第12話/6 上海後進曲(1)
日が沈み、今度は発光する血液を運用させる血管のように、上海の夜は人工の明かりで自らを照らし出した。
その一角。大理石を台座にメタルプレートが【MARI-ON CO.,Ltd】と、堂々と名前を刻み、足元から交差するビームライトに照らされる会社のビルがあった。言わずもがな、【パレード】ルナの、表向きの顔である。
その正門。ロビーへ続くガラス張りの回転ドアの前に、二人の男が現れた。
十二月三十一日。もはや隣接するオフィスビルで健気に働くビジネスマンたちの姿は無い。いくつもの企業の事務所が乱立する、
「あー。テステス。オペレーター、音声どう?」
左耳に軽く手を当てて、ブラック=セブンスターは気負う様子もなく最後の確認をしている。
≪おーけーばっちりぐっどおーらい。流石は<七ツ星>だね! 星空を排したこの上海の夜でもすごくクリアな良い声!≫
此処ではない、遥か遠方からのオペレーター役を買って出たハッカー、シルフは陽気に応える。
「【人魚姫】に声を褒められるってのはイイね。さっ! 新年を迎える前にパパッと終わらせちまおうぜ! ……Hey、Hey! いつまで辛気臭いカオしてんだよ兄弟!」
そしてその隣。
ずももももも、と排気ガスの積乱雲でも構築しそうなほどにテンションを下げ、
「どーお考えてもおかしいだろこれ……なんでオレがここにいるの? 裏方専門だよねオレ? 場違い感
「HAHAHA」
≪ハハハ≫
大げさに肩を竦めて軽めの笑い声を上げる実行部隊そのいちとオペレーター。
「なんで! オレが! ここにいんの!?」
実行部隊そのに。【情報屋】バド=ワイザーは我が身の置かれた不平不満の尽きない現状をオーバーリアクションで訴える。
「いい加減、腹括れよバド。たまには硝煙香る
「鉄火場は悪いに決まってンでしょが何言ってンだよこの御仁! いいか、アンタの奢るって酒、このままじゃオレの墓にぶっかける羽目になんぞ! そこにオレはいないの! 眠ってなんかいないのFuuuuck! アンタも何とか言ってやってよシルフサン! オレが実戦なんて真似できるわけねーってさ!」
≪ボクはバドの
「こンの裏切り者ォーッ! ネットをリアルに持ち込むのはマナー違反だぞ! はっ!? 離せ、離して! No! ヤだオレお家帰る!」
「いっやーチャーリーの気持ちが解るぜえ……ハイネを連れてくとこんな感じだからなぁHAHAHA。その可愛いオレ達の弟子に、素敵なプレゼントしたいじゃん?」
「鬼畜過ぎンだろ白黒師匠! ……Fuck。懸賞金さらに跳ね上がれ。そして禿げ上がれ」
「残念ながらスキンヘッドなんだなあこれが!」
などと、覚悟を決め――きれないままのバドを連れて、回転ドアを抜ける直前。
≪OK。二人とも、よく聞いてね。そのドアには電子ロックがかかってないけど、多分入った時点で相手に気付かれる。一階ロビーに敵影ナシ。でもそこは文字通り月の裏側だ。細心の注意を払って行動してね。情報、隔壁のアンロック、その他のコンピュータが関わる全ては、このシルフが責任持って請け負う。剣も銃も防ぐ手段はないけど、キミ達ならやり遂げられるって信じてる!≫
「オーライベイビー。命の手綱、しっかり握ってくれよディーバ」
「ああもう! どうにでもなれだよチクショウ!」
――かくて最後の車輪は回り、闖入者を他と区別することなく迎え入れる。
シルフの言葉は的中した。
『ディッセンさん、ご到着っすよー』
『了解です。それでは各自、役目を全うしましょう』
遥か階上。無数のモニターを収めた監視室で、ルナの残党はあまりにもフラットに舞台の幕開けを受け入れる。
魚眼レンズが捉える侵入者ふたり。
「おおっと、ブラック=セブンスター。もう一人は……誰?」
「いずれにせよ
そして、狩人が残るルナのステータスを知らないがために、最大の警戒を持って事に当たるのとまったく同じに。
素性が知られていないがゆえに、バド=ワイザーへのルナからの警戒レベルもそっと、
――その時、不意にモニターからの映像が一番カメラから順に、リズミカルに途絶えていく。
「うっは、早速きたなー!」
笑う紫陽花テキスト。もはや別の生物のように動く彼の両手の指が、挨拶代わりに【人魚姫】が行ってきたハッキングを、急造のプログラムで迎撃する。
≪――? あれ? 破ったハズなんだけどなー。……おお!?≫
その小さな驚きは、いっそ嬌声に似て。
≪バド、バド! すごい! ルナすごい!≫
「えっなになにどうしたの!? 開幕二秒でピンチとかヤだよオレ!?」
≪わ! わっ! 本物だ! 正直バスガイドみたいなオペレーションしか役目ないかなーって思ったけどすっごい! ねえバド、ルナのメンバーに<レイニィ>がいるよ! あっあー! 光栄だなぁー!≫
新造された防壁プログラムを突破する。瞬間、次には新しい防壁が構築されて立ちはだかる。
カメラは互いの主導権を忙しなく行き来し、電脳上の攻防はハッカーとしてのその二つ名そのままに終わることなく、破られるたびに再びどころか何度でも降り注ぐ。
「どっひー。どんな処理速度だよ。もう十回は破られちった。アッハッハッハ手ごえぇー!」
鍵盤に踊る指先。唄うように敵ハッカーの手腕を
<レイニィ>は笑う。<妖精>も笑う。三次元でのやりとりはそれぞれに任せ、電脳専門のふたりはかつてない好敵手に、向かい合えば握手でも交わしそうなシンパシーをもって前哨戦を開始した。
「あ、ディッセンさーん。はいコレ。頼まれてたヤツ」
だかかかかかか、とキーボードを叩く音をBGMに、文字通りの手抜き、右手に持ったスマートフォンを隣へと見せる。
「……復元は不可能、と言ってたように記憶していますが」
「アッハッハッハ、うっす。復元は無理っした! もうメモリやらなんやら全部アウトで、何のアプリ入れてたかもまったくわっかんねーっすね。なんとか再構築できたのはコレだけ」
それは一枚の画像。ありふれた――日々、異物として社会に紛れる彼等をして『日常』を思わせる、なんでもない記憶の切れっ端だった。
「んん……これは、」
「おっ? やっぱりディッセンさんも解りますこれ? いいっすよねー!」
「うん、はい。完璧に近いですね。惜しいのはたった一点。ほぼほぼ理想そのままです」
「でっすよねー! ああ、ほんとに惜っしいなあー!」
ふたりの趣味において共通項はさほどない。
お互いの趣味を理解しておきながら、けれど共感にはほど遠い、お互い「こいつ頭おかしくねえ?」と思ってしまうその一部分。
開かれた画像には、緊張が全面に押し出された笑顔で、カメラに向かって、真っ直ぐ伸ばせない指を懸命にピースにしようとしている、とある少女の姿があった。
「これで首が無ければなー!」
「あとは翼さえあれば……」
心底惜しい、と嘆くディッセン=アルマトールと紫陽花テキスト。
もう、今となっては遠く、本筋にはまったく関係のない話だが。
――彼等ふたりが出会い、意気投合した場所は、フランスのルーヴル博物館。
生まれながらにして壊れた二人は、別々の理由で、ギリシャのニケ像……首から上のない、翼を持った女性の石像に、これ以上ないほど感じ入っていたのが、その始まりだった。
「思い出しますね? 副団長」
「いや、最期に良いものを見せてもらいました。預かります」
「うっす。じゃあ気合入れてハッカーさんの迎撃するっす」
サボっていた右手が仕事に戻る。
紫陽花テキストは、季節外れの“雨に唄えば”を口ずさんだ。
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