第15話/3 100万回死んだ猫


「私もハンプもダンプもね。ランスロットが憧れ――憬れ、だったわ。……ええ、きっと、ドロシーだってそう」


 ふぅん、と相槌を打ちつつ紅茶をすする。


「おやおや。随分と懐かしい話をしてるねぇ、嬢ちゃん。俺もリンゴ貰うぜ」


 ……顔を向けるとレオがこっちのベッドに来ていた。おまけにまだ応えてもないのにリンゴを頬張る始末。


「あら、具合は良いのかしら。もう少し寝ていた方が良いのではなくって?」


 厄介払いをするようなアリスの視線に、レオは気だるげに手を振って返す。


「いつまでも寝てたらカビちまうっての。それに、


「相変わらず野蛮だわね……まぁ、良いでしょう。でも、当事者の貴方が続きを話すべきだと思うわ? レオ」


 個人的にはアリスの話を聞いていたいんだけどなぁ……でもまぁ、レオの話の方がよりリアルだと言うのならそうだ。


 ……多少のフィクションには目を瞑る覚悟で。


「ぁン? まぁ良いけどな。坊が姫の目のかたきだった頃だろ? いやあ、坊も坊だよなぁ……クックク」


 何か不穏な含み笑いを見せながら、語り部はOZのアタッカーに移る。


「そうさなぁ……アルフォートの家に居た頃の坊は、よくピアノを弾いてたンだけどな。坊の素質と音楽性はまったく別で、聴いていたい音楽は譲りの反社交性だったな」


 恭順よりも爪を立てろKILL the POP,KISS the ROCK


 心を植木鉢に例えるのならば、その鉢を埋めていたのは肥沃ひよくな土ではなく、根さえ張り巡らせるのが困難な砂だったであろう過去に、なんとなく思いを馳せる。


 ――土壌を喪い、それでも花を枯れさせまいと注ぎ続ける水は、溜まることもなく底から流れ出ていってしまう。


 問題の花はどうか。ならば枯れてしまえば良かったのだ。そうならなかったのは、心の方が、枯れ落ち朽ちることを拒んだ結果、だと思う。


 理由は僕にもわからない。僕に解るのは当時、ランスロットという子どもは、諦めていながらも生きることを止めずに、おそらくはとっくにそれが方便であることを理解しておきながら――そのへの殺意に甘えていた、ということだけだ。



 /


 裏社会の統一を目指したマフィアの首領、アーサー=アルフォートがその身を投じた戦争は、とある家庭に飛び火し、一家の主とその妻を燃やしてしまう。



 運良く生き残ったその子どもは、アメリカで隠遁生活をしている、自由人である祖父に引き取られた一人目と、かねてから両親のであったアーサーに引き取られた二人目。


 時代は二十一世紀。とっくに権利はなくなっても、中世から貴族の血と誇りを絶やさずに続けてきたハイドロビュート家の遺児は、アルフォートの家に引き取られてから実に一年間、一言も口を開かなかった。


 実子であるドロシーは、ひとつ上の、新しくできた兄をなんとか元気付けようとあれこれ遊びに誘い。幼い少年はそんな少女の後を、無表情なまま追っていた。


 その立ち位置が変わるのは、それから数年後。事は養父に対しやっと開いた口から発せられた言葉から始まる。


 実の子どもへ向けるものと変わらない愛情。


 親を亡くした子どもと変わらない、親友を亡くした絶望。


 間違いなくアーサーは心優しい人物で、この上なく悪人だった。


 人形のようなその養子を抱きしめるには、両手は血に塗れすぎていて。


 突き放すには、その心は父親すぎた。


『ナイフの握りは、こう。うん。小指からやわらかく、けれど刃が動かないように握るんだ。そう、上手だ』


 だから膝を折る。少年と同じ高さの目線で、かつて親友が握らせたかった夢とはまったく違う、反吐が出そうな欺瞞をその小さすぎる両手に包ませて。


『ぼくが直接手を下したわけじゃあ、ないんだけどね。そうだな……きみの両親は、ぼくが殺したも同然だ。いいかい、きみはこれから、そんな男に育てられる。たまらないだろう?』


『……うん。僕は、貴方を許さない』


 世界の半分をその手に収めた男は気付いただろうか。それは、精一杯の甘えであったと。


 /


「ま、坊がそのままノリでオヤジさんを刺そうとしたもんだから俺が止めたんだが」


 懐かしむような目で「腕一本はやりすぎたかねぇ」などと言葉を漏らすレオ。


 やりすぎだよ。


「思えば奇妙な縁っつーのかね? その一幕があったお陰で俺は坊と話すようになった。その頃になって、アメリカにいるオズのジジイから坊と姫にFPボードが贈られてきてさ。最初に興味を示したのは姫の方だ。ありゃフツーに考えて、新しいオモチャに夢中なだけだったよ。俺は乗らないから解らないが……空を飛ぶっつーのはなんだろう? 嬢ちゃん」


 レオがアリスを見る。アリスはそうね、と当たり前の気持ちを再認識するように頷いた。


 そう。それが世紀の大発明のコンセプトだ。


 ただ、それは。


「坊にはきっと、それが無かったンだろうよ。そのくせ誰よりも長くボードに触ってたからな。姫は気付いちゃいなかったし、坊も気付かせてやるほど可愛げなかったからなぁ……俺とベディは、夜更かしして一晩中ボードに乗っちゃすぐに使い潰して買い替える坊を見てきたからな」


 結果は当然だったのさ、とレオは続ける。いつでも新品同様のFPボード。つたない走空が生んだ傷はいつか思い出やプライドに変わる――なんてモノさえ置き去りに。ランスロットは飛べなくなるまで羽ばたいて、その度に翼を新生させてきただけなのだ、と語った。


「……そういえば、友人に言われたのよね。『彼とアリスたちでは、理由が違う』って。わたくしたちにとってカカシ――ランスロットは空そのものだったから、そんなこと考えもしなかったのだけれど。じゃあ、どうして彼は飛んだのかしら」


 アリスが可愛らしく首を傾げてレオと僕を順番に見る。


 口を開くのはレオが先だった。


「ぁン? そんなの決まってンだろ。そりゃ坊が――」


 無糖の紅茶に蜂蜜が大量投入される予感に息を呑んだ瞬間、ベッドを区切る白幕が開かれて、少女が姿を見せた。


 久しぶりに見るドロシーは、うんと女性らしくなっていた。瞳に入った憂いが更にその印象を引き立てる。


「…………レオ」


「ん、どうしたよ姫」


「……ベッドに居なかった」


「あぁ、悪ィ。ちょっと井戸端会議に参加したく、」


「ベッドに居なかった。ロビーにも居なかった。ねぇ、スズは? スズは帰ってきた? 見つかったの、かなぁ。ねぇ、レオぉ……」


「あーー……姫、そのな、」


「……ドロシー」


 アリスとレオが困ったように声をかける。なるほど、重篤じゃないのは解っていたけど、ではなぜレオがこのサナトリウムで休養をしていたのか理解する。


 ドロシーは不安でしょうがなかったのだ。今まではどこに行っていても、当たり前に戻って来ると信じていられた。OZのアジトに、たとえ一人で留守番をする日があったとしても、まあミリオンダラーの【大強盗】だから、やはり世間様にはよろしくないが――輝かしい明日を思えるから、待っていられた。


 いま、ドロシーはその不在に耐えられない。

















。カカシ、ぅっく……ねぇ、ランスロットがいないんだ。レオ、スズは見つけてくれるかなぁ……! ねぇアリス、カカシ見なかった? お邪魔してない? 、知らないかなっ……カカシ、ううん、ランスロットって言ってね、すっごい無愛想でね、なに考えてるかわからなくてね、あたしよりちょっと大きいくらいでね、いっつも生意気なんだけど、いっつも護ってくれてて、」


 


 ドロシーは、きっと僕を見ていなかった。


「ねぇ、ドロシー? 君は、何で飛ぼうとするの?」


「それは、ランスロットが、」


「違うでしょ」


 そう。それは違う。違うはずだ。


「確かに彼は、君が空を飛ぶことを望んでいただろう。でも、それは、君が確かに望んだからだ」


 僕はフードを取る。


 彼女は僕の目を見ていないだろうけれど、僕は彼女の目を見て言う。



 羨ましい限りだ。成長できるっていうのに、なのにしようとしないで泣いてばかりは、腹が立つ。


「ドロシー。彼の心を汚すなよ。共に在ろうとした心を、そんな後付の理由なんかにしないでくれ」


「ちょっと……!」


 アリスが睨んでくる。


。きっと彼ならそう言う。負けっぱなしは嫌なんだろう?」


「……へェ」


「…………ッ!」


 涙をたたえた瞳に力が戻り始める。それが嫌悪や殺意の類であっても、死んだようなものよりマシだ。


 ――あぁ、なるほど。かつてのアーサーの気持ちが解る。この娘は僕とそんなに関わりはないけれど、夢を見るならこっちの方がだいぶマシだ。


「……アンタ、


 あれ、アリス言ってない? それは参った。僕は話をいつも聞いていたから、つい知り合い気分で物を言ってしまった。 いけないいけない。そうだ、どれだけ舞台に共感しようとも、観客である限りはその椅子に座っていなければならないのだから。


 ――まぁでも、今そんな事はどうでも良いか。


 それでは、自己紹介。


「……はチェシャというの」


 おっと、先にアリスに言われてしまった。


「チェシャ? チェシャ猫の……なんだ、アンタも不思議の国ワンダーランドの、」


「いやいや。アリスとは仲良くさせてもらってるけどね。不思議の国ワンダーランドの活動には干渉していないよ、ミリオンダラー?」


「そのワリには随分と詳しかったけどなぁ、お嬢ちゃん」


 ええい、今更のように初対面アピールするとか。レオのコミュ力の高さは少し見習いたいよ。こほん。


「一緒にしないでよ。君たちとは違って僕は身体はともかく、社会的に真っ当だ。僕はミリオンダラーなんかじゃないよ。うーん、強いて言うなら、ってところかなぁ」


「は? チェシャ猫でミリオンダイアー……なんだよソレ」


 うん、まぁしょうがない。


渾名あだなはおかげさまでいっぱいあるよ。チェシャキャット。クロワッサン。まったく、笑顔が三日月みたいとはどういう扱いだろう。女の子なのに怪談扱いだなんて、ひどいよね」




 きっと僕は、彼らが紡ぐ物語にもう登場はしないだろう。


 だからちょっと伏せ気味に、呼ばれるならいろんな渾名の頭をとってこう呼んでもらいたい。


「C、で良いよ。……ああアリス。アリスは、取りに来たんだよね」


「……え、ええ」


 そうでなければ、こんな舞台裏サナトリウムなんかに来ないか。ああ、悲しいな。用事がなければ来てくれないとか。


「ドロシー。君がそんなじゃ、とてもランスロットには敵わないね。アリスのライバルだって聞いてたけど、飛ぶところを見るまでもない。がっかりだ」


 ベッドの下からボードを出す。うん、僕が持ってても良かったけど、コイツはアリスが持ってた方が洒落ている。



「なんで、アンタに、そんなこと」


「なんで、って僕は100万回死んだ猫ミリオンダイアーなんだぜ? あ、理由になってないか。そうだな、僕は聞きたがりで話したがりじゃないけど、このままじゃカカシも浮かばれないし、アリスも張り合いがないだろうから」


 とは言いつつ、誰も届かなかった高みに君臨していた少年だ。少しくらい浮いていない方が安心できる気もする。


「感謝して欲しいもんだね、飛行症候群ピーターパンシンドローム。このFPという機構を、ただの飛行する板から、人が空を飛ぶためのモノにまで昇華させたのは魔法使いオズとの功績なんだからさ」


 いやまぁ、大きく出たけれど、僕がやったのはオズの創ったボードに乗るテストプレイヤー……有体に言えば被験者だったんだけど。というか、夢を抱かせたのはカカシなんだけど。


 うってつけだし。


 給金半端なかったし。夢の先取りもできたし。恨んでないよ。ほんとだよ。





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