第12話/2


 キーボードを叩く音と、プリンターが印刷した紙を排出する音。ぎしり、とオフィスチェアーの背もたれがきしみ、ローラーの付いた脚が床を滑る。


 無機質極まりない森。高さを競うように伸び生える木々はコンクリート。互いを邪魔しないように貼り付けられた枝葉はガラスとネオン管。色鮮やかな光彩が夜の都会を照らして染め上げ、天空の星や月はどこかに追いやられ、誰もその姿を探そうなどとは思わない。


 血脈のように張り巡らされた道路網を、目を光らせ、さながら赤血球のように疾走する車の数々。


 ――此処は現代最後の魔都まと、上海。


 眼下に広がる社会の営みなんぞどこ吹く風、とばかりに窓にシャッターを下ろし、二人の男が書類と格闘している。


 まごうことなきデス・マーチ。これがコンサート会場での出来事ならば、何かに取り憑かれたかのように指を動かし続ける彼らの相手はピアノで、二人の連弾はさぞ観客の胸を打ったことだろう。


 空しいことに、彼らの打つ鍵盤キーボードは、あまりの酷使に記された文字のいくつかが失踪していた。打たれる頻度の低い箇所はそのまま、所在無さげに凹まされ続ける同胞の上下運動を眺めている。


 、とは戦争を続けてきた人類にとっては最早もはや、説明の必要がないほどの常識なのだが。


「アッハッハッハおっかしーなあー! ウチの会社とっくに倒産してるハズなんだけどなあー! なあーんで決算業務やってんのかなあー! オレ!」


 物量に圧倒される側、としてはそんな風に攻められたくはないのが本音だ。まず、戦争などに参加したくはないし、もしするのであれば旧き良き古代の、一対一で国の趨勢すうせいが決するようなロマン溢れるものであって欲しい、という空しい願望。


「ふふ。では私の棚卸たなおろしと業務交代しますか? データだけの扱いに飽きたのなら是非。私も実物以外の味気ないモノが恋しくなって来ました」


「あい。ゴメンナサイ。お疲れ様っす。いやでもこの尻拭いはぶっちゃけ非道ひどい! 外道げどい! どうしてオレらばっかりこういう役回りなのか!」


「今に始まったことではないでしょ。ウチの会社は昔からこうだった。バイトくんも入ってくれて、それにホラ。いちおう、じゃありませんか。もう少し頑張りましょう? 


 てきすと、と呼ばれた青年は背もたれに思いきりよりかかり、両手で髪を掻き上げて


「……あーい。アンタさえ居なかったらもっと早めにこの会社に見切り付けてたってこと、忘れないでくださいっすよ、。決算次第で退職金の値段が変わるってんだから頑張ります。しかし眠い。もうオレ疲れたっすよ、パトラウィッシュ……」


 死んだ目で穏やかな笑みを交感し合う男二人。市場に水揚げされた魚の方がまだ活きの良い目の色をしていることだろう。


【人魚姫】と【稀代の情報屋】がその所在を探している、悪夢の残滓。


 都市伝説のミリオンダラー。社会的にはチャイルド=リカーの手で壊滅させられたとされている、元五番。【パレード】ルナの、数少ない生き残りが彼らだった。


 ルナの七月。事務処理を一手に引き受けていた<レイニィ>こと紫陽花あじさいテキスト。


 同じく十二月。広報、企画、営業の全てを取仕切っていた<大晦日ラストフライト>ことディッセン=アルマトール。


 この二人が、かの一大討伐戦から逃げおおせ、またこのような事態に追い込まれている理由は、同じモノに起因する。


《人材派遣のパイオニア》をうたうパレード。一厘の憐憫れんびんさえ買い取れない殺人鬼の集団にあって、彼ら二人は――おそらくは、彼ら二人だけが、殺人鬼でありながらもまともな人間としての精神を有していたからだ。言ってしまえば、まっとうな人間の部分を精神的に残していたからこそ、彼らは自身の生命を守ることが出来、また人間社会の一端として激務に圧殺されかかっている。


 都市伝説ミリオンダラーとしてのパレードの首魁しゅかいが団長、グノーツ=フェブラリィであったように。


 企業としてのパレードの頭脳が、副団長のディッセン=アルマトールだった、という話。



「翼授かりてえー」


「わかるうー」


 現実逃避を始めそうになる、そんな二人のデスクの上に、それぞれ安物のマグカップに入ったコーヒーが置かれた。


「お疲れーっす」


「おおーありがとー圭一けいいっちゃーん!」


 次いで、小さな手に乗せたトレンチから、丸いチョコレート菓子の入った皿が、たどたどしく。


メイ


「さしいれ、よ?」


 あと一歩でリタイヤを口にしそうになった二人を、絶妙なタイミングでフォローする少年少女。


 圭一と冥は、興味深そうにパソコンのモニターに目をやると、面白みの介在する予知が一バイトも存在しない文章の羅列に、あからさまに嫌そうな顔を浮かべた。


「さすがっていうかなんていうか。圭一っちゃんの差し入れタイミング神懸かってんよねー。くそう。逃げ損ねた。現実から」


「コーヒーはインスタントですけどね」


「いいよー。インスタントコーヒーをこんだけ美味しく出せるってなんかもう無駄な才能だけど今生きてる! その才能、今が輝いてるよ!」


 なんとも言えない賛辞になんとも言えない顔で肩を竦める、白髪の少年、圭一。


「冥は圭一くんのお手伝いですか。ありがとう。ノーヴェは?」


「えっとね、いないよ? メイがケーイチのお手伝いするって言ったら、いないよ?」


 こてん、と頭を右に傾げ、そして左にもう一度傾ぐ、人形のように着飾られた少女、冥。


 それと、具体的な状況を告げられることなく「いない」で済まされたノーヴェ、と呼ばれる人物。この三人が、残るルナの構成員であった。


 ……この冥という少女こそが、かの窮地から彼らを救った――視点を変えれば、ルナを生存させた原因である。


「ま、オレはバイトですけど。給料弾んでくださいよ、先輩がた」


「うへ。飴と鞭を使いこなし始めるとか将来有望な少年っすねまったく」


「そうそう、事務作業もだけど、頼んでいたアレ復旧できそうですか、テキスト」


「あのスマホ? アッハッハッハ冗談きっついなーディッセンさんはー! データ紛失とかブロックなら朝飯前っすけど、あれオレ朝飯食ったっけ?」


「テキストのごはん、ないの?」


「やめて! うおっほん。とにかくデータ破損なら良いけど物理的損壊ぶっそんは望み薄って言ったじゃないっすかー。文句あるなら大立ち回りかました団長とかジャンヌさんとか相手のカラーズに言ってくださいよー」


「どっちも生き残っていないんですよ。墓もないです。で、できなさそうですか? やっぱり」


「あーもうやだ! この絶妙な煽り! でーきーまーすー! やーりーまーすー! やりゃーいーんでしょー! でもなんで落し物スマホのデータなんか覗きたいんすかディッセンさん」


「勘かな。よく外れるんですが、私のは。もしかしたら我々の進退を決めるキーになってしまいそうで」


「いいっすけど。気晴らしにはちょうど良いし」


「先に実務ですかね」


「でっすよねー! アッハッハッハ圭一っちゃん代わって!」


「アッハッハッハ無ぅ理ぃー」


「でっすよねー! アッハッハッハくっそ死にたい」




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