なんかに頼らなくても、どうとでもなるんじゃないか? その装備をそっちの特殊訓練を受けた兵につけさせれば、多少地の理がなかろうが、何とでもなるだろ」
「そうですね。確かに、私が彼らを動かせるなら、そうでしょう」
「どういうことだよ」
「少々お待ち下さい」
女が目を伏せた、と思うと、扉の方からプシュッという空気が漏れるような音がする。
「なんだ?」
「……今、扉を密閉させて頂きました。これで、外に居るレートルには聞こえません」
「聞き耳をたてていたのには気付いたが、助手にすら聞かれたくないのか」
「そうなります。装備は私個人から、あなたへと送らせて頂きます。さきほど言ったものは実戦配備されていない装備でして。というのも、壊れたら修理不可能な技術なのです」
「よくわからないんだが、あんたらが作ったんじゃないのか」
「違います」
「納得できねぇな。そんなものまで引っ張り出して事を進めるほどなのに、何故兵を動かせない」
なんだかきな臭い話になってきた。
「実は、先ほど我々は少数派と言いましたが、じきにその少数派ですらなくなるのです」
「派閥闘争に負けたのか」
「ええ。水面下の戦いは既に決し、次の会議で正式に決定が下るでしょう」
「強硬派が勝った結果、エルフランへの軍事行動が始まるってことか」
「いいえ。貧困街そのものへ、のです。なので、これは私個人が、現段階で持てるすべてを駆使し、抗っているだけの、本当に一種の賭けなのです。私の任期も、次の会議が終われば解かれます」
「……なんつーもんに巻き込んでくれるかね」
「言ったでしょう。すべてを駆使しているんですよ」
またニコリと笑う。勘弁してくれ。
「戦争前の肩慣らし。兵士の訓練所。そんな理由で、死ななくても良い市民を一方的に殺戮するのを、私は許せません。しかし上層部は、貧困街の人間を人とは見ていない人ばかりなのです」
「それを、ただの個人であるあんたが止めようっていうのが、そもそも無茶なんじゃないのか?」
「可能です。あなたが居れば」
俺は大きくため息をついた。女へのあてつけだ。
要は、敗北が決定したこの女の、最後の足掻きに巻き込まれたということだ。
タウンからの依頼ですらない。
どういう信念かは知らないが、この女の執念によって、全てが動いている。
驚くべきはこの女の行動力か。
話し合いの場を設け、俺の身柄を確保し、貴重な装備を手配。更に失敗した場合も考え、相手の武装という、タウンが兵を動かす大義名分をも潰しにかかる。
末恐ろしい女だった。
少し認めるどころか、脱帽だ。尊敬すらしても良かったが、ひとつだけ気に食わない事があった。
俺はあきれ返った目に力を込め直し、女を見つめる。
女の目はぶれない。あくまでも強く、真っ直ぐに俺を見ていた。
気に食わない。
だから俺は言ってやった。
「ならその顔をやめろ。それは死地へと向かうような顔だ。俺はそんなものに巻き込まれる気はない。俺が居れば勝つ見込みがあるんだろ? だったら自信を持って笑ってみせろ。指揮官が余裕を見せてなきゃ、手足は安心して動けねぇ。笑って俺を送り出せ」
「……あはは。あなたも、私と同じで無茶を言う人ですね、シオン」
「お互い様だろ」
俺たちは二人、笑いあった。
こうして俺は。
このたった一人の女から、仕事を受けることになったのだった。
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