第14話/4 『私を月に連れて行って』


 ――あまり気にしていない、自分の株が下がったのをひしひしと感じながら来客を見送る。彼女も忙しいだろうに、わざわざ足を運ぶだなんて律儀な性格だ。


 今時、メールや電話の一言で済むのに。そこまで考えて、ここがスラム街で、オレはそういった連絡手段を何一つ持っていない自由人の一人だと、今更ながらに行きついた。置いて行かれたのか立ち止まったのかはさておき――オーパーツと呼んで差し支えのないモノの開発者が住んでいる場所であっても、ジャックの日常は文明と距離があったりしたわけだ。


 さて、その日常だけれど……実際、がらくた弄りはもう飽きてしまった。カレンやオズじゃなし、オレにその手の才能があるわけでもない。青少年にはワリと当たり前の技能として、ちょっとした機材のメンテナンス程度はできるが、一生を費やせるジャンルのものでもなかった。


 寒いのならばドラム缶に火をくべて暖を取り、文明の明かりは遠く、輝く夜空を眺めるゆっくりとした日々の流れ方。ここの住人にとって時間とは、そう足りないものではない。その使い道を意義あるものに変えるか、浪費するかでさえ個人の自由なのだった。


 ラジカセを手に入れたオレは、ある意味でやることはやってしまったので、あとは日々、外の情報を雑多に耳に入れつつ時折流れる音楽を楽しみ……場合によってはラジオカセットなのだし、磁気テープなどというを手に入れて聞いてみるのも良いかもなあ、などと思っていた。のだけれど。


「街に行くぞ。付き合えジャック」


「……は? どうしたのオズ。アンタ街に行くの嫌がってたじゃんか」


 だから買出し――まあ、それもオレやカレンの日用品だ。この老人を初めとした翠の楽園エメラルド・エリュシオンの住人は基本、この楽園の中で生活が完結している――は、オレの仕事になっていたというのに。


「いいから仕度をせい。物事には順序ってもんがあるんじゃ。カレンも一緒においで」


 留守番する気でコーヒーを飲んでいたカレンは露骨に嫌そうな顔をした。うん、まあ、その。じいさんも突飛なことを言い出したけど、カレン? オレに言う義理は最早ないんだけど、この楽園で完結させようとしすぎじゃないかな。


 一蓮托生。こうなったらカレンも付き合わせよう。じいさんの付き添いがオレだけとかちょっと嫌だ。


「……そうだな。ほら、こないだ言ったことが今になったってだけで。カレンも街に行こうってやつ」


「街ぃ……」


 うわ、すっごい嫌そうな顔だ。もしやコーヒーという飲料の原材料は苦虫にがむしなのではなかろうか。


 暫く抗議の視線をオレたちに向ける少女。瞳にはありありと「ふたりで」「いけ」と書かれていた。


 カレンの持つ、凹んだブリキのコップの中身がぬるくなる頃、軍配はこちらに上がった。カレンは深いため息を吐いて、


「…………行こう。仕度」


 と、ワリと本気で憎憎しげに呟いて、同行に了承した。



 /



「儂の娘がな、どこぞの貴族みたいな若造と結婚してな」


 ショッピングモールを歩きながら、老人は話し始める。



「孫の顔を見せに来たのが最期じゃった。マフィアどもの抗争に巻き込まれてなぁ……こんなじじいを遺して逝ってしまう、親不孝な娘だ」


 服屋を巡り、買い物袋はオレの手にどんどん増えて行く。


「昔語り結構だけどさ、すごい嬉しくない」


 あまり興味もないけど。こういうイベントは、ノリノリで買い物をする同世代の女の子に付き合った男の手に、その子の買い物が増えていくものではないのだろうか。


 大筋において間違ってはいないところが更に腹立たしい。じいさんの買い込みの大半は私用ではなくて、孫の物だ。カレンの荷物を持つことくらいは別に良いんだけど、当のカレンは一言も発さない。



「そんでまたその孫が……あぁ、誰に似たんだろうなぁ。でもな、坊主ジャック。儂はランスロットの、あの面構えが好きだったんじゃ。こう、社会に真っ当から反発してやるって感じのな。だからハイアーザンザサンを譲ってやった。足なしのカカシも、そうすりゃ喜ぶってなあ」


 ハイアーザンザサン。Higher-Than-The-SunHT2S。今や見る影もない、足無しカカシの真っ赤な飛行艇。


「……喜んでたろ」


 それに、あの頃の顔は反発というか諦観だったように思う。



 アクセサリー屋での買い物も済ませ、カフェで遅めの昼食を。四人掛けのテーブル。椅子の一つには買い物で発生した少量とは言えない荷物が陣取った。



「……皆、感謝してたよ。ランスロットも、ドロシーも、レオも、スズも」


「ふん。儂の血から賞金首が生まれたんだ、素直に喜べるか? これが」


「世の中にFPを放っておきながら、国家単位の勢力にメンチ切った人間が言える台詞じゃないね。じいさん、間違いなくアンタの血筋が原因だよ。……ハイドロビュートはイギリスの名家だったけどさ。ロックンロールは、この国で生まれた音楽だろ」


「……。……ふん。良いコーヒーだな、お前が淹れるのより余程美味い」


「そりゃあ悪ぅございました」


 こちとら専門は紅茶なもので。


「ランスロット。ドロシー」


 カレンが名前を拾う。彼女の口からその名前が出るのも、随分と久しい。


「……とは言ってもミリオンダラーの二番、もうか。OZの皆は別に、反社会を掲げてたわけじゃないけどね。欲しい物があったから、好き勝手やったんだろ。どっちかっていうとジャズ。あぁ、それもこの国生まれか。やっぱりアンタの血筋だよ、じいさん」



 そうして、住み慣れたスラムに戻る頃には日が暮れていた。



「……ね、オズ。今日の買い物は何だったのさ」


「餞別だ。そんなボロっちい服装で出ようとか思うなボケ。こういうのはな、見た目が大事なんじゃ。それにカレンも、もう少し女ッ気を出して良いと思うしの」


「はは。……うん、ありがとオズ。……代金オレ持ちだったけど」


「老い先短い爺にたかるつもりだったのか?」


「老い先短いんだから弾めよ。孫を着飾ってやれよ」


「ばかもん。カレンに悪い虫が寄り付いたらどうするつもりじゃ、ああ?」


「すげえ、言ってることが滅茶苦茶だこのくそじじい」


「……孫を、着飾って?」


「よし戻るぞジャック。カレンの服を追加じゃ」


「もう夜だっての!」



 /


 歳甲斐無くはしゃいだからだろうか。オズは早々に寝床に就いた。


 この夜もオレは、まったく乗りこなせる気のしないFPボードを足に掛け、何度目かもう解らない敗北を喫する。


 そして、カレンが作業に没頭するガレージに戻り、その背中を少し眺めてから、壁にボードをかけて外に出た。


坊主ジャック。カカシが上手に踊れん理由を知っているか?』


 買い物の終わりに、オズの魔法使いはそんな問いかけをしてきた。


 ラジカセの取っ手を手首に引っかけ、ガレージの屋根へと続く梯子を昇りながら、そのことを考える。


『……そんなの、足が無いからに決まってるだろ』


 屋根の上で座って空を眺める。


『ふん。知恵が足らんのは童話のカカシもお前も一緒じゃな。そんな風に考えてる限りは、あのボードにゃ一生かかっても乗れはせんわい』


 ラジオを付けると、ちょうど会話も終わりに向かう頃だろうか。パーソナリティが笑い合い、少しの間が生じていた。


 ポケットから煙草を取り出し、銜える。気取ったブランド物のライターなんかは持っていないので、キッチンから拝借したマッチで火をつけた。


「げほっ、げほっ……は、無理すぎるだろこれ……」


 煙草の匂いが気になるわけでもない。ただ、単純に吸う側には回る日など来ないだろうと確信する。ちなみにこの確信はもうとっくの昔にしていることで、では何故、試し続けているのだろうか。


 ぎしり、と自分以外の重みで軋む屋根。誰かはわかっているので、特になにも反応せずにそのまま月を見てラジオを聞き続ける。


 やがて触れ合う背中。ページを真ん中で開いた本のように、きっと座り方もオレと同じで胡坐をかいているのだろう。


『じゃあ一曲いきましょう。ってマシィさん、チョイスが古過ぎやしませんか? 前時代というか前世紀モノじゃないですか』


『はは、ナンセンス極まったな君。ブルーノートから聞き直せ。良い音楽は廃れないんだよ』


 ――それは、二十世紀。大戦も終わり、国土の奪い合いから発展の度合いで勝負をし始めた時代。大国がこぞって『空の先』を目指した頃に生まれた曲だった。


 題材は月。今ふたりで見上げている、あの夜空に輝く衛星だった。


「カレン」


 彼女は答えない。いや、カレンは今、口にする言葉を持っていない。


 ――心因性、という病ではないにせよ、彼女は努めて……そう、努めて。言葉を発しない。。先んじて自分の口から出る言葉を、信用していない。


 本当は、オレなんかよりもずっとお喋りなのを知っている。マイペースだが、おそらく、下のガレージではもうずっと、画面を通じて、口ではなくその指で幾度とない会話をしていたのではないだろうか。


 カレンが安心して口に出せる言葉は、オレが先に言ったものだけだ。


「何度も言うけどさ。カレンのせいじゃないだろ、タイミングの問題だった。ほら、偶然の一致が運命みたいに勘違いするアレと同じさ」


「偶然の一致」


「うん」


「うん」


 まぁ、心傷トラウマの癒し方なんて誰も知らない。誰よりも早く出会ったオレたちには、言葉なんてなくても、結構どうにかなってしまうものだし。


 ラジオから流れる歌は、『愛してる』の一言をすごく遠まわしに表現している、というものだ。宇宙開発の黎明に相応しい、洒落た言い回し。


「カレンはさ、見当つく? カカシが踊れない理由ってやつ。じいさん言ってたろ」


「…………つく」


 つくんだ。


 カカシが踊れない理由。ジャックがFPボードを乗りこなせない理由。


 空を飛ぶための必須条件。空にしか興味がなかった方と、空になんて興味がなかった方の双子。


 妖精の粉と、楽しい気持ち。他には何が必要だというのか。


 天体を覆う、透明な空のヴェールは今も見えている。


「……出ようとは、思うんだけどね」


 出オチが関の山なのが既に目に見えている。


「出よう」


 ぐりぐりと、後頭部を押し付けられる。背中を押そうとしてくれているのだろうか。


「出たところで、オレにできる事なんてないと思うけどなぁ」


「できる、と思う」


「……そう?」


「そう」


 いつの間にか繋がれる手。


 愛を歌った曲が終わる。


『……ね、洒落た言い回しだろ。“貴方を愛しているFly me to the moon”。ウィスキーをロックで飲みたくなるね』


『マシィさんどう足掻いてもやっすいバーでビールがぶ飲みキャラですよね。お腹のサイズに気を付けてください。さて、月まで行けるかどうかはどうでしょうか。マシィさんが雌伏の時を終えて、いま再び主催。復活の王冠争奪戦――スネイクス・リトルクラウン杯。どうです、盛り上がりはロケット級になりそうですか?』


『エントリーはまだまだ募集中。怖い方々に潰されそうだからここで出すのは控えるけど、そうだな。……うん、ヤバい連中が既に参戦表明、してくれてるよ。これを逃したら次はない! ってレベル』



 未来の話をひとつだけ。


 全てが決するその大会の幕開けに、ジャックの姿はなかった。


 双子は似たり寄ったりの生来の図太さで、飛行症候群ピーターパンシンドロームなら誰もが湧き立ち早起きするイベント当日に、こともあろうか寝坊をしてしまったのだった。



 /第14話 『JACK.』 完



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