第16話/5 魔法使いの孫
――上空。飛行船Memory-Air内。
『こちらブリッジ。ねえねえアヤくーん』
『はい、モニタ管制異常ナシ。何かあったっすか、エリーさん』
『や、何って程でもないんだケド。アヤくん確か、FPにもライダーにも興味ない、外からの参入組だよね? で、でも気になってるライダーいるからこの大会で手伝ってくれてるってせんぱいが言ってたじゃない』
『そっすねー。っつーかこの状況で世間話振ってくるエリーさんのその肝の据わり方何者っすか。地上のドンパチをLIVEで撮るだけでもう一儲けできるレベルのアクションやってるんですけど?』
『ふふー。せんぱいと付き合ってるとショッキングな出来事にも馴れてしまうものです! あ! 付き合ってるってそういう意味じゃないから!? あのヒト妻子持ちだし! で、誰だれ? どの辺飛んでるの? ドローンいっこピックアップして映してよー』
『ンなやっすい読み違いしないっす。……えぇー。マジ
撮影カメラを搭載したドローンのうち一機が、自動飛行からアヤの操作に切り替わる。
瞳孔が開くかのようにズーム駆動するフォーカス。映像が管制室のエリーのモニターに入り込む。背景は緑――地上。
それも、すぐ傍で繰り広げられているミリオンダラー、カラーズ、世界警察の総力戦とは縁遠い穏やかさ。そこに映っている人物たちは全部で十数名。その傍らには例外なくFPボードがあり――また、その誰もが例外なく空を飛んでいなかった。
『えーっと……? アヤくん、これって……』
『うっす。オレのピックアップライダーはお察しの通り
つまり、こと今の状況において、羽ばたくことを止めた者たち。
地上の喧騒など知った事か、と空に舞い上がるでもなく、夢の邪魔をするなと敵対勢力に対抗するでもない、いち視点から見ればとてつもなく興ざめする――そして、人間的には間違いなく正解を選んだ人々である。
『わー! なんだそれー! つっかえねぇー! もっと、こう、生き急げよ! 若さに全てを委ねてその後の人生台無しにしちゃうような大博打に出ろよー! それでも
『タマ付いてるのか的な使い方はナイスですけど、マシィさんがエリーさんを女として見ない理由に見当付きまくりました、ハイ』
『アヤくん辛辣! 元気っ娘は需要ないのか……アヤくん、わたしどう?』
『や、元気なところは寧ろポイント高いと思いますよ。そうじゃないところが致命的なんで遠慮しときまっす。それにほら、エリーさん余分が一個あるし』
『その余分を聞きたいな!?』
『あ、オレとマシィさんの余分はまた別なんじゃないかと……と、お?』
複数の
『ブリッジ。至急確認をお願いします。新手かもしれません。映像回します』
『了解。最大望遠よろしくお願いします』
どちらも日常会話をあっさりと見限り、現状の仕事に専心する。地上の落伍者から視線を切り、新たな展開をそのフレームに納めようとドローンが角度を変えて旋回した。
『……んんっ? まったく見えない!』
『そりゃライブカメラで対迎撃システムでもなんでもないんすから顕微鏡みたいなズーム持ってないでしょ普通。この角度でイイと思うんだけどなー……あ、来ました。判断任せます』
『あ、光った! 速…………速ッ!? なにアレ!?』
――ソレは水平線の向こうから現れた。海面ギリギリを、飛沫を上げながら『舞台』へ向けて飛んでくる。船ではない。船舶ではどのような改造を施したところであのような速度は出せまい。
『……こちらブリッジ! せんぱい、緊急です! アンノウン1、海側から高速飛行でこっちに向かって来てます!』
マイクを切ったDJマシィが応じる。
『うへ、敵……って言うとオレらほんとにお尋ね者候補だな。まァ敵? だったらヤバいね。アヤくん、こっちにも映像回して!』
『うっす……てかほんとに速いな!? カメラ追いきれないっすよこれ!』
アヤの悲鳴に似た声に合わせて、未確認飛行物体は垂直に天へと昇った。その瞬間を捉えきれずその――飛行に用いられたモノの残滓が軌跡となって、飛行を予測させる。
【海賊】カーミン=フックの参入により、意図せず振るい落としの起こった空の決戦。
上空で覇を競い合う少年少女たちは、遠くの海で立ち昇った帯のように儚い光の柱に気づかない。
『どこだ!?』
『太陽の中に入りました。逆光で映せないっすねこれ』
艦内を沈黙が支配する数秒。
――果たして、遅れて来た参加者は戦場のド真ん中に降り立った。
/魔法使いの孫
≪Pi。状況確認。予測通り戦闘、競技ともに始まっています、マスター≫
レイチェルがセンサーから把握した現状を無機質にカレンへと伝える。
本当に出遅れた。
≪Si。間もなく舞台へ突入します。――最終確認。“空を飛ぶための条件を”?≫
…………。
楽しい気持ちと、光の粉。後者はあって、前者は終ぞオレには身に付かなかった。
あの空に想う楽しさなど。ただ閉塞感があるだけだ。だからそこから飛び出そうとランスロットは空を目指し墜ち……オレは、逃げ出した。
「どうだろう。今更オレなんかが出てっても、席は余ってないんじゃないかな……」
≪Bibibi≫
「…………」
わかり易いレイチェルのブーイングと、振り返ってオレをジト目で睨むカレン。
≪僭越ながら申し上げます。たしかに、マギウス・オズの言う通り、貴方ではそのボードは使いこなせないかと≫
「う」
カレンの肩が小刻みに揺れている。キーボードを叩いているのだろうか。その後、レイチェルが文字通りカレンの言葉を代弁した。
≪Si。同意いたします、マスター。まったく嘆かわしい限りです。……失礼、上昇します。ご注意を≫
「ん……うわっ!?」
垂直上昇。視界が青一色に染まり、次には眩い白に塗り潰される。
ゴールになっている飛行船よりも更に高くへと登り詰め、オレたちは太陽の下、その光の中に姿を隠した。
角度が戻る。地上への降下。その中でカレンは危ない、と思う間もなく身体ごと後部座席のオレへと向けて、口を開いた。
「……………」
片手で喉を押さえ、懸命に――或いは、カレンにとっては飛行中のこの状況よりもリスキーな――声を出そうと、眉を寄せながら。
たどたどしく、一音一音を、真摯ささえ覚える、静かな熱をもって紡ぎ出す。
「…………
ぱくぱくと開いては閉じる口。
必死に出された、カレン自身の言葉は、こともあろうかオレへの罵倒だった。
……ジャック。
同じ色の瞳が問う。何の為に逃げ出したのか、と。
どうして一緒に居たのか――などと、楽園での日々を問うのではなく。
オレが逃げ出した理由を、責めている。
「……うるさいな。だいたい、泣き虫だったのはジュリアだろ。オレは一度も泣いたりなんかしなかった」
カレンの眉が更に寄る。ああそうだ、もう焼き尽くされた遠い過去――あまり他人は気にもしない、些細なことで張り合った。
「オレが先なのは譲らないから」
≪お決めになりましたか?≫
「うん」
≪では、貴方の登場場所をご指定ください。こう言ってはなんですが……どこもかしこも一等地ですよ≫
「そうだね……」
上空。FPライダーたちの祭典。その決戦を、ドロシーやアリス、双子のティーに他、名前もろくに覚えていない少年少女が繰り広げている。
地上。世界警察の前線を圧し留めているのは……八番。マッドハッターとホワイトラビットか。
後方は更にひどい。あの骨董品のフォルクスワーゲンはレオのものだ。スズのワルキューレもある。今となっては誰でも知っているチャイルド=リカーとやり合っていて、いくらオレが場違いな遅刻者でも、そこは更にないと思う
≪できるのならば、貴方にはトップを獲って頂きたいものです≫
願いに隠した懇願。気を遣われている――FPボードを持って来たのだ。あの競い合いに参加しろ、と。そして――真っ当な競技をして、地上の殺し合いなどには参加しないで欲しい、と。
「……ありがとう。でもほら、オレは遅刻したじゃないか」
笑うことにする。
「遅れて来たくせに、スタート場所が最前線なのは駄目だと思う」
≪Pi≫
目的地は決まった。目を閉じ、ロッドとボードをぎゅっと抱いて、胸に去来した微妙な感情――まだ、折り合いの付かないソレを押し込める。
深呼吸を一回。目を開ける。
「……頑張ってくるよ」
「…………頑張って」
≪ご健闘を。どうぞ、その翼を使いこなしてみせてください≫
「うん。上手くいったら迎えに来てね」
≪承服しかねます≫
そして、一拍の間の後。
≪席が無い、と仰りましたが。私がかつてこの
続くレイチェルの言葉に、カレンの笑みが重なる。
≪当機は二人乗りでございます。良い
/
「落ちろ、なんて風には言わないぜ――飛び立てると思うなよ、ガキどもッッ!!」
棺型のAFPから黒い光の粒が噴出される。フック船長の怒号に合わせて展開されたソレは、現代最高の発明を軒並み無用の長物に成り下がらせる。
「本当に遊びがありませんわね、お姉様……!」
わずか地上数センチの上昇。ドレスの裾をふわりと舞い上がらせただけで、マリアージュ=ディルマ以下、【翼】の飛行は封じられた。
方や、その空において狩れぬ獲物なし、と謳われた【赤】。トップレベルのFPライダーで構成されたカラーズ。
「Just a moment!」「ひきょうなー!」「多勢に無勢!」「でも数はこっちの方が?」「それ言っちゃだめ!」「三人に勝てるわけないだろ」「わににくわれる」
方や、その空において飛べる鳥なし、と謳われた【青】。FP乗りの賞金首を同じく獲物にし、まったく逆の方法で狩る、FPライダーの天敵であるカラーズ。
二つのチームの獲得賞金額、仕留めた獲物の数が拮抗するとは言え、こうして身内で争った場合の結果など火を見るより明らかだった。
その、食物連鎖の
「――――ッ!? そうかそうか、そうだな。いいぜ、そういうのは歓迎さ、大歓迎さ」
理を覆す男が打ち崩さんと銀十字を振るう。
「エェェェル。オレぁこれでも女だぜ? 良くもまぁ、躊躇無くそんな凶暴なモノで殴りかかれるなぁ!?」
がきぃん、と十字架と棺がぶつかり合う。息を止めたように<パニッシャー>から溢れた黒い光の粉が一瞬消える。その隙を見逃さず<ジャッジメント>から金色の光の粉が噴き出した。
「……心外だなジーナ」
「ジーナっつーなっつってンだろ、がッ!?」
フック船長の頭が真横にブレる。黒衣の裾を
「私は汝が相手ならば足も出すぞ?」
「上等だ……船になれよ、マイプレシャス」
にぃぃ、と打たれたままの角度で笑うカーミン=フック。再び起動するAFP。エルの右足首を掴み、そのまま跳躍する。ばさりと広がるパイレーツコート。片足を取られたエルはその加重に耐え切れない。そのまま、膝から――熱愛的にも取れる野蛮さで馬乗りに押し倒す。
「まさか女相手に「重い」とか言うわきゃねえよなあ、エル?」
「……空を離れた間に慢心が過ぎたのではないかな、ジーナ。重いぞ」
交歓される笑顔。次の瞬間には硬く握られた拳がエルの顔に入った。
「お姉様、お姉様。もう少し頭を下げていただけますか?」
「ほんと頭に花咲いてンじゃねえのかマリア。この状況で楽しむとか、うおッ!?」
続く拳を振り上げたところで横目に入って来たのは、ドレスの裾と真っ赤なヒールのピンだった。たまらず大きく仰け反り、躊躇無く首を穿ちに来た朱雪姫の脚を回避する。
「あら惜しい」
作られた間。その機を逃がさずエルがマウントから抜け出す。
「オマエ、才能あるぜ。賞金首の」
「あらあら。お褒めに与り光栄ですわ?」
「褒めてンじゃねえよ」
「……すまない。助かった、マリア」
「お気になさらず、お兄様。でも教育に悪いのでそういう事は部屋の鍵をしっかり閉めて、できれば夜にしてくださいましね?」
深く吐き出される息。仕切り直しが行われる中、とはいえどうしたものかしら、と笑顔のポーカーフェイスで武装したマリアージュ=ディルマは思案する。
【海賊】のクルー三人に、七人の小人が既に劣勢に立たされている。そしてこちらは、二人がかりで船長を封殺しきれない。ジーナは意図的に標的をエルに定めているが、それは意地というよりも気遣いだろう――最終的に手段を選ばなくなれば、それこそ詰みだ。
打倒は不可能だと、相性的に解っている。けれど拮抗は続けなければならない。せめて、あの空が決着するまでは。
そう思い、開戦前と同じように見上げた空に、銀色が映り込む。
「……あら?」
――ソレを視界に入れた全ての地上の人々が、いつかのワンシーンのように瞳を奪われた。それにつられて同じように顔を上げた者も、同様に止まる。
快音を響かせる銀色の翼。太陽の光の中から突如として出現した飛行艇は、その両翼から光の粉を帯のように引きながら戦場に現れた。
戦場を分断するように低空を疾走し、そのまま過ぎ去っていく。誰もがその飛行艇にある人物を想起し――またその翼の色が真紅でないことに違和感を覚え。
人々から奪った意識の隙間に最後の席を見た青年は、その渦中に身を投げた。
エルの<ジャッジメント>、そしてフック船長の<パニッシャー>のフォルムをしてなお異質と思わせる――FPボードなのか、という疑いすら浮かぶ、規格外のFP。
全長にして2mを超えるその、ヒトが操るには余りにも巨大な翼は着地……地面への追突の直前、光輪を放ち衝撃を殺しきる。
青年の羽織ったデニムのフーデッドコートの、フードに深く隠れた顔は窺えない。
左手に持った、鉄パイプを繋ぎ合わせ、先が角ばった「?」マークの形をした
【赤】と【青】の争いの渦中。
『おおっとぉ!? 敢えてそこを選ぶとか凄まじい度胸だが、マジで遅刻だぞ、ラストチャレンジャー! 合ってるか!? 合ってるならアピールしろよ! 所属、エメラルドエリュシオン! シングルライダー、ジャックス=ハイドロビュート!』
その、響き渡る大音声に青年……ジャックは掲げたロッドを回して、先端を『敵』――世界警察と眼前のカーミンフック海賊団に向けて、ぴたりと止めた。
『グレイトォ! コートはどうやらコムサイズムかぁ!? カメラもっとアップ!! なんだあのボード……データにねぇぜ! エメラルドエリュシオンってスラムだろ!? アンノウンな野郎だ! っつーか、何だよそのフザけた名前!』
規格外とはいえ、その
『ピーターパンの天敵、フック船長を果敢にも止めようとした愛すべき
「……うん、マジで。ちょっとはカッコイイとこ見たかったんだけどなあ」
と、アヤ=ハイドラジアの呟きはもちろん、誰の耳にも届かなかった。
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