第13話/11『クランクアップ』
冷たく暗い水底へ沈んで行く。その中で彼は、なぜ敗北したのかを考えた。
――考えるまでもなく、答へとすぐに辿り着く。
飛行症候群たちの憬れに、
ある側面での彼の仲間――GRの元FPライダーたちでさえ、そう言ったのだ。
世界最強のFPライダーを名乗ろうとも、競うことがもはやできない、天上の名。
わずか、たった五秒間ではあったが。かつて全てのFPライダーが望んだ対決の相手と交えたことで確信する。
――ランスロット。その名を騙ることでしか、空の頂点を目指せなかった時点で、私が敗北するのは必然だった。
たった一度。役者としての自分が味わう敗北は、そのたった一度だけで良かったのに。
ミリオンダラーとしての【役者】。さて次は、司法の番人でも
『……役者が演じるべき役に憧れるなど言語道断。ましてや脇役で良いなどと引き下がろうものなら、役者不足も甚だしい。だが仕方あるまい。勝ち取ることができないまでも、せめて譲り渡したかったものだ――』
『……先輩。自分は、
独白は泡に包まれて浮上する。
――弾けたところで、誰の耳にも届くことはないのだけれど。
/
【役者】として舞台を整え、GRのリーダーとしてカジノにメンバーを配置した後、偽装を終えたウィル警部補が出した応援要請。包囲の完了、突入部隊の編成までにかかった時間はとても短い。
彼が憧れを抱いた人物――世界警察本部警部、サクライは即座に現場の指揮に取りかかった。警察組織を先んじて情報を入手していたカラーズには頭が痛いが構わない。協力体制を布いて事に当たるのならば、賞金稼ぎは敵ではないのだから。
カジノフロアにいるのが【大強盗】だろうが【役者】だろうが、問題なく片付ける。
避難は完了している。あとは突入の号令一つで事は足りた。
足りたのに。
「……そこを退いてもらえませんか。我々も公務の最中です。そして。犯罪者を捕らえるのは警察の義務です」
対高額賞金首を想定して編成した世界警察指揮の特殊部隊は、その戦場――カジノフロアに突入できないでいた。
フロアの入り口に立った、たった一人の人物によって。
ミリオンダラーの知らせからホテルを襲ったパニック。避難の終了直後に、その人物はエレベーター……遥か最上階、ロイヤルスイートから下り、ゆっくりと姿を現した。
そして避難に加わるでもなく、制止の声も聞くことなく、当然のようにカジノの入り口へと向かい、その扉へと背を向けて、突入間際の警官隊と向かい合った。
物静かで気品溢れる
「だからそこを退け、アーサー=アルフォート……!」
彼こそは【役者】と並ぶ、最古のミリオンダラー。三番【ザ・ゴッドファーザー】。
世界最大規模のマフィアのトップであり、『世界の半分を手にした男』と言われる……裏社会の王。
彼ひとりの比重は、皮肉にも世界に与える影響において他の命と大きく異なる。
ただの悪人であるならば捕らえた賞金稼ぎの懐が潤い、世界はほんのちょっぴり平和に近づく。
だが、うっかりアーサーにもしもの事でもあろうものなら、世界の均衡が乱れてしまう。なにせ、世界の半分を牛耳っている男だ。何が起こるかわかったものではない。
懸けられた賞金も形骸化していて、その額の桁も空しいばかりだ。
そんな、手を出してはいけない悪――司法の番人からしてみれば最悪の天敵が、何を思ったか行く手を阻んでいるのだ。
「……参ったな。いや、聞いてくれサクライくん。今日は年に一度の会合があってね。このラスベガスの稼ぎも左右してるのだけれど、ああこれはどうでもいいか。その、なんだ。君らが息巻いて詰め寄った、目当てのミリオンダラーのことは、ぼくじゃあなかったんだな。六番、六番か。かの【役者】とは同じ椅子に座って、長い時間が経つのだけれど、付き合いはまったくと言って良いほどなくてね」
アーサーの言葉は、場に不相応なほどに落ち着いている。
「ええ、我々も貴方を捕らえるほどの余裕はない。戦争など、この時代には必要ありません。ですので一刻も早く退いてもらいたい。アクターは貴方に関係がないのでしょう、【ザ・ゴッドファーザー】」
「うん。そうなんだけどね……」
アーサーは困ったように笑う。
「このホテルはぼくの所有物件で……いや、これもいいか別に。何も、ぼくは真っ当に生きている人々の邪魔をしたいわけじゃないんだ。賞金稼ぎが賞金首を狩ろうとするのも構わないよ、保険入っているしね。だが、もう少し待ってくれないかな、サクライくん。事が終わった後で良いのなら、ぼくの知っていることを話そう」
優しく、穏やかで、それでいて強烈な強制力を持った、それは嘆願だった。
彼の背後では戦闘音が途絶え、事態は
「遠くの社会で、千両役者だのと持て
誰に手を貸しているのか――それを問い正すこともできないままに。
「だから待ってくれ。資格を手にした【カラーズ】も、【ミリオンダラー】に数えられる賞金首も、自分のことは自分で終わらせるだろう。それでも突入して、事態を一刻でも早く収束させたいと言うのなら仕方がない。ぼくも大人げないけどきみたちと敵対することになるんだが――」
「知っているだろう? サクライ世界警察本部警部。……ぼくの家族は、手ごわいよ」
――その、たった一言の号令さえ放てずに、サクライ警部は唇を噛んだ。
それより暫くの後。
世界警察の武装ヘリの包囲を掻い潜って、一人のFPライダーの少女が再び戦場に舞い戻ると事態は急転した。
花火の在庫一斉処分でもしたかのような激しい戦闘音が響き渡る。怒号、癇癪めいた銃声、機材の割れる音。
やがて――カジノフロアへと続く扉が、内側から開かれた。場の緊張が極限まで高まる中、姿を現したのは。
一目で重傷と判別できる、血まみれのGRのメンバーだった。
ばたばたと倒れていく。警官隊は息を飲み、アーサー=アルフォートは眼鏡の位置を正す。
比較的傷が浅いと見受けられる程度に五体満足な、銀河鉄道のサブリーダーを務めていたアイリスは、他三人とは対照的に青ざめた顔で、茫然と外の明かりにへたり込む。
「……もう、よろしいかな」
「そうだね、行ってくれて良いよ。邪魔をして悪かった」
アーサーが退く。生還したカラーズの保護に数人を割り当て、警官隊が突入する。
果たして、そこは破壊の限りを尽くされたカジノフロア。
主犯と思われるミリオンダラーの姿はどこにもなかった。
【大強盗】も【役者】も、忽然と舞台を去っていた。
アーサーの私用の携帯電話に着信のコールが入る。
「……そうか。命があるなら良しとしよう。あまり無茶はしないでくれ。ぼくは心配性なんだよ、レオ。……ランスロットは本当に不孝者だな。ガラハッドといい、ハイドロビュートの家の者は、ぼくの胃に穴をあけたくてしょうがないのかなあ。ドロシーにはすぐ行くと伝えてくれ。きみもスズも、しっかり休むように」
通話を終える。アーサーは眼鏡を外し、疲れたように目頭を押さえた。
そのまま、何かを求めるように右手を挙げる。
「……禁煙されてるでしょう、持って来てないわよ、アーサー様」
かつては当たり前だった、葉巻を催促する仕草に、右側の側近であるベディヴィエールは肩を竦める。
「私の煙草でよろしければ」
と、左側……パーシヴァルが懐から紙巻の箱を取り出した。
「……頼む。今くらいは肺を煙で満たしたいんだ」
努めて震えを抑えた指に挟んだ煙草へ、火が点される。
久方ぶりに味わう紫煙の苦味と、肺へ入る僅かな痛み。
堰を切って溢れ出しそうな激情を、深いため息と紫煙に混ぜて吐き出した。
/
事態は収束した。アルフォートファミリーの
専業賞金稼ぎカラーズ。その最高位『五色』の空席、【黒】の座に最も近いと目されていたグループ、
世界最高の賞金首。ミリオンダラーの八席のうち、二番【大強盗】OZ、ならびに六番【役者】アクターは壊滅により空席。
一般人の被害は、この規模の戦闘からすれば驚くほど少なかった。
他、行方不明者一名。
いち早く現場に駆けつけ、サクライ世界警察本部警部が合流するまで現場の指揮を執っていた、ウィル=シェイクスピア同警部補の捜索は今もって行われているが、状況は
――それから、二年の月日が経った。
五色も八席も空席は埋まらず、【人魚姫】がクライアントの居なくなった事件の解決を律儀に追い求めた日々からさらに一年後。灰被りの少女が学校の卒業を控え一喜一憂どころか百憂する日々の中。
主役を欠いたまま、舞台は新たな幕を上げる。
/第13話 ジ・アクター 完
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