第12話/15 一月一日、元旦。


 /幕引パレード


 ピッ、ピッ、ピッ、と、平時の心臓よりやや遅いリズムで電子音が聞こえる。


 閉じていたまぶたを開く。瞬間、白光――開かれていた瞳孔が急速に閉じるのが自分でも解った。


 理解に及べばなんということもない。ただの白色蛍光灯と、白すぎる天井に、眠っていたままの視覚が驚いただけだ。


 次いで、ぬっと現れる顔。覗き込まれている。今の自分には眩しすぎる光を遮ってくれたのはありがたいが、今度はピントが合わない。


 ……そのまましばらく。休止状態に陥っていた身体機能がやっとのことで活動を再開させ、優先順位がニッチな自分の価値観においてもそれなりに上位に居座るその顔が、やはりぴくりとも動かない様を眺めて、声を出した。


「……あれ、メイちん。どったの? っていうかあれ? オレ生きてる……?」


「起きた? 起きた。テキスト起きたよ?」


 童女の顔は視界から抜け出し、また天井を見ている。――ああ、名折れのレベルだ。思考回路の断線が著しい。


 状況の整理に時間をかける。メイちんが無事ならまぁ、ディッセンさんは打ち合わせ通りに上手く――いや、巧くやってくれたのだろう、と紫陽花テキストは綿飴のように心許ない感触の思考を組み合わせていく。


 自分が生き残ったのは誤算だったが。妖精あんなものに対して電脳戦で迎え撃ち、脳死を免れただけでも御の字だ。それに、だから、


「……ま、ノーヴェっちに頼むことが増えるだけと考えれば、うん」


 下半身にまったく感覚が無いことを、すんなりと受け入れられた。


「ノーヴェはメイの専属ですよ。要介護者になったとしても、果たして受けてくれるものだろうか。心配しないでください。あと五分遅かったら下半身どころか完全におしまいのところでしたが、診た限り脳回路は無事です。しばらくしたらまた元通りに動けるようになるでしょう」


「そりゃ良かった。いや車椅子移動はもうある意味――そう、座ったまま色々するのは馴れてたけど、カテーテルとかおっかなすぎてヤバいと思ってたんすよ」


「はは。ええ、ともかく無事で何よりです。起きても大丈夫そうですか?」


「あーい。億劫なんでベッドの方を上げてください。できればもうちょっと眠っていたかった。深淵じみてたけど、ぐっすりは久しぶりだったんで」


 肩を竦める気配。そして、医療用ベッドが電動で持ち上がり、上半身を起こす。


「はー。でもマジで死んだかと思ったっすわ」


 そこまで、当たり前のように会話を成立させ、隣に居る相手を見た。


 それから、自分の鼻にチューブが通っていることを確認した。


 もう一度隣を見た。


「アッハッハッハ。――って何で生きてるんですかディッセンさん?」


「はは。手厳しい」


「いや手厳しいじゃなくって! え、途中しかモニターできてなかったけど完全に詰んでましたよねアンタの人生! 相手ブラック=セブンスターでしょ!?」


「ええ、流石に我ながら死ぬかと思いました。いや、彼もやはり一流ですね。首を折る瞬間に様々な感情が見て取れたのですが、動作そのものに驚くほど淀みがなかった」


「待って。団長じゃないんだから。というか団長も首ちょんぱされた時は一度死んでるからね!? その不死属性はどうかと思います!」


「あぁ、はい。そうですね、私も首を回されれば死にます。こう見えて特に身体を弄っているわけではないですし。あぁ、そうか。言葉が足りなくて申し訳ない、テキスト。――


 説明不足を羞じるような苦笑――そこで、紫陽花テキストは「うへぇ」という表情を浮かべ、実際に「うへぇ」と口に出した。


「……記憶消去した兵隊に、振舞いを教えたと?」


「ええ」


「ディッセン=アルマトールであるように?」


「はい」


「じゃあディッセンさんは何やってたんすか」


「ですから、代わりに兵隊役を。彼等の推測は――そうですね、間違ってはいなかった」


 チェスのルーク、ブライバル=ブライバルはナイフ戦術のスペシャリスト。


 国府宮弓は、その教えを受けていた可能性がある。


 この二人は実際のところ、その国府宮弓――自分達の倒産業務に追い込みをかけ、また実質ルナを壊滅させる最大の要因になったその少年を


 が、ナイフ戦術を受けていたのは正解である。


 ブライバル=ブライバルの肉体に換装した、九重九ここのえココノに、ディッセン=アルマトールが、という背景があったわけだが。


「……で、あのFPは」


「私がやりました。には適性はありませんでしたし、起動させるだけなら先に仕込んでおけばまあ、恙無つつがなく」


「……オレはやっぱディッセンさんが一番おっかねーって思いました! で、結局なんなんです? 四番と七番出てくるとはマジに思いませんでしたよ今回」


「どうでしょうね。会話から察するに、彼等はユミ=コウノミヤが生きていると踏んで、私達の痕跡を追って、辿り着いてしまった。まあ、徒労に終わっていただいたわけですが」


「ですよねー! っつーの! あ、でもアレか。チェスがこっちで使われたのにナイトが居ないってところで違和感を覚えた奴が居たから、ってところっすね。ま、そりゃそうだ。居たら使うわ。ところでディッセンさん、いま何時です? っていうか何日です?」


 空白を押しやって、現状の確認に努める紫陽花テキストに、やはり同じように考えを捨てたディッセン=アルマトールは答える。


「一月一日、元旦の朝です。もう少しすれば、街も騒がしくなるでしょう。次がないとも限りませんので、今度はきちんと行方を眩ませなければ」


「ヒェ。やっとデスマ終わったのに今度はエスケープっすか。相変わらず副社長容赦ねぇー」


「痛み入ります。さて、けれどもまずは食事にしましょう。今日一日くらいは休んでもいいと思いますし、冥は貴方が起きるまで、と言って食べてないんです。ノーヴェも付き合わされているので、ここでいいですよね?」


「メイちん……一年ちょっとで人間味出てきちゃってまぁ……ちょっとほろりと来ました。医務室で始める新年とか殺風景極まりないけど我慢してください。サーセン」


「はは。十二人いましたが、もう残り四人の家族です。今後は我々も真っ当に生きていかねば。……自分で言っておいて何ですが、ハードル高いですね?」


「わかるぅー。ま、金はあるんだししばらく模索しましょう。ニンゲンっぽいヤツ。いっそ真面目な古美術商とか」


「つまり?」


造詣ぞうけいを深めるために美術館巡りをしたい新年の抱負」


「いいですね、採用。では場所ですが――」


「「もちろん、ルーヴル博物館から」」



 ――これにて決着。ルナの残党は社会から完全に消滅した。


 以降、その足取りは一度も明るみに出ず、また社会の裏で波紋を広げた、という事実も確認されていない。








 /Ar(k)en Ciel.


 意識を醒ますと、知らない場所に居た。朝日が白く眩しい。恐らくは駅の出口。年始らしい着飾りのショウウインドウのガラスに、知らない自分だれかが半透明で映っていた。


 ……まったくもってやばい。ここが何処かはまあ、どこぞの紛争地帯でないことくらいはわかっているのでまだ良いが、自分自身のことがさっぱりわからない。というかなんだこの白髪。オレはもしやパンクなバンドのメンバーだったのだろうか。まったくピンとこないので、この自分への推測はカスりもしないだろう。


 無意識に上着のポケットを漁る。何も入っていない。おそらくだが、この淀みのない動作に、記憶を無くす前はよほど使い馴れた――あるいは使うことの多かったモノが入っていたのだろう。記憶と一緒にどうやらそれも無い。


 いつ買ったのかどころか、いつ着たのかさえ定かではない服を確認する。まったくの没個性っぷりである。何月何日かわかったものじゃないがとにかく冬。ジーパンと紺色のコート。どちらも一級品でなければ安物すぎもしない。


 だがこの寒さにマフラーのひとつもしないのはどうなのか、いつかのオレ。マフラーが嫌いだったのだろうか。


 ジーパンの両ポケットに、財布と封筒がひとつずつ入っていた。まずは財布。なんてこった、免許証どころか何かしらの会員カードひとつ入ってない。というか携帯ひとつ持ってないとかどういうことなの。


 ……と、そんなところで現状まったくわからない。オレはたぶんだが、何かしらの事件に巻き込まれ、記憶を失って知らない駅のロータリーで、タクシーを待つように突っ立っていた。身体に異変は――痛む箇所も、動かない箇所もみられない。これは何かヤバい秘密を知ってしまった過去のオレが怪しい薬を飲まされて放逐されたパターン?


 微妙にありえるのが何かイヤだな。


 さて、まずはどう自分を探したものか。ああなんか封筒もあったな――そう思っていると、



「時間通りだな。まさかと思えば本当に」


 まったく知らない誰かに、独り言のような言葉で声をかけられた。


 見た目ヤーサン。あるいはマフィア。どう見てもカタギじゃないいかつさである。とっさに身構える――がなんだこの挙動。右手を開いてどうすんのオレ?


 波動とか出せました?


 そんなばかな。


「…………えーっと。誰かわかんないっすけど、オレもオレが誰かわかんないっすよ」


 何を言っているオレ。


 カタギじゃなさそうな男は頷き、眉を寄せながら言った。


「それは事前に聞いている。俺はお前さんの雇用主で、お前さんを引き取ることになっている。は本来去年だったが、今日まで伸びたということで詫びも貰った」


 え、なに納品って。ひたすらに穏やかじゃないんですが。このヤバそうな人が身元引受人なの? だいじょうぶ?


「えーっと、はい。お世話になります」


 だいじょうぶらしい。仮に何かヤバい展開になっても、定かでない自分の、まったく身に覚えのない、いつ積み上げたかさえ不鮮明なが、鉄火場修羅場の類ならどうとでもなる――となに一つ知らないオレに告げている。


「で、何の仕事するんです? 殺し屋っすか」


「夫婦で花屋をやっているが、カミさんが身体を崩してな」


「“花屋”って何かの隠語っすか」


「ここから歩いてそう遠くない距離だ。今はガーベラなんかがよく売れる」


 ――カタギだった!


 過去はともかく、とりあえず今は本物の花屋であるらしい。


 オレは隙のない背中に付いて行くこと数分、シャッターの下りた店舗の前で唖然とした。


 鍵を開け、薄暗い店内に入ると、空気の濃さ――充満する花の香にむせ返りそうになる。


「それで、お前さん決めたか?」


「へ? 何をです?」


「“名前”だよ。落っことしたんならとりあえず仮でも持っといた方が良い」


 ――名前。


「それもそうっすね。んじゃあ――」


 おそらく、今のオレが初めて見たモノ。白光にけぶる青。


 雲ひとつなく、新年を迎えるに当たってだいぶ縁起が良いけれど、ただ、何かがひとつ足されていた方が、ずっと気に入っていたと、なんとなく思う。理由はまだ、わからない。


「ソラ、って呼んでください」

















 /幕間パレード



「あぁ、時にディッセンさん。あのスマホ、どうしたんです?」


「うん? あぁ、餞別に渡しました。今頃確認しているんじゃないでしょうかね」


「……勘、ドンピシャでしたね。まぁたぶん、そういうコトなんだろーなー」


「いや実に惜しい。あの少女は我々からすれば異なる一点を除いて、およそ完璧だった」


「わかるぅー。……んで? 圭一っちゃんがそれをフラグにして思い出すって?」


「まさか。冥の≪洗浄≫は完璧に作用している。万が一にも落とした記憶は拾えないでしょう」


?」


「ええ」


「グノーツが探してたんですよ。でも、私達としてはせっかく手に入れた戦力を渡したくないじゃないですか。というかあの頃は既に二人だけでは本当に手が回っていませんでしたし」


「だからってオレにもその記憶ふっ飛ばす真似しでかすのもどうかと思うなー!?」


「敵を欺くにはまず味方から……」


「この場合、獅子心中の虫って言うんですよディッセンさん。んで、じゃあなんで渡したんですか、スマホ。万が一にもないでしょ、圭一っちゃん」


「……貴方の嗜好は理解に遠い。ねえ、テキスト。首がない女性が現実にいると思いますか?」


「ないですね。二次元最高。羽生えた女が居るってほんとに思ってます?」


「ないですね。二次元最高。ではテキスト――では貴方は、?」


「……やめてたらそもそもルナになんて入ってないっすよ。うわ、うわー。ディッセンさんうわー」


「はい、ご明察。恥ずかしい話ながら私も、貴方も。万が一以下を求めてしまうロマンチストでしょう?」






 /Epilogue


『短い間でしたが、ありがとうございました。貴方の人生に幸あれ。親愛なる十三番目の月へ』


 そんな一行のプリントアウトされた紙が封筒に入っていた。そして、厚みの三分の二を誇る紙幣の束。


 花屋に転職したオレことソラくんはびびる。なんだこの値段。何をした、過去のオレ。


 そして残りのひとつ。液晶画面にヒビの入ったスマホが出てきた。


 過去がないことに不満はいまのところないが、未練がないわけでもないので一抹の期待を込めて電源ON。操作を行う自分の指に、物足りなさを感じつつも光る画面を見つめた。


 ロック画面が無い。というか、壊れている。アイコンは何もなく、電波も受信しない。タップしても反応しないので、これはなんだ。もう液晶の板だな。


「――――――」


 だが、もう動かないそのスマホに設定されている壁紙に、釘付けになった。


 なにひとつ思い出せない。本当に、見覚えが、ない。



 映っているのは、都会の夜。


 緊張でガッチガチに固まっているながらも、精一杯の根性を見せ、よれよれのピースサインと笑顔を浮かべるJKと、その肩を組んで満面の笑みを浮かべる少年のツーショットだった。


 爆発しろ、と願われた結果なのかもしれない。彼氏くさい男の方は、白いパーカーを着ている。黒髪に銀のレイヤーが入っていて、耳のピアスがチェーンで口のピアスと繋がっていて、それを今見ているソラオレとは到底思えない。


 まあ、落とした自分なんてワリとどうでも良い。


 だから――胸をこんなにも軋ませる画は、残りの半分の方だ。


 思い出せない。


 思い出せない。思い出せなくて、だから頭と胸が、このスマホに入った亀裂のように、痛む。


(もう、あんま欲しいもの、大事なもの無くすなよ? おにーさん心配だぜ。)


 クソが。落っことしたのはどこの誰だ。


 探し物は見つからない。この少女の名前も、オレのことも何一つわからない。



 それから、世間の慌しさから切り離されたかのように時間は進む。


 オレはマスターと一緒に、奥さんの代わりになって花屋を続ける。


 いつか、空にゆみがかかるまで。



 /第12話 上海後進曲 完

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