第2話/4


 時計塔の巨大な文字盤にある二つの針が重なった時、路地裏では二人の視線が重なった。

 銃弾を文字通り斬って捨てるという離れ業を見せた剣士、【不思議の国ワンダーランド】のマッドハッター。

 その魔剣に対して【OZ】のガンマンであるレオは、あろうことか。剣の間合いに踏み込んだのだ。

 マッドハッターの内心に生まれた僅かな驚きは、しかし何の不具合も起こさない。自ら死にに来たのなら、望み通りに殺すまで。

「童話のライオンには勇気がなかったが、君には思慮がないのか? 私にはその一歩は蛮勇ではなく、ただの自棄に思えるのだがね」

 左手に握った仕込みステッキに右手が添えられる。放てば首が飛ぶまでに秒を必要としない、マッドハッターの居合い抜き。そんな芸当は見るのも初めてだったが、レオは嘲るように言った。

「だったらさっさとやってみろよ」

 もう一歩。踏み込みには遠慮も恐怖もない。大口径の拳銃――レイジングブルを持った右腕が上がる。

 間合いに入った。一瞬の銀閃。切っ先はレオの首を飛ばそうと奔り――

「なに」

 甲高い金属音。銀色の刃はレオの首に届く前に、同じ色の銃身に防がれていた。

「……へぇ? 日本のカタナみてぇだな」


 きちきちと銃とぶつかり合って音を立てる刀身を横目に、レオは感想を洩らした。親指が撃鉄を起こす。銃口は――マッドハッターの頭を狙っていた。

「ふん、面白い……ガンマン風情が、剣士の間合いで勝負を挑んだな……!」

 刃がステッキに飲み込まれる。居合いの抜き打ちが神速なら、その納刀も神速だった。

 レイジングブルの引き金が引かれる。だがそれより僅かだけ早く、再び居合いが放たれた。下から上に振り上がる銀色の一閃。手の中で跳ね上がるレイジングブル。

 銃弾は的を外し、裏路地の壁に新たな弾痕を刻む。

「ちッ! ……! やるじゃねえかマッドハッター!」

 レオは獰猛に笑い――

「――足りないだと?」

 この男は何を言っているのか。

 その言葉の持つ意味に思い当たった時、今度こそマッドハッターに戦慄が走った。

 レオ。この男は、銃弾の速度が剣の速度に劣ると認めるや否や、それを覆すべく、死地に踏み込んできたのだ。機構である銃は、その弾速を変えることはできない。

 レイジングブルマキシ・オーバーカスタムの到達時間では、マッドハッターの居合い抜きの剣速を超えることができない。ならばどうすれば良いか。答えは単純だ。

「そうさ。俺のディアボーラがテメェの剣より先に、テメェの頭に辿り着くには、しかねぇだろ? いいかイカレ帽子屋。俺は死にに来てンじゃねえ……テメェを殺しに来てンだよ」


 上がることの無い弾速。時間タイミングは互角。では何をもって拮抗するか――

 残るは“距離”だ。

 二メートルでは銃弾ごと額を斬られた。二歩詰めても防がれたが、それは銃を跳ね上げられて、だ。なら、あと一歩。この距離なら――たとえ銃弾より速い剣が相手でも、頭を撃ち抜ける。

「それが理由か。……しかし、理解できないことが二つある。ひとつはもう解消するが、二つ目を解消せんことにはすっきりしない。だから、この一撃はあえて、君を殺さずに放とうと思う」

 マッドハッターはステッキを奔らせた。レオはこれを防げなかった。照準を合わせることもできなかった。抜かれた刃の、残光すら知覚できなかった。

 腿を切られたと理解したのは、納刀が終わって、更に瞬き一回分の後。血が流れ、痛みが身体に伝わってからだった。

「ひとつめ」

 マッドハッターは期待外れだ、と溜息を吐いて口にした。

「今までの私の剣が、?」

「な、に……?」

「だとすれば、酷い侮辱だ、レオ。私は君を本気で殺すつもりだったが、全力など出してはいない。それはとても疲れるし、君の相手だけが私の仕事ではないからな」

 断たれた血管から血液が噴出す前に、刃は通り過ぎていた。ゆえに刀身に血は付かず、銀色のままステッキに消える。

「フォーファングデーモン、だったか? “四つ牙の悪魔”の名が泣くな、レオ? 君の牙は一度とて、私に届いていないのだから。さぁ二つ目だ。この疑問に対する君の答えが、勘だ何かだという、くだらない理由でないことを願うよ――全力でなかったとはいえ、どうして私の一撃を防げた?」

 腿を切られたレオは、もう距離を詰められない。そして、この距離では銃は間に合わず、剣も防げない。

「……ハッ」

 激痛を殺すように、それでもレオは笑った。笑わずにはいられなかった。

 たかだか一発切られた程度だ。死んでもいねぇのに、ぎゃあぎゃあ喚けるか。野郎も野郎だ、俺がそれを口にしないと、わからないときた。これが笑わずにいられるか、と。

「……見た目は色物だが、根は素直だなぁ……?」

 それでも息が上がる。仕方が無い。こいつの言うことはもっともだ。

 ってのに。

「それが返答か?」

「あぁ。手前の狙いなんて判りやすいっつってんだよ。間合いに入ったら首を一閃で終わりってか?」

「なるほど、理解した。なに、迷いがあれば剣は鈍る。素直というのは、褒め言葉として受け取っておこう」

 モノクルをかけた左目だけを閉じ、マッドハッターは終わりを宣言した。

「――チェックメイトだ、レオ」


 半歩後ろに下がる。二人の距離は二メートル。マッドハッターには必殺の、レオにとっては最悪の間合い。


「あぁ、俺もテメェをぶちのめした後、やらなきゃならないことがある。これで終わりにしようぜ、マッドハッター」

 絶体絶命。その中でそんな言葉を口にしたレオが、マッドハッターには滑稽に映った。

「そうだな、君の人生に幕を下ろそう……なに、物語はもう少し続くが、君はどこか遠くでエンドロールを眺めたまえ」

 ステッキに手がかかる。

(悪ィな坊。俺は間に合いそうもねえから、今回の獲物は奪えねえ。)

 レオは息を吸って、吐いた。覚悟は決まった。


「いざ、さらば――フォーファング」



















「――テメェには敗因が二つある」

 先に動いたのはレオだった。残り二発となったレイジングブルの銃弾が放たれる。

 だが、それで終わりだ。銃弾より遅くステッキから放たれた剣は、銃弾より速く軌跡を描く。

 一瞬を永遠にまで引き伸ばした、その極限のやり取りの中――錯覚にも似た感覚で、マッドハッターは自分の居合いが銃弾を切断するのを知覚した。スローモーションでレオが後ろに下がっている。先ほどは額を薄く裂くに留まったが、脚を切られたレオでは、それ以上の間合いを開けられない。完全に自分の勝利だ。それを確信した瞬間――彼は悪夢を見た。

 左手が、レイジングブルを握っている。


(二挺拳銃――!)


 レオの言う敗因とはこれか。自分が後を考えて全力を出していなかったように、レオもまた、奥の手を隠していたのだ……!


(……ッ! それが、)


(どうした――!)


 渾身の居合い抜きは、レオの顔を縦に割る寸前で軌跡を逆流させた。手首を返し、左手のレイジングブルから放たれる銃弾をも斬り落とす。

 ――居合い抜きが神速というのなら、その後の一手は魔速というよりない。

 

 そして、自らの必殺を前にして、尚マッドハッターは一手を打った。踏み込みは前ではなく、やや横に。ここまでやっておいて、レオが右手最後の一発を撃たないわけがない――!




 その予想は、少しの差を出して当たっていた。二挺拳銃という必殺のカードを切ったレオ。それを覆して斜めに踏み込んだ。照準を修正する時間は与えない。振り上げ、振り下ろし、そしてまた振り上げるマッドハッターの剣の軌跡は、Ⅳを虚空に描くように。

――これで首を刈って、終わりなのだ。

 レオは笑っている。

 それでも良い。この不遜な男は、自らの首を飛ばされても笑顔で絶命するのだろう。そういう最期なら予測できる。

 だから――その、予想と違う少しの差というものを、マッドハッターは本当に理解できなかった。

 右の銃は撃ったときと同じ場所にある。

 けれど、それを握る手が、

 永遠にまで引き伸ばし偽装した一瞬が終わる。彼が耳にしたのは、拳銃では到底不可能な、乱射音と、自らの“必殺”が砕ける音だった。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る