第16話/2 スタンド・バイ(1)


 かちり、針の重なる音に目を開けた。ベッドの上で仰向けなまま、目だけを動かすと、壁にかかった時計がキリの良い数字を示している。


 シーツの膨らみはゆっくりと一定のリズムで上下していた。寝顔を一瞥し、起こさないように身体を起こすと、手を添えて首を鳴らす。僅かな痛みを思い出すが、それは関節ではなく筋肉……わかりやすく付けられたに由来していた。


 やれやれ、とは声に出さず呆れと馴れた自分にため息をそっと吐き出し、ベッドから抜け出す。背もたれのないカウンターチェアに乗せていた携帯電話は、通知を示すランプを邪魔にならないように点滅させていた。手に取る。通知はメールのものだった。


 1スクロール分の短い文面を読み終えたところで、不意に。気配なく伸びてきた白い両腕が後ろから肩に回り、有無を言わせない――力強い、ではなく甘えて駄々をこねるような――力でベッドに引き戻されてしまう。


「……おい」




 やれやれ、という二度目のため息。


 たしかに夜明け前で、薄いとはいえ部屋の中は明かりもろくに差さない闇にあった。


 男はこれからの予定を頭の中でざっと計算しながら、共に惰眠を貪ろうという怠惰な誘惑に身を任せ……きることはなく、半分だけ付き合うとでも言うように頭を撫でた。


 その譲歩が最大限のものであると女の方もよく理解しているので、不満げに曲げた眉は、小さな悪戯のようなものだった。



 /



「それで。わたしたちを引き裂くのは、だーれ?」


 特に会話もなく終わった早めの朝食の後。カップに注がれる紅茶を眺めながら女――ルル・ベルは対面に座るスズに、頬杖を付きながら問う。


「さぁな。メールはレオだが、下手人は不特定多数だろう、だ」


「なぁに、ソレ」


 スズはシュガーポットから一杯の砂糖をスプーンに乗せると、その上にブランデーを数滴垂らし、ルル・ベルの趣味でテーブルに置かれているキャンドルの火をそれに移した。ぽっ、と小さくオレンジ色がスプーンの上で咲く。


 それもなぁに、と言わんばかりに首を傾げる対面に、移った火がブランデーのアルコールを舐め尽くすまでの僅かな時間。スズは考えてから口を開いた。



「……名前は忘れた、だ。まぁ、そう悪い味じゃあないから、構えなくて良い、だ」


「ふぅん? ……それで、二年振りにあなたを日陰から引っ張り出すのはレオ? それともその、誰かさんたち?」


 火でアルコールを飛ばし、ブランデーの香りだけを染み込ませた砂糖の乗ったスプーンがカップに入って差し出される。受け取り、くるくるとスプーンを回しながら、ルル・ベルは再度問う。


「……ドロシーが、もう一度大会に出る、だ。その日程が決まった、という連絡、だ」


 大会? とやはり首を傾げる女に、スズは。さてどう説明したものか、と視線をずらして考える。


 真っ先に浮かんだ単語は甲子園――だが、彼女にそれで例えると余計に疑問符を浮かべられることは解っていた。


 煙草を銜えて、オイルマッチで火を点ける。吐き出される紫煙と、漂うバニラの香り。


「そうだな。……きっと、多くの人間には価値を見出せない、だ。だが、一部の連中には情熱の全てを費やすだけの価値がある、だ。その手の類は……夢が形を持ってそこにある――違うか? 


 ドロシーという彼の仲間――家族と言って差し支えない少女が目指すもの。


【大強盗】OZの紅一点。今や空白となった隣の椅子、二番にかつて座していた彼等の特徴はだが、今も色褪せずに認知されている。


 すなわち、空。


「んん。つまり、あの大空を目指すのね、あの子。えっと不特定多数だから、あの子たち、って言うべきなのかな。そっか、なるほど。わたしにはわからないけれど、」


 空に魅せられた少年少女とは、スズもルル・ベルも大いに違う。が。


「でも、そうね。


 突き抜けるような蒼穹に想いを馳せたことなどは無い。


 だが、かつて同じ気持ちで挑んだ宵闇よいやみがあったのだ。ルル・ベルは紅茶を口に含み、目を瞬かせた。


「あ、ほんとう。美味しいわ、これ」



 /


 蜜のような時間も、食後の会話も変わらない空気。


 スズはどのような場所であれ、自身の纏うそれが場違いにならない。


 それは――であっても変わらなかった。


 スイッチなどは無く、ブレーカーを直接下げることで点灯していく青い蛍光灯。


 彼個人のアジトの地下一階は幅が狭く、奥行きは広い。姿を見せたモノは、スズの“壊し屋”たる象徴――数々の重火器が眠る武器庫だった。


 その入り口付近の姿見に立ち、ぱちん、と銀の腕時計を嵌めるスズの後ろにずらりと並ぶ武器の数々は、地下鉄のレールを連想させる。


 鏡に映っていた自身から、その視線が真横――ルル・ベルに流れて、彼女はその光景に感じ入っていたのだと自覚させられて。


「……そうだ。あなたはだった」


 肌を重ねている時よりも熱い吐息と共に、そんな感想を口にした。


 スズの後ろに控えた破壊の手段は今か今かと自分の抜擢を待ちわびているようにさえ思える。


 その中で、彼女は自分のすぐ傍のガラスケースの上に置いてあった拳銃を手に取った。


 両手で握り、スズに向けて構えて見せる。


「どう? レオ程のガンマンじゃなくても画になるかしら」


 茶目っ気たっぷりに笑うルル・ベルに、僅かに眉を寄せて左手を伸ばし、銃口を下げさせる。


「あら。駄目だった?」


「……ソレは反動が強い、だ。お前と似たじゃじゃ馬だからな、だ」


「まあ! ひどいこと言うのね!」


 わざとらしく怒るポーズのルル・ベルの目の前に、辿り着くまでに何度かの回転を経て、グリップを向けられた別の拳銃が右手で差し出された。


「ベレッタ? 一般的スタンダードね」


「この場合は正式フォーマル、だ。留守番でもおれは構わないが」


「いやよ。あなた、待ってても来ない時があるし。約束は守るけれど、探すのに苦労する男よ」


「……さしもの【吸血姫】であっても、日中の舞台は分が悪くないか、だ」


「ふふ、そうね! 不老不死はうたえなさそうよ。わたしを日の下に出すからには責任取まもってね、スズ」




 ……やがて訪れる大一番に参戦する武器の選抜は終わった。


 ブレーカーが落とされ、再び武器庫は暗闇に閉ざされる。



 その中で、スズの耳元で囁かれる声。


「……バニラの香りは嫌いじゃないわ? でも煙草はほんとうは嫌い。


「そうか。災難だな、だ」


「――もう!」


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