第16話/11 強盗童話



 ――息が苦しい。地上から離れるほどに空気は薄くなっていって、それでも抜け出せなかった空はどんどん遠くなっていく。


 ――はじまりはなんだっけ。そう、たしか、ランスロットのお爺さん……オズがあたしの分も一緒にFPボードを贈ってくれたんだ。パパが難しい顔をしていたのを、覚えている。そこからは早い。あっという間に、別々の理由からあたしたちは魅せられて、ずっと空を駆けてきた。



 ――嗚呼ああ、でも。あたしの心も身体も、とっくに疲れ切っていたんだ。気付けば最後の役目もアリスに任せる羽目になって、あたしは脱落。



「…………っ」


 悔しい。


 大見得きって、伝言まで頼んだっていうのに。ごめん、ハイネ。





『――――ッ! 決着ゥ!! これはもう決着だよな! あとはこのゴールに辿り着くだけ! FPライダー最強の座はアリス率いるチーム<WonderLand>に決定だぁぁぁぁッッ!』


 アリスを見上げる。ボードの性能差だなんだと喚く気はない。アリスの技術に<クイーンオブハート>の方が付いていけなくなったから、アリスは翼を換えたんだ。


「……海で頭を冷やしさいな、ドロシー。貴女の理由が解ったら、また取りにおいでなさい。王冠を」



「…………ばぁーか」


 悔しいけど認めてあげる。FPライダーとして、アリスの方が上だった。それに、


「理由なんてもう、どこにも無いのよ。空はあたし一人だけで飛ぶには、せますぎるわ」



「――ごめん、カカシ。あたしじゃ、あなたに届かなかった」





 /Shall we dance?




『――――――――』


 勝者を称える声が途絶えた。スピーカーからは一切の音が流れてこない。



「ふぅ、あつ。……ドロシー、大丈夫?」


 少女の墜落はそこで止まった。どういう経緯いきさつがあったかわからないが、鉄パイプだけがお役御免とばかりに誰もいない虚空へと回転しながら退場していく。


 まだ、事態を飲み込めない。ありえない話だが、。ドロシーは太陽の後光に加えて被ったフードのせいでまったく顔の見えない、自分を受け止めたであろう紅茶色の髪の青年を見上げる。


「思ったんだけど。ドロシーはヤケになると物を投げる癖とかあるんじゃない?」


「……カカシ……?」


「違うよ」


 即座の否定。甘い願望を切って捨てるような返答に、ドロシーは白黒させていた目と眉を、不機嫌そうにつり上げた。


「……離して」


「は? いや危ない、うわっ!?」


「いいから離してッ!」


 ジャックの腕の中で暴れ、そのままの勢いで飛び降りてしまう。ジャックからしてみれば狂気の沙汰だ。この少女はいったい何を考えているのか。


 すたん、と余裕のありすぎるボードの上半に着地したドロシーは振り返っても不機嫌な顔をしたままだった。


 ――今度はジャックが事態を飲み込めずに混乱する。ドロシーの暴挙としか言えない行動もそうだが、


 ロッドを投げ捨てて両手を伸ばし、墜落する少女を受け止めた。そこまでは良い。後はそのまま、まったく思い通りに飛んでくれないこのボードだが、出力だけは本物だ。なんとか無事な不時着を――という情けない算段が、ものの見事に粉砕されてしまっていた。


 HT2S……レイチェルがあの日、アクターに切り落とされ、カカシが神話の再現を五秒間だけ行った翼。それがこの巨大FPボード<クローバー・フォーリーブス>の前身だ。カレンがレイチェルのコアプログラムを再構築したように、オズは役目を終えた飛行艇の片翼を、最後のFPボードとして生まれ変わらせた。


 だからこそレイチェルはジャックを送り出す言葉として『どうぞ、その翼を使いこなしてみせてください』と言い。


 オズもレイチェルも、揃って自分には、とも言った。


「ねえ」


 だが今。


「ねえ!」


 ドロシーが詰め寄る。思わず一歩後ろに下がる。そんなことができてしまう程度には、


「な、なに」


 何をしても言うことを聞かなかった、この長大なボードは


「……どうして来たの」


「え――」


「だから、どうして来たのって訊いてンのよ! あたしはっ、あたしはハイネにそんなこと頼んでない!」


「それは――」


 それは、そうだ。蓮花寺れんげじ灰音ハイネがスラムに青年を訪ねて来た時の言伝ことづては『次の大会にドロシーちゃんが出るので応援してあげてください』というものだった。それに加えることが一言あり、それは彼女の感想だった。


『君は、もっと格好良いと思っていたのに』



「……オレが、来たかったからだよ」



「だからどうして、ねえ!? ――っ!」


「だからカカシじゃ、」


「うるっっっさい!!!」


 背伸びをして伸ばされた手が、青年のフードを取り払う。


「やっと、独りになれたんじゃない。空も、あたしたちからも離れて、本当の家族と一緒で、それで良かったじゃないか。ねぇ、どうして来たの。あたしは、アンタに、アンタがいなくても、大丈夫だって――そう、証明したくて、っ」


 とん、と言葉と拳が力無く胸を叩く。


 アリスに敗北した時でさえ流さなかった涙が、堰を切ったように零れ出す。


「っ、みんな、みんながカカシを探すんだ。今だって空にありもしないアンタを投影してっ……だから、もうそんなの無くていいよ、って言うために……ひっ、う。……髪だって切ったんだよ? もう、誰もカカシを追いかけなくて良いように、あたしが、、それで良かったのに……!」


 抱き締める。それを厭うように身じろぎをする少女を、ゆるさないように強く。


「……ごめん、ドロシー。追いつくのに時間がかかった。ほんとうに、エアライドが上手になったね……それで、カレンとも話したんだけどさ、オレたちは生まれる前から一緒だったけど、オレとドロシーはもう、それより長く一緒にいたじゃないか」




 青年ジャックは――ランスロット=ジャックス=ハイドロビュートは告白する。


「……二年、うん。二年だ。思ったんだドロシー。君が隣にいないのが、変だって」


 だから此処に来た、と。


「マリアとエルにも送り出されて、本当に情けないな。それに、迎えも来ないんだ。レイチェルには『当機は二人乗りだ』って断られて。……くそ、オズのくそじじい。言葉が足りなさ過ぎるだろ」


 理解が及ぶ。このボードは、どうあっても乗りこなすことができない。この翼を羽ばたかせることができない。


 一人分の重量。二本の足でも足りない、大きすぎる翼は、最初から――




「ドロシー。オレと飛んでくれないかな。知恵が無いからでも足が無いからでもなかったんだ。……一緒に飛んでくれる案山子カカシは上手に踊れない」


「…………っ」


 ――最初から、二人で飛ぶ為だけに設計された、たった一つのFPボードだった。


 抱き締めていた腕を解く。ドロシーは一歩下がって、両の掌で涙を拭った。


 それでも涙はまた溢れて出たけれど、少女は以前のように――太陽のような眩しさで笑い、


「……っ、はい。よろこんでっ」


 青年が気恥ずかしそうに差し出した手を取った。


「……でも“オレ”ってなに。すっごい似合わない」


「いや、これはオズが『女々しいから“僕”はやめろ』って……」


「すっごい似合わない」


「……うるさいなぁ」




 /連理の比翼



『な――――』


 置き去りになっていた時間が舞い戻る。取り払われたフード。流れる紅茶色の髪。それから、過去の忌むべきを誇るように真っ直ぐに立つ、案山子のような右脚の義足。


 カメラが映す、ドロシーの手を取って空を見上げた青年の顔に、DJマシィの実況が轟いた。


『信じられねぇ! ありえねぇ! バカみてぇだ!!! 死んだと思っていた最強!! 消えたはずのリーダー!! ランスロットが生きていたぁぁぁ!? しかも世界初のに乗ってのプリンセス救出!!! ああ悔しいがやっぱりランスロットだ!! キザったらしいったりゃねぇぜ!! 王子様絶好調じゃねぇかぁぁぁ!!!』



 驚愕が天地を襲う。完全復活を果たしたミリオンダラーの二番、【大強盗】OZ。その姿を見、またその報を聞いた全てのFPライダーと、それにくみした者たちの口には笑みが浮かび、高まった士気はどのような劣勢も覆し始めた。



『だがちぃっとばかり余裕ぶっこき過ぎじゃあないのか!? 王冠はもうアリスの率いる不思議の国の手の中と言っても過言じゃねえぞ! いくらランスロットとは言え、この距離は縮め難いぜぇ!?』


 言葉の通りに、趨勢は既に決している。ドロシーは敗北し、勝利はアリスの手にあった。



「……だってさ。どうするの? カカシ」


 ボードの上半に立ったドロシーは振り返る。


「空を飛ぶための条件を覚えてる? ドロシー」


「うん、もちろんっ。光の粉と、楽しい気持ち。っ!」


「そっか。うん、僕もだ。今は――



 遥かな天を指差して、OZの若きリーダーは提案する。



「僕らは強盗だ。――じゃあ獲りに行こっか。……【怪盗】なら、さっさと逃げた方が良いと思うよ、ワンダーランド。OZ



「な……っ」


「あのっ」


「やろう……!」



 不思議の国ワンダーランドの三人は開いた口が塞がらない。




『すげぇ! すげぇぜランスロット!! こんだけ差をつけられていながらやりやがった優勝宣言!! こりゃあ負けていられねぇ!! 意地を通すか<WonderLAND>!!』



 三人が上昇を再開する。




「タイミングはドロシーに合わせるよ」


「うんっ、じゃあスリーステップでねっ!」



 たん、たん、たん。踵を三回。白金のボードが沈む。



 ひとつが欠ければ意味を失うふたりの翼は、己が性能の発揮に狂喜した。


 幸運の四葉が跳ね上がる。



 ――ふたりは童話を飾った歌をなぞる。少女が最後に流したあめを依代に、その飛行は快晴の大空に七色のひかりを描いて走った。





 /強盗童話






 大空に消える二人をモニターが追いきれなくなって、DJマシィが背もたれに寄りかかった時だった。



 どごん、という音と衝撃。エマージエンシーのブザーが鳴り響く。



「なんだぁ!?」


 内線がけたたましく鳴った。乱暴な手で受話器を取る。



『こ、こちら管制室! !』


「はぁ!? なんだおい、警察か……!?」


『そっそれが……!』





『やぁDJ、しばらくだね』


「ラ、ランスロット!? お前どういう登場の仕方してんだよ!!」


『あはは。いやあ……あ、辿


「あ、あぁ。めでてぇとは言いにくいが、優勝はチーム<OZ>! 皆聞いてるかぁ!? 最後に相応しい奇跡で、王子様とお姫様が王冠をゲットだぜ!!!」



『サンクス。それでさ、DJ。さっき仲間から連絡入ったんだけど……』



「おお?」



『なーんかねぇ! 増援が来ちゃうんだって!!』


 ドロシーに替わったらしい。


「はぁ!? なら早いとこ逃げなきゃいけねぇじゃねぇか!! 良いかレディー&ジェントル。オレにゃあ帰りを待ってる愛しいハニーとベイビーがだな……」



『うんうん、だから早いとこ逃げてねマシィ! この船は、あたしたちが貰いまぁす!』


「……なんだって?」



『みんなボロボロだしさ。飛行船コレ、ぶつけようと思って。マシィもスタッフも、滑降くらい出来るって、知ってるよ?』


「待て待て待て! そりゃオレもエリーも嗜み程度にはできるが! いや明らかにできない奴もいるからな!? もうちょっと他になんかあるだろ!?」


『あは。やだなぁマシィ。あたしたちを何だと思ってるの?』


「何ってお前……愛すべきFPライダーで、ミリオンダラーの二番、【】OZだろ……って」


 受話器の向こうで、ドロシーはにっこりと笑い――



『はァい♪ よくできました☆』



 この物語の主役は、世界中を大いに沸かせた彼らにおいて他ならない。


 星の数ほどいる賞金首の中で、もっとも悪名高き、八組の劇場型犯罪者たち。




 ミリオンダラーの二番。【大強盗】OZ。骨董にして最先端の童話が、新たな犯罪かつやくを頁に刻む。



 /



「……そういえば、よく僕の居場所がわかったね、ドロシー」


「ずっと、そうだったでしょ。あたしはカカシを捕まえられなかったし、いつでもカカシに捕まっちゃうけど。……だったもん」


「なんだよそれ、ん――、」


「……それと、背伸びはもうやめてね、ランスロット。前より背も伸びたし、届かなくなるのは嫌。


 本当に嫌そうに、口を離して舌を出すドロシーに思う。



 何一つ思い通りにならない少女。手を離して過ごした日々に確信せざるを得なかった。


 何もかもが燃え尽きたあの日、僕をかすための仮初の復讐心。とっくに無くなっていたそれ以外でどうして僕は動き続けていられたのか。


 空いた場所には、いつの間にかこの少女が住み着いていたのだ。


「……やっぱりさ。僕は君がきらいだよ、ドロシー」


 知ってるよ、とドロシーは笑った。



 /強盗童話 完

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