第15話/4 少女の檻


 ――語るべきことはそれで全部。Cは言葉を切り、冷めた紅茶を口に運ぶ。


 欠けていた部分は大まかにとはいえ補完できた。ランスロットが空を飛んだ理由、ドロシーが飛んだ理由、アリスが飛んだ理由。少年少女の飛行への欲求はそれぞれ理由が異なるのであろうが、同じモノを必要とした点では一致する。


 ランスロットが空を求めた理由には見当が付かないが。


(……ま。がまた空を飛んだ理由ってのも、わかんないけどね。)


 親の仇の娘。そうではないと気付いた後、君はどうして彼女と一緒に居続けた――?


 俯いたままのドロシーを横目で窺う。言いすぎたかな、とも思った。水平に抱かれた彼女のボード、サンデイ・ウィッチには少女の震えが伝わっている。


 ――それが、ぴたりと止まった。





「…………………………あは」


 吐息のように口から零れたソレは、確かに、笑ったのだと。Cは視線を上げる。二人も、一人の少女を見た。



「カカシが死んだって、そんなの、わかってるよ」


「――――」


?」


 カカシがいない、と探し回っていたはずの少女は、弾けんばかりの笑顔で、そんな心からの疑問を口にした。


 窓から差し込む光がカーテンを貫通する。飴色の髪が煌いて、そこに神聖ささえ見出すような一枚の絵画を思わせる。


 その、あまりにもおぞましい光景に、紅茶で潤ったはずの喉がたしかなを訴えた。


 ――違っている。少女と少女以外の存在では、見えているモノが違っている。認識したモノについての感想が決定的に違っている。


 或いは。それこそがかつてランスロットと呼ばれた少年と、それ以外の者たちの差異だったのかもしれない。



 /



 とおい昔。パパのせいで、たった二人になってしまったのだ、と聞いた。


 それより昔のことは覚えていない。アルバムには、布に包まれて籠に入っているあたしと、その傍でぺたんと座っている、同じ姿をしたひとつ上の双子の赤ちゃんが映った写真があったけど、そんな頃の記憶はない。


 あたしは一人っ子だったし、周りはあたしの目から見て大きい人たちばかりだったから、パパとママがいなくなってしまった子ども、というモノがどういうことかわからなかった。


 わからなかったから、考えた。あたしはきっと代わりにはなれない。パパとママじゃ駄目だって思ったけど、四人が二人になってしまった夜は、きっと怖いと思った。


 人の気持ちはわからない。



 銀色の夜を思い出す。責任、というモノの事もよくわからなかったけれど、ランスロットの手があたしの首にかかった時に、抵抗しようとも思えなかった。


 首を締めようとする手を、もう片方の手が止めている。


 ねえ、どうして、そんな顔をしているのに、泣かないの?


 あたしは今から見ても泣き虫だったから、純粋にそれが疑問だった。



 ――もしかしたら、もう零れ落ちるほども、残っていなかったのだろうか。



 そんなランスロットが、あたしのせいでカカシになって、そのカカシも死んでしまった。



「……全部、ぜんぶ探したんだよ。一緒に歩いた街も、図書館も、あたしたちの家も、時計塔の周りも、アメリカのホテルも、いなくなった川だって、何度も探したんだ。でも、カカシはいなくて、」


 歩いた場所も、飛んだ空も。十年以上一緒にいたから、カカシはあたしの全部になっているのに。


「カカシはもういないのに、どこで何をやった、とかすぐ思い出しちゃうの。


 ねえ。


「カカシが笑って空を飛べって言ったんだ。その通りにしたよ。アンタたちからランスロットを奪ったのはあたしだから、あたしのこと恨んでもいいよ。あたしはあいつの手を、最期まで捕まえられなかった。でも、あたしはカカシから逃げられないの。昔よりずっと上手に飛べるようになったよ? 、頑張ったもん」


 もう、許してよ。


「どこに行っても捕まるんだ。どれだけ飛んでも思い出があるの。




 /


 空が狭い――紛れもない閉塞感から、少女は誰に宛てれば良いかもわからない赦しを請う。


 笑顔のまま「ごめんなさい」と謝罪する。


 その、空を飛ぶ誰もが理解できない――皮肉にも、ここに至ってようやく少年と空への認識を共有できるようになった少女には、かつての少年と同じように理解者が存在しなかった。


 当然だ。FPライダーのおよそ全てが憧れか、飛ぶことが楽しいから空を飛ぶ。



「……そうね。わたくしたちではきっと、それを理解できはしないのだわ」


 沈黙を破り、口を開いたのはアリスだった。


「恨んでいてよ? ドロシー。貴女はわたくしたちFPライダーからランスロットを――空を、夢を、あこがれを奪った魔女だもの」


 ふん、と鼻を鳴らす。


「わたくしたちから――子どもから夢を奪うだなんて、そうそう赦されるものじゃあなくってよ。だから、貴女には責任がある。踏み倒そうにももうは来ているみたいだし? さっさと払い終えるべきだと、わたくしは思うわ、ドロシー?」


 震えることさえ忘れた、ボードを抱える両手に両手を重ねる。


ランスロットの座を空けたのなら、誰かがそこに座らなければならないの。わたくしたちは我侭わがままだから、目指す場所がないと、単純に嫌なのよ。ランスロットを殺したのでしょう? ドロシー。貴女には、だからを見せる義務があるのだと、わたくしは思うの」


 ドロシーの顔から笑みが消える。瞳がアリスの瞳を捉える。


「……あたしに、カカシの代わりになれってこと?」


「ええ、そうよ」


「アイツのいた場所より、もっと高く飛べって?」


「ええ、そうよ」


「アンタは、それでいいの?」


「嫌に決まってるじゃない、そんなの」


「……なによ、ソレ」


「嫌よ。嫌だわ? どちらかと言えば伝説を継ぐのはわたくしが良いに決まっているじゃない。でもね、ドロシー。彼の場所に届かなかったのは、誰もが同じでしょう?」


 それに、と一度間を置いて、少女は少女に、挑むように笑いかける。


「わたくしがいつも、貴女を阻んだ。貴女がいつも、わたくしを阻んだ。同じ高さを飛んでいたのだから、不戦勝はもう、嫌だわ? 癪だから言わなかったけれどね、ドロシー。貴女がランスロットしか見ていなくて、ランスロットが貴女しか見ていなくて、誰もがランスロットを見上げている中でも――貴女をこそ、見ていた子たちも、いるのよ」


 大空が、まだ少年少女にとっての楽園だった頃、確かに。


 ――。たった一瞬とは言え……その後に悲劇が口を開け、空が潰えた未来が待ち受けていたとしても。その瞬間だけは、見ていた全ての者の意識を奪ったのはランスロットではない、ドロシーなのだと。


「……じゃあ、アンタは」


「ええ。仲良しこよしで飛ぶつもりなんてこれっぽっちもなくってよ? 元よりわたくし達はそうでしょう。? チェシャが言った通り、貴女は貴女のために飛ぶべきよ。わたくしたちがであるように。義務とは言ったけれど、それを負うのは貴女だけ」


「…………ほんとに嫌い。アンタたちFPライダーっていうのは」


「ええ、欲しいもの以外は要らないわ。わたくしたちは子どもピーターパンですもの」


「また、随分と塩を送るねアリス。僕はちょっとびっくりした」


「トップライダーには余裕が必要なのよ」


 手を離す。


 少女の震えは止まったまま。ただ、それまでとはもう、理由が違っている。


「んで? 姫を焚き付けたまでは良いとしてだ、嬢ちゃん。どこで競うっつーんだよ」


「あら、わたくしの独断ではあるけれど、統計を採ってみればわりと総意だと思うわ? そろそろ熱が欲しいのでしょうね、


「ぁン?」


「あ……もしかして、また開くの? あの大会」


「ええ。あと一年以上はかかるって話だけれど」


 スネイクス・リトルクラウン杯。


 かつての楽園を、もう一度この世に復活させるのだと、アリスは笑った。


「どうかしら、ドロシー」


「…………」


 ランスロットのいない大会。


 カカシのいなくなったOZ。


 昔より狭くなった空。






「……いいよ、出る。ランスロットを殺したのはあたしだもの。


 ドロシーはきびすを返す。サナトリウムの部屋を後にする少女に、Cが最後の質問を投げかけた。



「ドロシー。君は眠りながら涙を流したことはある?」



「…………そんなの、しょっちゅうよ。それが何?」


 Cはゆるゆると首を振って、なら良いんだ、と笑った。



「君が彼に固執する理由が気になっただけさ。少し安心したよ、ドロシー。……君は、恋をしているんだね」


 涙が、許容を越えて流れる心だとするならば、眠っていてはそれを止めることもできない。


 まったくカカシはひどいヤツだな、と大げさに嘆いた。


「ま、僕はアリスを応援するけど。頑張ってねアリス。言っとくけど、僕のボード使って噛ませ犬になるとか承知しないぞ」


 少女は去り、閉じた病室のドアを見ながらわざとらしく言う。


「もちろんよ。チェシャ、貴女わたくしを見くびり過ぎじゃあなくって?」


「……じゃあ、次の夢に期待しておくよ」


 三日月のように笑う。




 ――そうして楽屋裏サナトリウムの出来事は終わった。


 ミリオンダラーの二番と六番の座が空いてから二年の後。





 最後の舞台はアメリカ、カナンヒルズ。


 かつて空の潰えた地で、最新の童話が紡がれることとなる。



 /第15話 C 完

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