第1話/5
「な、なんだぁ!?」
思わず
先頭に踊り出たセダンが、いきなりスピンして道を逸れた。その際に並走していた仲間のバイク、二つともを巻き込んで。
続いて、一台のオフロードバイクが、どごん、という衝突音とともに、逃走しているベンツに猛アタックをかけたような――瞬間最大速度で言えば、二百五十キロなど軽くオーバーするスピードで、ハイジャンプした。当然のように着地は失敗し、おそらく……いや、どんなに希望的観測を用いても、乗り手は絶命しただろう。
混乱が残りの大型車一台とオフロードバイク二台の中に生まれている。証拠に、逃走を続けるこのベンツとの、ただでさえ開いていた距離が、絶望的なまでに開いていた。……減速している。
思わず、運転手がアクセルを踏む足の力を緩めても、三人は何も言わないし思わなかった。当然である。……想定外の事態に、自分たちは巻き込まれたかもしれないのだ。現状を確認しないと、計画に支障が出る。
開いた距離と、コンクリートの溜め込んだ熱で、後方の追っ手はかげろうのように少し揺らいで見えて――
――蛇行した大型車の砂埃を突き破って、一台の真っ黒な車が飛び出した。それをバックミラー越しに認めた瞬間。
「……ッッッ!」
運転手は、血相を変えてアクセルを踏み込んだ。ベンツのエンジンが悲鳴を上げ、回転数を上げ、急激に速度を上げて疾走を再開する。
不意に掛かる圧力に何事かと騒ぐ三人。運転手はそれすら掻き消すように叫んだ。
「く、黒のフォルクスワーゲン――ビートルだッ!」
沈黙はきっかり二秒。
混乱に支配された仲間たちは、次々に笑い出した。
「いやいや、それがどうしたよ兄弟!」
「あー……ありゃ確かにビートルだな。タイプワン。無茶させてるねぇ……カブトムシ、死んじゃうよ?」
「君、アレが本気で追いつけると思ってんの? よし、リーダーに頼もう! 高飛びはアメリカにして、コメディアンになろうって!」
運転手はその野次に、親の仇のように踏み込むアクセルと、勢い余ってレバーをぶち折るようなギアチェンジで答えた。
再びの急加速で頭を揺らす三人に、喚くように言い放つ。
「てめえら! アレがただのドイツ車だと本気で思ってんのか……!」
改造型メルセデスベンツの最高速度は時速二百三十キロに迫り、耐弾仕様のボディとガラスをもってして、何を怯える必要があるのかと仲間は笑う。
「ほら見ろよ、今にもあのノロマ、見えなく――」
――気付いた時、そのビートルは五十メートルまで距離を縮めていた。
驚愕の声がベンツを揺さぶる。イエス様の目でもこんな事態を予測できただろうか。
「れ、連中のビートルは違うんだ! 見た目こそカブトムシだが……うわぁッ!?」
言う間に後部座席から後ろの運転手の影が見えるまでに接近していた。
「連中って誰だよ!? ビートル乗りの【カラーズ】なんて知らねえぞ! 色つきでもそんなヤツ、聞いたことない!」
過呼吸に陥りそうな精神状態で、運転手はただの事実を、言葉にして吐いた。
「中に積んであるのはフェラーリなんだよ……ッ!」
運転手はバーでたまたま一緒に飲んだフェラーリ乗りの男の言葉を思い出す。
『公道で“気付いたら”三百キロ超えてた』
「ちょッ! 物理的に無理が無い!? そんなんどうやって積むんだよ……!」
騒ぐ助手席の男に車の知識が無くとも、常識程度はあって当然だ。そんな暴挙、スクーターにハーレーのエンジンを積むに等しい。
「だからッ! 連中はそれを可能なんだッ! 聞いた事くらい本気で無ぇのか!? ――ッ、とにかく撃て、撃てッ!」
汗すら渇いてしまった運転手の激。目が醒めたように後部座席の男たちはマシンガンを構えて窓から身を乗り出す。二つの銃口が火を吹いた。
砲声をかき消すような、どごん、という無骨な衝突音。ついさっき、そんな音を遠くで聞いた気がする。
銃弾の雨に晒されながら、そのビートルはベンツの尻を蹴ったのだ。
マシンガンによる傷は軽症。ソレが元軍用車両だったという噂も今では嘘に感じられない。
運転席の男は仲間の安否も後ろも確認できない。必死に緩やかな曲線を描く田園の道を走るだけで死にそうだった。
マシンガンを取り落としてしまった男が、こめかみを押さえながらビートルのフロントガラス越しに、それを運転している者の姿を見た。
無造作に掻き挙げた金髪。新品とわかるブランド物のサングラスは、ほんの少し前、見た覚えがある。どうせ金にならないからと放っておいたやつだ。シャツは白地を血で染めたかのように咲き誇る薔薇の柄。煙草を咥える口元は、ただ笑っていた。
刹那の合間にバックミラーでその男を見た運転手は今度こそ青ざめる。
「……レオ……ッ! やっぱりヤツ等だ……! おい、誰でもいいから、いいからリーダーに連絡、そうリーダー……リーダーッ!」
地獄のようなレースが突如始まって、運転手は自分たちが既に合流ポイントに来ていた事すら気付かなかった。もう、目と鼻の先に、見えている。
彼らのリーダーが用意して運転している、一台の大型トラック――!
そう。いくら警察の目から離れ、追いすがる賞金稼ぎたちを撒いたとしても、自分たちの敵は馬鹿じゃない。少しの時間で車種の照合を終え、あらゆる情報網を駆使し、簡単に捕捉されてしまうだろう。それを欺くために用意したトラックだ。その目が届くより早く、走行中のままにベンツを収め、何食わぬ顔で逃げ切る――
それが、彼らの綿密に練られた【計画】だった。
そして、彼らのリーダーだって、異常事態には気付いているだろう。あとはたとえば、そのトラックの巨体でもってビートルを封じ込めて、いや、急ブレーキで激突でも良い。もし衝突なんかすれば、いくらあのビートルが現実離れした代物でも、ひとたまりもないだろう。
彼らは自分たちの指揮官で、頭脳で、この計画を立てた一番の残忍さを持つ男の采配に、全てを賭けた。
それでも、ビートルに乗る男――レオは笑っている。そうだ、間に合わないかもしれない。それよりも早く、ヤツが手にした……手にして、構えて、ちくしょう。この距離なら、この直線なら手でのコントロールは不要だって言うのか。足でハンドルなんか固定させやがって。その銃を、構えて……
その銃。
「レイジングブル――!」
その
四十五口径。マグナムを凌ぐ威力の、改造カスール弾を吐き出す、レオの相棒。
“荒ぶる牛の悪魔”レイジングブルマキシ・カスタム――“ディアボーラ”。
レオが乗るビートルの防弾フロントガラスを内側から。そのままベンツの後部ガラスを両方ぶち抜いてなお有り余るその攻撃力は、マシンガンの銃口に当たって、たったの一発でその機能を終らせていた。
二度目の撃鉄が起こされる。弾丸を呑んだシリンダーがゆっくりと回転する。
次に四人を襲った衝撃と音は、拳銃の性能をどんなに向上させても無理なレベルだった。
三人はレオから目が離せない。けれど、運転手だけがそれを見ていた。
リーダーが乗るトラックの、最先端……つまり運転席が爆発、炎上。いつかの自分たちが起こした惨状を、録画して見ているかのようだった。
地獄絵図のレシピは、適当な場所と適度な数の人間。それから兵器のひとつふたつ。それだけあれば事は足りて、この惨劇は……それを行った個人にとって、当たり前だったのだ。
――脇道に一台のアメリカンバイクが停まっている。太陽の光を余すところ無く反射する、銀色のボディには、冗談みたいに、銃器が刺さっていた。低く唸るエンジン音。
ホンダ・ワルキューレ。オリジナルカスタム“オーディン”に搭載された重火器のひとつ、グレネードランチャーが、それを持つ男の肩で、煙を吐いている。
その一連をスローモーションのように感じながら――運転手は横転し、進路を塞ぐトラックを目の前にして……生存本能が脳の理解よりも先に渾身の力でブレーキを踏みつけ、ステアリングを強引に回し――
果たしてベンツは回転しながら、横向きにトラックの荷台と衝突した。
三度目の衝撃はそれだ。後部座席の二人は、後頭部を強かに打ち悶絶。瞬間を何度か重ねるくらいの時間、意識を手放した。
運転手と助手席の男は、正常に作動したエアバッグにより、肉体的なダメージはほぼ皆無。けれど気絶できなかったという不幸に見舞われた。
自分たちはここで終わってしまう、という現実を理解するための時間を、与えられたのだ。
/
停止したベンツにぶつかるような下手は打たず、レオは自らの愛車を停車させ、銃を片手に降りる。
声を投げても遣り取りがしづらいのはわかっていたので、お互いが確認できる距離にも関らず携帯で会話を開始する。
「よぉ旦那。間に合ったようで何よりだぜ」
「……おれはお前と違って、寄り道はしないからな、だ」
少しだけ口の中で引っかかる英語。仏頂面であろうその顔を思い浮かべて、レオは笑う。
「はッ! スズの旦那は今日も変わらずってか?」
「そう、だな。……精々、余暇が無くなったことくらい、だ。カカシも言っていた、だ」
スズと呼ばれた、屈強な肉体の、顔に傷がある東洋人の大男は、軽くため息を吐くと携帯を閉じた。
「ンだよったく。旦那も坊も乗り悪ぃなぁ……って、切りやがったし。……なぁ、兄ちゃんたちもそう思うだろ? なにせこの
笑みを浮かべて、愛想良く手を振るレオ。
拳銃を、助手席に座っていた男が向けてきて、レオはいっそう、笑みを深くした。
「へぇ……まだやる気か。良いぜ、付き合ってやっても。あー、だが命の保証とか無えからな? だいいち、こんな事する俺らが賞金貰えるわけ無えっつーの! だっはっは!」
それは、獲物を前にした、獅子の笑みだった。
そう、賞金稼ぎ……カラーズ。その事を、誰とはいわず、四人全員が現実逃避気味に思い出した時……本当に遅れて、二台のオフロードバイクと一台の大型車が舞台に走ってくる。
「あぁ、そういや居たっけなぁ……」
頭を掻きながらレオはそんなことを言い、
その一団に向けて、スズがグレネードランチャーを構えたところだった。
「あー良いよ良いよ旦那ぁ。それは坊と姫に任せようぜ? 坊は良いとして、姫が後から五月蝿えよ絶対。『よくもあたしの出番取ったなー!』とかってさぁ」
四人は全く同じ事を思う。
カラーズでも警察でも、アルバイトの賞金稼ぎでも良い。この手に手錠をはめて……首輪だって良い。いっそ嬉しいのだ。こんな狂ったような連中に襲われることに対して、手錠だ首輪だのは、良い女の握手や抱擁のように、柔らかで温かだろうから。
そう考えていると、ベンツに影が落とされる。
思わず見上げる――それでも、日光に遮られて良く見えない。
個人用の飛行機が、赤い飛行機が飛んでいた。いつから? もしかしたら、レオがビートルに乗って現れるよりもずっと前から、こんな風に太陽に隠れて、自分たちを見下ろしていたのかもしれない。
だとしたら、自分たちはとんでもない道化だろう。
彼らは【彼ら】のことを、ようやく――良く知った――いや、知らないヤツがどれだけいるというのか――【彼ら】のことを、思い出した。思い至った。思い知った。
赤い飛行機から、ひとつの人影が飛び出した。その後、赤い飛行機は旋回し……急降下。
マシンガンのそれよりも重く、早く、力強い、ガトリング砲の掃射が行われる。向かい来るカラーズのうち、バイクに乗っていた二人が到達前に、地面を穿つ銃弾の雨に晒されてリタイアした。
残る一台……この距離なら、同じベンツのGクラス、ゲレンデエディションとわかるその大型車が、スピンを繰り返し、四回転ほどして止まった。
赤い飛行機は再び旋回し、対して飛び出した人影は滑空をしている。風を雪に見立てて、スキーを楽しむスノーボーダーのように。
雪の代わりに、眩い光の粒を撒き散らしながら。
そう――少女は、空を飛んでいた。
――これこそが【賞金首と賞金稼ぎ】と共に、二十一世紀を代表する、もうひとつ。
空を舞台に、風を道に、風を力に空を飛ぶ。二十一世紀科学の最先端にして、オーパーツでありながら、現在、最も人々を熱狂させている機構。<Fairy-Powder>。
ボード状の
赤いワンピースに、肩までの飴色の髪をくくったリボンもまた赤。
尾ひれのついた噂だが、彼女は竜巻すら乗りこなすと言われる一流のFPライダー。
――どうしようもなく空に魅せられた
↓
「どぉ? カーカシっ!」
ドロシーは両手を広げ、笑顔で、空を見上げる。
『……空を飛ぶ条件を、マスター』
彼の乗る赤い個人飛行艇……HT2S<R>のオンボードAIシステム……通称【レイチェル】も、そう問い。
彼は仕方が無い、とため息を吐いて、何度も何度も言ったその言葉を口にした。
「妖精の粉と、楽しい気持ち。……そうだね、ドロシーはとても楽しそうだよ」
「うん!」
それを受けてドロシーは満面の笑みを浮かべ、一直線にベンツGクラスに降下する。
『その通りです、マスター』
レイチェルは、冷静沈着で揺らぎの無い声で、そう言った。
「トリックトゥ・“カットアウト”っ!」
そのまま、FPボードを蹴り出し、
「ボード・バレルっ!」
ずん、と。お子様ランチの旗よろしく、Gクラスの屋根を突き刺した。
やや遅れて、FPボードの隣に着地するドロシー。
強盗の四人組は、その名を叫ぶ。
レイジングブルを使うガンマン、レオ。
数々の重火器を使いこなす
竜巻に乗るFPライダーの少女、ドロシー。
そして、赤い飛行機に乗る、彼らのリーダー、カカシ。
「……
誰もが「オ」の発音で裏返った。
「はァい♪ よくできました☆」
ドロシーは、にっこり笑って――
/
この物語の主役は、今回ロンドンを、いやイギリスを、いやヨーロッパを、いや世界中を大いに沸かせた【彼ら】において他ならない。
星の数ほどいる賞金首の中で、もっとも悪名高き、八組の劇場型犯罪者たち。
ミリオンダラーの二番。【大強盗】OZの、
第1話/カカシと妖精の粉
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