第2話/3


『その双子は対称的だった。見た目はそっくりなのに』


『知らない者の居ない方は、誰からも触れられない場所を目指したけれど。

 名前の知られていない方は、そんな場所に興味はなかった』



                            ――LとKについて。








 








地球は丸い。知識としてそれが頭の中にある。しかし、それを再確認し、しみじみ思うことは人間、滅多にないだろうな。

 とてもなだらかに曲線を描いて広がる地平線を見下ろしながら、OZのリーダーであるカカシはそう思った。


 時計塔が見えてきた。ミリオンダラーの二番【大強盗】OZの目的地。強盗行為の始まりの鐘は、彼らが打ち鳴らさなければいけない。

「だっていうのにカカシってば! また寝坊!」

 キィン、と風を切る音を立てながら真っ赤なワンピースを着た少女、ドロシーが頬を膨らませて横に現れる。足元のボードからは、絶えず光の粒が後方に振りまかれていた。

「もうっ! レオもスズも退屈で死んじゃうよ! カカシの寝坊助!」

 それを欠伸でスルーするカカシ。両手を腰に当て、いっそう頬を膨らませるドロシーに対して、カカシの代わりに返答したのは、無機質な女の声だった。

「Pi.昨夜、マスターは作戦に不備がないようにと、私のメンテナンスをされておりました」

 カカシの乗る、真っ赤な個人飛行機――HT2Sに搭載されたAIシステム<レイチェル>は、簡潔に主人が寝不足である理由を言った。

 もぉ。とドロシーは腰に当てた両手を挙げ、そのまま空中で仰向けに倒れ、ぐるんと一回転。体勢を戻すと再びカカシに並んだ。

 空にまかれる光の粒は帯となり、二人の軌跡となって時計塔を目指す。光の帯は三本あり、一本は言うまでもなくドロシーの乗るFPボード――スカイフィッシュシリーズ・モデル<サンデイウィッチ>。残り二本は、カカシの載るHT2Sの両翼から作り出されていた。


 現在、世界に唯一にして、おそらくは世界で最も空気を汚さない飛行艇。それがカカシの愛機だった。


「ねぇカカシ。最近、トトって太ったよねぇ」

 話題を変え、ドロシーが問う。トトというのは、彼等がアジトで飼っている犬だ。

 有名な童話に沿うのなら、利巧でなければいけないが――生憎と彼は、自分が埋めた骨の場所を忘れる程度の脳味噌しか持ち合わせていないらしい。

「……ドロシーが甘やかして色々食べさせるからだよ。……スズもスズで動物好きだからサラミとかよくあげてるし……」

 カカシは溜息を吐く。ドロシーは彼の頭を超えながら、その頭を軽く叩く。

「ぶー! なんかカカシってば最近つまんない! 今日だってこんな良い天気でさ、もうすぐお宝だって手に入るのにさ! そんな小さなコトばーっかり気にして!」


 小さなこと。それもそうか、とカカシは思う。もう一度、さっきよりも大きくなった時計塔を生やした地平を見て、カカシはもう一度、小さなことを思った。

 ドロシーの言うとおり、今日は天気が良い。空は青く広く大きい――僕はそれに残酷さを見ている。いつからだ? そんなもの決まっている。それは――

 思考が分断された。

 空気を切り裂く音が迫っている。それはまるで戦闘機のような……その連想を、少なからず自嘲を含めた溜息で殺した。人を殺せる戦闘機に乗っているのは、他でもない自分ではないか。

「……ッ! カカシっ!」

 後ろを見ていたドロシーが声を上げる。それに倣い、後方を確認した。……カカシが見たのは、消え去ろうとする五本の光の帯。二本は自分の、一本はドロシーの描いた軌跡だ。残り二本は、誰が?

 残り二本を描いた相手は見つけられなかったが、ずっと聞こえている独特の風切り音。それには覚えがあった。

「……。モデルは……<ジャバウォック>か。レイチェル、準備は良い?」

「Si.貴方が望むままに、マスター」

 愛機の心強い返答に頷く。しかし、悪い予感は拭えず、疑問は今になっても解消されないどころか、増えていた。

 ジャバウォックの作り出す轟音は、ひとつだった。しかし確認した妖精の粉は二つ。

 “スカイラウド”の名前通り、このシリーズは総じて飛行音が喧しい。そんな<ジャバウォック>の出す音に隠れているだけなのだろうか。

 OZの強盗行為がスタートする地点まで到達しようというところで、けれど彼らは幕開けの合図を出せなかった。






 しかし、物語は幕を開けた。他ならぬOZを差し置いて、合図を高らかに。

 時計塔から数キロ離れた場所で火柱が上がる。カカシの耳には届かなかったが、時計塔の近くでは銃声が響いていた。

「様子がおかしい……ドロシー、注意して――ドロシー?」

 真横にあった少女の姿はない。







「アハッ! アハハハハ! 驚いた? 見てごらんよダンプ!カカシってば凄い間抜け面してんだぜ!」

 代わりに、轟音と光の粒を吐き出す――カカシの推測どおり、ジャバウォックと呼ばれるボードに乗った少年が笑っていた。

「ッ!」

 息を呑む。ケタケタ笑う少年を無視し、カカシは身を乗り出して下を見た。

 ドロシーは自らの進む空の道を妨害され、それでもカカシのいる位置に戻ろうと大きく空に黄金の弧を描く。それに追走し、その行動を妨害しているもう一人のFPライダー。そのボードも――

……どういうことだ?」

 目の前の少年を睨む。

「え? え?どういうことだってどういうことだ? あぁ、カカシはわかってない? わかってないのかい? なるほどなるほど。つまりキミは、つまりはキミは、やっぱり案山子スケアクロウだったってことだね! その頭の中には、藁しか詰まってないって!」

 ケラケラ笑って、ジャバウォックに乗った少年は視界から消え去った。

 まるで歩いていたら、話をしていた隣の人間がいきなり落とし穴に落ちてしまったかのよう。

(――先にドロシーを狙いに行ったのか……? )

 カカシはHT2Sを急旋回させる。狙うとは穏やかな発想ではない。だがもう明確に認識していた。こいつらは、敵だ。

「おっとおっと! それは本当かい? それだったらちょっと困りごとじゃないかハンプ! ボクらの獲物がそんな馬鹿だったら、そんなに馬鹿だったらボクらは悲しいよ!」

 再び唐突に、少年が顔を出した。とりあえずは人を馬鹿にしたような言葉をもう一度無視し、ドロシーを窺う。

 彼女はさっきとまったく変わらず、もう一人のジャバウォックに乗るライダーに妨害されていた。

「あぁぁもぉ! うっざいのよアンタたちぃぃぃ!!」

 ジャバウォックの轟音に負けない、ドロシーの叫び声。……少しだけ穏やかに息を吐くことができた。少なくとも、まだ彼女は無事だ……ストレスの溜まり方は置いておいて。

「あのなあのな、いいかい脳無しスケアクロウ!」

 右側で追走していた少年が消える。

「まったくまったく、少しは考えてくれよ!」

 左側に少年が現れる。聞こえる轟音は今、確かに二つだった。



「「ボクらはティー。二人で一人のハンプ=ティーとダンプ=ティーなんだよ」」



 左右から同時に放たれる声。HT2Sを軸に、四つの妖精の粉が軌跡を描く。戦闘機の出す風切り音はひとつで、ジャバウォックの出す風切り音もひとつだった。

「だから、だからさ。ボクらにかかれば――」

「――音を合わせることなんて、とっても簡単。オーケー?」

 それが、カカシの浮かべた疑問への解答だった。乗りこなすFPボードも、トランプ柄のマフラーも、紺色のタートルネックも、暗い茶髪の髪型も目も肌も全てが同一の、双子ライダー。

 その二人を振り切るように、HT2Sの速度を上げ、上昇するドロシーと交差すべく降下する。

「あーっ! あっあっ! 駄目だよカカシ!」

「そうさ! キミのダンスの相手は違うって!」

 何故か慌てる双子を無視。

「カカシっ! あっ」

 ドロシーが手を伸ばしていた。カカシは操縦桿を握っていた。二人の視線が合う。先ん出て双子がドロシーに向かう。大空に描くFPの軌跡は金色のハートのようだった。

 ハートは螺旋となり、ドロシーを巻き込んでいく。

「「ドロシーの相手は僕らがするよ。……まったくまったく、これで良いんだろう?」」

 ドロシーの伸ばした手は、届かなかった。二人はそのまますれ違い――カカシは再び愛機を旋回させ、上昇を試みる。

 地上では、空を見た全ての人間がそのまま動かなかった。

 

 民衆、警察、賞金稼ぎ――その全てが、彼らの舞台を見る、観客だった。


「――ええ、上出来よ。ハンプ、ダンプ」


 声と影がカカシに落ちる。そうして彼は、自分の不覚を悟った。 そして自分の仮説がことも。

 <ジャバウォック>の轟音に隠れて、もう一人が、いたのだ。


「とびきりの物語を用意したわ。お茶もお茶菓子も素敵よ。だから楽しんで頂戴、OZ……カカシ」

 その足にはやはり、FPボードがあり、妖精の粉を振りまいている。

「……スカイラウドシリーズ、モデル<クィーンオブハート>か。気づかなかったよ」

 両手で風を受け、ゆるくウェーブがかった栗色の髪を流した少女は、穏やかな笑みを浮かべてカカシを振り返った。


 真っ赤なワンピースのドロシーと対を成すような、空と雲を混ぜたような淡い青。

 アリスブルーのドレスをはためかせ、少女は静かに、始まりを口にする。

「お久しぶりね。歓迎するわ、カカシ――ようこそ、不思議の国へ」

不思議の国ワンダーランド……【怪盗】の?」

「えぇそうよ【大強盗】さん。貴方たちが狙うのは何だったかしら、まぁ良いわ?

 ふふ――だってわたくしたちは、宝を見つけてしまったもの」

「あああああッ! アンタなにカカシに色目使ってンのよぉー!」

 遠くでドロシーが、双子のティーに阻まれながらも指を突きつけ叫んでいる。

 アリスと呼ばれた少女は、風に流れる髪を一度掬い上げ、ふんと鼻を鳴らした。

「竜巻は呼んであげても良くってよ、ドロシー。だけど――

 そうして、大切な思い出を抱くように手を合わせて、言った。

も、も、みんな、みぃんな、迷ってしまえば、良いのだわ」

 渦中であるというのに、瞳を閉じたアリス。カカシには、新たな疑問がひとつ浮かんでいた。

 ミリオンダラーの八番【怪盗】不思議の国ワンダーランドが二番の【OZ】に喧嘩を売ってきた。それは疑問ではない。互いにヨーロッパを縄張りとするならば、そのくらいあっても不思議はない。


 そんなことよりも、もっと純粋に彼の思考に居ついた疑問があった。カカシはそれを、目の前の少女に問うことにした。


「ごめん。いいかな、その、アリス? ……久しぶり、って言われたけど――

 ぴき。

 空気と、アリスの自尊心に亀裂が走った。

 幸せな夢を見ているような少女の表情は、閉じられた瞳が開くと、戦場で仇を見つけた人間のそれになっていた。

 カカシは慌ててフォローを入れる。

「あっごめん。ドロシーも名前も知っていたみたいだから、やっぱり知り合いなのかな……どうしよう、本当に記憶がないんだ。あの双子に、頭に藁が詰まってるって言われても仕方ないよね、その……本当にごめんね?」

 ぴきぴき。 

 それが決定打になった。今日は暖かく、それでもファッションでマフラーを選んだ双子は絶句しつつも、自分たちのチョイスはある意味、間違いでなかったのだと思う。

 寒気がしたのだ。

「くふっ……あはっ! あははははははは!!」

 追い討ちをかけるように、ドロシーが大声で笑った。さっきまでの不機嫌はどこにいったのか、というテンションの変わりっぷりである。

 優雅。その言葉を着こなしてOZを茶会に誘った少女――不思議の国のアリスは、肩をわなわなと震わして……

「い、いいわ……良くってよ。忘れたと言うんだったら、思い出させてあげるわ! ハンプ! ダンプ! ドロシーを空なんてもう飛べないようにしなさい! お家に帰さない? 気が変わったの! レオもスズも、今頃は滅茶苦茶になってるわ! いいことカカシ! わたくしを傷つけた罪は、白い薔薇を赤く染めたって消えたりしないのよ!!」

「Pi」

 それまで沈黙を貫いていたHT2SのAIシステム、レイチェルが一度だけ電子音を鳴らす。無機質なそれはけれど、僅かな憐憫が含まれているような響きだった。

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