第16話/4 オン・ユア・マーク


 /現在



「……OK。時間だ、始めるぞ」


 飛行船Memory-Airの船内。大展望を誇る実況席で、DJマシィは一旦マイクを切ると、最後の点呼を行った。


「カメラ」


『うーい。カメラ良好。放送ジャック完璧。アヤ=ハイドラジア、準備オッケーでっす』


「操縦席」


『はいっ! エリー=ハイブリッジ以下クルー、全員準備万端です! 指示を委ねます。せんぱい、どうぞ!』


 頼もしいコール。誰にも見られることのない実況席で、全てを見るDJマシィ――マクシミリアン=シーウォーカーは頷く。


「映像、展開」


 巣から羽ばたく鳥のように、カメラを搭載した無数の飛行ドローンが飛行船から飛び立った。それを合図に、押さえつけていた胸の高鳴りを口から放出しようとマイクを握る。





『――――競うのならば其処に立てON YOUR MARK。……準備はいいか?』





『さあッ! 飛べ、野郎ども! スネイクス・リトルクラウンカップ、開幕だああああッッ!!』


 弾ける空砲。歓喜の声を上げて駆け出す少年少女たち。



 ――緑の丘。ここカナンヒルズはこれまでに無いほどの集客率をみる。まあ、残念なことに参戦者の一部は賞金首、そしてその予備軍で。


 駆けつけた連中はそれを捕らえるための正義の体現者と、それを狩るのを生活の糧としている賞金稼ぎだったのだが。



 陸地であれば逃げ場などない。丘を封鎖するように展開した世界警察、その部隊を最前線で率いるサクライ世界警察本部警部の、有無を言わさない怒号が響き渡った。



『遊びはそこまでだ! この場の全員、速やかに投降せよ!!』


 海に向かって懸け出していた一部のライダーの足が止まる。まだ誰も飛び立ててはいない。その中で、動いていなかった者が数名、いた。


 スピーカーから警告の声が躍り出る中、アリスは溜息をつくと、ドロシーを見た。


「……ドロシー」



 彼女は答えない。ただ、後ろの勢力など眼中になく、崖から広がる海と空の青さを見ていた。


 感情も覇気も無く、精気すら疑わしいその視線の先は、それでもちゃんと前を向いているのか、アリスは一抹の不安を覚える。


「そっとしといてあげなよ、アリス」


「そうさアリス。ドロシーだって、望んで此処にいるんだ」


 隣の双子が肩を竦めた。



「その望みだって、今じゃ疑問よ」


 売り言葉に買い言葉だったような気もするのだ。

 けれど彼女はそれでも、売られた言葉を買ったのだ。それだけあれば、今は良い気もする。



「心配しなくて良いと思うよ、アリス」


「そうともアリス。見た目にも判るコトって、あるじゃん?」



 双子は同じ場所に視線をった。彼女の手にあるボード。


 スカイフィッシュシリーズ・モデル<サンデイウィッチ>は傷だらけで、レディースを対象とした可愛らしさは失われていた。



 けれど傷の分だけ、積み重なったものもある。



「よくもまぁあそこまで使い込んだもんだよ。ねぇダンプ、アレってなのかな」


「少なくとも三回は換えてると思うぜハンプ。だからさ、アリス」



「「遊びが無くなったドロシーは、怖いよ」」


 そう言った。


 アリスも思う。危うさを持ってはいるが、今のドロシーの技術は凄い。



 ―――憬れの少年に、今ならば迫るだろうと、身体が震えを覚える程に。


 誰も見ようとしない瞳。天真爛漫な太陽を思わせたかつての少女は、確かに“孤高”を纏っている。確かに見た目にも判る変化。


 二年前、腰まで届く長さのあったその飴色の髪は、。決意か――あるいは、そのさえ厭う結果なのか。心情を推測することはできても、誰もその本心を聞けてはいない。



「……そうね。わたくしたちは、わたくしたちの仕事をしましょう。……さしあたっては向こう様の足止めかしら?」



 なにせ最上級の賞金首が二つもいるのだ。発砲許可など警官が制服に着替える前に出ているに違いない。たとえ、その一席が現在空白であったとしても、だ。いや――


 それより先に、自分達はとっくの昔に生死問わずデッドオアアライブの札を付けられていた、と笑った。


 そうしていると、痺れを切らした警官隊が進軍を開始した。


 空を見上げる。


 まず、FPライダーの犯罪者に対して採る最善手。制空権を確保しようと三機編成で彼等のゴール――飛行船に向かうヘリを視界に納め……



『Shit! 怖い方々がついに来ちまったぜ! もうやるしかないのか!? マイスウィートハニー、ベイビー!! ダディはもしかしたらもうホームに帰れねぇかもしれねぇ! だがッ! ダーリンとパパは最期までクールに自分の仕事をやったぜ! 誇ってくれよなぁ!! ……ぁ?』


 急旋回。獲物を間違えた狐のように尻尾を巻いて、上空……二機を率いて飛んでいたヘリが突如としてその軌道を変える。発進したパトカーを上空からマシンガンで撃ちながら


「んなッ!?」


「「「何ィーーーー!?」」」


 果たして驚愕はどこから上がったものか。唐突な展開に残りの参加選手でさえ足を止める。着地、否。ヘリは火蓋を切って落とす最前線に、文字通り墜落してその狼煙のろしを上げた。たたらを踏んで止まる警察部隊。困惑をその飛行に見せる残りの二機が次の瞬間、開幕の合図が空砲では味気ないとばかりに爆発する。


 墜落炎上したヘリから躍り出る二つの影。爆風が丘を駆け抜け、火薬臭いその風を掴んで少女は誰より先んじて空へと優雅に飛び立った。


「ほらマシィ。呆けてないで実況をしなさいな!」


『……Sorry。嬢ちゃんに叱られちまって一瞬ヘンな趣味に目覚めかけたぜ! 戦端を切り開き、まさかのトップは納得の現在最高ライダー! チーム<WonderLAND>のアリス! こんな飛び方は予想してなかったッ! 続いて双子のティーが舞い上がる! つーかマジか!?』


 カメラの一台が捉える戦場。そこに映った二人。


 奇襲に対して混乱する戦況を、だが『正義』の一喝がまさしく正す。


「想定内だ。取り乱さずに討ち取れ! をただの一人も逃がすな!」


『マッドハッター! そしてホワイトラビット! ナマで拝むのはこれが初めてだ! 紹介がなかったのが不服だったのか!? 自分でド派手な演出決めてくれやがって!』


 黒煙が晴れる。たった二人で、無謀にも世界警察の部隊と向き合った二人は、なんの気負いもなく、ただ主の言葉を待ち――


 驚愕と視線を奪った【怪盗】のリーダーは当たり前に、全幅の信頼をもって空から言葉を投げた。


「存分に暴れて頂戴。お茶会はわたくしたちが始めるものだわ」


 それを受けて二人は笑う――ああ、実に犯罪者的な笑みで。


「「君も。存分に楽しんでくれ、我らがアリス」」


 刻限を静かに告げるような秒針の音と共にマッドハッターとホワイトラビットは駆け出した。


 落ちる数々の懐中時計。同じ数だけ立ち昇る火柱。



 あまりにも多勢に無勢。少し先の未来など、推し量るまでも無く見えてしまっている。


 だが、そんな結末さえ覆してくれるのではないか――最上級の劇場型犯罪者の活劇に、一度は止まった足。FPライダー達は今こそ翼を広げようと背を向けてひとり、またひとりと空へと飛び立つ。


『あ、あ、あ……駄目だ! 終わったァーー!?』


 遥か上空から見下ろすDJの悲嘆の声。見つけてしまったのだ。





 ――警察部隊の最後尾。フレアレッドのランボルギーニに背を預け、煙草を吹かしながら戦況を見守っていた純白のコートの男。





「……だっつーから華を持たせたが。そろそろ頃合か? サクライ世界警察本部警部閣下。己たちは、アレを食って良いンだよな?」


 賞金稼ぎの最高位。【白】のカラーズ。<最強>――チャイルド=リカー。


 


 それはそれで、賞金首たちには悪夢のようだがDJマシィを絶望させたのはこの男ではない。



 悪夢は悪夢でまだ夢なのだ。だから、その隣に控えた――の方が、空を飛ぶ少年少女にとって。それを愛した彼にとって恐ろしい。


「ちッ。莫迦どもがはしゃぎやがって。気が乗らないったらありゃしねえ」


 同じく賞金稼ぎの最高位。【青】のカラーズ。<最悪>――カーミンフック海賊団船長、ジーナは吐き捨てるように言うと、自らの愛機と、自らのクルーを率いて歩き出す。


 携えるFPボードこそが、全ての飛行症候群ピーターパンシンドロームの天敵。


 ヘルゴスペルズシリーズ・モデル<パニッシャー>の成れの果て。アンチ・フェアリーパウダー。


 一度その結界を展開されれば最後、もう彼らは空へと飛ぶことができない。



 ――結末は見えた。不思議の国ワンダーランドの主力が警察を圧し留めようと多勢に無勢。稼ぐ時間が値千金あたいせんきんであろうと、カーミンフックが海岸に辿り着いた時点でそれを奪われる。


 加えてチャイルド=リカー。この男が最前線に乗り出したのなら、二人の健闘もそこで潰える。



 ――ただ、その二大戦力の足は、更なる乱入で止まった。まだ祭は終わらない。



 ひとり丘に残った少女は、まだ動かない。開幕の宣言と、開かれた戦端。


 それはまだ、少女の中での合図になっていなかった。



『サクライ警部……! 後方、されました!』


「突破? 新手か!?」


『……ッ! !!』


 爆音を率いて、挨拶代わりのグレネードランチャーがチャイルド=リカーの愛車の真横で爆発した。


「……先に行け、フック船長。己はこいつらを請け負うぜ」


 リカーの視線の先。停車したビートルから、普段どおりの変わらない様子で降りる薔薇柄のシャツを着た金髪の青年は、名に相応しい野生的な笑みで愛銃をホルスターから抜き、空に向かって一発、放った。


「姫、こっちは気にするな。きちんと俺らが見といてやるから」


「よう、大人しく寝てりゃ良かったンだぜレオ。わざわざご苦労様だ」


「はぁ? 何言ってンだチャイルド=リカー。言っとくが即オチさせなかったのは旦那の優しさだぜ? 泣いて感謝しろよなぁ!」


 まさかの挟撃。席から離れた【大強盗】が再び世界に姿を現す。



 そして。


「……おい。頭沸いてんのか」


 カーミンフックもまた、その道を阻まれていた。阻んだ相手はにこにことした笑みを崩さない。


「そこをどけよ。そもそも何でお前等がオレの前に立ってんだ」


「……それが、本当にお恥ずかしい話なのですけれど、。今日の大会があんまりにも楽しみで、ついライセンスを忘れてしまって。今日は、いち参加者としてここにいるんですの」


 花のような笑みで、マリアージュ=ディルマは告げる。


「駄目だ話になんねえこの脳内お花畑。おいエル。マイプレシャス。オマエ、それでいいのか、あぁ?」


「マリアが言うのなら是非もないさ。ジーナ、私と汝の間柄だ。少しくらいは夢を長引かせても良いとは思わないか?」


「ハッ! よくぞ言ったなクソヤロウ。いいか、。あの坊やがああなって、そりゃあ嬢ちゃんにも同情するさ。それに二年前、今度こそんだ。亡霊に縋ってンじゃあねえよ。あとその名前で呼ぶなエル。殺すぞ」


 夢から醒めることでかつての夢を守ろうとした大人と。夢を見続けることでかつての夢を守ろうとした大人。当たり前の決裂。


 賞金稼ぎの最高位。【赤】のカラーズ。世界<最速>の【翼】。朱雪姫と魔法の鏡、七人の小人が【海賊】と向かい合う。


 ライセンス剥奪――どころか賞金首に成り下がることさえ承知で、赤は青の前に立っている。


「覚悟のある奴は好きだぜ? だが敢えて訊くぜ、友よ――?」


わたくしは、林檎を口にしたのよ、お姉様。なら、


「王子様のキス待ち」「でも王子様って誰?」「カカシ?」「死んだって!」「かなしい」「アクター死すべし慈悲はない」「それも死んだー!」


 はしゃぐ七人。その後方……一際眩く飛び散った光の粉。


 見届けて、なのだろうか。振り返り、随分と遅れて空へと昇った赤いワンピースを見上げてマリアージュ=ディルマはそっと微笑む。


「……誰よりも高く飛んで、ドロシー様。貴女には酷なお願いかもしれませんけれど」


 その横顔を見て、船長の瞳が揺らぐ。


「……スニー、リリィ、デイル。こいつらを黙らせろ。エルはオレが潰す」


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