第5話 パノラマ水槽
大きなエイの口をみていた綾子の横を、血相変えた男性が走って行った。
青い顔の従業員だった。
お尻を押さえて走って行った。
その姿をチラッと見るが、それよりもこっちの方が気になった。
「なにもこんな所で、いちゃつかなくてもいいのにね~」綾子の顔が曇った。
海のパノラマ回遊水槽。
入館すると、一番初めにある幻想的な水槽トンネル。
レモンシャークやエイ、青光の体が美しいサバの群れ。
圧倒される海の生き物と、昼間でもほんのり暗い水槽が並ぶこの建物。
素敵なこの海の中に、どういったわけか、わけのわからないカップルが目を閉じて抱き合っていた。
不思議でならない。
なにか?おまじないか?なにか?なのだろうか?
通行人の邪魔にならないように、水槽の隅で硬く抱き合う二人。
男は女の背後から抱きつき、まるで、ラッコが貝をお腹にのせているようだ。
二人は水槽の生き物をみるではなく、ただ、目をつぶり抱き合っている。
察するところ、男性の年齢は20歳後半から30代半ばというところ。
女性は10代後半か、20代前半だろう。
男の髪は毛染めの色がはげたつやのないバサバサした長い髪。
ケミカルジーンズに、80年代に流行したDCブランドのヨレタ長そでシャツ。
男の日焼けした筋肉質の細い手が、ふくよかな女のお腹をがっちりとつかむ。
女性は目を閉じているが、まだ、あどけなさがうかがえる。
もしかしたら高校生かもしれない。
胸のあいたピンク色の大きなトレーナー。短いピラピラレースにスカートから覗く、香りまで感じそうな太い太もも。
ニキビの上に乱暴に塗られた化粧が若さを強調していた。
「パパ。行こう」
綾子は夫の手をつかんだ。
その先には息子の良太郎が水槽の魚を眺めていた。
夫はニヤニヤ二人を眺めていた。
「なんだ?あいつら?」
「さあ~。バカみたい」
「なんで、あんな風に、水槽の隅で抱き合っているの?」
「なんかの儀式か?」
「もしかして?テレビのモニタリングなんちゃら?」
「まさか」
幻想的なマリンブルーの世界に酔いしれたひと組のカップル。
入り口から入ったとたん、水槽の隅にいるカップルに、観客らは驚いていた。
「あ~びっくりした!」とぶつかりそうになり、話す女性もいた。
しかし、このふたり微動だにせず、動かない。
(離さない)とばかりにお腹に手を回す、もうじき?中年?のおっさん男性。
そして、はじめて強烈にアタックされ、恋の主人公になった気がした青いお姫様。
怪しい二人に、水槽で泳ぐサバどころじゃなかった。
「見ないように」と小学生の息子に言ってはみても、綾子は見てた。
海の中にいる気になるトンネル水槽。
肌寒ささえ感じるブルーの空間。
綾子は少し歩きながらも、魚を見るふりしながら、このお祈りカップルを見て、「びっくりした!」と、話す人の群れを見ていた。
人の驚く顔が面白い。
息子の良太郎は、飽きたらしく「先にいく」と、案内ルートの先へ歩き始めた。
その後ろから夫がついて行く。
「面白いのがきたぞ!」
夫はそう残し、息子のあとを追った。
夫が指差した方向からは、ツアー客か?集団がやって来た。
社内旅行だろうか?
「ケッケ~ケラケラ~♪」笑い声が聞こえる。
まるで「イカ踊り」の集団が、音楽と手拍子で歩いてくるようだ。
ベビーカーを押した若い夫婦や、館内案内のパンフレットを持つ学生集団の後ろから、賑やかな集団の気配がする。
(さて、この人ごみのなか、あの銅像状態のカップルの行方はいかに・・・)
綾子の鼻の穴は膨れてきた。
(このさきどうなるのか?)
集団の頭がこちらに近づいてきた。
綾子は魚を観察しているふりをして、水槽に映るカップルと集団を見るチャンスをうかがっていた。
人の波に押され、一瞬、綾子の視界からカップルが消えた。
このままだと、波に流される船のように沖に連れていかれそうだ。
(早く、順序どうりに見学しろ!)ということか?
(でも。負けない。まだ、みたい!)
お祭り騒ぎの集団は、しだいに銅像カップルに近づいてきた。
視界から消えた二人の足が、カーテンが開くように、見えてきた。
男は彼女の首筋に頭を下げて深くうつむく。
女は長い髪をダランと、下げて目をつぶっている。
この体制を保つだけでも辛そうだ。
上流目指して川を上る鮭だったら、うろこが剥げ、ボロボロだろう。
頑固なまでにこの姿勢を保っている意味があるのだろうか?
しかも、この人ごみで。
(これは面白いことになるぞ!)綾子はしだいにワクワクしてきた。
「工場長~!!こっち!こっち!」
集団は、ゴーゴー音をたててくる激流のようにやってきた。
「いやぁ~すごいよ~お魚さ~ん!ぎゃっはっは~デカっ!」
斜めがけの派手なビニール製のバックを肩にかけた、痩せたオバちゃんが、銅像お祈り抱き合いカップルに、ぶつかりそうになった。
そのあと、じっと~二人の姿をみる。
驚き。
その瞬間!
「わぁ~!」と叫んだ。
さらに、大きな声をあげて叫んだ。
「ふじわらさ~ん~ちょっとぉ~」
「ちょっと~きてぇ~!」
指差して相棒を呼んだ。
「なに?」
やってきたのは、体の大きい、短髪ライオンのような太った女性だった。
「なにさ。」
「このひとたち、みて!」
「は?」
短髪ライオンの藤原さんは、銅像カップルを横からジーと見つめた。
体は銅像男性より、はるかにデカかった。
進行方向へも進まず、ただ、パノラマ水槽前で抱き合うために来た?はてな?カップル。
綾子は遠くからその姿を見る。
(ライオン対カラスだな)
「なに?どっきり?」
ライオン藤原は、口元からでるヨダレをぬぐいながら、ビニールバックオバちゃんの肩をたたいた。
「あはあはははははっ」
次に、この楽しみを分かち合いたいとばかりに叫んだ!
「工場長~なんか。へんなの、いるしぃいい。あはははっはは~」
工場長と呼ばれている中年の男性は、聞こえないふりしていなくなった。
「イハハハッハハ~」笑いは止まらない。
「なにしたの?」と聞きにきた同僚と思われるオバちゃんに、訳を説明しょうとしているのだが、笑いが止まらず、ライオン藤原は、指をさして「あれあれ~」とカラス男性の頭を差した。
「ななんんか~さ~」
「どっきりだってさ」
顔を赤らめながら笑っていた。
誰が?このオバちゃんたちを仕掛けるのか?なんて考えや~しない。
「トヤマ水産の旅行」のアトラクションのひとつだと思っている。
「イヒヒヒイヒヒヒヒイ」笑いは止まらない。
笑いは感染する。
ライオン藤原の顔が可笑しいと、次の笑いが生まれる。
「ケラケラ~リ~ン」
「あんたの。赤い顔、おかしいよ~♪」
「あんたの方さぁ~鼻水だして。」
「ところで工場長どこ行った?」
「さぁ~。」
「あれれ~おいていかれるっぺ!」
「いっがぁ」
「うんだ」
パノラマ水槽に来たお客さんも、オバちゃん達の笑いの矛先をのぞいた。
現れたのは、あの銅像カップル。
男性、女性。
ともにうつむき下を向いて。
ただ、抱きしめ合って立っている。
どんなに笑われようと、けしてめげずに自分たちのポリシーを貫く。
恐るべき人たちなのだ。
(・・ある意味。・・尊敬する)
綾子はサバが群れをなして泳ぐ水槽トンネルの小窓から見ていた。
二人は動かず。
ただ、水槽の隅で、ラッコスタイルのまま。抱き合っている。
痩せたカラスと、スケベな香りのするピンクくま。
何を考え、何を目的に、そして、どうして、こうしているのか?
これは、二人にしかわからない。
「早くいこう!」
息子の良太郎が水槽に顔をつけて怒っていた。
その顔をみて綾子は我に返った。
「なんだか、いろんな人がいるね」
(ほんと。そうだね)
細い声でサバが話した。
綾子は、良太郎の手を握ると、パノラマ水槽を後にした。
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