第13話/4 スネイクス・リトルクラウン(2)


 とてもチープな言い方でランスロットを称するのならば、それは『天才』だった。


 彼にとっての当たり前は、どうやら余人にとってはそうではないらしく。


 風を掴む。道を走る。その、彼にとって地面に舗装された大地を歩くことと何ら変わりのない行為が、どうしてそんなにも違っているのか。


 それを知ったのは随分早い。十歳の誕生日に、祖父から自分と少女に贈られたFPボードに初めて足をかけた時だ。


 その瞬間から、彼は――自分と他の人間では、見えているモノがあまりにも違いすぎると知って。


 けれどそれは、どうというわけでもなかった。



『うおぉーーーーい! ランスロット! プリンス! いったいどこまで飛べば気が済むんだ!? ゴールはここだぞ! オレのいるこの飛行船までカマンッ! ハリアッ!』


 機関銃掃射のようにけたたましく放たれる実況の声すら耳に届かない。


 、それでも彼は空を見上げ――遥かな青、と人々が文句無く例えるであろう快晴を視界いっぱいに収めながら……、と。


 紛れもないから、深いため息をついた。




 とてもチープな言い方でランスロットを称するのならば、それは『天才』だった。


 誰よりも高く空を飛べるという才能は、FP――稀代の発明の第一条件……“楽しい気持ち”さえも不要としてしまった。


 それが天から与えられたモノであるのなら、なんて余計な事をしてくれたのだろう、とドロシーは思う。


 ランスロットが空を飛ぶ、たった一つの理由は楽しいから。



 生まれ育った家を焼かれ、替えの利かない両親を奪われ、その仇の家に保護をされて、たったひとつだけ、焼失してしまった心に植えつけられた、生きる動機――アーサー=アルフォートへの復讐心。


 単純に、彼は自分を取り巻く全ての環境から。そして、今現在その欲求が解消されかかって


 飛行症候群ピーターパンシンドロームというものは、本来はランスロットただ一人に名づけられる病名だ。



 ごく一部の例外を除いて、FPライダーが少年少女にしか扱えない理由。期限付きで飛行の夢を可能せしめる一因。


 それは、空への恐怖を持たないこと。人は――本来のだ。


 生きれば常識を学び、常識は光の粉を減衰させる。飛べるのだ、という幼き日に当然持っていられた確信はやがて疑念に変わり、いつしか本当に飛べなくなってしまう。


 かつて大空に羽ばたいた翼を持つ鳥が、大地を駆けるだけの獣に成り下がってしまうのと何が違おう。


 そんなじょうしきを持たなくても良い年齢。『心を軽くする』ための、楽しむという第一条件。ランスロットはその心さえも不要だと捨て去った。


 飛行において、最も重要な要素の一つは軽量化であり――心さえもその要因から逃れられないのならばなるほど、彼は心の軽量化にさえ成功し、その心身全ては飛行に特化していたと言える。


 ――誰も居ない場所で、たった独りになりたい。


 外付けの燃焼機関のような殺意で生きるには、彼は幼いながらに賢すぎた。


 近づく程に熱量を増す太陽光と、薄くなり冷え込む空気。


 まだ、届かない。この空に事実が拭えない。


 だから彼は誰よりも高く飛び……言ってしまえば“決め付けられた”ゴール地点に興味が薄く。


 遥か下で覇を競おうとする鳥たちに向ける意識も無く。たったひとりを除いて、その存在はすべて同じ。覚える意義さえ見出せない虚ろな通行人のようだった。




 白熱していく空中戦。よほどの気まぐれでも作用しない限りはそれを見下ろすことのない少年の姿は成る程、空の王というよりも、辿り着くことこそが目的として相応しい王座そのものだった。



 /



『ヒィィト! ヒィィト!! ヒィィトアァッッップ!!! 遅刻してゴメンナサイの一言もねぇぜ王子ランスロットォ!! まず先にヤツに突っかかるのはドロシーか! それともワンダーランドか! ……おおお!? やべぇぜDJ失格かオレぁ!! 実況が間に合わねぇ――!!』



 それぞれのチームが優勝の栄光を。プライドを駆けてせめぎ合いながらランスロットに突貫していく。さながら全員参加で織り成す、けれど自分以外の全てを巻き込んでは切り刻むトルネード。



 敵を落とし、味方に来る攻撃を防ぎ、ただ上へ、空へ、王者へ、栄光の場所ランスロットへ――!



「……業腹だが。良いかな、マリア」


「ええ、お兄様がそう仰るのでしたら。――ジーナお姉様、をお譲りいたします」


「けッ! 貸しになんざしねえからな、何も支払わねえぞオレは!」


『うおぉおっとぉ!! ここで勃発だ!! ライバルを先に行かせる紳士っぷり! ああ、だが本当に不本意感マックスだな<シルバースノウ>リーダー・エル! マリアージュちゃんを見習って欲しいもんだ! っつーかこっちもこっちで不愉快そうな面をしているぜ! 残りを一手に引き受けさせて王子様とデートするのは――<クリムゾンナイト>! リーダー、ジーナが往ったァーーーーッ!』




「うわぁっ! くっそ! アリス!!」


「先に行くんだ!!」


「「ここは僕等が引き受ける!!!」」




『ここでチームワンダーランドからリーダーのアリスも参戦だ!』



「あぁっもうっ! ランスロットのバカと最優先で闘うのはアタシなのッ!!」



 それでも、暴風圏から抜け出せない。いち早く飛び出たジーナとアリスが、飛行船などもはや視界にさえ入らず、更なる高みで空を眺める少年に向けて疾走する。



『トリックトゥ・エアライド!! 『ザ・スナイパー』!! アウトリンク『インヴィジブル』!! 二つのFPから超噴射! 見事に二人とも風を捕まえた! これは届くか!? ランスロットの場所まで届くのかぁー!? ちょっとプリィィンス! いつまで無視してんだ! 聞いてるか!?』


 下界の騒ぎの、どの部分を拾ったのか。少年は億劫そうに振り返る。未だ自分に届かず、けれど到達を諦めずに光り輝き、上を目指して空に広がる二条の光帯。


 その下で燻ぶるような赤を視界に入れ、間に存在する全ての人物を貫通して、静かに視線が訴えかける。


“ドロシー。君はいったい何をしているんだ”と。


 無論錯覚だ。どれだけ目が良かろうと、ジーナとアリスを挟んで、掌に収まるほど遠くに見えるランスロットの視線に気付けるはずもない。


 はずもないのだが――その無言の煽りは、少女の心に一切の不足無く完全に配達された。


「わたくしはマリアと違って譲る気なんてこれっぽっちもありませんからね、ジーナ!」


「オレもエルの馬鹿みてえに甘くはねえぞチビ助。さっさと墜ちろ、あの坊やはオレが引きずり下ろすッ!」


『これが最終戦か!? ジーナとアリス、ランスロットへの挑戦権を賭けて潰し合いだぁー! DJマシィ的にこの歳で張り合ってる分アリス嬢のポテンシャルがジーナお姉さまを上回ってると踏むが、そこはアダルトライダー! 単純に越えて来た場数の違いがここに発揮される! 技術! &パワー! 一度はトップに君臨した女の意地か、アリスを寄せ付けな、な、なんだってェーーー!?』



 ――ソレは、逆光まばゆい太陽の中から突如として現れた。


 上昇。急転。回転。太陽を背にして、聖剣の如く二人の走る空のごと一刀両断して、一気に暴風圏へと降り立つ――


『ラァァァァンスロットォォォォォ!! 繰り出したのはトリック・ロード キャメロット!『アロンダイト』だぁぁぁ!? 戦闘機のマニューバさながらの直滑降! 外野うるせえとばかりにジーナとアリスを海にリングアウト! 暴君! 暴君!』


 さっきよりも近くなった場所で、少年は少女を見下ろす。


「ドロシー。今度こそは……なんだっけ」


 投げかけられる言葉。誰が見て聞いてもそこには失意、失望があり――


「…………ッ!」


 その中にあって、誰も気づかない色をただ一人見出した少女は、あらん限りに吼えた。


「~~~~ッ! うるっさい! あたしがッ! アンタをッ! ランスロット!! んだからっ!」


 ぎり、と歯噛みして大きく横に走るドロシー。流れるように……マリアージュ=ディルマの滑空面を横取りする。頭を下に。上弦の弧を描くそれは――


「あら? あらあら? ……まあ!」


「ごめんねマリアっ! あたしには先約があるの!」


『来た! 来た来た来たぁぁぁ!! 雪辱をここで晴らすか、優勝候補ドロシー!! トリック『ムーンライド』ッッ!! 大快晴の真昼間! 架空の月面を描いて走るぅぅぅぅ!! 満点だ! これは余裕ぶっこいて降りて来たランスロットの頭を超えるぜ!?』


 ――、という一点においてドロシーのそのトリックはランスロットの、孤高のエアライドを、その一瞬だけ超えた。


 見上げる誰もがその黄金のアーチに巨大な月の輪郭を幻視する。敗北感を置き去りに。その代わりに確信させる。これは――届く、と。



 逆さまに重なり合う視線の高さ。紅茶色の髪の下で少年の瞳が揺れ――そして。



 運命を分かつ風が吹いた。




 /





 絡み合った視線が解ける。少年の目が横に流れ、大きく見開かれた。


「ド――」


 声が遅い。たった一人分の名前を告げるよりも速く、突如として運転手が消失したトラックのような暴風が少女の身体を真横から殴りつける。





『空のカミサマはどういうヤンデレ気質だ!? 誰も予期できなかった突風にプリンセスが失墜だ……っておいおい!? マジか!! !!!』


 悲鳴が聞こえない。


 見慣れた赤いワンピースと飴色の髪。掴めるはずもない空に向けて手を伸ばす少女が墜落する先は海――ではなく、突き立つポールに大会旗が揺れる、緑の大地だった。



 落ちていく。落ちていく。


 アレは誰だったか。


 今よりずっと幼い日に、この手を首にかけ――その先をできなかった少女か。


 なら調度良いじゃあないか。このまま落ちてしまえば。


 アレの父親は悲しむだろう。当然の報いだ。


「……れ」


 焼かれた家。奪われた家族。殺してみせろと言った仇。それができない僕。ならばせめて最大の苦痛を。このまま黙って見ていれば。もうあの煩わしい声も聞こえなくなる。


「、まれ」


 もう、あのソプラノも、


「……黙れ――ッ!」


 ――とてもチープな言い方でランスロットを称するのならば、それは『天才』だった。


 この逡巡が絶望的な遅れとなる、当然の流れシナリオでさえ。


 覆してしまえるほどには、彼は空を飛ぶということについて、天性の才能があった。



 年端もいかない少年の、似合わないほどに洗練された技能と頭脳。


 彼は――その後に起こることの全てを考え、衝動に身を任せるでもなく、自ら決断し、物語の結末まで、終ぞ誰も届き得なかった翼を広げた。




『うおおお!? 大胆不敵だが腐ってもプリンス、ランスロット!! 墜落するドロシーに向かって行くぅぅ!! インメルマンターン!!! このエマージエンシーに際してまったく動揺の色が見えない鮮やかさだ!! いけるか、いや、いったァーー!』



 重力すら推進力に変えて、ついに少年は少女の手を握る。





「……ぁ。ら、ランスロット?」


 声が聞こえた。己が最大速度を以ってしても、緑の大地は再び飛び上がることはおろか、 無事に着地できるか解らない程に広く広がっている――


 飛び出すまでの猶予は二秒。その二秒があってもなくても、この展開は変わらない。


 だから、彼はその二秒を自分への決別に費やした。そして今、少女の手を掴み、かつて首を握りしめた時よりも強く身体を抱きしめる。



 タイミングを合わせろ。ここまでやって最後をミスったら――とんでもなく馬鹿らしい幕引きになってしまう。



 遅刻からの出場。自分を空に舞い上がらせたポールを視界に入れ――



「……ドロシー。僕は君が嫌いだ」


「……ぇ?」



 これが、後にFPライダーの一部を犯罪者へと駆り立てる要因。すなわち、ボードの武器化。マーダートリック。


 空を飛ぶ少年少女が、決して行おうとしない――する意味さえ見出せない。たった一回きりの最高速度をボードに出させるそれは――翼だけの弾丸。そこに在るべき人体は無い。


「ボードバレル――ッッ!!」



 少女を抱え込んで打ち出した。回転と反動で僅かに重力の枷を外す。


 それで二人とも全身を大地に粉砕されることも、少年の思考は演算を済ませていた。



 パァン、と気前良く風船を割るような音が響く。



 /




 ベッドに飛び込んだ衝撃なんて比較にならない。思わず呻いてしまった。



 それでも、身体に異常は見られない。丘に吹く風は、緑の匂いがした。




「ランスロット……?」


 大地と少女の間に、少年の姿を認めて、名前を呼ぶ。


 その頭の先には、半ば以上が大地に埋まり、残りが砕け散ったFPボード……NASTYの残骸があり。


「…………。ドロシー。僕は、君のことが嫌いだ。アーサーの娘」


「どうして……」


「どうしてもこうしてもあるかよ、くそっ」


 そして、三秒遅れて、どさりと落ちてくる、彼の、


「どうして!? ねえ、ランスロット!」


「……うるさい」


「あたしを嫌いでいいよ、ランス、ならどうしてあたしなんか助けたの!?」



「うるさい。どうせ、あのには届かなかったんだ。僕は、逃げられなかった」



 衝撃に折れ曲がるポールの先端は赤く染め上げられ。



 その日、その場にいた全ての者は、パァンと気前良く鳴り響く、そらが潰える音を聞いた。




「バカ! そんな足で、これからどうやって――ちょ、ちょっと待ってよ! ねぇ、ランスロット!! 目、目を。目を開けて、ねえ、ねえっ!!」



 これより後。空の王座は空位のまま。


 



 それから二年後。【鉄と火薬の魔女】からミリオンダラーの二番の席を奪った【大強盗】の若きリーダーはこう呼ばれる。


“足無し”カカシ。


 かつてこの大空が楽園だった頃。神話を築き上げ、生きたまま伝説となった少年のなれの果てスケアクロウ


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