『幕間』

第15話/1 朝露のサナトリウム


 ――――目を開けると、白い壁が見えた。僅かな重みはシーツのもの。乳白色のカーテンを見てから、ソレは天井だったのだと気付く。


 無意識に行っていた呼吸を意識的に。鼻から入ってくるのは、形容するよりも寧ろ形容詞にされる匂い。


 つまり、病院くさかった。


 ならば此処は十中八九、病室で。


 あい色を帯びた気配は見舞い客。


 そして、僕が患者なのだろう。


 ……さて。経緯はわからないがどうやら入院中らしい僕の記憶を掘り返そう。




 ―――うん、中止。思い出すものじゃないね。




 今の僕は、足りない(まあ、わりと以前から)物だらけだ。


 枕元のデジタル時計を見る。時刻は朝、端に小さく光る西暦は……知らない年だ。未来に来たらしい。




 目を閉じる。まずは、彼女が何を語るのか、聞いておこう。幸いと、僕が起きたことには気付いてない様子だし。



 僅かに開かれた窓。入り込んだ風が、病室に並んだベッドを区切る白幕を揺らす――光に馴れていない僕に、その白さは眩しすぎた。眼球から届くちいさな頭痛。白幕の向こうに、隣のベッドに語りかけるシルエット。


「あのね、カカシはあたしより後にボードを始めたんだ。……それなのにさ、あたしより上達が早くて――早い、じゃないのかな。ううん、アレはおかしかった」


 話相手はきちんとそこにいるだろうに、少女のソプラノは独白のようだった。


 ……この手の話は遠慮したいんだけどな。


 だけどドロシー、元気が無いなぁ。



「ねぇ、レオ。……カカシね、最後に笑ったんだ。なんか言ってて……でも、なんて言ったか、聞き取れなかったよぅ」


 なんと。レオもいるのか。少しマズいかな? バレなきゃ良いけど……


 っていうか僕の隣はレオだったのか。



「あのなぁ、姫。もう無ェもんを追いかけても何にもならねぇだろ?」



 うん、レオの言う通りだ。でも、


。坊が心配しねぇようにな」


 この話はなぁ。



 ……随分と寝てしまっていたようだ。


 シルエット越しだけれど、最後に見た時よりもドロシーは大人になっていた。


 さて、声をかけるま

「……じゃあ、また来るね。レオは、きちんと休まないと、ダメだからね」


 えに、危ない危ない。 いちおう僕は寝ている設定だった。うっかり鉢合わせたりしようものなら気まずさがひどい。



 歩いて行く気配。


 吐く息を眠りのように静かに努めて。天井を見上げた。



 ……犬猿の中、というのがあるけれど。


 たぶん、病院だからお互い気をつかったんだろう。だから喧嘩は聞こえて来ない。 まあ片方の覇気が限りなくゼロに近くて、喧嘩に発展しなかっただけかもしれないけれど。



 隣人レオは寝たのかな? 静かだ。――と、足音。



 ばふっ。と無遠慮に僕のベッドに腰を下ろし、


「はぁ。辛気臭いったらないわ。貴方もそう思わなくて?」


 ……。起きてたのバレてる。



「……そうだねアリス。だけど僕は事態がさっぱりなんだ。周りに迷惑をかけない程度に、教えてくれないかな」


 アリスは悪戯っぽく微笑んで、僕の額に人差し指を置いた。


「そうね、良くってよ。……ねえ、食欲はある? 何か食べたい物があれば用意させるけれど」


 なにその仕草アクション。ドロシーも育っていたみたいだけど、アリスもアリスで立派に育っているみたいだ。


「酒」


「お黙りなさい」


 ……うん、アリスはどうやらお隣りさんとも仲良くやっているようだ。



「そうだなぁ……紅茶と、クロワッサンが食べたいかな」


「……相変わらずよね」


 困ったように笑うアリス。


「それはそうさ。パンと言ったらクロワッサンで、アリスと話すならお茶会でないと」



 それから、彼女は僕のリクエストどおりに紅茶の用意をし、お高いお皿に焼きたてのクロワッサンを並べて話を始める。


 枕に頬をうずめて窓の外を見る。季節は夏だけど暑さは遠い。


 世の中を揺るがす大事件の余震も、この場所までは届かない。


 此処は僕やレオが入室するような場所で、アリスやドロシーがお見舞いに来るような、堂々とお日様の下を歩いてしまうと文句が飛び出る連中御用達の保養所。



 物語の空白を埋める、千両役者たちの楽屋裏サナトリウム


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