第7話 オオカミウオ
大きな水槽に囲まれて、通路は、ヒンヤリしていた。
つるつるの床に響くヒールの音。
不思議な顔のお魚いっぱい。
「あのさぁ~。なんか?似てない?」
「なに?」
振り向いた顔はまるでオオカミウオだった。
まさか(この魚、あなたに似てきますよね。」とは冗談でも言えなかった。
人は本当に似ているものにたとえられると、怒る傾向にある。
「なにかした?」
「いや。いや。なにも、ここの水族館レトロですよね」
「そう。そうだね。俺もさっきから思っていた」
石黒英樹、36歳。(独身・職業薬剤師)
髪の毛が細くファファ~リン。
(あ~嫌だ。)いまどきバナナ色した長そでポロシャツ着て。シャツはジーパンにインだ。
(あ~嫌だ。)は、もうひとつある。
この男とデートの約束して、ノコノコついてきた自分に。
この男の車に乗ったのも(ありえない)の始まりだ。
私と石黒は、同じ調剤薬局で働く同僚であって、彼氏。彼女ではない。
ただ一緒に働くだけの関係。
なんにもない。
小松香澄(28歳)は、薬局の事務窓口で働く。
二人の共通点は、入社した年だけ。
石黒は、以前、どこかの病院へ勤めていたが、ここに来た。
調剤薬局には、ほかにも薬剤師がいるが、みんな結婚している。
独身は石黒だけ。
彼は変わり者として、かわいい年下の受付嬢から、煙たがれていた。
顔も変わっているが、子供みたいに競うのが好きなのが、気持ち悪いといわれていた。
たぶん性格は悪くはないと思うが。微妙なランクだ。
なんどもいうが、香澄は、この男に対し、恋愛感情なし。
ときに、人は、仕事をしているとき、輝く時がある。
しかし彼にはなかった。
この男の特技は計算。
そろばん塾の先生のように声に出し唱えながら、薬を計算する。
その顔は、いきいきしているのだが、周りは、びみょう~な空気に包まれる。
リーゼ錠5mg、ワソラン錠40mg、マーロックス懸濁用配合顆粒、プロレナール錠5ug、
マーズンレンs配合顆粒、ラシックス錠40mg、ハーフジゴキシンkY錠0・1、ラベプラゾールNa錠10mg、イグザレルト錠10mg、ニトラゼパム錠5mg、エバステルOD錠10mg、
トラゼンタ錠5mg、ジクアス点眼液3%5mL
朝、昼、晩、14日分。
朝だけの薬、夜飲む薬。
錠剤の計算がはじまると、機械以上に早い石黒。
指先は暗算で鍛えたであろう見えないそろばんを叩いてる。
正解すると「ガッつ」ポーズ。
「コンピューターよりも、早い!」と、ひとり興奮するのだった。
薬の量が多い患者さんがくると、石黒は燃えた。
「はじまるぞ~」と冷やかす同僚女性の声も聞こえないほど、集中していた。
水族館はカップルが来る定番・スポット。
入り口近くに抱き合う妙なカップルもいたし、手をつなぐ若いカップルもいる。
光るブルーの水。ぶくぶく光る泡。ヒンヤリしたトンネル。
石黒の後ろ姿を見ながら、香澄は誘われてついてきた自分に悲しくなった。
(なんで、来たんだろう。帰りたい。けど、帰れない。車がないからさ。)
誰かに見られたら完全に誤解されるだろう。
そう思いながら、距離を置きながら歩く。
石黒のバナナ色のポロシャツが、薄暗い水槽が並ぶ館内に、蛍光人間のように見えた。
ちなみに顔は、ごっいオオカミ魚だ。
ニキビ跡をつぶしてボコボコになった頬。大げさにでかい目。
しっかり過ぎる二重瞼。笑うと虫歯で歯がボロボロだった。
息苦さ解消の仁丹の香りもたまらなかった。
(あ~なぜに、私はここにきた)
反省するものの帰る手段はなかった。
二人の横を通り過ぎる人でさえ、知り合いなのではないか?と、ビクついた。
お連れさんと、思われないように、頭の中では「兄です。いとこです。同僚です」を、唱えた。
石黒は前を歩き、時々、香澄の方を振り向いた。
イルカの絵の進行方向へ、歩く石黒の脇に抱えたセカンドバッグが、どっかの爺さんに見えた。
ただ二人は話すわけでもなく、ひとりひとりの世界に入りこみ、タンタンと魚たちを眺めた。
ときどき石黒は、気になる魚を眺めては水槽の前にある説明を関心に読んでいた。
角度をかえて、しきりに魚を眺める姿もあった。
(これはデートなんだろうか?)
香澄はしだいに疑問に感じてきた。
話はさかのぼること一週間前。
交代でお昼休みをとっているとき、患者さんが、ひけた時間だった。
二人きりになった。
香澄は窓口受付で、薬袋の整理をしていた。
調剤室から空のかごを受け取りに石黒は来た。
「来週の日曜日、空いてるか?」と聞かれた。
ちょっと待って!一瞬、いつもみているケロぴょんがひっくり返りそうになった。
「はぁ?」
香澄がビックリして見つめると、石黒はちょっと照れながら言った。
「水族館。行くか!」
「へぇ?」
その顔はまるで学生のように可愛らしかった。
みたことのない石黒の顔だった。
(まさか、こいつ。私のこと好きだったわけ?)香澄も突然の誘いに動揺した。
動揺するも、なにも、次の患者さんが入ってきて話は終わった。
それから一週間、お互い話もしないで、悶々と一週間が過ぎた。
(なにも・・。出会いがなくとも、こんな身近で済ませていいのか?)
香澄は今年、28歳。体重48キロ。
独身。
両親と三人暮らし。
楽しみは毎日の晩酌。
休日は、独身の友人と買い物とランチ。
貯金わずか。
でも気にしない。
流行りの服を買い。化粧して、週末は母を車に乗せて近郊の温泉へ日帰り入浴へ行く。
若いころ彼氏がいたけど、彼氏の浮気でお別れした。
その後、人間不信。いや~仕事しているうちに時間が過ぎた。
石黒からの誘いを受けて、香澄の好みの男性について真剣に考えてみた。
しばらく恋愛や結婚なんか、頭の中から消えていた。
仕事をして、酎ハイ(アルコール8パーセント)を飲んで、テレビを見て寝る。
恋愛映画やイケメン俳優にときめくことも薄くなり、最近ではジャニーズの若手が気になった。
ときめきいたときは、とうの昔になっていた。
しばらく恋愛感情とは、無縁だった。
ひとりで部屋で考える。帰宅途中の車の中で考える。
仕事中も、石黒が働く調剤室を見るのが怖くなる。
石黒の顔がまともに見えなくなる。
(マジ。やば。こわ。ありえないし。)
こんな気持ちになるのは、思い起こせば中学以来だ。
しかし、将来の生活を考えると、あいつは一応薬剤師だし、収入面ではいい条件だった。
しか~しぃ。
ゆずれないところが多すぎた。
まず、独り言。それからルックス。におい。
へんに清潔すぎると気持ち悪かった。
石黒は嫌いではないが、好きでもなかった。
でもあんな見かけは真面目そうな男が、突然、誘ってきたのだから、よっぽどのことだろう。
考え、考えたすえに、一度は誘いの乗ってあげようと決めた。
で。今日に至る。
誘われたのは月曜日。
予定していたのは、日曜日。
しかし、なかなか、日程が決まらなかった。
大型連休中は薬局も忙しく、話もしない。
で、(なかったことになったんだな~)と、思ったころで、
日にちと時間が決まった。
約束が決まったとたん、なぜか、気が付いたらユニクロでデニムのスカートを買っていた。
次の日、また、また、上に羽織るピンクのショールも買っていた。
待ち合わせは家近くにのあるドラッグストアー駐車場。
昔、彼氏と会った時も、こうして家から離れたところに停まってもらっていた。
車が来て乗り込む。
相手は、あの時の涼しい目をした彼氏ではなくて、怖い顔のオオカミ魚。
乗ったとたんに泣きたくなった。
なぜ?断らなかったのか?
オオカミ魚の勇気に、付き合っただけ。
一回きりのうそのデート。
嫌いなの王子の馬車に乗りこむ哀れなお姫様といったところだ。
かわす言葉も何もない。
気を使って話すこともしない。
大きなセダンの白い馬は、たぶん、高いと思う。
そして室内は清潔であった。
若い人が聞く音楽もなく。
ローカルエフエムが流れていた。
会話なくともラジオのDJが、代わりに話し続けてくれた。
心のなかで、言い訳しながら歩く。
音が反射する海のトンネルの中を。
「ピンポンパンポン~♪~んんん」
「お知らせします。午前11時に予定しておりました。イルカショーは、水槽内点検のため中止となりました。なお、次のイルカショーの予定時刻は、午後一時半を予定しております。なお、怪獣広場内では、午後12時からとどのショーを開催いたしますので、ぜひ、お越しください」
「ピンポンパンポン♪~んん。」
館内放送が終了したところで、香澄から石黒の方へ歩み寄った。
なんだか、車の中でも、水族館へ来てからも、ほとんど話さない香澄だったが、石黒の背中を見ているうちにかわいそうに思えてきた。
まわりのカップルたちは楽しそうに笑っていた。
(誰もいないし)
周りをみたら、知らない人ばかりだったせいもある。
大人千五百円のチケットも出してもらって、知らんふりは大人げないとも思った。
「残念だったね。イルカショー」
香澄は肩掛けのシルバーのバッグを揺らして、甘えた声で話した。
その様子を石黒は冷めた顔つきでみた。
「あ~そうだね。しかたがないね。」
「うん!」甲高い声をあげてしまい、香澄は自分が嫌になった。
「これからどうする?」女は魔性である。
さっきまで、あれだけ嫌っていた香澄であるが、急に甘えた声を出して聞いた。
「15分にペンギンのショーがあるらしいから、とりあえず、怪獣館の方へ移動した方がいいかな。」
ゴロンとしたGショックを見つめ石黒は話した。
石黒の細い髪の毛が揺れる。よく見るとバナナ色のポロシャツはラルフローレンだった。
デッキシューズも革。むき出しのベルトも品物がよさそうである。
小金持ち特有のいでたちだった。
オオカミ魚石黒は、なぜか?ペンギンショーが楽しみらしく。「時間がない!早くいこう!」と話した。
つられて香澄もテンションが上がってきた。
白いハイヒールが小走りするたび、館内に響いた。
さまざまなカップルや、家族連れがいるなかで、二人は品の良い大人のカップルにみえるだろう。
人ごみのなか前を歩く石黒の背中を見つめながら、香澄は想像した。
もしかして、ずいぶん前から、私を気になっていたかもしれない。ずっと、言えずにいた片思いの恋。
そして、ようやく勇気をもち、告白。
初めてのデートは水族館。(~むかし~初めて付き合った彼に言われたな~。)
「お前と一緒に、水族館へ行きたいな~」とぉ。。。でも、断ろう。
タイプじゃないし。でも、もうすこし、様子をみてみようか?
どんなに今日は、緊張して、おしゃれして(バナナ・ポロ)、勇気を持ち来たか?
想像すると泣けてくる。石黒よ!嫌いではないけど、付き合いたくないオッサン。
(なぜ?私を誘ったのか?教えてほしい。ほかにもいる、キャピキャピの若い事務員女子を差し置いて・・・。)
(なぜ?わたし?おしえて!おしえて!)香澄の心の中で、大合唱が、始まった。
石黒の髪が小走りで揺れるたびに、岩石みたいな顔が現れる。
慣れてくると、角度を変えると、織田裕二にも似ているかも?してない。
不定が肯定。
この男が帰りぎわ、車を降りるときに「付き合ってください」と言って来たら、ひとまず勇気は受け取り聞いてみよう。
「ごめんなさい。同じ職場では・・・。ちょっと」
「いや。人目があるのなら、周りに気が付かないように、付き合いましょう」
「そんな~。」
「僕は真剣です」
「考えさせてください」
「いつまでも待っています」
「・・・。」コクンと、うなずく。
そうして深入りしない程度、お付き合いして、プレゼントも、もらい。別れる。
失恋した石黒はほかの調剤薬局へ移動。
ジャンジャン!おしまい!
香澄の生み出したシナリオは、ざっとこんなものだった。
石黒は坂を下ったところにある怪獣館へ行くと、室内では見せない満面な笑顔だった。
日差しがまぶしい。
天気は晴れ!
青い空と、空が海に映り真っ青。
白黒のペンギンたちはお姉さんの声で、芸を始めた。
ペタペタかわいい足をならし、水が流れる滑り台の上を滑った。
かわいいペンギンの姿に石黒は目を細染めて笑った。
若い家族連れが、赤ちゃんを抱いて、ペンギンを見つめる。
香澄は家族づれの母親と年齢が近いことを感じた。
今まで思ったことなかった。
久しぶりの水族館。
何年ぶりだろう。
小さな子を連れた患者さんがよく来る。
髪を振り乱し、カジュアルな格好をして、大きなトートバッグに、はきつぶした靴。
ときどき子供も母親も、すてきな格好をしているおしゃれさんもいるけど、基本、みんな似たような感じだった。
夫の所得によって生活も一偏する。
そのなかでも薬剤師は高所得者だ。しかも、再就職先もたくさんある。
調剤薬局に来るときは、輝いて見えない若いママ達も、こういう行楽地では、ひときわ輝いて見えた。そりゃ~そうだ。子供や自分が病気で来るんだもん。来るときはヨレヨレだ~。
眩しい家族連れ。
薄毛の石黒。
真横のカップルは、指を何度も絡めていた。
しまいに彼氏のポケットの中に彼女の細い指が消えた。
風が石黒の薄毛を動かした。
「どうして?わたしを、ここの誘ったんですか?」
香澄は石黒に、勇気をだして尋ねた。
石黒の顔が変わった。
空気一変する気がした。
(怒っている?)
「約束したでしょう。入社した日の歓迎会でさ。」
「え?」
「私がもし、5年後。まだ、この薬局で、独身で働いていたら、水族館へ連れて行ってって、小松さんが、話した約束だよ。」
「は?」
「彼氏と、別れて、二度と水族館へは行かない。仕事頑張るから、それまで職場にいたら石黒!連れていけ!ってさ。ハハハ~覚えてる?」
「は、はいいい」穴があったら入りたかった。
「今日は、薬局の仲間のみんなのおごりで、僕たちにチケットや昼飯代、もらったんだよ。」
「まじ?」
「そ、」
「そ。」
「そ、」
「そ。」と笑う香澄の顔に力がなくなった。
少しでも距離をおき、彼氏ではないアピールをした自分が、バカだった。
どうりで石黒は前を歩いて、淡々と水族館見物しているし、ドキドキ感も、馴れ馴れしさも、淡い恋心オーラもないわけだ!
ほんな・さいなら~。
納得りんこ!
心のしがらみと、変な想像は無一文!すっきりビーム全開だ!
「あぁ~ちょ、ちょお、ちょっと!あんたに、みせたいもんあるの!」
香澄は石黒の腕をつかみ大声で話した。
「なぁ!なに?」
「い~からきて!」
香澄の細い手のひらが石黒の腕をつかむ。
暖かい体温と、香澄の甘い香水の香りに石黒は一瞬、動揺した。
数分前と、イヤ一週間前~。そう、香澄は一瞬にして戻った。
魔法をかけられた姫が目を覚ますように。
「あのひと?いくつ?独身?怖いんですけど~!」の香澄に戻った瞬間だった。
「やばい!ちょ~うけるし~あハハハハハ~」通り過ぎる子供は振り向いた。
ベビーカーを引いた母親は、嫌な顔をした。
甘い香りに誘われて若い父親は振り向いた。
石黒の腕をつかみズカズカ歩く香澄は、いつもの白衣を着たてきぱき事務員さんだった。
石黒は動揺した。
よくみると香澄はデニムのスカートをはいていたからだ。
足元のヒールも女性らしい。
坂を上り連れてこられたのはさっきの水槽が並ぶ館内。
息を切らしながら香澄は大声で笑った。
「あんたにそっくりな魚いるんだわさ。ほれ~」
そこにいたのは、灰色のオオカミ魚だった。
香澄は得意になり大声で笑うと写メを取り始めた。
「石黒!あんたににてるでしょう。アハハハハ~」
あんまり香澄が楽しそうなので、つられて石黒も笑った。
その後、医師や、仲間の薬剤師にそっくりな魚を香澄は紹介して笑った。
石黒の腕をつかみ歩くたびに、石黒は胸のハートに矢がささるように、ドキドキした。
水槽にいる魚よりも、水槽に映る香澄がかわいく見えたからだ。
(やばいっす。なんなんだ~!このドキドキは。)
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