第13話/10『ファンタズムオブファイヴセコンド』


「世は舞台。人はみな役者」


「ドロシー、離れて」


「でもっ……カカシッ!」


「いいから。アイツは、僕がやる」


 矢継ぎ早に放たれる銃弾を掻い潜りながらガトリング砲を合わせる。だがかわされる。その走空が描く光の軌跡は、オーケストラの中心で振るわれるタクトを思わせる。演奏者はついて行けない。けれどついて行かなければ演奏は破綻する。


 飛行艇のギアを上げる。エンジンがいななき、翼は光条だけでなく、夜空に灰色の雲を引いた。離脱。接近。交差。銃弾。離脱。追撃。螺旋軌道バレルロール。背面走空。ロックオン。抜刀。斉射。回避。離脱。


 戦場は街を離れ、今や輝くのは天空ばかり。眼下には暗闇の水面が広がっている。


「私は私の席に立つ。だが君はどうだ、足無しスケアクロウ。FPを棄て、それでも未練がましく飛ぶ理由は? 君は――他者に興味を持てないからこそ、誰よりも高い場所を飛んでいたはずだ」


 拮抗しているその天秤は徐々に、片側にだけおもりを積んでいく。


「……ッ!」


 ランスロットの神話。誰も辿り付けなかった孤高を、もう一人のランスロットが脅かす。


 ミリオンダラーの六番。【役者】アクター。疑いようもなく、そのスペックは他者を凌駕して有り余る。



 オリンピックが開催されて、そこに彼が出場したとする。


 どの競技でも表彰台の一番高い所に立つだろう。


 格闘技の世界大会を開催して、そこに彼が出場したとする。


 何で争っても、彼からベルトは外されないのだろう。


 ……そう、生き残りを懸けたとしても。



 既に三度、飛行艇のを断たれた。


 既に八度、デザートイーグルの銃弾が機体を撃ち抜いている。


 機体損傷を告げる警報アラート


 カカシをサポートする飛行艇のAI……レイチェルは努めて、自らの意思でその警報ひめいを押し殺した。


「レイチェル、大丈夫?」


 ≪Pi.走空に問題はありません、マイスター≫


 彼女レイチェルは嘘をつかない。零れ出るガソリン。だから、これは嘘ではなく――強がりだ。


 焦るな。この空で心臓を潰されそうになった脅威はたった一度だけ。それに比べれば、攻防を繰り広げているこの相手なんて、どうってことない。


 怖いのは、だから。


「……うん。付き合わせてごめんね、レイチェル」


 ≪Bibibi!≫


 不満そうなコールに少し笑う。――そう、だから怖いのは。


 その。だからアクターはここで自分が止めなければならない。警部補には殉職してもらわなければならない。GRのリーダーを返り討ちにしなければならない。


「本官も急ぎなんだぜ、少年犯罪者め! もう世界警察がカジノに突入してるだろうから、先輩にキリ良く見つからないと。まぁ? 自分みたいなポンコツから見ても? あの人にもそろそろ昇進してくれないと困っちゃうワケ。……だが、アイリスたちFPライダーが君やドロシーの正体を知っていたのに口を閉じていた理由もわかる。色々やってきたけどね、僕は。なるほど、真っ当に空を目指していたのなら憬れるだろうさ、ランスロットの空の走りは。飛行艇なんて重たいものでよくもまあ――このアクターの熱演に迫れる」


 共演者として申し分ないよ、ミリオンダラー。そう、現在最古の千両役者ミリオンダラーの一人は賞賛する。


 ――そう。急いでいるのはカカシも同じだ。さっさと敵を倒し、レオとスズに合流しなければならない。カードは配られた後なのだ。あの二人の心配はするだけ野暮、というか年長者に生意気な、と頭を乱暴にぐりぐりされるかもしれないが……そういう未来をこそ、少年は望む。


 冷静に。見るべきモノだけを見て。焦らず、けれど急いで、








「……だが、功績に尾ひれが付くのは頂けない。というのは言い過ぎだ」


 弾ける銃声。がくん、と階段を踏み外したように傾倒する飴色の髪。断たれたごと遠ざかる赤いワンピース。


 視野狭窄きょうさくは精神の方だ。少年の現実的な視界は、変わらず、昔から見続けてきた煩わしさを見ている。だから目の前が真っ赤に染まったのは、額の血が入ったか、幼い日の炎をフラッシュバックさせたか――


「――アクタァァァァッッ!!」


 否。もっと単純に。少年は純粋な怒りから、視界を赤に染めたのだ。


「は! はは! ははははは! そうだ、カカシ! 君には熱意が足りていない!」


 突撃する。残弾の心配など、排出された薬莢の行方と同じに考えない。


 笑う役者。右手には長剣。左手には拳銃。雨粒のような銃弾を回避して迫る様は、言葉どおりに現実味がない。まさに銀幕の中だけに現れる都市伝説。


 機体を旋回させる。赤い翼は大剣のように、アクターを断ち切ろうと迫り――



 ずぱん、と閃いた長剣の銀光に、根元から切断された。


「――これにて幕だな。安心したまえ。君が寂しくないように、もきちんと送り届けよう」



 飛行艇が墜落する。勝敗はここに決した。





 /


「……ごめん、レイチェル」


 ≪Bi.マイスター。常々思っていました。貴方にはユーモアが足りない≫


 AIの声は穏やかだ。レイチェルは僕を諭すように言う。


 ≪ここからは私が引き受けましょう。何をすべきかは、誰より貴方が解っているはず≫


 HT2Sのシステムがフルオートで起動する。近づく水面を嫌うような、片翼での旋回。人間には不可能な演算処理の末、遠ざかっていくアクターの姿を正面に捉えた。たった一度の、最後の上昇。緩やかな弧を描いた後は、二度と羽ばたけまい。


「……レイチェル」



 ≪貴方も英国紳士ならば、こういう時は洒落エスプリを利かせてこう言うものですよ。……“良い旅を”、ご主人様≫


 両手を伸ばす。


 断ち切られ、一度は手放して――諦め切れなかった理由は、なんだったろうか。


「……レイチェル、それはフランス語だよ」


 ≪Pi≫


 笑うような電子音。


 カカシとレイチェルはアクターに敗北した。



 ≪――私は貴方の翼になれたことを、誇りに思う≫



 それでも、は生涯、不敗だった。



 /


「……? ふ、は。はは、ははははは!」


 アクターの口から笑いが零れる。


 それも当然だ。少年が飛行艇から身を移し乗ったのはFPボードなどではない。


 先ほど切断した、だ。


「は、ははははは! そので! その脚で、伝説とやらを見せてくれるのかい、足無しスケアクロウ!」


 落ちてくる標的に、合わせるように長剣を突き出した。


 それで終わりだ。







「ふ――ッ!」



 少年は息を吐く。気流を乱暴に乗り回し、長剣を胸に受けるという終末を回避する。



「な……んだ、と――?」


 。アクターが板とそしった翼を片手で支えて、二回転。


 何が見えている?


 アクターが見ているモノには、いったい何が見えている――!?


 少年のナイフが突き出した剣を滑り、火花を散らしながら迫る。


 『アナタは自分の立場が解ってないわぁ。若はミリオンダラーなのよ? アナタたちを狙う相手も、小競り合いをする相手も、時代錯誤な連中が居ないわけないじゃない』


 稽古を受けた日のことを思い出す。なるほど、何事も経験というやつだ、と少年は小さく笑った。




「こ、の――!」


 左手の銃を振り上げる。照準合わせなど必要ない。引き金を引けばそれで終わりだ。


 瞬間――アクターはカカシの姿を見失った。軌道修正? 光の粒が上へと流れる。どうやって?


「……僕には空がとても狭い。まるで、透明な布で巻かれた繭みたいなんだ」


 少年の告白はから。


 それは、幻想のような五秒間。



 限界点を越える事は無い。けれどその僅かな時間だけ。



 少年ランスロットは、空に於いて敵の追随を赦さない――!


「そうか……ならば、君が空の高みを目指した理由は」


「うん。恥ずかしいけれど、だよ、アクター。僕は、ただ、自分を閉じ込める場所から、逃げ出したいだけだった」


 そうして役者は、自分の背に突き立つ殺意ナイフの冷たさを知った。



 きっかり五秒。翼は足を離れ、カカシとアクターは同時に墜落する。


「……次回作の公開は諦めろ、アクター。貴方の命ひとつで賄うには、OZの出演料は安くない」


 ナイフを引き抜く。これで終わりだ。


 奇跡は使い切ったのだ。まぁ、しょうがないと息を吐き、止まる。




「……カカシィィィ!!!」


「ドロシー」


 手を伸ばして、壊れかけのサンデイウィッチがそれでも向かってくる。


 瞳が交わる。赤いワンピースが揺れていて――あぁ、とても目立つから、どれだけ高く飛んでいても、その姿を見失わずに済んだっけなあ、と思い返して。



「……ドロシー。アーサーに謝っておいて。けっきょく僕は、貴方の息子にはなれなかったって」


「なに!? 聞こえないよ、カカシ! !」


 ドロシーはやっぱりバカだな。そしたら二人とも落ちるじゃないか。FPボードは、一人分の人体しか飛ばすことができないのに。


「知ってたよ。だけど僕は、ソレに縋ることでしか、生きるための熱を持てなかった。――父さんと母さんを殺したのは、アーサーじゃないことぐらい、すぐわかったさ」


 独白は届かないように、小さく。


 ……ハイネのそれと違って。僕の復讐は、間違っている。



「ドロシー。僕は、君が嫌いだ」


 言い訳のように。ああでも、時間がないから、最後くらいはきちんと言わないと。


「そんなの知ってるから! いいから手を伸ばして!!!」


「……もういいよ。これからは自分のために飛んでくれ、ドロシー」



 少女の手は、最後まで少年に届かない。




「――エアライド、上手になったねえ」





 それが、ドロシーに向けた、カカシの最期の言葉だった。


 暗闇の水面みなもへと、少年と男の姿が消え去る。



 逡巡に時間をかけさせない程に、現状に選択を迫り続ける。


 レオとスズは、依然として窮地に立たされたままなのだ。



 涙を拭いて、サンデイウィッチを駆る。



「ひどいよ……あんまり、じゃないかぁっ」



 温もりすら感じられなかった。少年の声は少女に届かなかった。



 ――笑顔しか、見れなかった。それも、涙で滲んでよく思い出せない。


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