第12話/10 <袋小路の歌>メイ -May-


 十二月三十日/



「――――お、」


 最後のエンターキーが押し込まれる。


「終わったー! 七月から始まった実質二人だけのドキッ☆マリオン最期の閉店セーールデスマ(魂ポロリもあるよ!)完遂! くぅ~疲れました、これにて業務終了です!」


 両手をだらりと下げ、紫陽花テキストはそれだけ言うと、口を半開きにしたまま天井を見つめて呆ける。


「こちらも終わりました。お疲れ様です、テキスト」


「……ッェーイ! ディッセンさんお疲れっす! あ゛ー。泥のように眠りたい。泥になりたい」


「お疲れのところ申し訳ありませんが、明日は『お出迎え』があります。当日は間に合うように起床してくださいね」


「アッハッハッハくっそ死にたい」


 ともあれ、と差し向けられたエナジードリンクのアルミ缶に、飲みかけだった自分のそれを合わせる。すっかりぬるくなり、中身も炭酸も半端な缶。コン、と味気ない音の祝杯。


「おつかれーっす。ノーヴェさんが飯作ってくれてますよ。二人とも動けます?」


 そこに、メイを伴って現れるマリオン古美術商店――ルナのバイト、圭一。


「おー圭一っちゃーん。ご苦労サマー。もうちょっと、もうちょっとだけ待って。シャワー浴びたい。くっそ、このまま全自動で部屋とか色々ガショーン! ってチェンジしてシャワー浴びれる機能とかないの。もう二十一世紀ですよ? あってもいいんじゃないですかねフルオート生活」


「文明力が足りないっすねそれ。や、本当に事務も戦争なんすねー」


「はい、まあ。ウチはたぶん、他の企業よりもその色が強いのでしょうね。なにせ取引内容の数に対して、事務系当のスキルを持っているのが我々だけでしたから」


「そしてパッと見では疲労がまったく見られない我等が副社長マジ化物。ディッセンさんのそのスペックどうなってんです? 知らない間に団長みたいに換装してたとか?」


「いえいえとんでもございません。今すぐ召されそうな気分なのはお互い様ですよ、テキスト。本当に、今回ばかりは危なかった。圭一くん様さまですね」


「オレは別になんにも。行く宛てもなかったし、拾ってもらって感謝してますよ。手伝いも基本的なのばっかりだったし」


 と、明日の予定から一瞬だけ目を逸らしたような弛緩した空気の会話。圭一は服の裾を引っ張られた感触に視線を下げる。


「あのね、あのね。メイもね、おなかすいたの。おなかがすいたの」


 三人は顔を見合わせ――同時に笑った。


「ええ、そうですね冥。ノーヴェも待たせてしまっている。行きましょう」


「ほら、テキストさん。もうひと踏ん張りです。立ちましょう。美味しいご飯が待ってるっすよー」


「あぁい。圭一っちゃん引っ張ってー。つーかこの椅子ローラー付いてるんだから押してってー。やっべこれ名案じゃね?」


「階段どうすんすか。何歳か知らないけどいい歳して駄々こねないでくださいよ、っと…………あれ?」


 ダレるテキストを何とか持ち上げようと身体を寄せた圭一の視線が、点けっぱなしのモニタに集中する。


「……テキストさん、ディッセンさん。ミス一個ありますよ」


「ファッ!?」


「なんと。どれです?」


「これこれ。ここの在庫、マイナス1になってるのに納品完了ってなってます」


「あーソレはね、いいの。結果としては赤字だけど、実利損害はないっていうか、は年明けになっちゃうからね。年明けにオレらもういないでしょ。せめて社会的に」


「ええ、私も把握済みです。クライアントには後日無償で引渡し、と言いますか、寧ろこっちが払うと言うべきですか、まぁそういう感じです」


「? そっすか。ミスじゃないなら良いんですけど」


「ヤだよーオレもうミス直すのやだよー」


「いけない、テキストのフラッシュバックが。急ぎましょう」


 四人揃って食堂に向かう。電気は点いたまま。あまりにも短い休息の時間。


 たった一人での防衛戦。明日にはこの場所が――彼にとっての最後の戦場になるのだから。来る年に向けての大掃除などは、しない方が良かった。




 /(k)


「圭一くん」


 食事も終わり(最後の晩餐でないことを祈りたいことこの上ない)、シャワーを浴びて(案の定テキストさんが風呂場で死んでいたので救出をした。)いざおやすみなさい、というところでディッセンさんと、パジャマを着たメイに呼び止められる。


「あい。どうかしました?」


「ええ。明日の予定を少し。本当に、君が来てくれてからの一年間は助かりました。短期のアルバイト、お疲れ様です。ということで、はい」


 封筒にて手渡されるバイト代。よく考えたらこのご時勢に現金支給とはなかなかにクラシカルである。流石は表向き古美術商。


「ありがとうございまっす。や、身元不明を使ってくれて助かったのはこっちですよ。銀行口座とかないし」


なら、偽造はいくらでもして差し上げたのですが、ふふ。そうですね、圭一くん。君はとても優秀だ。でも――。褒めてるんですよ。言ってしまえば普通の人間が、ウチのような業務に関わって正気を保っていられるというのは。その辺のルーツに興味が無いわけでもないですがね」


「暗に人外素養を見出しかけたような言い方はやめてください。単に持ってるか持ってないかで言って、オレが色々をからでしょ? で、明日は何するんです? 褒めてもらってから自分サゲとかどうかと思いますけど、多分オレ戦闘は不向きですよ」


「はい、そのことですが。バイトは今日でおしまいです。後は我々だけで処理しますので、この関係ももう終わり、ということですね。解雇ではなく契機満了につき退社、という、きちんとした形での終わり方です」


「…………ま、いいっすけど。となると守秘義務的なアレですか。うん、他言無用を誓わされてもいないのにこの仕事を他言できる気がしない」


 言ったら最期感すごい。古美術商の皮を被った人身売買組織。


「理解が早くて助かります。まぁ、今のところどこの誰が来るか解ったものではないですが、少なくとも二流三流の追っ手ではないのは明白ですので。こちらも主にテキストの命を削って備えました。万が一にでも、来年の私達の痕跡を辿られたくはない――解ってくれますか」


 メイが見上げている。あぁ、そういうことか。


「…………んー。はい。オッケーっす。十年寝食共にした、とかならちょっとヤバいかもしれないですけど、一年ぽっちですからね。少ない荷物が減ったって問題ない」


「ふふ、圭一くん。君のその妙に割り切ってる人生観、嫌いじゃないです。鬼が笑うと言いますが、未来の話をひとつ。もう合わさる事もないかもしれませんけれど、その時、また私達が困っていたら手を貸してください」


「うっす。その時のオレに聞いてくださいっす。コンビニのレジくらいならきっとできるっす」


「では、冥――後はお願いしますね。あぁ、あとこれは私とテキストから。退社祝いの餞別です。年明けにでも開いてください」


 持ちっぱなしだった封筒の上に重ねられる、包装されたプレゼント。薄い。小さい。なんぞこれ。


「お年玉は上げられそうにないので。かと言ってクリスマスは過ぎてしまいましたし」


 なんて笑って、ディッセンさんがドアから出て行く。


 明日にでも忘れそうな、飄々とした後姿を見送って。


 オレは女児と二人きりになった。


 ――この少女は、ある精神疾患を患っている。


 意識的に、あるいは無意識に自分の身体の一部があることを、忘れてしまうのだ。


 右手を無くした、と言えばメイは自分の右手の存在を忘れてしまい、右足を無くした、と言った時には立っていられずその場に転んでしまう。


 どうして、そんなモノを患ったのか。棚に上げて言うのもアレだが、精神的な人外ばかりで構成されたこの元ミリオンダラーの五番に、なぜこんな少女が一緒にいるのか。


 そのあたりに踏み込んでしまうと、首元までどっぷり浸かるか首から上が無くなるかのどっちかな感じがしたので詳細は聞いていない。


 ともあれ、それを有効活用したのがルナをルナたらしめた、音波による指向的喪失共有――今は亡き、三月の仕事だった。


 担当者が既にいないので、明日の襲撃に対しておよそ完全な初見殺したるこの異能は使えないだろう。


「あのね、圭一。あのね」


 だが、一人分――たとえば、部外者でありながら内情を良く知った人間の記憶を抹消することくらいは、できるのだろう。だから今、彼女は残り、オレはここにいる。


「ん。どしたん?」


 一年かけて、人見知りの激しいメイとの交友関係を培ってきた。最終的にはメイの世話が仕事の執事――ノーヴェさんより時に優先度が高くなり、若干心苦しい感じもしないでもない。


 封筒とプレゼントをポケットにしまい、屈んでメイと視線を合わせる。


 オニキスのような黒い瞳は、子ども特有の煌きと一緒に、とても深くて吸い込まれそうになる。


「メイたちはね、圭一と一緒にはいられないの。いられないみたい。ごめんね、ごめんね?」


「ん、いーよ。ディッセンさん達なら心配ないと思ってるけど、危ない場所に出ちゃ駄目だからな」


 髪を撫でる。人形のような少女は、くすぐったそうにして、それでも「もっと」と言うように掌に頭を押し当てるような仕草をした。



「またいつか、メイの頭を撫でて。撫でてね」


 きっと、それが叶わないことを承知で、そんなふうに言われてしまった。


「良い子にしてたらな。悪い子の頭は撫でません。よしよし」


 ノーヴェさんがメイの面倒を見るライフワークなのは知っているし、この危うい少女が生きるのに不可欠なのも知っている。だが、それで良し、とも言えないものだ。


「……何があったかは結局知らないけどさ。――もう、あんま大事な物、無くすなよ? おにーさん心配だぜ」


 頭痛がする。


「うん。またね、圭一」


 いつかどこかで、そんな言葉を、誰かの口が言った気がした。答えは出ない。この疑問には、出口が見出せない。




「――あれれ? メイの頭がないよ?」




 ごとり、と倒れる音さえも聞こえない。


 珈琲の乾いたマグカップに、漂白剤を原液のまま注いだように、記憶が≪洗浄≫される。


 ――圭一オレはいつかのように、自分を見失う。


 それではさようなら。そこそこ波乱万丈だった人生いちねんだったが、次の誰かオレはきっと上手にやるでしょう。



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